判例速報
※この記事は、2007-04-27にメール配信されたものと同じ記事です。Medsafe会員各位 今回は,出産直後に,出血性ショックに陥り死亡したことにつ き,主治医に子宮頚管裂傷を見落とした過失,早期に十分な輸血 をしなかった過失,高次医療機関への搬送を怠った過失などがあっ たとして,損害賠償を請求した事案です。なお,「診療所開設者 において3年の消滅時効が成立しているのではないか」との点も 争点になっています。 ■年月日・裁判所 H18.9.14 名古屋地裁 平成16年(ワ)第753号 損害賠償請求事件(医療過誤) ■当事者 原告:原告Bは,亡Fの夫。Fは,平成12年8月31日の出産 の際,E産婦人科・眼科に赴き死亡するまで滞在した。原告Aは, 原告Bを父,Fを母として,平成12年8月31日に出生した子。 被告:Dは,E産婦人科・眼科を開設・運営。被告Cは,被告診 療所に勤務する産婦人科医。 ■診療経過 (判決文中には「別紙診療経過一覧表のとおり」と記載されてい るが,その別紙は公開されていない) ■子宮頚管裂傷を見落とした過失について 「Fの司法解剖を担当した法医学のJ教授は,Fには子宮頚管裂 傷が認められる旨の意見を述べているところ・・・,Fに対して は,被告Cの指示を超える陣痛促進剤(頚管熟化剤)が投与され ていて,頚管の開大がもたらされたと推認されること,子宮底輪 状マッサージの実施や子宮収縮剤の投与にもかかわらず,分娩後, 子宮からの出血が継続したことなど,この意見に沿う事情も認め られる」 「しかし,J教授から依頼されてアルコール保存されていたFの 子宮を見た産婦人科のK教授は,頚管裂傷は認められないと述べ ており,被告らの協力医である産婦人科医L医師も,解剖時に撮 影された子宮の写真を見た上で同様の意見を述べている。さらに, 被告診療所に応援に赴き,その後司法解剖に立ち会った際に,J 教授から子宮頚管裂傷であるといって子宮を見せられた麻酔科の M医師も,頚管裂傷の存在は確認できなかった旨述べている。上 記四者の意見を比較検討しても,J教授の上記意見が,他の三者 の意見に比して信用性が顕著に高いとまではいい難く,J教授の 上記意見をもってFに頚管裂傷があったと断定することはできな い」 「かえって,被告Cは,胎盤娩出後及び子宮内容清掃術の際の二 度にわたり,視診のほか,左手の指先を使って子宮の頚管部位を 全周触るという方法により頚管裂傷の有無を調べ,その結果,同 裂傷は認められないと判断しているが,この検索方法は・・・, 適当であったと認められる」 「加えて,症状としても・・・,(ア)分娩後約1時間が経過した 16時30分での出血量は40 g と少なく,(イ)同時刻における 出血は黒っぽい色をしていたこと,(ウ)子宮収縮は17時20分 までは良好であったが,その後はやや柔らかくなっていたことな どの事実が認められるところ・・・,これらの状況は頚管裂傷に はそぐわず,むしろ弛緩出血を疑わせるものといえる」 「以上のとおりであり,Fに子宮頚管裂傷があったと認めるに足 りる証拠はない。したがって,被告CがFを頚管裂傷と診断しな かったことについても,注意義務違反は認められない」 ■高次医療機関への搬送義務違反の有無−搬送を決断すべき時期 について 「分娩時出血量については,まず,胎盤受けに溜まったものとし て300 g があった。この重量について,被告Cは報告を受けて いなかったが200ないし300 g 程度と目測していた」 「上記のほかに,分娩台に敷いたホスピタルマットにも一定量の 血液が染み込んでいたものと認められる」 「すなわち,分娩時に出血があった場合,ホスピタルマットに羊 水のみが染み込み,血液が全く染み込まないということはあり得 ない。本件においても,ホスピタルマットは赤く染まっていたと ころ,被告Cはホスピタルマット自体を目視しているのであるか ら,その重量の報告を受けなかったとしても,その外観から相当 量の血液が染み込んでいることは明らかであった。ホスピタルマッ トに染み込んだ血液量を正確に算定することは困難というほかな いが,この点につき,J医師は280 g,N医師は約400gと推 定しており,少なくとも0ml として計算することが妥当でないこ とは明らか」 「この点につき,被告らは,妊娠末期の羊水量の平均が800 ml とされていることを理由に,ホスピタルマットに含まれる血液量 を考慮する必要はない旨主張する。しかし,Fは8月30日午後 8時50分ころから破水があったのであり,8月31日10時前 の時点でも羊水の流出が認められ,前期破水と診断されたのであ るから,分娩時に流出する羊水量はその分減少していたと考えら れる。とすれば,分娩時に流出した羊水量は,ホスピタルマット に染み込んだ液体の総重量780g(おおよそ780ml)よりはか なり少なく,残りは血液であった蓋然性が高いというべきである。 したがって,上記被告らの主張は,上記認定,判断を覆すものと はいえない。また,被告らは,通常ホスピタルマットの重量は計 測されないとも主張するが,仮にそうであるとしても,後記のと おり,本件においては,例外的に同マットに血液が染み込んでい る蓋然性を考慮する必要があることに変わりはない」 「16時30分には,40 g の出血が認められたが,この出血に つき,I助産師は,被告Cに報告していない。もっとも,40 g の出血のみでは異常とは判断し難いから,I助産師が,16時3 0分の時点で,Fの状態を問題ないと判断し,出血量について被 告Cに報告しなかったことをもって直ちに非難することは相当で ないと考えられる」 「しかし,上記に認定した医学的知見によれば,出血性ショック の診断やその後の治療において,合計出血量は大きな判断要素と なるのであるから,Fに多量の出血及び容態の悪化が認められた 17時20分又は17時45分の時点においては,I助産師は, 併せてこの40 g の出血についても報告すべきであった」 「上記報告の欠如を過失と評価すべきか否かはともかくとして, 被告診療所では,従前からオロ(胎盤の剥離面から出る出血)が 多いなどの異常な所見がなければ,被告Cに出血量等の報告がさ れないことになっており,そのことは被告Cも了解していたとこ ろ,そうであれば,被告Cは,報告されていない出血があり得る ことを前提に,Fの合計出血量を把握する必要があったというべ きである。・・・18時16分に開始された子宮内容清掃術によ り確認された710g の血液についても,確認された時点より以 前に出血し,子宮内に貯留していた可能性も十分考えられる」 「そうすると,18時の時点において,確実な出血として840 g があり,その他ホスピタルマットに含まれる分及び子宮内に貯 留していると考えられる血液を考慮すると,合計出血量は100 0 ml 前後であった可能性が高く,このことは被告Cも認識可能 であったということができる」 「そして,Fの出血は,被告Cの診断した弛緩出血に対する措置 (子宮収縮剤の投与,子宮底輪状マッサージの実施)が講じられ たにもかかわらず,止む気配がなく,その後も止血の成功を期待 できる徴候は認められないまま推移したものである」 「加えて,17時45分の時点では,血圧につき収縮期圧60 mmHgという症状が見られたところ,上記診断基準によれば,これ はショックの中でも重症を示すものであり,脈拍も98/分であっ て,ショックの診断基準に迫っていたことが明らかである」 「以上によれば,17時45分にI助産師がFの状態を観察した 結果を聞いた18時の時点において,被告Cは,Fの出血量が1 000 ml 前後であると認識することが十分可能であり,その他 の症状からも,Fが出血性ショック状態にあったことを把握でき たと認められる。これらの事情に,出血性ショックに対しては, 早期の治療が重要であることを考え併せると,たとえ,出血量が 確実に1000 ml を超えたと断定できずとも,同時点において, Fに対し,輸血を行う必要が生じたことは,被告Cも認識し得た と認められる」 「上記輸血の必要性に対し,被告診療所には輸血用血液が準備さ れていなかった(争いのない事実)。さらに,上記認定のとおり, 本件では,Fの全身状態の改善(循環管理)と出血原因の特定及 び止血とを並行して行う必要があったが,これを医師一人で行う のは困難であるところ,午後7時以前の時点では,被告診療所に はすぐに対応できる医師が被告C一人しかいなかった。これらの 事実に加え,上記に認定した出血性ショックの診断項目である各 種検査も一部しか行われていないという状況も併せ考えると,個 人診療所である被告診療所には,Fに対し,必要な処置を実施す るための人的及び物的体制が整っていなかったといわざるを得な い」 「そうであれば,被告Cには,遅くとも18時の時点で,上記体 制を有する高次医療機関への搬送を決断すべき注意義務があった ものと判断するのが相当」 「文献上も,産科の出血性ショックの治療には多くのスタッフを 要し,緊急時の対応が可能な大病院で対処すべきであり,中でも, 分娩後輸血を必要とする症例は,今後も出血が増加する可能性が あるから,大病院への搬送が望ましい旨の知見が存在するほか, M医師も,18時に助産師から出血量と血圧の報告を受けた時点 で,搬送を決断すべきであったと述べており,上記判断を裏付け ている」 「この点につき,被告らは,医師が診察することなく搬送を決断 することは相当でないと主張する」 「しかし,上記認定・判断のとおり,出血性ショックに対しては, 速やかな処置が何よりも重要となるところ,搬送を決断してから 実際に患者が高次医療機関に搬送され,処置が開始されるまでに 一定の時間を要することは,当然予見されることであるから,医 師には,それらの時間も見越した上で手遅れにならないよう早期 に搬送を決断することが求められているというべきである。そし て,医師による診断ないし処置は,搬送を決断し,その旨の指示 を看護師等に出してから救急車が到着するまでの間,あるいは搬 送先に到着するまでの間に救急車に同乗して行うことも可能であ る。仮に,搬送指示後あるいは搬送先で,結果的に搬送を要しな い程度の症状であることが分かったとしても,その措置の妥当性 が問題となることはない」 「さらに,分娩時出血量としては,500 ml を超えると異常と されているところ,本件に関していえば,上記認定のとおり,遅 くとも17時20分に200gの出血の報告がI助産師から被告 Cになされた時点で,合計出血量は既に500 ml を確実に超え ていたのであるから,上記時点で被告Cが診察を行うべきであっ たとも考えられる」 「以上によれば,被告Cの診察が未了であったことは,搬送の決 断を遅らせる合理的な理由にはならないというべきである。した がって,上記被告らの主張は採用できない」 「上記に認定した注意義務にもかかわらず,被告Cは,高次医療 機関への搬送をせず,19時00分及び20時40分に至ってよ うやく輸血用血液の手配を指示し,19時35分に医師の応援要 請を指示したのみであるから,被告Cには,上記注意義務に違反 して,高次医療機関への搬送を怠った過失が認められる」 ■因果関係 「そこで,上記過失行為(以下『本件不法行為』という。)と損 害との間に因果関係があるか否か,すなわち18時の時点で搬送 を決断した場合に死亡という結果を回避することができたか否か について判断する」 「名古屋市内においては,搬送依頼があってから救急車が依頼元 の病院に到着するまで約5分,救急車が依頼元の病院に到着して から搬送先が決まるまでに約5分,依頼元の病院を出発してから 搬送先の病院に到着するまでに約10分,搬送先の病院に到着し てから輸血が開始されるまでに約5分を要する」 「これによれば,被告Cが,18時にFの搬送を決断した場合, おおよそ18時05分ころに救急車が被告診療所に到着し,18 時10分ころに搬送先が決定し,18時20分ころに救急車が搬 送先に到着し,18時25分ころには輸血を開始することが可能 であったと認められる」 「なお,I助産師は,労災病院であれば,被告診療所を出発して から5分で到着する旨述べており,これによれば,18時25分 より更に以前の時点で輸血を開始することができたことになる」 「実際の経過としては,19時05分にFから息苦しさの訴え, 19時32分に嘔気の訴えがあり,19時35分に意識不明とな り,心停止になったのが19時53分であった。なお,18時2 5分に近接した18時26分に,血圧につき収縮期圧66 mmHg, 弛緩期圧不明という所見がある」 「心臓がある程度拍動している状態であれば,救命の可能性は大 きいが,心停止が起こった後では,救命は非常に難しい」 「・・・18時に被告Cが搬送を決断していれば,実際に心停止 を起こした時より80分以上早い時点から輸血等の処置を開始で きたところ・・・,Fの死亡という結果を回避できた蓋然性が高 いと認められる」 「この点,M医師は,18時16分に搬送を決断したとしても救 命可能である旨,上記認定を裏付ける意見を述べているところ, 同医師の上記意見は,Fの具体的な状態や名古屋市の救急救命体 制等を踏まえた上で詳細な理由付けがなされており,信用するこ とができる」 「また,その回復の程度についても,障害が残らずに社会復帰で きる程度に回復したものと認められる」 「なお,上記時点において救命可能性はなかったとする被告らの 主張に沿うものとして,L医師の意見及びO医師の意見があるが, 以下の理由により,いずれも上記認定を覆すまでのものと評価す ることはできない」 「まず,両医師の意見は,基本的に18時16分の時点に搬送を 決断した場合の救命可能性に関するものであり,18時の時点で 搬送を決断した場合の救命可能性については,十分な検討がなさ れていない」 「さらに,両医師は,救命が困難と考えられる理由として,DI C(汎発性血管内血液凝固症候群)発症の可能性を挙げている。 確かに,出血性ショックは産科DICの基礎疾患となり得るが, 本件では高次医療機関への搬送がなされなかった結果,産科DI Cか否かを判断するのに必要な各種検査が行われていないという 状況にあり,Fが産科DICを発症していたと認定するに足りる 的確な証拠はない」 「加えて,産科におけるDICの治療は,その病変が早期のうち に診断され,治療されることにより,多くの場合救命可能とされ ているところ,FにDIC様の出血傾向が最初に見られたのは2 1時ころであったことを考えると,18時25分ころに必要な処 置を開始していれば,Fを救命できた蓋然性は高いといえる」 「O医師の指摘するARDS(急性呼吸窮迫症候群)についても, DIC同様,Fがこれに罹患していたと認定するに足りる的確な 証拠はない」 「以上のとおりであり,本件不法行為とFの死亡との間に因果関 係を認めるのが相当」 「したがって,その余につき判断するまでもなく,被告Cは,F の死亡につき不法行為に基づく損害賠償責任を負うと判断できる」 ■損害額 (1) 逸失利益 ・Fは,死亡した平成12年当時31歳。 ・平成12年の女子労働者全年齢平均賃金349万8200円 3,498,200 × 16.5468(就労可能年数36年のライプニッツ係数) × 0.7(生活費控除30パーセント)=4051万8811円 (2) F本人の慰謝料 2400万円 (3) 葬儀費用 150万円 (4) 原告ら固有の慰謝料 近親者慰謝料として,原告らそれぞれにつき,200万円 (5) 弁護士費用 原告らそれぞれにつき,350万円 (6)小括 3850万9405円 ・((1)4051万8811円+(2)2400万円+(3) 150万円)÷2+(4)200万円+(5)350万円=38 50万9405円 ■消滅時効について 「不法行為の消滅時効については,民法724条が『不法行為に よる損害賠償の請求権は,被害者又はその法定代理人が損害及び 加害者を知った時から三年間行使しないときは,時効によって消 滅する。』と定めているところ,『損害及び加害者を知った時』 とは,被害者又はその法定代理人において,加害者に対する賠償 請求が可能な状況の下に,その可能な程度においてこれらを知っ た時を意味すると解される(最高裁昭和48年11月16日第二 小法廷判決・民集27巻11号16頁参照)」 「さらに,使用者責任における『加害者を知った時』とは,被害 者又はその法定代理人において,使用者並びに使用者と不法行為 者との間に使用関係がある事実に加えて,一般人が当該不法行為 が使用者の事業の執行につきなされたものであると判断するに足 る事実をも認識した時であると解される(最高裁昭和44年11 月27日第一小法廷判決・民集23巻11号2265頁参照)」 「・・・前記前提となる事実のとおり,Fは平成12年8月31 日に死亡したものであるが,死亡したFはもちろん,原告B(原 告Aの法定代理人親権者でもある)もFの出産に立ち会っており, 同日の時点で,主治医が被告Cであることのほか,同日における 経緯の概要を知っていたものと認められる。また,原告BがFの 遺体を冷凍保存していたことからすれば,同人が,Fの死亡が被 告診療所の処置によるものであるとの疑いを抱いていたものと認 められる。さらに,F及び原告Bは,被告診療所の所長が被告D であることも知っていたと認められる」 「とすれば,Fが死亡した平成12年8月31日の時点で,原告 Bは,Fの死亡という損害が生じたこと,加害者が被告Cである こと,及び,被告Cは被告Dの被用者であり,使用者の事業であ る医療業務の執行につきFを死亡させたことなどの事情につき, 賠償請求が可能な程度にこれらを知ったと認められる」 「そうすると,本件不法行為に基づく損害賠償請求権については 同日から消滅時効が進行し,本件訴訟が提訴された平成16年2 月26日より以前の時点である平成15年8月31日経過時に, 消滅時効が完成したことになる。もっとも,被告Cとの関係では, 平成15年8月28日到達の内容証明郵便により消滅時効は中断 されていると認められるが(民法153条参照),被告Dとの関 係ではそのような時効中断事由の存在は認められない」 「そして,被告Dは平成18年6月9日付け第6準備書面により 上記消滅時効を援用するとの意思表示をしている(当裁判所に顕 著な事実)」 「したがって,被告Dについては,少なくとも,被告Cの本件不 法行為につき使用者責任を負うと考えられるが,消滅時効の援用 により,その損害賠償債務が消滅したことが明らかであるから, その余について判断するまでもなく,原告らの被告Dに対する請 求は理由がない」 ■判決主文 1 被告Cは,原告Aに対し,3850万9405円及びこれに対 する平成12年8月31日から支払済みまで年5分の割合による 金員を支払え。 2 被告Cは,原告Bに対し,3850万9405円及びこれに対 する平成12年8月31日から支払済みまで年5分の割合による 金員を支払え。 3 原告らの被告Cに対するその余の請求及び被告Dに対する請求 をいずれも棄却する。 <以下略>