判例速報

※この記事は、2006-09-19にメール配信されたものと同じ記事です。
Medsafe会員各位


 今回は,健康診断における肺ガンの見落としによってその発見
が約1年間遅れ,翌年の健康診断で発見されて摘出手術を受けて
現在も生存中の患者に対して,発見が遅れたことによって肺ガン
が進行し,5年生存率が低下したと考えられる場合において,こ
れに伴う精神的苦痛について慰謝料400万円を認容した事案で
す。

■年月日・裁判所
H18.4.26 東京地裁 平成17(ワ)10681号 損害賠償請求事件(医療過誤)

■当事者

・原告は,昭和26年6月28日生まれの女性。

・被告府中市は,医療センターを開設する地方自治体。被告A医
師は,原告が医療センターで健康診断を受けた当時,同センター
で胸部Xp の読影を担当していた。

■診療経過

・原告は,平成14年9月11日,医療センターで個別の有料健
康診断(総合健康診査)を受診。

・医療センターでは,同日,原告の胸部レントゲン写真(以下
「胸部Xp」という)を撮影したところ,肺に直径約1センチメー
トルの異常陰影が存在していたが,A医師は,9月25日,原告
に対し,胸部Xp には異常がないと判断しその旨説明。

・原告は,平成15年7月,B医院で府中市無料健康診断を受診
し,8月上旬,肺に腫瘍の疑いがあると指摘された。原告は,同
月11日,C病院で胸部CT 検査を受け,腫瘍を疑われ早期に手術
をすることを勧められた。原告は,9月1日,D病院で,胸腔鏡
下肺葉・区域切除術(VATS)の方法で右肺下葉を切除し,9月6日
退院した。

・切除した腫瘍の病理診断は,肺ガン(低分化型腺癌)であり,
進行度分類は,T2N1 のStage II b であり,リンパ節転移は1群
まで存在した。

・被告A医師においては,平成14年9月25日,原告の胸部Xp 
の読影に際し,異常所見の有無を慎重に判断すべき注意義務が存
在するのにこれを怠り,右肺の異常陰影を見落とした注意義務違
反がある(この点,争いなし。被告側は,A医師の本件見落とし
により原告の5年生存率がどの程度低下したか等について争った)。

■A医師の本件見落としにより原告の5年生存率がどの程度低下
したか

「 原告の肺ガンの病期は,平成14年9月の医療センターを受診
して健康診断を受けた時点では,胸部Xp の所見から見て,腫瘍の
大きさが1センチメートル前後,遠隔転移の所見はなく,リンパ
節転移の所見も確認されていないから,臨床的に見るとc T1N0M0
(Stage I)であろうと推定される点については,当事者間に争い
がない。他方,平成15年9月1日に右肺下葉の切除術を受けた
後の病理学的診断では,D病院でp T2N1M0(Stage II)であると
診断されている」

「そうすると,原告の5年生存率は・・・,医療センター受診時
には臨床的(c)Stage I a 期でc T1N0M0 の72パーセント(四捨
五入),手術時には病理学的Stage II b 期でp T2N1M0の42パー
セント(四捨五入)であり,本件見落としによって肺ガンの発見
が約11か月間遅れた間に30パーセント低下したことになる」

「原告は,医療センター受診時に肺ガンが発見された場合の手術
成績として・・・,岡山日赤における胸腔鏡下肺葉・区域切除術
(VATS)の術後5年生存率である病理学的(p)Stage I a 期の95.
4パーセントを採用するよう主張し,さらに北海道大学病院から
は『病理IA期肺癌に対する胸腔鏡手術を主体とした症例』73
例の5年生存率が98.5パーセントであったとの報告がされて
いるとも指摘している」


「そこで検討するに,まず,Stage 分類については・・・,原告
の肺ガンの病期は,平成14年9月の医療センター受診時には,
手術も生検もなされていないので病理学的Stage の診断は不可能
であり,臨床的Stage の診断しかできない状態であることに照ら
すと,原告の医療センター受診時のStage 分類は,臨床的
(c)Stage I a 期であったとしか判定できず,病理学的(p)Stage I
a 期を前提として考察することは誤りといわざるを得ない」

「次に,臨床的(c)Stage I a 期を前提とした場合における5年
生存率についてみると,ガイドラインの全国統計が全国の303
施設を対象とし症例数が7408例の肺ガン手術例をもとに算定
したものであるのに対し,岡山日赤の症例数は1施設の成績で症
例数も289例にとどまること,岡山日赤のデータは,ホームペー
ジに掲載されたものであり,医学論文に発表されたものと同等に
評価することにはいささか躊躇せざるを得ないこと,胸腔鏡下手
術は高度の技術が必要な標準化されていない手術で施設間の治療
成績の格差が大きいこと,そもそも原告が岡山日赤で肺ガンの胸
腔鏡下肺葉・区域切除術を受けたのではないこと・・・,十分な
症例数を有するランダム化比較試験が存在しないため胸腔鏡下肺
葉・区域切除術が標準開胸手術と比べて予後が優れていると確定
的に結論づけることはできないこと等に照らすと,岡山日赤の手
術成績は,一般性あるいは信頼性がガイドラインの全国統計と比
べて不足しており,判決の基礎として採用することはできないと
いわざるを得ない」

「したがって,原告の5年生存率は・・・,平成14年9月の医
療センター受診時には少なくとも72パーセントであり,D病院
で手術をした時点では42パーセントであったと認定するのが相
当」

「そうすると・・・,A医師の本件見落としによって原告の肺ガ
ンの発見が約11か月間遅れ,摘出手術が遅くなったことによる
術後5年生存率の低下は,30パーセントと認定できる」

■因果関係等

「原告は,手術時には肺ガンがStage II b まで進行していたが,
受けた手術の内容は,右肺下葉切除術である。そうすると仮に,
原告が医療センターを受診した時点で肺ガンが発見されたとし,
その場合の病期が病理学的(p)Stage I a であったと仮定しても,
その際に受ける手術の内容が,右肺下葉切除ではなく,より小範
囲の下葉の一部切除にとどまったと認めるに足りる証拠はない」

「したがって,原告は,平成14年9月の医療センター受診時に
本件見落としがなく肺ガンが発見されていたとしても,手術時期
は早まるものの,受けた手術の内容は平成15年9月に受けた手
術と同一内容になり,肺ガンの発見が約11か月間遅れたことに
よって肺の切除範囲が広がったことはないと認定できる」

「肺ガン切除術後の再発については,術後5年を経過した後に生
ずることはほとんどなく,その間に再発がなければガンは完治し
たものとみなすことができるし,少なくとも,上記期間経過後の
再発事例がきわめて少ないことからして,当初手術時のStage 分
類によって術後5年経過後の再発の可能性に有意な差異は認めら
れないというのが一般的な知見であり,弁論の全趣旨からすると,
原告もこのことを当然の前提としているものと認めることができ
る」

■原告の逸失利益について

「まず,肺の切除術自体による損害の有無を検討するに・・・,
本件見落としがあっても原告の肺の切除範囲は広がっておらず,
平成14年9月の医療センター受診時に原告の肺ガンが発見され
たと仮定しても,今回原告が受けたのと同一内容の手術を受けた
と認められることに照らすと,仮に現在原告に何らかの身体症状
が存在したとしても,肺の切除範囲が異ならない以上,それらの
症状は,平成14年9月の医療センター受診時に肺ガンが発見さ
れて速やかに手術を受けた場合であっても出現したものと認める
のが相当」

「したがって,肺の切除術によって原告に現在何らかの身体症状
が存在したとしても,それは,本件見落としとは相当因果関係が
認められないことになる」

「次に,5年生存率の低下に伴う不安等により何らかの経済的損
失が生じたか否かを検討する」

「一般に,ガンの再発・転移は出現するか出現しないかのいずれ
かでありその中間はなく,いかに確率的には低くとも特定の個人
についてガンの再発・転移が出現した場合には,多くは死亡とい
う結果を免れない結果となる。そうすると,結局,5年生存率が
100パーセントでない限りガンの再発・転移による死の不安か
らは逃れられないということになり,たとえ5年生存率が99パー
セントであっても,それは死亡率が1パーセントであることを意
味するのであるから・・・,術後5年経過してガンが完治したと
みなされるまでの間は,やはり程度の差こそあれ死の不安からは
逃れられないというのが,通常のガン患者の心情であると考えら
れる」

「その上,本件では・・・,原告が平成14年9月に医療センター
を受診した時点でガンが発見されて適切な手術がされていたとし
ても,5年生存率は72パーセントであり,死亡率は28パーセ
ントに達していると認定できるのである」

「原告は,平成15年8月11日にC病院でCT 検査を受け,3セ
ンチメートルくらいの腫瘍があるので,ガンとは断定できないが
早期に手術を受けるよう告げられた際に,気管支鏡検査の予約を
取るように勧められたが同病院では翌週まで予約が入らないと聞
き,ガンかも知れないとの不安により翌週まで検査ができないこ
とに耐えきれず取り乱し,夫の知人の医学部教授に連絡を取りD
病院の医師を紹介してもらったことが認められるところ,このこ
とや弁論の全趣旨から窺われる原告の性格からすると,術後5年
間の死亡率が28パーセントにとどまったとしても,原告は,ガ
ンの再発とそれによる死亡についてかなりの程度の不安や恐怖を
感ずることを免れず,もはやガンが発見される前と同様に毎日を
過ごすことはできなかったと認めるのが相当」

「したがって,原告は,平成14年9月の医療センター受診時に
本件見落としがなく肺ガンが発見され,速やかに適切な手術を受
けていたとしても,かなりの程度の不安や恐怖を感じながら毎日
の生活を過ごさざるを得なかったと認められるから,仮に原告が,
現在,ガンの再発・転移を防ぐために家事や添削業務を制限して
いたとしても,かかる制限は,本件見落としがなく,早期に適切
な手術を受けていたとしても,やはり死の不安や恐怖を免れるた
めに行っていたものと認められ,本件見落としとの間には相当因
果関係が認められないことになる」

「以上によると,原告が現に受けた手術自体からはもとより,5
年生存率の低下による不安等によっても,原告に経済的損失が生
じたとは認められず,原告に逸失利益が生じたとは認められない」

■その他の損害

・精神的損害
「・・・本件見落としによって原告に生じた精神的損害は,本件
見落としがなく早期にガンが発見され速やかに手術がされた場合
に比較して,術後5年生存率が低下してガンの再発による死の危
険が高まったことに伴い,その不安や恐怖もまた高まったことに
よる精神的苦痛を内容とするものと認められる」

「このような精神的苦痛に対する慰謝料をどのように算定すべき
かについては,これまでのところ拠るべき基準等も見当たらず,
困難な問題といわざるを得ないところ,原告は,この点について
準拠すべき事項や増額すべき事項を主張している・・・(引用注
:原告の主張する増額要因を,裁判所はいずれも排斥)」

「以上のとおり,慰謝料算定に当たっての原告の主張はいずれも
採用できず,この点について拠るべき明確な基準等も見当たらな
いといわざるを得ないが,原告の抱いている死への不安や恐怖は,
本件見落としがなくても生じていたものであって,本件見落とし
によってその程度が高まったというものであり,しかもその程度
が高まっていると評価すべき期間が現に手術を受けた平成15年
9月から5年間に限定されること,このような原告の精神的苦痛
と類似した面を有しかつその苦痛の程度が高いと認められる事案
について・・・,500万円の慰謝料を相当とした先例があるこ
とのほか・・・,被告Aが原告に対して謝罪していることなど本
件に現れた一切に事情に照らすと,原告の精神的損害に対する慰
謝料は,金400万円と評価するのが相当である」

「なお,上記の慰謝料は,既に説示したとおり,現在原告が抱い
ている死に対する不安や恐怖に対するものにとどまるのであるか
ら,仮に将来不幸にして原告に肺ガンが再発し,死亡の結果が生
じた場合には,その死亡の結果と本件見落としとの因果関係が認
められる限り,改めて被告らに損害賠償義務が生ずることはいう
までもない。もっとも,既に認定説示したとおり,本件見落とし
がなく当初の健診時にガンが発見され手術がされたとしても,原
告にガンが再発して死亡に至る可能性が相当程度存在したのであ
るから,仮に原告がガンの再発によって死亡した後に損害賠償請
求がされたとしても,死亡と本件見落としとの間の相当因果関係
が認められない可能性もまたかなりの程度に達するといわざるを
得ない。このように死亡の結果が生じても,その損害の賠償が得
られない可能性が高いことから,そのことを考慮して本訴におけ
る慰謝料額を増額すべきではないかとの考え方が生じないでもな
い。しかし・・・,肺ガン手術後の生存率は早期にガンが発見さ
れるほど高いのであるから,本件見落としと死亡自体との因果関
係が認められないとしても,本件見落としがなく,より早期にガ
ンが発見されて手術が行われていれば,現に死亡した時点におい
てはなお生存していた相当程度の可能性があると認められる余地
は十分にあり,その限度で損害の賠償を受けることは可能である
から(最判平成12年9月22日民集54巻7号2574頁参照),
本件における慰謝料の算定に当たり,あえて将来死亡の結果が生
じた場合における訴えの帰趨を考慮する必要はない」

・弁護士費用
 金50万円が相当。

■遅延損害金の起算点

「被告A医師の本件見落としという不法行為は,平成14年9月
25日に原告に検診結果を説明した際になされているから,被告
らの損害賠償債務は同日から遅滞に陥ることとなる(客観的には,
この時点でガンが発見されないまま手遅れとなることなどを含め
て原告の死の可能性が高まり,それに応じた損害が発生したもの
の,その約1年後の手術によって原告の損害が上記認定の程度に
まで減少したこととなる。)」

■判決主文

1 被告らは,原告に対し,連帯して金450万円及びこれに対す
る平成14年9月25日から支払済みまで年5分の割合による金
員を支払え。

2 原告のその余の請求を棄却する。

<以下略>