判例評釈

No.156「39歳の女性がダウン症児を出産。羊水検査の実施依頼に応じなかった点及びダウン症児出産の危険率等を説明しなかった点について医師の過失を否定した地裁判決」

京都地裁平成9年1月24日判決 判例タイムズ956号239頁

(争点)

  1. 妊婦からの羊水検査の申し出に対する医師の対応に過失はあったか
  2. 医師には、妊娠中絶に間に合う適切な時期に妊婦に対して羊水検査について説明し、これを実施すべき義務はあるか

(事案)

 X1(昭和29年生まれの女性)は、平成5年、X2(X1の夫)の子を懐胎し、満39歳10カ月にあたる平成6年7月4日に初産を予定していたが、開業医から左卵巣嚢腫の診断を受けた。平成5年11月8日、腹痛を伴う妊娠のため、Y1法人の経営するY病院を訪れ、B医師の診察を受けて超音波検査を受診したところ、妊娠6週目で、卵巣嚢腫等の疑いありと診断されて手術を勧められた。同月18日のC医師の診察では、胎児には異常がないとの診断を受けた。
 同年12月13日、X1は上記手術のためY病院に入院し、Y2医師(産婦人科医)が主治医となった。同月15日、開腹手術を受け、子宮筋腫と診断されて筋腫核手術を受け、同月29日にY病院を退院した。
その後、X1は、平成6年1月4日から同月20日の間に、麻酔後の頭痛、嘔気でY病院を3回受診し、同年2月1日には、左下腹部の痛みでY2医師の診察及び超音波検査を受け、円靱帯けいれんと診断された。同月15日には、左下腹部痛、腹部緊満で同医師の診察を受け、胎児精検を受けた。
 同年6月7日、X1は、Y病院において、長女Aを出産したが、Aは先天性ダウン症候群をもつ先天性異常児であった。これを知ったX1は、精神的に不安定な日々が続き、同月20日ころまで羊水検査についての不満をY病院側に訴えていた。退院後の同年8月と9月に、X2とY病院との話し合いが3回もたれたが、両者の言い分は食い違っていた。
 その後、X1及びX2は、Aの出産前にY2医師が先天性異常児の出生前診断である羊水検査の実施依頼に応じず、また、適切な助言等をしなかったため、Aを出産するか否かの判断をするための検討の機会等を奪われて精神的損害を被った、などとして、Y2医師及びY病院を経営するY1法人に対し、不法行為に基づく慰謝料の支払いを求めて訴えを提起した。

(損害賠償請求額)

計3200万円(夫妻各自1600万円)
(各自内訳:精神的損害に対する慰謝料1500万円+弁護士費用100万円)

(判決による請求認容額)

0円

(裁判所の判断)

妊婦からの羊水検査の申し出に対する医師の対応に過失はあったか
 訴訟において、X1がY2医師に羊水検査の依頼をいつ、どのように行ったのかについて、双方の供述が食い違っていましたが、この点に関して、裁判所は双方の供述の信用性を検討した上で、X1がY2医師に対して羊水検査の実施を申し出たのは、妊娠満20週と1日にあたる平成6年2月15日であって、Y2医師は結果の判明が法定の中絶期間を経過するとしてこれを断り、受検できる他の期間も教示しなかったと認定しました。
その上で、裁判所は、認定した事実に照らせば、仮に、X1の羊水検査の申し出に従って、羊水検査を実施して、出生前に胎児がダウン症であることが判明しても、人工妊娠中絶が可能な法定の期間を越えていることは明らかであるから、X1が出産するか否かについて検討する余地は既に無く、X1の羊水検査の申し出に応じなかったY2医師の措置が、出産するか否かを検討する機会を侵害したとは言えないと判示しました。
 次に、裁判所は、人工妊娠中絶が不可能であっても、妊婦には出産準備のための事前情報の提供を受けるべき利益があるかについて、「妊婦及び父親は、子供に異常が生じるかどうか切実な関心や利害を持つものであって、近年、胎児異常の原因についての知識と診断技術が進歩したことによって、出生前診断を利用して胎児の染色体異常の有無の診断を受ける妊婦も多くなり、染色体異常児の臨床症状の深刻さ及び両親の被るべき負担の大きさから、人工妊娠中絶に対する考え方や法律が影響を受けつつあることは否定できない。しかし、母体血液検査などの、障害児との確定診断には至らない程度の検査の実施の是非についても、倫理的、人道的な問題が指摘されているところである。これに比べ、羊水検査は、染色体異常児の確定診断を得る検査であって、現実には人工妊娠中絶を前提とした検査として用いられ、優生保護法(現:母体保護法)が胎児の異常を理由とした人工妊娠中絶を認めていないのにも係わらず、異常が判明した場合に安易に人工妊娠中絶が行われるおそれも否定できないことから、その実施の是非は、倫理的、人道的な問題とより深く係わるものであって、妊婦からの申し出が羊水検査の実施に適切とされる期間になされた場合であっても、産婦人科医師には検査の実施等をすべき法的義務があるなどと早計に断言することはできない。
 まして、人工妊娠中絶が法的に可能な期間の経過後に胎児が染色体異常であることを妊婦に知らせることになれば、妊婦に対し精神的に大きな動揺をもたらすばかりでなく、場合によっては違法な堕胎を助長するおそれも否定できないのであって、出産後に子供が異常児であることを知らされる場合の精神的衝撃と、妊娠中に胎児が染色体異常であることを知らされる場合の衝撃とのいずれが深刻であるかの比較はできず、出産準備のための事前情報として妊婦が胎児に染色体異常が無いか否かを知ることが法的に保護されるべき利益として確立されているとは言えない」
と判示しました。
 以上から、出産するか否かの検討の余地が無い場合にまで、産婦人科医師が羊水検査を実施すべく手配する義務等の存在を認めることはできない、として注意義務の存在を否定し、これを前提とするY2医師の過失を否定しました。
医師には、妊娠中絶に間に合う適切な時期に妊婦に対して羊水検査について説明し、これを実施すべき義務はあるか
 高齢出産の妊婦に対する説明という点について、裁判所は、何歳を適応として妊婦に対し積極的に染色体異常児の出生の危険率や羊水検査について説明するかは、医師の裁量の問題であって、病院の羊水検査に対する方針や、当該妊婦の臨床経過など個々の状況によって異なる事柄であり、満39歳の妊婦で、妊婦から相談や申し出すらない場合に、一般的に、産婦人科医師が積極的に染色体異常児出産の危険率や羊水検査について説明すべき法的義務があるとは認められない、と判示しました。
 そして、Y病院では、当時、高齢を理由とした羊水検査は勧めず、受け付けない方針であったこと、X1は平成5年12月には看護婦から羊水検査で出生前診断が可能であること及びY病院では実施していないことを聞いていたこと、羊水検査は、羊水穿刺による子宮内胎児死亡、胎盤早期剥離、流産、子宮内感染が生じた例も報告されるなど危険なものであり、X1は、当時、子宮筋腫の手術後で、合併症による流産の危険性があり、薬を内服していて安静を保っている状態で、羊水検査の実施は流産率が更に上がる危険があったこと、X1は検診以外に頭痛、腹痛で通院を繰り返し、出産に対し神経質な状況であったことに鑑みれば、Y2医師がX1に対しダウン症児出産の危険性や羊水検査の説明等をしなかったことにつき、産婦人科医としての過失を認めることはできない、と判示しました。

 以上より、裁判所はXの請求を全面的に棄却しました。