判例速報

※この記事は、2007-11-09にメール配信されたものと同じ記事です。
Medsafe会員各位


 今回は,被告病院において左睾丸部の治療を受けていた原告が,
被告病院の医師が睾丸捻転症を副睾丸炎と誤診したことにより陰
嚢試験開腹術の施行が遅れ左睾丸(精巣)及び左副睾丸(精巣上
体)を摘除することになった,また,陰嚢試験開腹術の際及びそ
の手術後に手術に使用した絹糸を放置したことにより陰嚢皮下腫
瘍となった,と主張して,損害賠償請求した事案です。

■年月日・裁判所
H19.7.25 奈良地裁平成15年(ワ)第627号 損害賠償請求事件(医療過誤)

■当事者

・原告は,平成14年5月当時,中学2年生(13歳)であった。

・被告は,奈良市において総合病院である高の原中央病院(被告
病院)を開設する医療法人。平成14年5月当時,X医師及びY
医師を雇用していた。

■診療経過

・原告は,睡眠中であった5月11日午前7時30分ころ,突然,
左睾丸部に激痛を感じて目を覚ました。被告病院に救急搬送され,
午前8時30分ころ,X医師が原告を診察した。X医師が,左睾
丸部の触診をしたところ,左副睾丸の程度の高い腫脹と,程度の
高い圧痛が認められた。このときの原告の体温は36.2度。

・左陰嚢部超音波検査の結果,左睾丸に異常はなかったが,左副
睾丸が腫大していた。このときX医師は,左睾丸の血流について
の超音波ドップラー検査を行わなかった。また,尿一般沈渣検査
の結果,白血球の数値が正常値より高く,細菌が認められたが,
血液検査では白血球数や好中球数は正常で,CRP(C反応性タ
ンパク質)も正常値であった。X医師は,超音波カラードップラー
法を用いた左睾丸部の血流の調査をせず,挙睾筋反射の検査もし
なかった。なお,被告病院には,本件当時,睾丸のカラードップ
ラーができる機器はなかった。

・午前11時30分ころ,X医師は,触診において睾丸は正常で
副睾丸のみが腫大しており,超音波検査の結果でも睾丸に異常所
見はないが副睾丸の腫大が認められ,尿中白血球の数値が正常値
より高かったことから,副睾丸炎であると診断。痛みに関してボ
ルタレン座薬(鎮痛・消炎薬)を処方するとともに,ペントシリ
ン(抗生物質)の点滴を処方し,13日まで毎日その点滴をする
ことを指示し,また,クラビット(経口抗生物質)を3日分処方
した。

・5月12日午前9時30分ころ,被告病院受診。前日のX医師
の指示に基づいてペントシリンの点滴を受け,帰宅。

・5月13日,体温が37.5度となり,左陰嚢が相当程度腫れ
たことから,被告病院で受診した。X医師は左副睾丸の増悪と判
断したが,Y医師は,左睾丸部の触診をし,睾丸捻転症の疑いが
捨てきれないと述べた。さらに,ペントシリンの点滴を受けたが,
X医師の診察を受けたところ,左陰嚢の疼痛及び腫脹が認められ
たため,X医師は,左副睾丸炎の増悪と診断し,被告病院に緊急
入院とした。

・5月14日,原告は,個室から6人部屋に移動した。原告の左
睾丸部の腫れに変化はなかった。

・5月21日,X医師は,原告の家族に対し,難治性副睾丸炎,
結核性副睾丸炎,睾丸捻転症の3つが疑われ,初診時の触診,超
音波検査から睾丸捻転症は否定的であると説明してきたが,現時
点では睾丸捻転症ということもあり得,いずれにしてもそろそろ
陰嚢試験開腹術をして診断し処置をしたい旨の話をした。

・5月23日,X医師は,原告の家族に対し,睾丸捻転症の可能
性5割,副睾丸炎ないし結核性副睾丸炎の可能性が5割と考えら
れ,確定診断をするには陰嚢試験開腹術をする必要があるものの,
22日に疼痛はほぼ消失しているので,上記手術は原告にとって
メリットは高くないと考える旨の話をした。

・5月24日午後2時ころ,X医師が本件手術(陰嚢試験開腹術)
を施行した結果,黒色に変色した睾丸及び腫大した副睾丸並びに
精索の捻転(1.5回転の捻転)を認め,睾丸捻転症であったこ
とが判明した。X医師は,左睾丸が壊死していることを確認し,
左睾丸及び左副睾丸を摘除して,右睾丸の固定術を行った。

・6月1日,Y医師,左陰嚢部全抜糸。

・6月2日,X医師,右陰嚢部全抜糸。

・6月6日,被告病院を退院。

・6月29日,被告病院でX医師の診察を受けたところ,X医師
は,創部がきれいであり,術後創治癒と診断。

・7月19日,術後創部付近が膿んできたため,原告が被告病院
でX医師の診察を受けたところ,左陰嚢部に膿瘍があり,X医師
は,切開して排膿。

・7月22日に原告が被告病院でX医師の診察を受けたところ,
X医師は,膿瘍があった部位はきれいであり,膿瘍部治癒と診断。

・8月8日,術後創付近で膿瘍部があったため,X医師の診察を
受けたところ,左陰嚢部に膿があり,X医師は毛膿炎でしょうと
説明。

・8月12日,Y医師の診察を受けたところ,Y医師は,膿があっ
た部位はきれいであり,膿瘍部治癒と診断。

・8月16日,術後創付近の膿瘍の再発のため,原告が被告病院
でY医師の診察を受けたところ,Y医師は,膿瘍の存在を確認。

・9月4日,X医師の診察を受けたところ,X医師は,左陰嚢部
を切開して内部の肉芽組織を除去

・9月10日に原告が被告病院でX医師の診察を受けたところ,
X医師は,創部はきれいであり,完治と診断し,何かあれば再診
するよう指示。

・10月7日,近畿大学医学部奈良病院で受診したところ,同病
院医師は陰嚢皮下膿瘍と診断し,術後創部に絹糸が一本残ってい
たことから,同病院医師が,その絹糸の抽出をした。その後,腫
れはひいて治癒した。

■陰嚢試験開腹術が遅れたことに関する責任の有無

「・・・X医師は,5月11日午前8時30分ころから同日午前
11時30分ころに原告を診察し,(1)原告が,当時13歳で思春
期の男子であり,同日朝,睡眠中に左睾丸部に突然激痛を感じて
目を覚まし,救急搬送されたことを聴取しており,(2)原告の体温
が36.2度で発熱がなく,(3)血液検査の結果,白血球数及び好
中球数は正常値で,(4)生化学検査の結果,CRPの数値も正常値
であるという所見を得ていたものであるところ,これらの所見は
睾丸捻転症を相当程度疑わせるものであり,これが睾丸捻転症で
あれば,遅くとも同日午前7時30分ころまでに発症していたも
のというべき」

「そして,前記認定のとおり,睾丸捻転症に関する医学的知見と
して,睾丸捻転症の場合,発症後精巣温存可能な時間は6〜8時
間で,24時間以上経過すると精巣温存はほぼ不可能となるとさ
れ,そのため,できれば6〜8時間以内に整復するのが望ましく,
睾丸捻転の可能性があれば発症後遅くとも12時間以内に緊急手
術を施行する,あるいは,精索捻転症が否定できない場合は精巣
機能温存のゴールデンタイムである発症後8時間以内の迅速な陰
嚢部試験切開が必要となるとされ,また,精巣捻転か他の病態か
の判断がつかないときには手術を行うべきであるとか,鑑別不能
の場合は手術による確認を行う,精索捻転症を除外する臨床診断
のためには緊急外科的診査が必要であるとされている。これらの
医学的知見によれば,X医師が原告の診察をした平成14年当時
の医療水準において,上記のような睾丸捻転症を相当程度疑わし
める所見を得ていたものであることからすれば,発症後遅くとも
12時間以内に緊急手術(試験切開を含む)をすべき注意義務が
あったというべきである。本件においては,上記(1)ないし(4)の
ほかに,(5)左副睾丸は腫脹していたが左睾丸は腫脹しておらず正
常で,(6)尿中に正常値以上の白血球と細菌が認められた,という
所見も認められている」

「しかし,睾丸捻転症の発症後早い時期においては,虚血による
変化が完成されていないため,超音波断層法による検査では睾丸
捻転症の典型的な所見が得られない場合があり,鑑定人Zも,
「睾丸捻転症の発症早期であれば,睾丸には特に異常が認められ
ず副睾丸にのみ腫脹・圧痛が認められる,という症例はある。」
としていることからすれば,左副睾丸のみが腫脹を示し,左睾丸
が正常であったという所見(5)から,睾丸捻転症の疑いを排斥し,
副睾丸炎と断定することはできないといえる」

「また,尿中に細菌と正常値以上の白血球が認められたことにつ
いては,確かに濃尿は副睾丸炎を疑わせる有力な所見とされてい
るけれども,血液中の白血球の数が正常値であったことや,遠位
部尿道の常在細菌のため,睾丸捻転症でも尿中の白血球数が正常
値より高くなったり,細菌が認められる場合があることからすれ
ば,上記尿検査結果(6)が睾丸捻転症と明らかに矛盾するとはいえ
ない。結局,本件において,初診時に,睾丸捻転症の疑いを排斥
し,副睾丸炎であると判断したことは,当時の医療水準に照らし
ても相当でなかったというべきであり,前記認定の医学的知見に
よれば,睾丸捻転の可能性が排斥できない以上,前記判示のとお
り,試験切開を含む手術をすべきであったというべき」

「被告は,上記(5)(6)の所見を得ていたことのほかにも,睾丸保
存のためのいわゆる『ゴールデンタイム』は6時間といわれてお
り,比較的長い時間をいう論者でも12時間であるから,注意義
務違反はないと主張している」

「しかしながら,原告が左睾丸部の激痛を感じたのが5月11日
午前7時30分ころであるから,そのころ睾丸捻転症が発症した
と考えられ,また,上記認定のとおり,X医師が原告を診察した
のは同日午前8時30分ころから午前11時30分ころにかけて
である。つまり,X医師は睾丸捻転症の発症から約1時間後に原
告の診察を開始し,各種検査を行って,発症から約4時間後に診
察を終えたといえ,このX医師の診察の時点で睾丸捻転症と判断
し,あるいは陰嚢試験開腹術を施行していれば,原告の左睾丸喪
失の結果は生じなかったものと認められるから,被告の上記主張
は採用できない」

■Y医師の注意義務違反について

「上記認定の医学的知見のとおり,睾丸捻転症の捻転した睾丸は,
発症から6ないし8時間以内に整復するのが望ましく,一般的に
は24時間が睾丸を温存できる限度である」

「もっとも,前記認定のとおり,『発症から8日目の手術で精巣
を温存できた症例も報告されており,精巣を温存できるか否かは
虚血時間ばかりでなく捻転の程度など他の要因も関連していると
思われる。この意味で初診時すでに長時間経過しているような場
合でも,急性期と同様の速やかな対応が必要である。』,『24
時間以上経過すると精巣温存はほぼ不可能となるが,発症後捻転
の自然解除する例もあるので緊急手術の対象となる。』とされて
いることからすると,24時間を経過した後においても手術をす
べき必要性が否定されるわけではない」

「しかし,Y医師が原告を診察したのは,発症(5月11日午前
7時30分ころ)から48時間以上経過した5月13日であると
ころ,睾丸捻転症においては,24時間以上を経過すると精巣温
存はほぼ不可能となり,一般的には24時間が精巣を温存できる
限度とされていることからすると,仮にY医師が上記の時点にお
いて試験切開を含む手術をしていたとしても,当該時点において
は既に精巣の温存は不可能になっていた可能性が大きく,少なく
とも,当該時点においてなお精巣が温存されていたと認めるに足
りる証拠はない。したがって,Y医師において睾丸捻転の診断を
せず,あるいはその可能性を前提とする手術をしなかったことに
より原告が睾丸を喪失するに至ったということはできない」

「本件において,原告が睾丸捻転症に罹患していたことから左睾
丸が壊死し,左睾丸及び左副睾丸が摘出されたことで,原告がこ
れらを喪失したことは,当事者間に争いがない」

「そして,前記認定のとおり,原告は,5月11日午前7時30
分ころに睾丸捻転症を発症し,X医師は,同日午前8時30分こ
ろから午前11時30分ころにかけて原告を診察したものである
こと,他方,睾丸捻転症では,発症後精巣温存可能な時間は6〜
8時間であるとされていることからすると,X医師が原告を診察
した際に睾丸捻転症の可能性を排斥せず,試験切開手術を含む必
要な措置を講じていれば原告の精巣を温存し得た高度の蓋然性が
あるものというべきであり,したがって,原告の左睾丸の壊死と
いう結果はX医師の注意義務違反に起因するものというべきであ
る」

■本件手術に使用した絹糸を放置したことに関する責任の有無に
ついて

「原告に生じた陰嚢皮下膿瘍の原因が,被告病院での本件手術時
に使用した絹糸であったことについては争いがなく,さらに,上
記認定のとおり,7月19日から10月7日までの間,断続的に
術後創付近に膿瘍がみられていたのが,その絹糸の抽出後,治癒
に至っていることが認められる」

「そして,医師は,手術の際に使用したもので,治療に不必要な
ものを,患者の体内から回収する注意義務があるというべきであ
るから,原告の左陰嚢部に絹糸を置き忘れたX医師の行為は,過
失(注意義務違反)に当たるというべき」

■損害額

・逸失利益
原告に労働能力の喪失はないといえるから,これを前提とする逸
失利益を認めることはできない。

・後遺症慰謝料ないし傷害慰謝料
 後遺症慰謝料としては500万円とするのが相当。入通院慰謝
料は全体を通じて100万円とするのが相当である。

・弁護士費用
 60万円が相当


■判決主文

1 被告は,原告に対し,660万円及びこれに対する平成14年
5月11日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

2 原告のその余の請求を棄却する。

<以下略>