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No.136「MRSAで入院患者が死亡。医師の過失を否定した高裁判決には経験則または採証法則違反があるとして、高裁判決を破棄して差し戻した最高裁判決」

最高裁判所平成18年1月27日 判例タイムズ1205号146頁

(争点)

  1. 医師による抗生剤の投与に過失がなかったとした原審の判断の是非

(事案)

患者A(死亡時81歳の女性)は、平成4年11月13日、脳梗塞の発作を起こし、Y共済組合の開設するY病院に入院した。平成4年12月末ころ、Aに38度台の熱が認められたことから、Y病院のT医師は、感染症治療のために同月31日から平成5年1月10日まで抗生剤ケフラールを投与し、1月9日、Aの症状を肺炎または気管支肺炎と診断した。1月11日になってもAに37~38度台の熱が続き、下痢症状が認められ、1月7日に採取したAの喀痰からは黄色ブドウ球菌が検出された。T医師はAの症状を呼吸器感染と疑い、抗生剤を広域の抗生剤である第3世代セフェム系のエポセリンに変更し、1月11日から18日まで投与した。1月15日になってもAには38度台の熱があった。T医師はAの症状について尿路感染症をも疑い、同日から1月26日まで抗生剤ビブラマイシンを追加投与した。1月25日、Aの尿から緑膿菌が検出されたことから、T医師は、同日から2月13日まで広域の抗生剤である第3世代セフェム系のスルペラゾンを追加投与し、さらにその効能を良くする目的で、1月29日から2月18日まで抗生剤ホスミシンを追加投与した。

2月1日には、1月28日に採取したAの喀痰からメチシリン耐性黄色ブドウ球菌(以下「MRSA」)が検出された。また、2月1日に採取したAの便からもMRSAが検出されたことから、T医師は、抗生剤ミノマイシン及び抗生剤バクタを追加投与した。

その後T医師はAの症状に応じてスルペラゾン、ホスミシン、バクタの投与を中止する一方で抗生剤アミカシンを投与し、再度バクタの追加投与をするなどした。

3月18日、Aの子の要請を受け、T医師はY病院の院長M医師と協議の上、初めて抗生剤バンコマイシンを投与することを決めた。

その後Aはバンコマイシンやその他の抗生剤の投与を受けたが、急性腎不全、発疹、黄疸などの症状が出現し、8月31日、Aは多臓器不全により死亡した。

Aの相続人は、Y病院のT医師らには、

(1)広域の細菌に対して抗菌力を有する抗生剤である第3世代セフェム系のエポセリンやスルペラゾンをAに投与すべきでなかったのに、これらを投与したことによりAにMRSA感染症を発症させた過失、

(2)AにMRSA感染症が発症した時点で抗生剤バンコマイシンを投与すべきであったのに、投与せずAのMRSAの消失を遅延させた過失、

(3)Aの入院期間中、多種類の抗生剤を投与すべきでなかったのに、これをしたことなどにより、AにMRSA感染症、抗生物質関連性腸炎、薬剤熱、肝機能障害、腎不全、けいれんや多臓器不全を発症させた過失等があり、その結果Aを死亡させるに至ったと主張して、Y共済組合に対し、債務不履行または不法行為に基づく損害賠償を求めた。

原審(東京高裁)は医師の意見書や鑑定書を根拠にT医師らの抗生剤の使用に過失はなかったとして、Aの相続人らの請求を棄却した。

(損害賠償請求額)

患者遺族の損害賠償請求額は不明  原審(東京高等裁判所)は、医師の過失を否定。

(裁判所の判断)

医師による抗生剤の投与に過失がなかったとした原審の判断の是非
(1)第3世代セフェム系のエポセリンやスルペラゾンの投与について

最高裁判所は、当時の臨床医学においてはT医師らと同様に第3世代セフェム系抗生剤のエポセリンやスルペラゾンを投与することがむしろ一般的であったことがうかがわれるというだけで、それが当時の医療水準にかなうものであったか否かを確定することなく、同医師らが第3世代セフェム系抗生剤のエポセリンやスルペラゾンを投与したことに過失がないとした原審の判断は、経験則または採証法則に反すると判示しました。

原審が根拠とした医師の意見書や鑑定書については、その記載内容などを検討した上で、

(ア)相続人らが提出したF意見書については、当時の臨床医学においては第3世代セフェム系抗生剤の投与は一般的であったという記載はあるものの、MRSA感染症の発症を予防するためには、感染症の原因となっている細菌を正しく同定して、適切な抗生剤を投与すべきであり、第3世代セフェム系抗生剤の投与は避けるべきであるという趣旨の記載があることから、第3世代セフェム系抗生剤の投与が当時の医療水準にかなうものであったとは判断できないとしました。

(イ)Y病院側が提出したG意見書については、エポセリンやスルペラゾンがその投与の時点で細菌に対する感受性を有していたことを指摘するにとどまるものであって、これらに代えて狭域の抗生剤を投与すべきであったか否かという点については検討をしていないものであるし、Y病院側から提出され、相続人ら側の尋問にさらされていないことなどから安易にG意見書の結論を採用できないと判断しました。

(ウ)またH鑑定書については、T医師らが抗生剤として第3世代セフェム系のエポセリンを選択したことが、当時の医療水準にかなうものではないという趣旨の指摘をするものと理解できる記載があることなどを指摘しました。

(2)バンコマイシンの不使用について

最高裁判所は、下記のH鑑定書、F意見書及びG意見書に基づいて、T医師らが2月1日ころの時点でバンコマイシンを投与しなかったことに過失があるということはできないとした原審の判断は、経験則または採証法則に反すると判断しました。

(ア)H鑑定書にはT医師らの処置が不適切であったとまでは断定できないとする記載部分はあるものの、H鑑定書には「抗生剤治療には一部不適切な部分が認められる」、「・・・2月1日に検査した糞便からMRSAが証明された時点でバンコマイシンの経口投与を開始することの是非が検討されるべきと考える。」「鑑定人としては第一選択薬としてはバンコマイシンを推奨する」、「2月3日に便からMRSAが検出されていることが判明し、下痢が続いていた時点でMRSA感染症と判断してバンコマイシンが使用されていれば、今回の臨床経過に比べてより早く便からMRSAが消失したことが予想される」「2月に抗MRSA薬を開始していれば結果が異なった可能性はある」「その後MRSAの定着が抑制されれば死亡という最悪の事態は避けられたことも考えられる」などT医師らが2月1日の時点でバンコマイシンを投与しなかったことが、当時の医療水準にかなうものではないという趣旨の指摘をするものと理解できる記載があると判示しました。

(イ)F意見書には、T医師らが2月1日ころの時点でバンコマイシンを投与していないことを問題とする記載部分はないが、他方、MRSA感染予防対策自体には過失感染症またはその疑い例に対しては、平成5年当時も現在もバンコマイシンが第一選択薬であるのは世界的な水準であるなどの記載があることから、F意見書に上記記載部分がないことをもって、T医師らが上記時点でバンコマイシンを投与しなかったことの過失を否定する根拠とすることはできないと判示しました。

(ウ)G意見書には、T医師らが2月1日ころの時点でバンコマイシンを投与しなかったことについて、問題であるとも、問題はないとも記載されていないことから、これをもって、T医師らが上記時点でバンコマイシンを投与しなかったことの過失を否定する根拠とすることはできないと判示しました。

(3)多種類の抗生剤の投与について

最高裁判所は、H鑑定書、F意見書、I意見書及びG意見書を検討した上で、実情としては多種類の抗生剤を投与することが当時の医療現場においては一般的であったことがうかがわれるというだけで、それが当時の医療水準にかなうものであったか否かを確定することなく、T医師らが多種類の抗生剤を投与したことに過失がないとした原審の判断は、経験則または採証法則に反すると判断しました。

(ア)H鑑定書にはT医師らが多種類の抗生剤を投与したことを問題にする記載部分はないが、T医師らが多種類の抗生剤を投与したことの適否については鑑定事項とされなかったために、この点についての記載がないのであり、上記記載部分がないことをもって、T医師らが多種類の抗生剤を投与したことの過失を否定する根拠にはできないと判示しました。

(イ)G意見書には、T医師らの抗生剤の使用が、全体としては当時の医療レベルで許容範囲内のものであったとする記載部分はあるものの、同意見書はY病院側が提出したものでありながら「4月初旬の計5種類の抗生物質併用は問題無しとは言えない」「保険適応外の抗生物質を含んだ多剤投与や・・・一部に無意味と思われる併用等、2、3の問題は残る」「Aさんに使われた抗生物質をみるとやや"薬漬け"の感が無くはない」など、T医師らが必要のない抗生剤を投与したことなどが、当時の医療水準にかなうものではないという趣旨の具体的かつ批判的な指摘をするものと理解できる記載があると指摘しました。

(4)以上の検討を経て、最高裁判所は、T医師らの抗生剤の使用に過失があったとは認められないとした原審の判断には経験則又は採証法則に反する違法があり、この違法が原判決に影響を及ぼすことは明らかであるとして原判決を破棄しました。そして、T医師らの抗生剤の使用に過失があったかどうか等について、さらに必要な審理を尽くさせるため、本件を原審に差し戻しました。

カテゴリ: 2009年2月 4日
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