判例速報

※この記事は、2007-03-07にメール配信されたものと同じ記事です。
Medsafe会員各位


 今回は,精神疾患のため被告の開設する病院に入院して身体拘
束をされて治療を受けていた患者が下肢静脈血栓症による肺動脈
血栓塞栓症により死亡したことに関し,その遺族である原告らが,
当該死亡は,同病院の担当医師ないし担当看護師において,(1)不
必要な身体拘束を実施してはならない義務,(2)肺動脈血栓塞栓症
の予防措置をとるべき義務,(3)約30分おきに臨床的観察等をす
べき義務,(4)速やかに救急搬送されるよう手配すべき義務を怠っ
たために生じたものであると主張して,損害賠償請求した事案で
す。


■年月日・裁判所
H18.8.31 東京地裁 平成16年(ワ)第15704号 損害賠償請求事件(医療過誤)

■当事者

・F(昭和42年生,平成15年10月26日死亡)は,原告A
の妻,原告Bの母,原告C及び原告Dの子。

・被告は,東京都府中市内において,精神科を主とし他に神経科
及び内科を標榜診療科目とする病院を開設。平成15年10月当
時,G医師,H医師及びI医師並びにJ看護師,K看護師,L看
護師,M准看護師,N准看護師及びO准看護師はいずれも被告病
院に勤務。

■診療経過

・Fは,精神疾患を患い,昭和57年5月ころから被害的なこと
を訴えて不登校となり,昭和58年1月ころから昭和61年3月
ころまで精神科の病院に入通院していたが,それ以降は平成7年
5月ころまで精神科の病院を受診することはなかった。

・平成7年5月ころ,幻聴,独語,空笑等が出現して,被告病院
を初めて受診して入院し,以後も,情動不安定で興奮状態になる
ことがあり,平成13年までの間に被告病院に計6回入院して治
療を受けた。

・Fは,平成15年10月14日,被告病院の外来を受診した際,
急に暴れ出して錯乱状態に陥ったため,保護者(精神保健福祉法
20条)である原告Aの同意の下に,被告病院に医療保護入院
(同法33条1項)となって,G医師の判断により同日午後0時
20分ころからA2病棟の保護室内で身体拘束を開始され,その
後は,H医師の判断により身体拘束の継続が決定。そして,本件
入院中,一貫して身体拘束実施。

・10月14日午後2時ころ,G医師により輸液及びセレネース
(強力な精神安定剤)の点滴処方がされ,以後は,H医師の判断
により,本件入院中一貫して持続点滴が実施されていた。G医師
により,(1)毎食後にリスパダール(抗精神病薬),ワイパックス
(緩和な精神安定剤),アキネトン(パーキンソニズム治療薬),
(2)就寝前にLP(レボメプロマジン(商品名ヒルナミン),強力
な精神安定剤),フルニトラゼパム(不眠症の治療薬,鎮静剤)
という投薬処方がされ,15日午後11時ころ,H医師により,
(1)毎食後にLP,ワイパックス,アキネトン,(2)就寝前にLP,
フルニトラゼパム,センノサイド(下剤)(3)不眠時にベゲタミン
(強力な精神安定剤),(4)不穏時にLP,ヒベルナ(パーキンソ
ニズム治療薬)を投薬処方。

・その後,10月22日午後2時ころから朝夕(その後毎食後)
にリスパダールが,24日から就寝前にベゲタミンが追加された
ほかは,H医師により概ね同様の投薬処方がされた。

・不穏,興奮等のため,10月15日午前10時ころ,19日午
後5時ころ,20日午前1時30分ころ,23日午後4時ころ
(看護師の処置時),同日午後8時ころ及び25日午前2時30
分ころにはLP及びヒベルナが,19日午後3時ころにはフルニ
トラゼパム及びワッサー(ビタミン製剤)が,20日午後5時3
0分ころにはセレネースがそれぞれ静脈注射された。

・10月25日午後8時ころのI医師の回診時,著変は認められ
なかった。K看護師及びM准看護師は,この回診以降も26日午
前1時ころまでの間,約30分おきにFの保護室を巡回し,午後
8時30分ころ及び26日午前0時30分ころには点滴を更新し
たが,いずれの際も特に異常は認められなかった。

・10月26日午前1時30分ころの巡回においても,特に異常
は認められなかった。

・10月26日午前1時52分ころ,K看護師とともに巡回して
いたM准看護師により心肺停止の状態で発見。直ちに心臓マッサー
ジ及びアンビューバッグによる人工換気が開始された。さらに,
連絡を受けてかけつけたI医師の指示により,吐血の吸引,気管
内挿管,イノバン(強心剤)投与,輸液実施。

・午前1時57分ころに119番通報をして救急隊を要請し,そ
のころ,原告Aに電話をして,Fが急変したのですぐ来院された
い旨を連絡した。東京消防庁の立川司令センターは,通報を受け
て,午前2時07分ころ府中病院に受入れを要請し,同時に承諾
を得た。救急隊は,同時刻ころ被告病院に到着し,午前2時09
分ころにはFの保護室に到着して,10分程度在室した後,Fを
ストレッチャーに乗せて午前2時21分ころ救急車に搬入し,午
前2時23分ころI医師,K看護師及びM准看護師も救急車に同
乗して被告病院を出発し,府中病院に向かった。

・午前2時28分ころ府中病院に到着し,心臓マッサージ及び人
工呼吸実施。

・午前2時55分,死亡確認。

・10月26日午前3時ころ,原告A,被告病院に到着。I医師
から,午前1時30分の回診時に異常はなかったが,午前1時5
0分の回診時には心肺停止状態であり,心臓マッサージなどの処
置を行ったが,回復しなかったため,府中病院の救急救命センター
に搬送した旨の説明を受けた。

・平成16年4月14日・23日,被告病院の担当者らは,原告
C及び原告Dに対し,Fの治療及び異常発見当時の状況について
の説明会を行った。説明会の際,L看護師が,「あ,既に12時
半はもう発見された時間ですね。」と発言した後,原告Dから点
滴更新の時間について質問され,「あ,ごめんなさい,1時52
分というのが発見の時間ですね。」と訂正するということがあっ
た。また,H医師は,原告Cから,Fの状態に関して,A「正気
でない」,B「中間」,C「正気」の3肢が用意されている書面
に記入して回答するよう求められ,10月14日から22日につ
いてはAのみを,23日から25日まではA及びBをそれぞれ選
択して回答した。

■「不必要な身体拘束を実施してはならない義務の違反」につい
て
(略。裁判所は否定)

■「肺塞栓症の予防措置を実施すべき義務の違反」について

「原告らは,Fについては,12日間もの長期間にわたる身体拘
束が実施されて,肺塞栓症発症の危険があったのであるから,被
告病院の担当医師において,身体拘束を実施している間,弾性ス
トッキングの装着,足の運動及び早い歩行をさせること,間歇的
空気圧迫法の実施並びに抗凝固療法といった肺塞栓症の予防措置
を実施すべき義務があった旨主張する」

「ここで,証拠・・・によれば,松沢病院は,精神科病院の中で
も,肺塞栓症の予防措置や対策の実施において先進的な病院であ
ると認められるところ,平成16年12月13日に改訂された松
沢病院の予防チャートを用いて検討するに,Fは,少なくとも下
肢運動制限(高リスク群)及び向精神薬の投与(低リスク群)に
該当し,肺塞栓症発症の高リスク群に分類されるところ,その予
防対策としては,(1)早期離床,注意深い観察,(2)2時間毎の体位
交換,(3)両下肢運動,(4)弾性ストッキングの使用,(5)間歇的下
肢圧迫装置の使用,(6)抗凝固療法の6つの選択肢が挙げられてい
る(低リスク群にある通常の観察という選択肢は掲げられていな
い。)。したがって,このチャートによる限りは,上記(1)ないし
(6)のような肺塞栓症の予防対策を検討することになる」

「ところで,被告は,本件当時,精神科医療における身体拘束に
よる肺塞栓症の発症につき,特に被告病院のような民間の単科精
神科病院の医療水準において,肺塞栓症の予防措置が法的に義務
づけられるような具体的予見義務はなかった旨主張しているとこ
ろ,この点についての平成15年10月当時の医療水準を窺わせ
る事実として,以下の事実が認められる。

(1)平成14年7月26日,東京都から各都立病院長宛てに,
『都立病院における肺塞栓症に対する取り組みについて』という
通知が出された。この通知においては,大久保病院では『静脈血
栓塞栓症予防手順』というマニュアルが作成されて平成13年8
月から院としての統一した肺塞栓症の予防対策が講じられている
一方,他の都立病院においては,診療科単位で予防に取り組んで
いる病院が多く,一部で院全体としての検討を始めたところであ
るとされ,今後,上記大久保病院のマニュアル等を参考に,予防
の手引等を作成し,患者のリスクに応じた肺塞栓症の予防措置を
講ずるとともに,発生頻度や予防効果の検証を行うこととされて
いる。

(2)松沢病院においても,上記(1)の通知を受けて,プロジェクトチー
ムが設置され,上記(1)の大久保病院のマニュアルを参考に,平成
15年2月ころまでに予防の手順,手引が作成され,実施される
ようになった。

(3)平成16年4月の診療報酬点数の改訂により,肺血栓塞栓症予
防管理料305点が新設され,病院又は診療所に入院中の患者で
あって,肺塞栓症を発症する危険性の高い者に対し,弾性ストッ
キング又は間歇的空気圧迫装置を用いて計画的な医学管理を行っ
た場合に,入院中1回に限り算定できることとなったが,精神科
病棟は除外されている。

(4)『精神科看護』という名称の雑誌の平成16年6月号に掲載さ
れた記事において,身体拘束中の患者が肺塞栓症で死亡した症例
が報告され,報告者の看護師は,このようなことが今後起こらな
いよう早急な対応の必要性を感じたと意見を述べている。

(5)松沢病院においても,上記(4)の記事などを受け,上記(2)の手引
は,精神科の特性を十分反映されていないと判断して,平成16
年12月13日にガイドラインとして改訂された。

(6)『精神科看護』の平成17年2月号に掲載された記事において
は,ほとんどの病院で肺塞栓症の予防対策がとられていないのが
現状ではないだろうかと指摘された上で,上記(5)の松沢病院のガ
イドラインが紹介されている」

「・・・平成14年7月ころの段階では,都立病院ですら,多く
の病院において,組織的に院全体としての肺塞栓症の予防対策を
講じたりマニュアルを整備したりしている病院は少なく,そのこ
ろから予防効果等の検証を行うというような状況であった。そし
て,上記・・・(1)のような通知が出されたのは都立病院に対して
であり,例えば,厚生労働省が民間の病院も含めた全医療機関に
肺塞栓症の予防対策をとるよう指導する通知を出したというよう
な事実を窺わせるような証拠はない」

「また・・・,通知を受けた松沢病院においてでさえ,最初の予
防の手順,手引が作成されたのが平成15年の2月ころであり,
加えて,上記・・・(3)(4)(6)の事実からすると,平成15年10月
ころの時点では,少なくとも被告病院のような精神科を主たる診
療科目とする民間病院において,肺塞栓症の予防対策を実施して
いた病院はほとんどなかったと認められ,肺塞栓症の予防対策を
実施すべきとする医療水準は確立していなかったというべき」

「そうすると,肺塞栓症の予防対策を検討することが望ましかっ
たという余地はあるとしても,被告病院の担当医師において,F
に対し,肺塞栓症の予防措置をとるべき法的な義務があったとは
いえない」

「なお,平成14年10月21日の新聞記事において,公立病院
の精神科で身体拘束中であった入院患者が肺塞栓症により死亡し
たこと及び厚生労働省の精神保健福祉課の職員がこの件に関して
『身体拘束はリスクを伴う。患者の状態に注意するのは当然だ。』
と話した旨の報道がされているが,この記事においても,身体拘
束患者が肺塞栓症で死亡したケースが確認されたのは初めてであ
るなどとも報道されており,上記認定を覆すものではない」

■「約30分おきに臨床的観察等を実施すべき義務の違反」につ
いて

「原告らは,被告病院の担当医師又は担当看護師において,Fに
対し,約30分おきに臨床的観察等をすべき義務があったのに,
これを怠り,25日午後8時ころのI医師による回診以降,臨床
的観察を実施しなかった旨主張する」

「しかし・・・,本件において,上記回診以降も約30分おきに
臨床的観察は実施され,26日の午前0時30分ころ,午前1時
ころ及び午前1時30分ころの観察では異常は発見されず,午前
1時52分ころの観察で異常が発見されたと認められるから,約
30分おきの臨床的観察が法的に義務づけられるとしても,被告
病院の担当の医師又は看護師においてその義務に違反したとはい
えない」

「なお,Fは呼吸停止状態で発見されたこと・・・,呼吸停止後
に人工呼吸を開始した時間が2分後だと約90パーセントの救命
率があるが,3分後だと75パーセント,5分後だと25パーセ
ント,8分後にはほとんどゼロとなるとされていることを踏まえ
ると,本件において30分おきの観察によってFの異常を救命可
能な段階で発見できたと認めるに足りる証拠はないというべきで
あり,そうすると,30分おきの観察とFの救命との間に相当因
果関係を認めることはできない」

■「速やかに救急搬送されるよう手配すべき義務の違反」につい
て

「・・・救急隊が被告病院に到着してから出発するまでに約16
分を要し,うち救急隊がFの保護室にいた時間は10分程度であっ
たところ,原告らは,I医師において,救急隊が到着したならば
Fが速やかに救急搬送されるように手配すべき義務があったのに,
かかる義務を怠った旨主張する」

「ここで,原告C作成の報告書には,Fを搬送した救急隊長が,
同原告に対し,『救急隊は患者を一刻も早く救急病院に運ぶのが
使命。救急隊の都合で出発が遅れることはありえない。』,『1
6分待たされたのは病院側の都合による。』という話をし,また,
消防指令が,同原告に対し,『救急隊は根岸病院到着後すぐに立
川指令センターから府中病院に行くよう指令を受けた』旨の話を
したと記載されている」

「しかし,この報告書自体,原告Cが電話ないし口頭で聴取した
とする内容をまとめたものにすぎず,その報告書上も,『病院側
の都合』というのが具体的に何であるかは不明であり,他に,本
件全証拠を検討してみても,救急隊の出発が病院側の都合で遅れ
たというような具体的事実は見当たらない。かえって,I医師は,
救急隊が保護室にいた間のことについて,搬送先を確認していた
ほか,Fの容態を直接確認し,被告病院のスタッフからFの発見
状況や処置内容,氏名,年齢,入院した時の病名,既往歴等の確
認をし,Fをストレッチャーに移すなどの対応をしていた旨証言
しているところ・・・,府中病院が立川司令センターから受入れ
要請をされて承諾した時刻も,午前2時07分であって,救急隊
が被告病院に到着したのとほぼ同じ時刻であるから,救急隊が被
告病院に到着して患者の状態を確認した段階で搬送先について立
川司令センターに連絡をして確認しても不自然とはいえず,また,
上記のような対応は救急隊員が通常行うものであると考えられ,
それに10分程度を要したとしても不自然とはいい難いから,こ
の証言を直ちに排斥できない」

「そうすると,上記の報告書だけで,I医師において速やかに救
急搬送されるように手配すべき義務を怠ったと判断することはで
きず,他に,この義務を怠ったと評価されるべき事実を認めるに
足りる証拠はない」

「なお・・・,26日午前1時30分には特に異常が認められな
かったが,午前1時52分には心肺停止状態で発見されたところ
・・・,呼吸停止後に人工呼吸を開始した時間が2分後だと約9
0パーセントの救命率があるが,(以下同じ)3分後だと75パー
セント,5分後だと25パーセント,8分後にはほとんどゼロと
なるとされていること,また・・・,Fは,直ちに心臓マッサー
ジ及び人工換気が実施されたものの,発見されて以降一度も心肺
機能を回復することなく死亡が確認されたことからすれば,仮に
Fが本件の経過より早く府中病院に搬送されたとしても,Fが救
命されたとはいえない」

■判決主文
(請求棄却)