判例速報
※この記事は、2007-08-13にメール配信されたものと同じ記事です。Medsafe会員各位 今回は,原告らの母親(患者)が被告病院に入通院して長年に わたり糖尿病の治療を受けてきていたところ入院中に死亡したこ とにつき,原告らが,(1)その死亡は,被告Eを含む同病院の医師 において,患者に対し,強化インスリン療法,抗血栓療法,適切 な水分管理,適切な呼吸管理等を実施すべきであったにもかかわ らず,これらを怠ったことにより生じたものであり,また,(2)被 告Eにおいて,患者に対し,不安をあおるような言動(ドクター ハラスメント)を行って,著しい精神的苦痛を与えた等主張して 損害賠償請求した事案です。 ■年月日・裁判所 H19.7.12 東京地裁 平成16(ワ)24565号 損害賠償請求事件(医療過誤) ■当事者 ・原告側:原告らは,F(大正11年生,平成13年11月22 日死亡。)の子であり,他にFの相続人はいない。 ・被告法人は,東京都港区内において「東京都済生会中央病院」 という名称の病院(被告病院)を,東京都渋谷区内において「東 京都済生会渋谷診療所」という名称の診療所(被告診療所)を開 設。医師である被告Eは,昭和52年以降,被告病院内科に勤務 しており,平成5年には内科医長に,平成10年には内科部長に 就任。医師であるGは,昭和63年12月から平成17年12月 まで被告病院内科に勤務。医師であるHは,被告病院皮膚科に勤 務。 ■診療経過 ・Fは,昭和44年ころから糖尿病に罹患しており,昭和52年 以降,被告法人との間で診療契約を締結した上,被告病院又は被 告診療所に通院し,あるいは被告病院に入院して 病性腎症,甲状 腺機能低下症,心不全,肺炎等に対する治療を受けた。 ・平成12年11月13日,糖尿病性足壊疽の治療を受けるため に被告病院(皮膚科)に入院し,同月18日に右足指切除の手術 を受けることとなった。被告Eは,その手術の前日(同月17日), Fの病室を訪れて,Fに対し手術に関する話をした。 ・平成13年11月9日,被告病院を受診したところ浮腫が認め られたことなどから,被告病院(内科)に入院し,後記のとおり 同月22日に死亡するまで入院。 ・Fは,16日朝,担当看護師に対し「転んだ」と1回のみ言い, 担当看護師から何度か転倒の件を尋ねられると「転んでいない」 と言った(本件転倒発言)。 ・19日午後1時ころ,Fは,失神してベッドわきの床に倒れて いるところを,原告Cに発見された。Fは,転倒したことについ ては覚えていないと話し,疼痛の訴えや外傷はなく,体温は37. 4℃,血糖値は425mg/dl,血圧は124/60であった。 担当医師がFを診察したところ,意識レベル(Japan coma scale) は概ね?−1で,瞳孔は丸く不同なし,貧血なし,黄疸なし,肺 両側にラ音(雑音)あり,心3音なし,心雑音なし,腹部は柔ら かく平坦で圧痛なし,足浮腫ありの所見を認めた。また,12誘 導心電図上,入院時と変化がなく,CT上,右側頭葉に陳旧性脳 梗塞の所見を認めるも脳内出血の所見を認めなかった。そこで, 担当医師は,Fは失神したのであろうが,その原因が心臓又は脳 にある可能性は低いと判断した。さらに,その後,経過観察のた め,心電図モニターを約31時間装着したが,意識障害の原因と なる脈の不整や欠落は認められず,本件失神の原因は起立性低血 圧ではないかと判断した。本件失神の原因探索のために頸動脈エ コー,頭部MRI,心エコー,心筋シンチグラフィー,ダブルマ スターテストは実施せず。 ・19日午後4時30分ころ,被告Eは,G医師とともにFの病 室を訪れて,Fに対し,病室の料金を通常より減額していること, Fの希望をかなえるためには聖路加国際病院や慶應義塾大学病院 に転院した方がよいのではないかということなどを話したため, Fは非常に気分が悪くなった。 ・20日午前0時,Fは,ベッド上端座位で過ごしていたが,自 分で上半身をゆらゆら動かしたり,時々ウトウト入眠していた。 同日午前6時,体重測定時ふらつきがあった。21日午前6時, 血糖値測定,インスリン注射,SpO2測定に対し,不満を訴え た。体重測定時に,ふらつきが著明であった。Fは,同日の医師 の診察の際,入院してから数回の低血糖症状があったと話したが, 血糖値の測定をさせないため正確なところは不明。 ・21日午後8時,担当医師は,在宅酸素療法の適応の有無を判 断するため,酸素投与を約30秒中断し,動脈血ガス分析を実施 した。その結果,PaO2が31.3%で,在宅酸素療法の適応 が認められた。4lの酸素投与を再開すると,SpO2は90% 台へと回復。 ・22日午前4時40分ころ,Jは,回診の際,Fの病室から物 音がしたために訪室したところ,Fが端座位から真後ろにひっく り返っているのを発見し,直ちに状態を確認したところ,頸動脈 は触れず,瞳孔散大し,血圧測定不可,心臓停止,SpO2測定 不可,体温37.1度との所見を認め,心臓マッサージを開始。 ・さらに,かけつけた担当医師らにより蘇生措置が実施されたが 回復することなく,午前7時53分死亡確認。 ■本件死亡の原因等 「原告らは,本件死亡の原因につき,本件入院中にTIAを発症 したとした上,これから進展した脳梗塞によるものであり,仮に 脳梗塞によるものではないとしても,心筋梗塞又は静脈血栓塞栓 症によるものであると主張」 「しかしながら,本件死亡の原因が,静脈血栓塞栓によるもので あると認めるに足りる証拠はない。そして,本件入院中にTIA を発症したとは認められず,本件死亡の原因については,脳梗塞 である可能性も否定はできないものの,脳梗塞であると認めるに は足りず,虚血性心疾患(心筋梗塞等)又は突然死である可能性 も十分考えられる。その理由は,以下のとおり」 「本件入院中,16日に本件転倒発言があり,19日に本件失神 があったところ,原告らは,本件転倒発言はTIAの見当識障害 の症状に,本件転倒発言及び本件失神はTIAの感覚障害の症状 にそれぞれ合致すると主張し,また,21日にペンが持てない状 態になったとした上,これがTIAの運動障害の症状に合致する と主張する。そして,K医師も,ほぼ同旨の証言をしている」 「しかしながら,次のとおりであって,上記の主張,証言は採用 することができない」 「本件転倒発言の際の状況は,Fの部屋から手をたたく音がした ため担当看護師が訪室したところ,Fは,『転んだ。』と1回の み言い,何度か転倒の件について質問されても『転んでいない。』 と言うのみであったというものであるところ,原告らは,これが TIAの感覚障害あるいは見当識障害に該当すると主張するので ある」 「しかしながら,TIAにおいて見当識障害が生ずることを裏付 ける文献等の証拠は全くないし,TIAの症状としての感覚障害 とは,感覚の脱失,鈍麻,しびれ等をいうところ,転倒やその他 の上記状況がそのような感覚障害に該当するとはいえず,他に, 上記状況の中にTIAの症状に合致するものは見当たらない」 「本件失神の際の状況は,Fが,失神してベッドわきの床に倒れ ているところを,原告Cに発見されたというものであるところ, 原告らは,これがTIAの感覚障害に該当すると主張する」 「しかしながら・・・,転倒やその他の上記状況がTIAの感覚 障害に該当するとはいえず,他に,上記状況の中にTIAの症状 に合致するものは見当たらない。本件失神後に担当医師による診 察も実施されているが,局所神経症状は認められていない」 「TIAにおいて失神が起きることはあるものの,その頻度は低 い(失神204例中,TIAが原因の失神はわずか3例という報 告もある。)・・・」 「そして,Fは,平成12年ころまでに糖尿病性神経症を発症し, 時々ふらつくことがあった上,臥位から座位への移動で血圧が1 74/84から120/60へと低下したことからすると,起立 性低血圧があったと考えられる」 「以上の点に証拠を併せると,本件失神は,TIAによるもので はなく,起立性低血圧によるものであると認められる(K医師も, その可能性を否定していない。)」 「原告らは,本件死亡の原因は脳梗塞であると主張し,K医師も, 長年の糖尿病により動脈硬化がベースにあること,本件入院中脱 水状態に陥り血液がドロドロの状態になっていたこと,何度かT IAを来していたことを根拠として挙げ,同旨の証言をしている」 「しかしながら,次のとおりであって,上記・・・の主張,証言 は採用することができない」 「糖尿病による動脈硬化が進んでいたことは・・・,Fの糖尿病 の進行状況から認められるが,これは本件死亡の原因が脳梗塞で あることに沿う事実であると同時に心筋梗塞であることに沿う事 実でもある」 「本件入院中は・・・,Fが脱水状態に陥ってはいたとはいえず ・・・,FがTIAを発症したともいえない。そうすると,本件 死亡の原因として脳梗塞を否定することはできないものの・・・, 糖尿病患者の死因等の傾向に照らして,心筋梗塞や突然死が原因 である可能性もまた十分考えられる」 ■強化インスリン療法を実施すべき義務の違反について 「原告らは,担当医師において,平成7年ころ以降,Fに対し強 化インスリン療法を実施すべき義務があったと主張する」 「FのHbA1cは,平成11年以降概ね8.0%以上で推移し, 特に平成12年以降は概ね12.0%以上で推移したというので あるから,Fの血糖コントロールは『糖尿病治療ガイド』におい て4段階中最も悪い『不可』と分類されるほど悪い状態が続いて いたといえる。したがって,Fの場合,少なくとも平成11年以 降においては,強化インスリン療法により厳格な血糖コントロー ルをする必要性が高かったといえる」 「しかしながら・・・,Fについては,強化インスリン療法を理 解して血糖値測定やインスリン注射を適切に行うことが期待でき ない状況にあったこと,無自覚性低血糖の危険があり,また,低 血糖の際に適切に対応する能力がないことが窺われることからす ると・・・,平成11年以降厳格な血糖コントロールの必要性が あったことを考慮しても,また,仮に平成11年以前にも同様の 必要性があったとしても,担当医師において,Fに対し強化イン スリン療法を実施すべき義務があったとはいえない」 「Fは,被告病院に入通院している間,穏やかなときもある一方, 興奮するときもあり,処置等に納得ができないときは,血糖値測 定,インスリンの投与や増量などを嫌がることがあり,担当看護 師に説得されて受け入れることもあったが,説得されてもなお拒 否することもあった。そして,本件入院中も,同様の傾向が見ら れた上,Fが血糖値の測定を減らすよう要望したため,担当医師 はやむなく血糖値の測定回数を1日4回から2回へと減らした。 このように,Fは,従来型のインスリン療法においてですら,血 糖値の測定やインスリンの投与や増量を嫌がっていたのであるか ら,頻回にわたる血糖値測定とそれに基づくインスリン投与量の 修正を行う強化インスリン療法を適切に実行することを期待する ことはできなかった。現に,G医師は,平成12年11月15日, Fに対してインスリンスケール法の説明をし,同年12月28日 までの入院中何度か説得を試みたが,結局Fの承諾は得られなかっ たのである」 「証拠によれば,自律神経障害がある場合は無自覚性低血糖を生 じる危険があると認められるところ,Fにおいては,平成12年 ころまでに糖尿病性神経症の診断を受け,起立性低血圧や糖尿病 性神経因性膀胱による排尿障害を来していたことからして,無自 覚性低血糖の危険があったといえる」 「そして,Fは,同年11月10日,『家でもよく低血糖になっ てブドウ糖を飲むが,症状として眠くなってくるのでよくわから ない。』などと訴えたのであり,このことからすると,低血糖の 際に適切に対応する能力がなかったことも窺われる」 「この点について,原告らは,仮にFがインスリン治療に消極的 であったとしても,担当医師において,Fが信頼していたH医師 と協力したり,カウンセリングをするなどして,強化インスリン 療法を受けるよう説得すべきであったとも主張する」 「しかしながら,強化インスリン療法を導入するためには,患者 教育(動機づけや受入態度など)が十分で,低血糖発作などのト ラブル発生時に適宜対応し得る能力を有し,血糖値自己測定を行 えることが必要であるとされているところ,その背景には,十分 説明しても強化インスリン療法についての理解を得にくい患者が 一定数いることが窺われる(そのことは,K医師の証言からも窺 われる。)のであり,Fについても・・・,強化インスリン療法 を適切に実行することは期待できなかったこと,さらに・・・, 無自覚性低血糖の危険があったことや低血糖の際に適切に対応す る能力がなかったことが窺われることを併せ考えると,担当医師 において,Fに対し,強化インスリン療法を受けるよう説得すべ き義務があったとはいえない」 ■甲状腺機能低下症の治療をすべき義務の違反について 「原告Cは,Fが平成12年に被告病院のプライマリークリニッ クを計11回受診した際,被告Eにおいて,甲状腺機能の検査を した上,甲状腺機能低下症に対して適切な治療をすべき義務があっ たと主張する」 「なるほど,Fは,平成11年2月の時点で甲状腺機能低下症と 診断され,チラージンの投与を受け,本件入院中においても甲状 腺機能低下症が浮腫の一因として考えられ,チラージンの投与を 受けたことからすれば,平成12年の時点においても甲状腺機能 が回復していない限り同様の治療が必要となることも考えられる」 「ところで,弁論の全趣旨によれば,被告Eは,Fが平成12年 2月以降に被告病院のプライマリークリニックを計11回受診し た際,平成11年2月に甲状腺機能低下症と診断されたことを認 識していなかったと認められるところ,被告病院においても平成 11年3月11日以降,新たに甲状腺機能低下症について診断さ れたり治療対象の傷病と把握されることはなく,甲状腺機能検査 を受けたりチラージン等の甲状腺ホルモン製剤の投与を受けるこ ともなかったこと,プライマリークリニックであっても特に外来 診療においては診療に当てることのできる時間が限られているこ となどに照らすと,被告Eが,上記診断の認識がなかったことも やむをえないというべきである。そして,Fは,平成11年3月 11日以降も被告病院や慶應義塾大学病院に入通院して継続的に 治療を受けていたが,新たに甲状腺機能低下症について診断され たり治療対象の傷病と把握されることはなかったことからすると, 甲状腺機能低下症を必ず疑わなければならないような臨床症状等 は特に認められなかったと考えられる(なお,原告Cは,このこ とについては問題としていない。)。そして,平成12年以降そ のような臨床症状等が出現したことを認めるに足りる証拠もない」 「そうであるとすれば,被告Eにおいて,平成12年2月以降に Fがプライマリークリニックを受診した際,Fの臨床症状等から 甲状腺機能低下症を疑い,甲状腺機能の検査をした上,甲状腺機 能低下症に対して適切な治療をすべき義務があったともいえない」 「付言するに,平成11年3月,Fの顔面から全身に広がる赤色 疹が生じたことについて,担当医師は,薬疹である可能性がある と判断し,チラージンの投与を中止したところ,仮に,被告Eに おいて,平成12年の時点でFが甲状腺機能低下症と診断された ことを認識していたとしても,チラージンを投与すべき義務があっ たといえるかについては,なお疑問がある。K医師も,平成12 年に被告Eが甲状腺機能低下症の検査や治療をしていないことが 問題であるとは指摘していない」 ■抗血栓療法を実施すべき義務の違反について 「Fは,本件入院時ころまでには,糖尿病歴が約30年以上で, 血糖コントロール不良の状態が続き,高血圧を合併していたほか, 既に,網膜症,陳旧性心筋梗塞,心不全,足壊疽,腎症,神経症 (起立性低血圧を含む。),慢性動脈硬化性閉塞症などの合併症 を多く発症していたのであるから,心筋梗塞や脳梗塞のリスクが 相対的に高まっていたといえる」 「糖尿病や高血圧などの症例では,アスピリンを服用させること により心筋梗塞や脳梗塞を予防する効果がある(25%程度減少 させるとする報告もある。)ところ・・・,Fには心筋梗塞や脳 梗塞のリスクがあり,また,心筋梗塞や脳梗塞の患者に対しては, その再発予防のために抗血栓療法の適応があるとされているとこ ろ,Fには,平成11年に陳旧性心筋梗塞の所見が認められ,本 件失神後には陳旧性脳梗塞の所見が認められた。これらの事情か らすると,Fについては,抗血栓療法を実施する必要性は一応あっ たといえる」 「しかしながら,抗血栓療法には出血のリスクがあるので,この 点について検討する」 「・・・Fにはかねてから起立性低血圧があったところ,平成1 1年に自宅で転倒したこと,本件入院中も,本件転倒発言ころに 転倒した可能性があり,本件失神時もベッドわきの床に転倒し, 20日の体重測定時にもふらつきがあったことなどからすると, Fが転倒する危険は高かったものといえる」 「そして,転倒の危険がある場合,出血のリスクが具体化する危 険があり,特に脳出血はしばしば致命的であるとされていること, 転倒する危険がある場合には,出血のリスクがあるために,抗血 栓療法は禁忌であるとする文献もあることからすると,上記のと おりFが転倒する危険が高かった以上,現にTIAや心筋梗塞, 脳梗塞を発症していると診断することができてその治療に必要な 場合はさて措き,少なくともそのような診断ができない場合には ・・・,担当医師において抗血栓療法を実施すべき義務があった とはいえない」 「しかして,Fにつき,現にTIAや心筋梗塞,脳梗塞を発症し ているとの診断ができなかったことは下記・・・のとおりである」 「・・・担当医師は,Fについて,本件入院時までに,心筋梗塞, 脳梗塞及びその前兆としてのTIAのリスクが相対的に高まって いたことを認識することができたといえる。さらに,本件失神後 には,CT上において陳旧性脳梗塞が発見されているから,その リスクを一層認識し得たといえる」 「しかしながら,本件入院中,現に心筋梗塞や脳梗塞あるいはそ の前兆としてのTIAを発症しているとの診断ができなかったこ とは,以下のとおりである」 「・・・そもそもTIAを発症していたとは認められない」 「原告らは,担当医師において,エコー,MRアンギオグラフィー, CTアンギオグラフィー,血管造影などの脳梗塞診断のための検 査を進めるべきであったと主張する」 「しかしながら・・・,脳梗塞のリスクがあるというだけで,脳 梗塞の診断のための検査を実施しなければならないとする文献等 の証拠は存しない。そして・・・,認定事実及び本件全証拠を検 討しても,本件入院中,Fに・・・脳梗塞の臨床徴候があったと は認められないから,担当医師において,脳梗塞を診断するため に上記のような検査を実施すべきであったとはいえず,脳梗塞の 発症を診断することができたとはいえない」 「原告らは,担当医師において・・・,心筋梗塞診断のための検 査等を進めるべきであったと主張する」 「一般に失神の原因として心筋梗塞がありうることから,本件失 神の原因が心筋梗塞であるか否かの鑑別が適切になされているか が問題となる」 「そこで検討するに,本件失神後,12誘導心電図を実施し,モ ニターを31時間装着した際,意識障害の原因となる脈の不整や 欠落は認められなかったことからすると,本件失神の原因として 心筋梗塞は除外されるといえ(K医師も,本件失神の原因が心臓 性のものである可能性は低いと証言している。),本件失神の原 因探索のために上記検査等を実施すべきであったとはいえない」 「本件入院中,Fに狭心症状は認められていないが,糖尿病患者 の場合,神経障害により無症候性虚血性心疾患を生ずることから, 本件入院中,担当医師において,そのスクリーニング検査を実施 すべきであったか否かが問題となる」 「・・・無症候性虚血性心疾患のスクリーニング検査として,ま ずは負荷心電図やホルター心電図を実施することが少なくとも望 ましいとはいえるところ,本件入院中もモニターを31時間装着 して異常が認められていない。さらに,心エコーは,負荷心電図 やホルター心電図の次のステップの検査として位置づけられてい るところ,上記のとおりモニターを31時間装着して異常が認め らなかったのであるから,次のステップである心エコーを必ず実 施しなければならない理由はない。また,平成13年3月に実施 された心エコーにより,既にそのころの心臓の状態についての診 断情報は得られている。なお,モニターを48時間装着したり, 本件入院時にも心エコーを実施した方が,より多くの診断情報が 得られた可能性はあったとはいえるが,必ずそのように検査をし なければならないとする文献等の証拠は存しない」 「以上からすると,本件入院中,担当医師において,無症候性虚 血性心疾患のスクリーニングのため,心エコー,心筋シンチグラ フィー,冠動脈造影等の検査を実施すべき義務があったとはいえ ず,心筋梗塞の発症を診断することができたとはいえない」 ■適切な水分管理を実施すべき義務の違反について 「原告らは,血中の水分が減少すると血流が悪化して脳梗塞や心 筋梗塞の危険が高まるから,担当医師においては,そのような危 険を防ぐために適切な水分管理をすべき義務があるところ,利尿 剤を使用し,500mlしか飲水をさせないという水分制限は, 過度であると主張する。そして,K医師は,水分は1000cc から1500cc入れなければ,ラシックスにより強力に水分を 排泄しているために血液がドロドロとなる状態を惹起すると証言 している。また,赤石誠医師も,500mlの飲水制限は非常識 な量であると指摘している」 「しかしながら,上記主張及び証拠は採用することができない。 その理由は以下のとおりである」 「本件入院時,心不全による影響で浮腫が著明と評価される状態 になり,体重も,平成12年ころまでは浮腫が取れた状態ではせ いぜい約40kgであったところ,本件入院時には浮腫や過食に より52.5kgにまで増加していた。そして,21日にようや く浮腫が軽減したと評価される状態になったものの,体重は約5 0kg程度まで減ったのみであった。そして,全身性の浮腫は, 心不全を悪化させるので,安静の保持,水分や塩分の制限,利尿 剤の活用によって積極的に水分の排泄を図るとされているから, 本件入院の期間をとおして,浮腫を改善するために水分を制限す る必要があった」 「なお,証拠によれば,心不全の浮腫を改善するためにラシック スを使用するとともに1日500mlの飲水制限を実施すること 自体がおよそ許されないとはいえない」 「本件入院期間中,Fは脱水状態に陥っていない。すなわち,H bやTPの上昇などの血液濃縮を示す所見はいずれの脱水でも見 られるとされているところ,本件入院中,HbもTPも一貫して 基準値以下であり,入院時と比べても,TPが21日にわずかに 増加したのみで,Hbはかえって減少傾向にあった(なお,血液 検査の頻度が足りなかったとはいえない。)。しかも・・・,本 件入院期間中,一貫して浮腫は認められていた」 「これに対し,原告らは,Fが脱水状態に陥っていたというべき 理由として,Fが口渇を訴えていたこと,室温が高く不感蒸泄量 が多かったと考えられること,厳しい飲水制限が実施されていた ことを指摘しているが,上記認定を覆すには足りない。すなわち, 口渇は脱水のみならず様々な原因で生ずるのであり,例えば,証 拠によると,糖尿病の症状としても口渇はあると認められるし・ ・・,Fには著明な浮腫が見られた以上,不感蒸泄が多かったり 飲水制限が厳しかったとしても,それによって浮腫が改善するこ とはあっても,直ちに脱水に陥るとは思われない。したがって, 現にFが脱水状態に陥っていない以上,本件の具体的事情に照ら しても,担当医師の水分管理が不適切であったとはいえない」 ■適切な呼吸管理を実施すべき義務の違反について 「原告らは,担当医師において,適切に呼吸管理をすべき義務に 違反したと主張し,具体的には,(1)Fが本件入院中に呼吸苦を訴 えていたにもかかわらず,酸素を十分与えなかったこと,(2)在宅 酸素療法の適否を判断するための酸素投与を一時的に中断するテ ストを実施したことを指摘している」 「しかしながら,証拠によれば,呼吸不全患者に対する酸素療法 としては,酸素飽和度90%以上を保つように酸素を投与し,酸 素飽和度を見て適時増減する方法が勧められていると認められる ところ,本件においても,まさにそのような方法により酸素投与 が実施されていたのであるから,原告らの上記・・・(1)の主張は 採用できない」 「また,証拠によれば,在宅酸素療法を導入するに際しては,そ の導入の可否及び酸素吸入流量を決めるため,酸素を投与しない 状態で動脈血を採取することが予定され,本件において,それが できないほど呼吸状態が悪化していたような事情も特に認められ ないから,原告らの上記・・・(2)の主張も採用できない」 「他に,呼吸管理が不適切であったとか,不適切な呼吸管理によ り呼吸状態が悪化したことを認めるに足りる証拠はない(K医師 も,Fが換気不全により死亡した可能性は低いと証言している。)」 ■患者に無用のストレスを与えてはならない義務の違反について 「原告らは,担当医師において,脳梗塞や心筋梗塞のリスクのあ るFに対し,無用のストレスを与えてはならない義務があったと ころ,被告Eは,19日,Fに対し,ドクターハラスメントと評 価されるような発言をして,無用のストレスを与え,心臓に負担 をかけ,脳梗塞や心筋梗塞のリスクを高めたと主張する」 「確かに・・・,被告Eの発言がFに対してストレスを与えた可 能性はある。しかしながら,そのストレスがなければ本件死亡が 生じなかったと認めるに足りる事情ないし証拠は見当たらず,そ の発言と本件死亡との因果関係は認められない」 ■ドクターハラスメントについて 「被告Eは,Fに対し,(1)平成12年11月17日及び(2)平成 13年11月19日,それぞれ次のような発言をして,それによ りFは非常に気分が悪くなった。(1)被告Eは,Fの病室を訪れ, 翌日実施予定の手術について,右第2趾を切断することを説明す るとともに,足指を切断しなければならなくなったことについて 『身体髪膚父母にこれを授く。』などと話した。(2)被告Eは,本 件失神の約3時間30分後,G医師とともにFの病室を訪れ,F に対し,病室の料金を通常より減額していること,Fの希望をか なえるためには聖路加国際病院や慶應義塾大学病院に転院した方 がよいのではないかということなどを話した」 「医師は,患者との間で信頼関係を築き,患者が治療に取り組む 気力を引き出すためにも,患者に対し,患者の心理を理解するよ う心がけて接することが望ましく,患者に不快の念を抱かせるよ うな発言は慎むべきである。しかして,上記・・・各発言は,患 者であるFに不快の念を抱かせる可能性があるものであり,現に Fは非常に気分が悪くなったというのである」 「しかしながら,医師の患者に対する発言については,その発言 がされた環境ないし背景,その発言の全体としての意図,当該患 者の性格や置かれた状況,相互の信頼関係の程度等の諸事情を総 合考慮して評価されるべきものであり,医師が患者に対し不快の 念を抱かせるような発言をした場合でも,それだけで直ちに不法 行為法上違法ということはできない」 「本件における・・・各発言は,いずれも不法行為法上違法とま ではいえない。その理由は,以下のとおりである」 「『身体髪膚父母にこれを授(受)く。』というのは,人間の体 はすべて親から受けたものであるから,これを傷つけないように 努めるのが孝行の第一であるという意味を有する」 「したがって,この発言は,それだけを取り上げると,翌日に足 指切断の手術を控えていた患者にとっては,親不孝であるという 非難の趣旨の言葉と受け取れるものであるといえる」 「しかしながら・・・,被告Eは,それまで長年にわたりFの糖 尿病に対する診療を担当してきた内科の部長として,また,自ら も長年にわたりFの糖尿病に対する診療を直接担当してきた医師 として,血糖コントロールの改善のための担当医師の指示を十分 には守ってこれなかったFに対し,今後の糖尿病の治療への適切 な対応を促すべく,これ以上自分の身体を傷つけないよう治療に 真摯に取り組んでいきましょうという趣旨で,そのような文脈の 中において上記発言をしたことが認められ,この認定を覆すに足 りる証拠はない」 「そうすると,上記発言は,翌日に足指切断の手術を控えていた 患者に対する発言としては配慮を欠いた不適切なものではあるが, 患者としての受忍限度を超える違法なものとまではいえない」 「・・・被告Eは,Fやその親族から病室の温度や湿度等につい て不満を述べられてきた状況の下で,被告病院としては病室の料 金を減額して経済的な面からもできる限りの対応をしており,F の希望に沿う病室を提供できるのは病棟施設が古くなっている被 告病院よりも新しい病棟施設を有する病院であり,例えれば聖路 加国際病院や慶應義塾大学病院であるという趣旨で,そのような 文脈の中において上記発言をしたことが認められ,この認定を覆 すに足りる証拠はない」 「そうすると,上記発言は,転院を促すような趣旨に受け取られ るという点において不適切な面があるにしても,被告病院の施設 の物理的制約やFの訴える不満の内容等をも考慮すると,患者と しての受忍限度を超える違法なものとまではいえない」 ■判決主文 (請求棄却)