判例速報
※この記事は、2006-07-24にメール配信されたものと同じ記事です。Medsafe会員各位 今回は,亡Dの勤務先で実施された定期健康診断においてこれ を受託していた被告の担当医が亡Dの胸部X線検査の異常陰影を 見落とし,このために亡Dが肺がんにより死亡するに至ったなど として,亡Dの相続人である原告らが,被告に対し損害賠償請求 した事案です。 ■年月日・裁判所 H18.3.17 大阪地裁 平成15年(ワ)第3565号 損害賠償請求事件 ■当事者 ・原告Aは,亡Dの妻。原告B・Cは,いずれも亡Dの子。 ・被告は,F健康保険組合から委託を受けて,毎年一定の時期に 健康保険組合に加入している各信用金庫の従業員に対する定期健 康診断を実施。これらの定期健康診断は,被告の医師・診療放射 線技師・看護師らが検診車で各信用金庫本店,営業所等に赴いて 実施している(実施項目:身長・体重・視力・聴力・血圧の測定, 検尿,胸部X線間接撮影及び問診・聴診)。 ■診療経過 ・亡Dは,勤務先であるG信用金庫で実施される定期健康診断を 毎年受診していたところ,平成11年5月26日,同金庫本店で 実施された定期健康診断を受け,その中で,胸部X線間接撮影が 行われた。 ・被告は,亡Dに対し,平成11年健診の結果に基づいて精密検 査の指示をすることはなかった。 ・平成12年5月11日,被告は,健康保険組合からの依頼に基 づき,亡Dが当時勤務していたG信用金庫本店において定期健康 診断を実施。この健診においては,予め個人票が受診者に交付さ れることになっており,亡Dも,平成11年健診の結果が記載さ れた個人票を受領した上,健診に臨んだ。そして,亡Dは,検尿 及び身長・体重・視力・聴力・血圧の測定と,それらの結果の個 人票への記入を経た後,当日の健診担当医であったL医師の問診 及び聴診を受けた。 ・平成12年5月下旬ころ,被告から平成12年健診の結果を記 載した個人票や健診時に撮影された胸部X線フィルムのロール等 を受領した健康保険組合は,亡Dの個人票に「血痰」の記載があ ることに気付き,被告(K医師)に対し,亡Dに対しどのような 指示をしたのかを問い合わせた。これに対し,K医師が,亡Dに 精密検査の必要性を伝えるよう依頼したため,同月30日,健康 保険組合の看護師が,亡Dに電話してその旨を伝えようとしたと ころ,亡Dは,健診において診察を担当した医師から,胃カメラ による検査や気管支の検査を受けるよう指示ないし勧告された旨 答えた。これを受け,健康保険組合では,亡Dの個人票に,「5 /30TELにて確認。診察Drより一度胃カメラの指示あり。 気管の方の受診も勧める。」と記載。 ・平成12年6月21日,I病院において,血痰,胸痛の精査目 的で亡Dの胸部単純CT検査が行われたが,検査担当医の所見は, 「右肺尖に収縮性の変化を認め,陳旧性の炎症像と考えます。ま た両肺尖に多数のbullaを認めます。右上葉周囲の胸膜の肥厚を認 めます。一部mass lesion(腫瘍病変)のように孤立して存在する 部分を認めます。胸膜腫瘍の可能性も否定できません。」などと いうもので,結論としては,陳旧性炎症性変化と思われるが,胸 膜腫瘍の除外が必要なため,造影CTが必要であるという旨のも のであった。しかし,この時点では,造影CTは予定されなかっ た。 ・6月26日,喀痰細胞診の結果が報告されたが,その内容は, 異型細胞は見られないなどというものであった。 ・7月13日,かねて予定されていた亡Dに対する心エコー検査, トレッドミル検査等が行われ,7月15日,その結果を踏まえた I病院担当医による診察が行われた。上記担当医による問診の結 果,亡Dには,血痰はなく,痰自体ほぼ消失し,胸痛も軽減して いるとのことであったため,担当医は,肺結核の疑いも抱くよう になり,結核菌検出のため喀痰培養検査等の指示をするとともに, 胸部X線検査を指示した。胸部X線検査の結果を確認した担当医 は,右肺尖部の陰影に変化がないものと判断し,今後,腫瘍マー カー,造影CT等の検査を行っていくこととした。なお,狭心症 の疑いについては,これに関する諸検査の結果でいずれも異常所 見が認められなかったことから,この段階で否定された。 ・7月21日,I病院において,胸痛,血痰の精査目的で亡Dの 胸部造影CT検査が行われたが,検査担当医の所見は,「右肺尖 は収縮性変化と胸膜の肥厚を認めます。一部突出し,mass(腫瘍) 様にみえますが造影CTで全体に淡くenhancement(造影剤増強) をうけており,胸膜炎の像と考えます。肺野への浸潤がほとんど みられないので否定的ですが,malignancy(悪性腫瘍)を否定す るためfollow upお願いします。」などというもので,結論として は,胸膜腫瘍を除外する必要のある胸膜炎の疑い,陳旧性炎症性 変化で,造影剤増強を受けているので念のため経過観察が必要と いう趣旨のものであった。 ・7月22日,上記造影CT検査の結果に加え,腫瘍マーカーの うちCEAが55.1(基準値は5.0以下である。)と異常高 値を示したこともあり,I病院の内科担当医は,同病院の呼吸器 科医師に亡Dの診察を依頼した。同呼吸科医師は,亡Dにつき, 腹部の異常について検査した上で右肺尖部胸膜付近の生検を行う こととし,同月末から翌8月初めにかけて,注腸造影X線,胃カ メラ,腹部エコーといった検査を指示した。併せて,同医師は, 亡Dに対し,以前に撮影した胸部X線写真を借り出してくるよう に指示した。 ・8月3日,I病院呼吸器科担当医は,亡Dが持参した平成11 年写真及び平成12年写真と,I病院で撮影した胸部X線写真と を比較し,右肺尖部の陰影の様子をカルテに並べて記載したが, 具体的な所見はカルテ上特に記載しなかった。そして,亡Dに対 する腹部についての各検査の結果,肝臓に悪性腫瘍の除外が必要 な所見が認められたことから,更に腹部造影CT検査を行うこと とした。 ・8月22日,亡Dに対する肝臓を中心とする腹部造影CT検査 が行われたが,特に異常は認められなかったため,同医師は,改 めて血中CEA検査を行うとともに,亡Dを入院させた上で精密 検査を行うこととした。 ・8月29日,亡Dに対し,9月1日に入院の上,9月6日にC Tガイド下生検を行うことなどを伝えた。同医師の入院指示にお ける病名は,肺がんの疑いで精査治療目的というものであった。 ・9月1日,亡DはI病院に入院し,骨シンチ,ガリウムシンチ 等の検査を経て,9月6日,右肺尖部につき胸部CTガイド下生 検が行われた。この生検の結果,悪性細胞が確認されたことによ り,肺がんと確定診断されるとともに,その余の検査結果を踏ま え,この時点では,TNM分類でT3N0M0の病期IIBであり, 外科手術の適応ありと診断された。このため,同病院での手術が 予定され,亡Dは,同病院外科の空床待ちを理由に9月12日に いったん同病院を退院し,9月19日,再び同病院に入院した。 ・9月20日,亡Dに対する胸腔鏡検査が行われたところ,がん が相当程度に進行しており,T4NxM0の病期IIIBであること が判明したことから,外科的措置(切除術)は行われないことと なった。そして,I病院では更なる治療が困難であったことから, 亡Dが希望したJ病院に転院することとなり,9月22日にI病 院を退院。 ・平成12年9月25日,J病院に入院し,その後,亡Dは,同 病院への入退院を繰り返す。 ・平成14年8月5日,同病院において肺がんにより死亡。 (平成11年写真及び平成12年写真に精密検査の指示を要すべ き異常陰影があるか否かについて,5名の鑑定人(医師)による いわゆるアンケート方式による鑑定を実施) ■平成11年健診における過失について 「 原告らは,亡Dの平成11年写真には精密検査の指示を要すべ き異常陰影が認められるのに,平成11年健診の被告担当医はこ れを見落とした旨主張する」 「本件アンケート鑑定の結果によれば,平成11年写真について 異常陰影の所見なしとしたものが3名,右肺尖部胸膜肥厚所見が あり,精査の指示を要すとしたものが1名,同じく右肺尖部胸膜 肥厚所見があり,1年に1度経過観察をするよう指示すべきとし たものが1名である。もっとも,1年に1度経過観察をするよう 指示すべきとしたものは,平成11年写真のみならず,すべての 鑑定資料(平成12年分も含む。)について異常陰影所見ありと しており,また,受診者に対する指示事項としては,上記経過観 察のほかは,『直接撮影法により再検査下さい』又は『CTによ る精密検査を施行下さい』というもので,経過観察指示は,指示 事項の中で最も軽微なものであるのみならず,仮に肺がんを疑わ せる所見であれば,1年に1度の経過観察の指示で足りるとは考 え難いから,少なくとも,肺がんを疑わせる異常陰影は認められ ない趣旨の鑑定結果と見ることができる」 「・・・本件アンケート鑑定の結果に加え,平成11年健診は, 亡Dの勤務先において実施された定期健康診断であって,肺がん のスクリーニングを目的とした肺がん検診ではないことをも考慮 すれば,平成11年写真を読影した被告担当医において,亡Dに 更なる精査等の指示をすべき異常陰影がないと判断したことをもっ て,同担当医の注意義務違反であると認めることはできない」 「原告らは,平成11年健診の被告担当医は,平成11年写真の 右肺尖部に異常陰影を認めているのであるから,それを前年と比 較するなどして亡Dに精査を指示すべきであった旨主張する」 「しかし,定期健康診断において何らかの通常と異なる陰影が認 められれば直ちに前年の写真と対比するなどの注意義務が健診担 当医にあるということはできず,・・・本件アンケート鑑定の結 果にも照らせば,本件で,被告担当医に,この注意義務があると すべき事情を認めることもできないから,原告らの上記主張は, 採用することができない」 ■平成12年健診における過失について 「原告らは,平成12年健診の担当医が,再検査又は肺がんの疾 病の性格から専門医の精密検査を受けることを告知すべき義務を 怠ったなどと主張する」 「確かに,本件アンケート鑑定の結果によれば,平成12年写真 については,これが定期健康診断として撮影及び読影されたもの であることを考慮しても,右肺尖部に異常陰影があるものと認め てこれに対する精密検査の指示をする必要があったと認めるのが 相当である。しかし,他方・・・,平成12年健診の具体的内容 を考慮すれば,同健診により得られた情報のみでは,亡Dにつき 肺がんであると診断することができないことは明らかである。こ のことは,I病院において,初診時に,亡Dが血痰のようなもの が出たと訴え,胸部X線直接撮影がされているにもかかわらず, その時点では肺がんの診断に至っていないことからも裏付けられ る」 「したがって,平成12年健診において被告ないし健診担当医が 亡Dに対して指示すべき精密検査の内容は,肺がんの有無に関す る検査に限定されるべきものではなく,他に考え得る疾患に係る 精密検査をも指示するのが相当であり,また,定期健康診断にお いては,一般的に,診察医ないし健診担当者と受診者との間に信 頼関係が築かれていないことを考慮すれば,精密検査の指示にお いて肺がんの可能性があることを明示すべき注意義務までがある と認めることはできない」 「そうであれば,平成12年健診において,L医師が,亡Dに対 し,『肺がん』という言葉は避けつつ,総合病院を受診して胃カ メラによる検査や気管支の検査等を行うよう指示したに止まり, 亡D又は健康保険組合に対し,更なる指示ないし報告がされなかっ たからといって,被告担当医が亡Dに対する定期健康診断担当医 としての注意義務に反したと認めることはできない」 「原告らは,L医師による胃カメラや気管支の検査の指示により, かえって亡Dの速やかな受診機会が失われた旨の主張もする」 「しかし・・・,亡Dの肺がんは,I病院において,繰り返し胸 部X線直接撮影,胸部CT検査,喀痰細胞診等の諸検査が行われ, 最終的に胸部CTガイド下生検によってようやく確定診断された ものであるが,この確定診断に至る経緯が,L医師の上記指示に よって影響を受けたことを窺わせる証拠はなく,むしろ,この経 緯によれば,亡Dの肺がんは,腺がんということもあり,発見の 困難なものであったことが推認されるといえる(ちなみに,この 経緯を考慮すれば,仮に平成12年健診の直後,すなわち同年5 月中に亡Dが精密検査を受診するようになっていたとしても,そ の予後がわずかでも変わったと認めることは困難というべきであ る。)」 「他方,原告らは,L医師が上記指示をした事実はない旨の主張 もするが,平成12年健診において亡Dが診察医に血痰の症状を 訴えたこと,及び,亡Dに対し,健康保険組合の看護師から,血 痰が出るのであれば診察を受けるように連絡があったことは,い ずれも亡Dの自認するところである。このような亡Dの自認する 事実に沿う・・・個人票の受診指示に関する記載部分は信用する に足りる。また,原告らは,血痰の訴えに対し胃カメラの検査を 指示することはあり得ず,気管は肺野を含まないからあえて気管 の検査を指示することは不自然である旨の主張もする。しかし, 患者が血痰を訴えた場合に,消化管出血を原因とする吐血との鑑 別を要することは,当裁判所に顕著な事実であり,また,L医師 が気管の検査を指示したからといって,肺野の検査を不要とした 趣旨とは到底認められず,気管の検査の指示が不自然ということ はできない。加えて・・・,上記個人票の受診指示に関する記載 部分は健康保険組合において記載したものであって,その経緯に 照らし,このような記載がされることに不自然な点があるという ことはできない。したがって,原告らの上記主張は失当というべ きである。さらに,原告らは,亡DがI病院を受診したのは胸痛 を自覚したためであり,平成12年健診における指示とは無関係 である旨の主張もするが・・・,I病院初診時において既に亡D は約1か月間胸痛を感じており,胸痛を感じて直ちに受診したも のではない上,同病院担当医の問診には,約1か月前に消失して いた血痰の訴えもしているほか,近医である開業医等の紹介を経 ることなく総合病院であるI病院を受診していることを考慮すれ ば,亡DがL医師の上記指示に関係なく同病院を受診したとは認 め難く,原告らの上記主張も採用することはできない」 ■判決主文 (請求棄却)