判例速報
※この記事は、2007-04-12にメール配信されたものと同じ記事です。Medsafe会員各位 本件は,統合失調症により上告人の開設する精神科病院である A療養園に入院していたBが,消化管出血により多量の吐血,嘔 吐をした際に吐物を誤嚥して死亡したことについて,Bの両親で あり,相続人である被上告人らが,療養園の医師にはBを適時に 適切な医療機関へ転送すべき義務を怠った過失があるなどと主張 して,損害賠償を求めた事案です。 ■年月日・裁判所 H19.4.3 最高裁第三小法廷判決 平成18年(受)第1547号 損害賠償請求事件(医療過誤) ■判決主文 1 原判決のうち上告人の敗訴部分を破棄する。 2 前項の部分につき,本件を仙台高等裁判所に差し戻す。 ■診療経過 ・Bは,昭和41年3月生まれの男性で,昭和58年ころから異 常行動が見られるようになり,同年11月,統合失調症と診断さ れて療養園に入院。 ・Bは,平成9年ころからは,看護師等の問いかけに対してごく 簡単な応答をしたり,「おかあちゃーん」,「えんちょうー」な どの言葉を発することはあったが,意思疎通を図ることは困難で あった。平成13年1月以降,Bは不穏で落ち着かない様子を示 すことが多くなり,平成9年9月13日の診療録には,看護師が バイタル検査をするのも困難で,CT検査ができる状態ではない 旨記載されている。 ・(公表された判決文において日付は伏せ字)午前5時ころ,看 護師が巡回したところ,Bの衣類が吐物で汚染され,コーヒーか すのような少量の吐血が認められた。Bの体温は36.8℃,脈 拍は90/分,血圧は98/60であった。看護師がBに「おな か痛いの」と聞くと,Bはうなずいた。 ・午前8時ころ,Bは朝食をなかなか摂取しなかったため,いっ たん膳が下げられたが,再度配膳されると自力で全量摂取した。 Bに吐き気や嘔吐は見られなかった。 ・午前9時におけるBの体温は35.4℃,脈拍は84/分,血 圧は80/60であった。看護師はBに腹部等に痛みがあるか尋 ねたが,Bは「ウーウー」と叫ぶだけであった。Bの顔色は不良 であったが,苦痛の表情はなかった。 ・午前10時30分,医師である療養園の副園長がBを診察した が,Bは,問いかけに対して「アーウー」と叫ぶだけであった。 ・午前10時40分,療養園から連絡を受けてBの母であるX2 がBに面会したが,Bは,何を尋ねられても「ア,ア」と叫ぶだ けであった。副園長は,Bの吐血は消化管出血によるものであろ うと考え,X2に対し,消化管出血があるが,朝食を食べたため 今すぐ内視鏡検査をすることはできないこと,胃潰瘍等に対する 内服薬(セダガストン及びセルベックス)を投与して様子を見た 上で胃腸科の専門病院に内視鏡検査を依頼する予定であることを 伝えた。 ・午後0時,Bは,りんごのすり下ろし及び昼食の3分の2を摂 取した。吐き気,嘔吐はなかったが,食物を口の中に入れてもな かなか飲み込もうとせず,清涼飲料水で流し込むようにして食べ た。そのため,看護師は,誤嚥に注意し観察を密にすることにし た。 ・午後2時,Bは眠そうにしており,吐き気はなかったが,顔色 の不良は変わらなかった。 ・午後3時30分,Bは,体温が38.2℃に上昇。Bを診察し た副園長は,強心剤を注射するよう看護師に指示し,午後3時4 0分,看護師がBに強心剤を注射した。この時点でBに肩呼吸が 見られたため,副園長の指示により,看護師がBを酸素吸入設備 がある病室に移動させて酸素吸入及び点滴を行った。 ・午後4時30分,Bの体温は38.9℃で脈微弱のままであっ たが,四肢冷感や口唇及び爪のチアノーゼはなく,時々「ア,ア」 と叫んで体動もあった。午後4時50分になって,Bは,食物か すの混じった血を多量に吐いた。Bは,脈が触れず,意識もなく なったが,かすかに反応はあった。副園長の指示により,吐物吸 引,心マッサージ,強心剤の筋肉注射等の措置が執られた。 ・午後5時14分に呼吸停止となり,死亡確認。 ・ 病理解剖の結果,胃の内容液で気管支が満たされている誤嚥性 肺炎が認められたほか,空腸に直径約10mmの穿孔と多発性潰瘍 が見られたが,腹膜炎等の所見はなかった。解剖担当医の診断で は,直接の死因としては吐物の誤嚥による窒息として矛盾せず, 穿孔の原因は確定することができないとされた。 ・Bの直接の死因は,午後4時50分に食物かすの混じった血を 多量に吐いたBが吐物を誤嚥したため気道から気管支内に吐物が 入ったことによる呼吸不能(窒息)。 ■原審(平成18年6月15日仙台高裁)の判断 「原審は,上記事実関係の下において,次のとおり判断して,被 上告人らの請求を一部認容すべきものとした」 「平成13年▲月▲日午後3時30分の時点におけるBの容態は, 脈微弱,酸素飽和度87%,心拍数78/分,唇色不良であって, 何らかの原因によりショックに陥っていたと認められる。多量の 消化管出血による循環血液量減少性ショック又は空腸の穿孔によ り腹腔内が胃の内容物で汚染されたことによる感染性ショック等 の可能性があるが,ショックの原因は不明」 「他方,同日午前5時ころにはBの衣類が吐物で汚染されてコー ヒーかすのような少量の吐血が認められ,副園長も,同日午前1 0時30分ころBを診察して消化管出血を認識していたから,同 日午後3時30分ころBがショックに陥った原因が消化管出血に 関するものであることは認識し得たはずである。また,嘔吐や吐 血は消化管潰瘍の典型的症状であるから,副園長としては,嘔吐 や吐血が生ずることを予想し,ショックに陥って自ら気道を確保 することができなくなったBが吐物を誤嚥しないようにすべき注 意義務があったというべきである。そして,療養園は精神科病院 であり,患者がショックに陥った場合の適切な措置を行うことが できたかは疑問であるから,消化管出血を認識した療養園の医師 としては,Bがショックに陥った同日午後3時30分の時点で救 急医療を含む適切な医療行為を行うことができる病院にBを転送 すべき注意義務があり,これを怠った副園長には過失があったと いわざるを得ない。仮に転送義務まではなかったとしても,療養 園の医師としては,ショックに陥った消化管出血や消化管潰瘍の 患者に対し,嘔吐や吐血に備えて,気道確保の措置を執って吐物 を誤嚥させないようにする注意義務があったところ,副園長はこ の措置を執っていないから,過失があったというべき」 ■最高裁の判断 「しかしながら,原審の上記判断は是認することができない。そ の理由は,次のとおり」 「前記事実関係によれば,Bは,平成13年▲月▲日午後3時3 0分の時点で,発熱,脈微弱,酸素飽和度の低下,唇色不良といっ た呼吸不全の症状を呈していたが,心拍数は78であって頻脈と はいえず,酸素吸入等が行われた後の同日午後4時30分の時点 では口唇及び爪のチアノーゼや四肢冷感はなく,体動も見られた というのである。また,記録によれば,同日午後3時30分ころ のBの収縮期血圧は96であって,この時点で血圧が急激に低下 したような形跡はなく,嘔吐,吐血,下血,激しい腹痛といった, 循環血液量減少性ショックの原因になるような多量の消化管出血 を疑わせる症状があったこともうかがわれない。さらに,前記事 実関係によれば,病理解剖の結果,空腸に穿孔が見られたが腹膜 炎等の所見はなかったというのであるから,上記の時点でBが胃 の内容物で腹腔内が汚染されたことによる感染性ショックに陥っ ていたとも考え難い。これらの事実に照らすと,同日午後3時3 0分の時点でBが発熱等の症状を呈していたというだけで,Bの 意識レベルを含む全身状態等について審理判断することなく,こ の時点でBがショックに陥り自ら気道を確保することができない 状態にあったとして,このことを前提に,療養園の医師に転送義 務又は気道確保義務に違反した過失があるとした原審の判断は, 経験則に反するものといわざるを得ない」 「以上によれば,療養園の医師に転送義務又は気道確保義務に違 反した過失があるとした原審の判断には,経験則に反する違法が あり,この違法が原判決に影響を及ぼすことは明らかである。論 旨のうちこの趣旨をいう点は理由があり,原判決のうち上告人の 敗訴部分は,その余の点につき判断するまでもなく,破棄を免れ ない。そこで,Bが平成13年▲月▲日午後3時30分の時点で 自ら気道を確保することが困難な状態にあったか否か等につき更 に審理を尽くさせるため,本件を原審に差し戻すこととする」