判例速報
※この記事は、2006-08-04にメール配信されたものと同じ記事です。Medsafe会員各位 今回は,冠状動脈バイパス手術を受けた患者が術後に腸管え死 となって死亡した場合において,担当医師に,患者に腸管え死が 発生している可能性が高いと診断し,直ちに開腹手術を実施すべ き注意義務を怠った過失があるとされた最高裁判決です。 本事件については,「医師の術後の管理に過失がなければ,患 者がその死亡の時点においてなお生存していた相当程度の可能性 があったことまではうかがわれるものの,死亡との因果関係があっ たと認め得るか否かは微妙であることなどから,更に審理を尽く させるため,原審に差し戻すこととされたものと考えられる」 (判例タイムズ1210号68頁)とされており,「本判決は,目新し い判断をするものではなく,裁判所の鑑定の結果に沿ってオーソ ドックスな判断を示すものにすぎないが,一般論を重視する鑑定 意見が無力なものであること,患者の具体的な状況を踏まえて過 失の有無を判断することが重要であることを示唆するとともに, 術後の管理における医師の裁量の限界を示すもの」(同誌同頁) として,事例的な意義を有する判例であると解されています。 ■年月日・裁判所 H18.4.18 最高裁第三小法廷判決 最高裁平成16年(受)第1147号 ■診療経過(原審が確定した事実関係) (1)Aは,その冠状動脈に狭さくが認められたことから,平成3年 2月22日(以下,日のみ記載するときは,いずれも平成3年2 月である。)午前11時55分から午後6時30分まで,C病院 において本件手術を受けた。B院長から依頼を受けたE佐賀医科 大学教授が執刀し,C病院のD医師及びF医師が助手を務めた。 本件手術には6時間35分を要したが,3本の冠状動脈のバイパ ス手術としては平均的な時間であった。術後の血圧,脈拍等のバ イタルサインは落ち着いており,出血量も少なく,良好な経過を たどっていた。Aは,同日午後7時15分,半覚せいの状態で手 術室から集中治療室に搬入され,23日午前6時ころ覚せいし, 特に異常もなく順調に経過した。 (2)血液ガス分析の結果におけるBE(塩基過剰)値のマイナス側 への逸脱は,アシドーシス(酸血症)を示すものであり,マイナ ス2.5くらいまでは許容値であるが,マイナス5以上は高度の アシドーシスを示すものといえるところ,23日午後3時までの BE値は,マイナス0.2からプラス5.2までの間であった。 (3)Aは,23日夕刻,腹痛を訴えたが,腹部所見では筋性防御は なく,腹部膨満は中等度であった。D医師は,この腹痛につき, 人工呼吸器抜去後の痛みの訴えの程度としては,通常よりも強い という印象を持った。Aは,午後8時ころ,鎮痛座薬インダシン 50mgの投与を受けた。Aは,午後10時ころ,深緑色有形便中 等量を排せつしたが,潜血の量は多かった。そのころ,Aの下腹 部痛は少し和らいでいたが,胃痛があった。午後6時から午後1 0時までのBE値は,マイナス0.4からプラス2.4までの間 であった。血液検査によれば,白血球数が1万5000個/μl 前 後と多く,また,じん機能の状況を示す尿素窒素が27mg/dl,ク レアチニンが1.9mg/dlと高めであった。 (4)Aは,24日午前0時ころから頻繁に腹痛を訴えるようになり, 「何で。何で。」,「助けてどうしようもない。」,「きつい, きつい。」等と訴えた。D医師は,精神的不安によるところが大 きいと考え,抗不安薬アタラックスPを筋肉注射した。Aは,午 前2時ころ,胃痛を訴え,しん吟を持続させており,また,午前 2時30分ころにも,胃痛,腹痛を訴え,鎮痛剤ボルタレン座薬 50mgが投与された。BE値は午前0時がマイナス4.8,午前 2時46分がマイナス11.3であり,高度のアシドーシスを示 していた。D医師は,アシドーシスの原因として急性じん不全, 腸管え死を考えたが,よく分からず,様子を見ることとした。そ の後も腹痛が持続したことから,午前3時50分,より強力な鎮 痛剤ペンタジン15mgが投与された。午前4時30分の血液検査 によれば,白血球数が1万7200個/μl と多かった。早朝から Aの腹痛の訴えが強くなったことから,付き添っていた上告人ら は,D医師らに対し,腹痛について適切な治療をするよう強く要 請した。午前5時ころ,抗不安薬セルシンが投与され,Aは,傾 眠傾向となったが,午前6時ころから7時ころまでの間,マスク を外す動作を繰り返し,つじつまの合わないことを話し,また, 午前7時30分ころにも腹痛を訴えた。BE値は午前5時30分 がマイナス16.6,午前6時30分がマイナス15.2,午前 7時30分がマイナス16.0であり,いずれも高度のアシドー シスを示すものであった。これを補正するために,メイロンが午 前5時30分に80ml,午前6時30分に50ml,午前7時30 分に100ml投与されたが,改善されなかった。血液検査によれ ば,白血球数が1万6600個/μl と多く,肝機能の状況を示す GOT,GPTがいずれも1000IU/l以上と非常に高く,また, 尿素窒素が44mg/dl,クレアチニンが2.8mg/dlと高かった。 (5)D医師は,24日午前8時までの間に,アシドーシス,肝機能 障害,じん機能障害が認められたので,腸閉そくと判断した。そ して,腸閉そくの原因は,上腸間膜動脈血栓症,虚血性腸炎,麻 ひ性腸閉そくと想定し,腸閉そくの治療を行うべきであると判断 し,循環血しょう量を増やすとともに,腸管のぜん動こう進薬を 使用して,腸のぜん動を促す治療を行った。また,常に試験開腹 を考えておくべきであると判断した。午前8時ころ撮影のレント ゲン写真によれば,腸閉そく像が認められ,ガスが多い状態であっ た。午前8時ころから9時ころまでの間,意思疎通はなく,腸管 ぜん動音はなかった。午前9時ころから10時ころまでの間,A は独り言を言い,しん吟した。午前9時40分のBE値はマイナ ス15.1であり,メイロン100mlが投与された。午前11時 から正午ころまでの間,Aは意味不明なことを話した。午前11 時15分のBE値はマイナス14.3であり,メイロン50mlが 投与された。正午から午後1時ころまでの間は傾眠傾向にあり, つめの色は不良であった。午後1時のBE値はマイナス15.2 であり,メイロン100mlが投与された。午後2時40分のBE 値はマイナス12.5であった。 (6)その後,血液の酸素分圧が上がらず,不穏状態であり,投薬に もかかわらず,意識レベルが少しずつ落ちてきて,アシドーシス を補正するための治療を施しても,それが改善されず,全身状態 が悪化していった。そこで,D医師は,人工呼吸器により呼吸を 補助するために挿管をした。その後,尿量が低下したため,利尿 剤が使用されたが,改善されず,じん機能が低下した。D医師は, 腹部所見は乏しかったが,アシドーシスが改善されなかったため, やはり上腸間膜動脈血栓症が最も疑われると判断し,同僚医師と 相談の上,開腹手術を行うこととし,24日午後3時又は4時こ ろ,電話で執刀医であったE教授に連絡をとった。BE値は,午 後3時30分がマイナス14.4,午後5時15分がマイナス1 2.7であった。午後6時過ぎころ,E教授がC病院に到着し, 同教授とD医師が上告人らに開腹手術の説明をしたところ,上告 人X1は手術承諾書への署名をいったんは拒んだが,最終的には 署名した。 (7)Aは,24日午後7時20分ころ,手術室に搬入され,小腸, 大腸部分切除,胆のう摘出,人工肛門造設の手術を受けた。手術 時の所見では,腹こう内に腹水が多量にあり,大腸には広範なえ 死が認められ,特に下行結腸からS状結腸にかけての部分のえ死 が最も高度であった。小腸には末端から20cmの部分から2.3 mにわたりえ死が散在していた。胆のうにもえ死があり,胆のう せん孔によるはん発性腹膜炎が認められた。肝臓,大腸や小腸等 のすべての腹内臓器に虚血の所見があった。広範な大腸のえ死部 は切除され,横行結腸の健常部分も腸の色としてはきれいなもの ではなかったため,S状結腸とつなぐことはできず,人工肛門と された。え死が散在していた小腸の2.3mにわたる部分も切除 され,胆のうも摘出された。手術は午後11時25分に終了し, Aは25日午前0時に手術室から搬出された。 (8)Aには,本件手術後の合併症として,何らかの原因で下腸間膜 動脈に虚血が生じ,これにより下行結腸及びS状結腸部分を中心 に広範な腸管え死が生じ,更に小腸の散在性のえ死や横行結腸, 胆のう及び肝臓の虚血も生じ,腹内臓器全体に虚血状態が生ずる に至ったものであるが,腸管え死全体の発生の機序の詳細は明ら かではない。 (9)D医師らは,引き続き集中管理体制で治療に当たったが,Aの 意識は回復せず,急性じん不全,急性心不全を来し,Aは25日 午後0時55分に死亡した。 (10)平成3年当時の腸管え死に関する医学的知見は次のとおりで ある。腹痛が常時存在し,これが増強するとともに,高度のアシ ドーシスが進行し,腸閉そくの症状が顕著になり,腸管のぜん動 運動を促進する薬剤を投与するなどしても改善がなければ,腸管 え死の発生が高い確率で考えられる。腸管え死の場合には,直ち に開腹手術を実施し,え死部分を切除しなければ,救命の余地は ない。え死部分を切除した時点で,他の臓器の機能がある程度維 持されていれば,救命の可能性があるが,他の臓器の機能全体が 既に低下していれば,救命は困難である。このことは,鑑定人G (神戸大学医学部教授)の指摘するところでもある。 (11)なお,開心術後の合併症としての腸管え死は,予後が悪く, 死亡率が極めて高く,腸間膜動脈閉そく症例においては,発症後 早期の段階で開腹手術を実施した場合とそうでない場合とで救命 率に有意な差がないという報告例があった。また,平成3年当時 の臨床の現場においては,開腹手術の適応及びその時期の判断は 極めて困難であるとされ,一般的には,開心術後の患者の安定度 は低く,術後間もない時点で開腹手術を実施することはちゅうちょ される状況にあった。 ■原審(福岡高裁)の判断 原審は,上記事実関係の下において,当時のAの症状等からして, 開腹手術の実施はAの身体にとって過度の負担となり,危険を伴 うので,その実施に慎重になり,その適否と時期を見定めるため に経過を観察することは,臨床医学の見地からして,必ずしも非 難に値するものとはいえず,遅くとも24日午前8時ころまでに 同手術を実施すべきであったということは,極めて困難な判断を 強いるものであるなどとした上で,平成3年当時の医療水準に照 らすと,D医師に術後の管理を怠った過失があるということはで きないとして,上告人らの請求を棄却した。 ■最高裁の判断 「・・・平成3年当時の腸管え死に関する医学的知見においては, 腹痛が常時存在し,これが増強するとともに,高度のアシドーシ スが進行し,腸閉そくの症状が顕著になり,腸管のぜん動運動を 促進する薬剤を投与するなどしても改善がなければ,腸管え死の 発生が高い確率で考えられていたというのである。そして,更に 前記事実関係によれば,(1)Aは23日夕刻ころから強い腹痛を訴 えるようになり,24日午前0時ころからは頻繁に強い腹痛を訴 えるようになった,(2)同日午前2時30分ころ鎮痛剤が投与され たものの,腹痛が改善せず,午前3時50分にはより強力な鎮痛 剤が投与されたにもかかわらず,腹痛は強くなった,(3)BE値は, 同日午前0時には許容値を超え,午前2時46分には高度のアシ ドーシスを示すようになり,午前5時30分からは補正のために 断続的にメイロンが投与されたにもかかわらず,改善されなかっ た,(4)同日午前8時ころ撮影のレントゲン写真によれば,腸閉そ く像が認められ,ガスが多い状態であった,(5)同日午前8時まで の間に腸管のぜん動こう進薬が投与されたにもかかわらず,腸管 ぜん動音はなかったなどというのである。そうすると,Aの術後 を管理する医師としては,腸管え死が発生している可能性を否定 できるような特段の事情が認められる場合でない限り,同日午前 8時ころまでには,腸管え死が発生している可能性が高いと診断 すべきであったというべきであり,G鑑定人も同旨の指摘をして いることが記録上明らか」 「そして,前記事実関係によれば,Aには,強い腹痛が続き,高 度のアシドーシスを示すようになり,D医師自身,24日午前2 時46分の時点では腸管え死を疑っていたというのであるから, アシドーシスが開心術後にしばしば見られるものであること,腹 膜炎の典型的症状である筋性防御を認めないなど腹部所見が乏し かったこと,開心術後の合併症として腸管え死が発生することは まれであることなど原審が掲げる各事実があるとしても,これを もって,腸管え死が発生している可能性を否定できるような特段 の事情があったということはできず,その他,前記事実関係の下 で,前記特段の事情があったことはうかがわれない。」 「したがって,D医師は,上記診断義務を免れることはできない」 「そこで,24日午前8時ころまでに,腸管え死が発生している 可能性が高いと診断した場合,Aの術後を管理する医師として, どのような措置を執るべきであったかについて検討する」 「前記事実関係によれば,平成3年当時の腸管え死に関する医学 的知見においては,腸管え死の場合には,直ちに開腹手術を実施 し,え死部分を切除しなければ,救命の余地はなく,さらに,え 死部分を切除した時点で,他の臓器の機能がある程度維持されて いれば,救命の可能性があるが,他の臓器の機能全体が既に低下 していれば,救命は困難であるとされていたというのであるから, 開腹手術の実施によってかえって生命の危険が高まるために同手 術の実施を避けることが相当といえるような特段の事情が認めら れる場合でない限り,Aの術後を管理する医師としては,腸管え 死が発生している可能性が高いと診断した段階で,確定診断に至 らなくても,直ちに開腹手術を実施すべきであり,さらに,開腹 手術によって腸管え死が確認された場合には,直ちにえ死部分を 切除すべきであったというべきであり,G鑑定人も同旨の指摘を していることが記録上明らか」 「そして・・・,Aの術後のバイタルサインは落ち着いており, 出血量も少なく,良好に経過していたというのであり,24日午 前8時ころの時点では,Aの症状は次第に悪化していたとはいっ ても,Aの症状が更に悪化した同日午後7時20分には開腹手術 が実施されているのであるから,開腹手術の実施によってかえっ て生命の危険が高まるために同手術の実施を避けることが相当と いえるような特段の事情があったとは考えられず,Aの肝機能や じん機能が低下していたことなど原審が掲げる事実は,上記特段 の事情には当たらないというべきである。したがって,D医師は, 上記開腹手術実施義務を免れることはできない。なお,原審は, 前記のとおり,開心術後の合併症としての腸管え死は,予後が悪 く,死亡率が極めて高く,腸間膜動脈閉そく症例においては,発 症後早期の段階で開腹手術を実施した場合とそうでない場合とで 救命率に有意な差がないという報告例があること,平成3年当時 の臨床の現場においては,開腹手術の適応及びその時期の判断は 極めて困難であるとされ,一般的には,開心術後の患者の安定度 は低く,術後間もない時点で開腹手術を実施することはちゅうちょ される状況にあったこと等の事実も認定している。しかし,(1)平 成3年当時の腸管え死に関する医学的知見においては,え死部分 を切除した時点で,他の臓器の機能がある程度維持されていれば, 救命の可能性があるとされていたことは前記のとおりであり,(2) Aの腸管え死が上記報告例で取り上げられている腸間膜動脈閉そ く症例であるとは判明していないし,(3)24日午前8時ころは, 本件手術の術後既に36時間余りが経過した時点であり,その間 Aの症状は次第に悪化しており,経過観察を続ければ症状の改善 を見込める状態にあったとはいえないことは前記事実関係から明 らかであるから,上記認定事実は,前記判断を左右するものでは ない」 「そうすると,D医師は,24日午前8時ころまでに,Aについ て,腸管え死が発生している可能性が高いと診断した上で,直ち に開腹手術を実施し,腸管にえ死部分があればこれを切除すべき 注意義務があったのにこれを怠り,対症療法を行っただけで,経 過観察を続けたのであるから,同医師の術後管理には過失がある というべきである。これと異なる原審の判断には,判決に影響を 及ぼすことが明らかな法令の違反がある。論旨は理由がある」 「以上によれば,原判決は破棄を免れない。そして,D医師の上 記注意義務違反とAの死亡との間の因果関係の有無等について更 に審理を尽くさせるため,本件を原審に差し戻すこととする」 ■判決主文 原判決を破棄する。 本件を福岡高等裁判所に差し戻す。 <以下略>