判例速報
※この記事は、2008-03-10にメール配信されたものと同じ記事です。Medsafe会員各位 本件は,原告らの子が,綿菓子の割りばしをくわえたまま転倒 し,軟口蓋に受傷したとして,被告学校法人杏林学園が開設する 杏林大学医学部付属病院(被告病院)を受診したが,担当医師被 告Aは十分な診察を行わず,子の頭蓋内損傷を看過し,適切な治 療を行わなかった診療上の注意義務違反(過失)があり,これに よって子が死亡するに至ったことに加え,子の治療方法に関する 被告病院医師らの不適切な説明により精神的損害を被ったとして 損害賠償請求した事案です。 ■年月日・裁判所 H20.2.12 東京地裁 平成12年(ワ)第21303号 損害賠償請求事件(医療過誤) ■当事者 原告側:原告B及び原告Cは,亡D(平成6年生。三男)の父母。 共に高校教師。Dは,平成11年7月10日(当時4歳9か月), 被告病院において,被告Aの診察を受けたが,翌11日死亡。 被告側:被告杏林学園は,教育基本法及び学校教育法に従い学校 教育を行うことを目的とする学校法人であり,被告病院を開設・ 経営。 被告病院は特定機能病院であり,1次,2次及び3次救急に対応 し得る高度救命救急センターを設置。被告病院における救急外来 は,1・2次救急外来及び3次救急外来の2つに分けられている (なお,1次救急は入院や手術を伴わない医療,2次救急は入院 や手術を要する症例に対応する医療,3次救急は2次救急までで は対応できない重篤な疾患や多発外傷に対する医療を行うもの)。 被告Aは,平成9年3月,杏林大学医学部を卒業し,同年4月, 医師国家試験に合格。同年5月,被告病院耳鼻咽喉科に研修医と して入職し,1年間勤務した後,平成10年4月から○大学○病 院耳鼻咽喉科に1年間出向し,平成11年4月から被告病院耳鼻 咽喉科に戻り,専攻医として勤務。 ■診療経過 ・平成11年7月10日(土曜日),原告Cは,○○園で午後6 時から開催される盆踊り大会に,当時勤務していた都立高校の生 徒6名とともにボランティアとして参加することになっていた。 原告Cは,Dを自転車の後ろに乗せて自宅を出て,待ち合わせ場 所の西武新宿線下井草駅で生徒らと合流し,同園に向かった。途 中,公園から帰宅しようとしていた長男のM及びE(当時小学校 2年生)と出会い,声をかけたところ,Eも同園に同行すること になった。なお,Dに心身の障害はなかった。 ・午後6時少し前ころ,同園に到着。EとDは,綿菓子の模擬店 から,それぞれ試作品の綿菓子をもらい食べ始めた。2人が綿菓 子を食べ終えかけていたころ,原告Cは,ゲーム券をもらってこ ようと考え,Eに「Dちゃんを見ていてね。」と言って,2人を その場に残して券売場に向かった。 ・その間に綿菓子を食べ終えたDは,走り出したEの後を追って, 綿菓子の割りばしをくわえたまま走り,俯せに転倒し,割りばし がDの軟口蓋に刺さった。 ・Dは,四つばいの状態のまま,力を込めて口の中から自ら割り ばしを引き抜き,割りばしを放り投げたなお,Dが転倒した地点 は,土のグラウンドであった。 ・「転んで割りばしが喉に刺さった。」という女性の声に気づい た原告Cは,倒れているDのもとに駆け寄り,Dを抱きかかえた。 同園の職員から,けが人が出たとの連絡を受けたF看護師(平成 4年に看護短期大学卒。当時浴衣を着ていた)が,原告Cに抱か れたDを見たところ,Dは,顔面蒼白で,唇の血色も悪く,目を 閉じたまま声を出したり泣くこともなく,呼び掛けても反応しな い状態であった。F看護師は,その様子を見て,すぐに○○園の 職員に救急車を呼ぶよう依頼し,Dの口の中を見るために,原告 CにDを地面の上に下ろすよう言い,地面の上に仰向けに寝かさ れたDの顎に手をかけ少し下に引いたところ,Dはびっくりした ような感じで声をあげて泣き始め,血色も元に戻ってきた。F看 護師がDの口の中を見たところ,口蓋の真ん中から少し後ろ側に へこみがあるのが確認できた。F看護師が原告Cに対して「何か 穴があいているみたいですね」と声をかけたところ,原告Cは, 「何か割りばしを刺しちゃったみたいなんです。」と返答。F看 護師は,Dを横抱きに抱きかかえ,○○園の保健室に運び,仰向 けにベッドに寝かせた。Dは,手足を動かしたり,しがみつくこ とはなかったが,抱きかかえるのに協調する程度の力の入り具合 がみられ,保健室までの移動中も泣き続けていた。原告Cは,E を呼びに行くと言って,保健室を出た。 ・Dは,保健室のベッドで横になりながら,泣き声をあげて泣き 続けていた。F看護師は,懐中電灯で口の中を確認しようと,D に対して口を開けるよう指示したところ,Dは半開き状態から十 分に口の中が見える程度に口を開けた。F看護師は,Dの口蓋に へこみのような傷があるのを確認したが,出血は完全に止まって いた。F看護師は,Dの手足を視診したが出血や腫れなどは認め られず,また,後頭部を除く頭部を両手で抱え込むように軽く触 診したが,こぶなどはなかった。その後間もなく,原告Cは,E を連れて保健室に戻って来た。 ・午後6時7分,石神井消防署へ119番通報。 ・午後6時11分,G救急隊長(昭和35年生)を隊長とする救 急隊(G救急隊長,救急救命士の資格を有するN隊員,O機関員 の3名。),同園の北側を東西に走る新青梅街道の北側車線上に 到着。 ・F看護師は,救急車が来たので,Dを横抱きにして保健室を出 た。G救急隊長がDの顔を観察したところ,顔色は正常で,寝て いる子供が抱かれているような状態であることを確認した。F看 護師は,救急隊員に対して,転んで綿菓子の割りばしを刺したみ たいであること,口の中に傷ができているが,もう止血している ことを伝えた。午後6時12分,Dは,救急車内のストレッチャー に頭部を車前方に向けて寝かされた。G救急隊長が原告Cに対し て,「どうしましたか。」と聞いたところ,原告Cは,盆踊り会 場で歩行中に転倒し,綿菓子の割りばしが喉に刺さった旨を伝え た。そのころ,救急車に近づいてきた中高年の女性が,G救急隊 長に対して,「綿あめの割りばしは本人が抜いたよ。」と伝えた。 ・G救急隊長がDに対して,「どこか痛いの,口開けられる?」 と呼び掛けたところ,Dは,すぐに口を開けた。G救急隊長は, ペンライトで口の中を照らし,傷の状態をみたところ,軟口蓋の 部位に傷口があることを確認した。出血は,にじむ程度で,舌に 若干血液が付着していることが認められた。G救急隊長は,Dの 頭をくるむように触診し,首から下については保温用毛布をはい で視診したが,他に傷や出血,こぶなどは発見できなかった。G 救急隊長は,Dに対して,「目を開けられる?」と問いかけたと ころ,Dはすぐに大きく目を開けた。その後,G救急隊長は,瞳 孔径,対光反射,呼吸状態,脈拍,体温,動脈血酸素飽和度を確 認した。 ・G救急隊長は,原告Cから,Dが今までにかかった病気や既往 症,かかりつけの病院,搬送を希望する病院などを聴取し,受傷 部位等から,耳鼻咽喉科のある設備の整った大学病院を選定する 旨を説明した後,原告Cの了解を得て,搬送可能な病院の中から, 搬送先として被告病院を選定した。O機関員は,救急車備え付け の無線電話で被告病院の1・2次救急外来に連絡し,管理当直医 P医師(皮膚科専任講師)に対して,4歳の男児が転倒し,綿菓 子の割りばしを持って,転んで喉にけがをした,傷の程度は軽い, 意識清明,約20分で到着する旨を伝えた。P医師は,これらの 情報から,患児は喉の皮膚に傷を負ったものと考え,形成外科が 担当することが妥当と判断した。P医師は,救急隊に対して,受 入れが可能である旨を伝えた。 ・午後6時20分,原告C,Eとともに,Dを乗せた救急車は, 被告病院に向けて,同園を出発。 ・午後6時30分ころ,Dは,上半身や顔を徐々に向かって左に 動かした後,いきなり車の左側壁に向けて勢いよく多量に嘔吐し た。吐瀉物は,薄ベージュ色を帯びた少し甘いにおいの液状のも ので,血液の混入は認められず,20から30センチメートル前 後の距離に達した。Dの向かって右側にいたG救急隊長は,Dの 口の周りを拭き,口の中に吐瀉物が残っていないことを確認した 後,Dに対して,大丈夫か,と尋ねたところ,Dは軽く頷いたが, 声に出して返事をすることはなかった。被告病院に到着するまで の間も,Dの嘔気は続いていたが,救急車内での嘔吐はこの1回 のみであった。 ・午後6時40分,Dらは被告病院に到着した。G救急隊長らは, Dを乗せたストレッチャーを救急車から降ろし,被告病院の1・ 2次救急外来の入口から救急処置室に搬入した。G救急隊長は原 告Cに対して,救急外来受付で手続きをするよう指示し,原告C は受付に向かった。 ・Dの到着前,当初,被告病院では形成外科が担当することになっ ていたが,担当医が他の処置に時間がかかっていたこと,口腔内 のけがであることから,耳鼻咽喉科が担当することになった。 ・担当看護師のH看護師は,Dがストレッチャーの上で目を閉じ ており,ぐったりしているように感じたため,G救急隊長に対し て「意識はいいですか。」と尋ねたところ,G救急隊長は「いい ですよ。」とこたえた。G救急隊長は,Dを抱き上げて処置台に 移した。Dは,目や口を閉じたままであったが,完全に力が抜け ているような状況ではなく,G救急隊長は,寝ている子供を抱き かかえているように感じた。G救急隊長は,H看護師に対して, 綿菓子の棒をくわえて走っていて転倒したこと,割りばしは探し たが見つからなかったこと,周りの人は自分で抜いて捨ててしまっ たようだと言っている,転倒した場所は土のグラウンドである旨 を伝えた。H看護師がDを見たところ,頭部にこぶやぶつけたよ うな痕は見当たらず,G救急隊長からも頭部をぶつけたとの申送 りはなかった。 ・午後6時50分ころ,被告Aは,処置室に現れた。G救急隊長 は,被告Aに対して,綿菓子の割りばしをくわえて歩行中転倒し 喉に刺さったこと,割りばしは抜けていること,D本人が自分で 割りばしを抜いたこと,傷の深さは不明であること,バイタルサ インには問題がないこと,搬送途上の救急車内で嘔吐が1回あっ た旨を伝えた。被告Aは,傷病者搬送通知書の傷病名欄に「軟口 蓋裂傷」,初診時程度別の「5 軽症軽易で入院を要しないもの」 欄の「5」に丸印を記入して,G救急隊長に渡した。 ・被告Aは,H看護師に,Dを診察室に連れて行くよう指示し, H看護師はDを抱きかかえて診察室に向かった。被告A及びH看 護師がDとともに診察室に向かう途中,待合室から来た原告Cと 合流し,一緒に診察室に入った。 ・被告Aは,原告Cに対して,「どうしましたか。」と尋ねたと ころ,原告Cは,「転んで割りばしが喉に刺さりました。」又は 「転んで割りばしで喉を突きました。」との趣旨を伝えた。 ・被告Aは,Dに対して,口を開けるように言い,舌圧子と倦綿 子を用いて受傷部位を観察したが,裂傷があるものの出血はなく, 硬いものなどが触れることもなかった。被告Aは,Dに,「しみ るよ。」と言って,消毒液を付けた倦綿子で口腔内の受傷部位を 消毒し,続いて,ケナログ(消炎剤及び抗生剤を含んだ軟膏)を 倦綿子に付けて傷口に塗布した。被告Aの処置の直後,Dは1度 嘔吐した。 ・被告Aは,原告Cに対して,疲れているのでその日はゆっくり 休ませること,入浴させないこと,食べ物は軟らかいものを食べ させること,薬は飲ませること,吐いて食べ物が詰まるといけな いため,横向きに寝かせること,呼び掛けても反応しなかったり, 傷があるため,再出血するようであれば病院に連絡するか来院す ることか,どうかを決めるため7月12日(月曜日)午前9時3 0分までに被告病院の外来に来ることを指示するとともに,呼吸 も普通であり,この様子であれば大丈夫でしょう,との趣旨を伝 えた。 ・被告Aは,原告Cに対して,Dに喘息の既往歴がないことを確 認し,Dにメイアクト(抗生物質)とポンタール(消炎鎮痛剤) を処方して,診察を終了。診察室での被告AによるDの診察時間 は,約5分程度であった。 ・午後6時55分ころ,診察を終えた原告Cは,Dを待合室の長 椅子に寝かせ,自宅にいた原告Bに電話し,保険証とお金を持っ て病院に迎えに来てくれるよう頼んだ。Dは,待合室にいる間に も,1度嘔吐した。 ・午後7時30分ころ,原告Bは被告病院に自家用車(ワンボッ クスカー。日産セレナ)で到着し,Dを2列目シートに寝かせて, 原告らは帰途についた。原告Cは,途中,同園で下車し,近くの ファミリーレストランにいた引率してきた生徒らの様子を確認し た後,自転車で自宅に向かった。 ・午後8時ころ,原告らは帰宅した。帰宅後間もなく,原告Cは, Dに薬を流し込むようにして飲ませようとしたが,ほとんど喉を 通らなかった。原告Cは,Dがもう眠っているのかと思い,布団 に寝かせた。 ・原告Cは,隣室でDの様子をうかがいながら,夜を徹して,勤 務先の高校の1学期末の成績処理をしていた。Dは,夜中にも2 度ほど嘔吐した。 ・翌11日午前6時ころ,原告CがDに声をかけたところ,Dの 瞼や唇に動きがあった。その後,原告Cは寝入ってしまった。 ・同日午前7時30分ころ,Eは,いつも観ている子供向けのテ レビ番組を一緒に観るためにDを起こそうとして,Dの唇が紫色 になっているのを発見した。原告Cは,直ちに救急車を呼んだが, 救急隊到着時,Dは心肺停止状態であった。Dは救急車で被告病 院に搬送。 ・午前8時15分,3次救急外来に収容された。 ・被告病院の医師Q及びRは,既に心停止しているDに対して, 気管内挿管による人工呼吸,心臓マッサージ等を施したが,午前 9時2分,Dの死亡が確認された。Q医師からDの診察を依頼さ れたI医師は,Dの心肺蘇生術中,Q医師とともにDの軟口蓋の 傷を視診及び触診したが,異物等は確認できなかった。 ・Dの死亡確認後に行われた腰椎穿刺による髄液検査の結果,血 性髄液の所見があり,何らかの脳内出血(脳血管障害)が疑われ た。そこで,頭部のCT検査を実施したところ,小脳付近の後頭 蓋窩に硬膜外血腫,浮腫,空気の混入が認められた。この結果か ら,I医師は,割りばしによって何らかのかたちで当該箇所が損 傷を受けた可能性も考えたが,割りばしの有無等は分からなかっ た。 ・午前10時40分から,I医師はQ医師とともに,Dの心肺蘇 生術中に行った軟口蓋の傷口の確認や髄液検査,CT検査,被告 Aからの聞き取りの結果に基づき,約40分間にわたり,原告ら に対して,3次救急外来での治療,死因,前日の耳鼻科における 診療,今後の措置等について説明した。I医師は,死因について, 子供の場合,死亡するような脳出血としては,くも膜下出血,脳 動静脈の奇形や外傷による動静脈血管の破綻などが原因であるこ とが多い,昨夜割りばしを咽頭部に刺したことも,深く刺さって いれば原因の可能性があるが,刺入した割りばしがどの位刺入し たかは,すぐに現場で抜いて捨ててしまったので判断がつかない 旨を説明した。 ・被告病院は,原告らの承諾を得て,Dの検死を依頼した。担当 した警察医Sは,I医師らの説明を受けながらDの口腔内を観察 したが,異物等は発見されなかった。同医師が作成した死体検案 書の「死亡したとき」欄には「平成11年7月11日午前8時1 4分推定」,死亡の原因欄には「(ア)直接死因・頭蓋内損傷, (イ)(ア)の原因・軟口蓋から頭蓋内に達する刺創」との記載があ る。 ・7月12日午前10時30分から午後1時30分にかけて,慶 應義塾大学医学部法医学教室において,K医師によるDの司法解 剖が行われた。この解剖に基づいて作成された鑑定書(K鑑定書) には,「軟口蓋の上咽頭側における刺出部附近の咽頭腔内から頭 蓋腔内にかけて,長さは約7.6cm,太さは最大で約0.45 ×0.4cmの「割り箸」の一部と考えられる棒状の木片1個が ある」「本木片は頭蓋腔内に約2.0cm程度嵌入しており,頭 蓋内における木片先端の形状はほぼ長方形を呈しほぼ正鋭で,そ の大きさは約0.4×0.3cm,咽頭腔における木片の断端は 不整で,やや斜めに折れた形態を呈している」「本死体の死因は 軟口蓋から頭蓋内に達する刺創による頭蓋内損傷群と考えられる」 との記載がある。 ・原告Bは,警察からDの司法解剖の結果の報告を受け,Dの頭 蓋内に割りばし片が残存していたことを知った。原告Bは,警察 に対して,頭蓋内に割りばし片が残存していたことを原告Cに伝 えないよう依頼した(その約2週間後,原告Bは,原告Cに対し て,Dの頭蓋内に割りばし片が残存していたことを伝えた)。 ・7月13日午後2時30分ころ,J医師,I医師及びL事務長 は,原告らのマンションを訪問し,原告らに対して,「割りばし が,喉の奥から頭蓋底を貫通しているが,頭の骨は硬く,頭蓋底 を貫通するなどあり得ないと考えた。」(J医師),「法医学書, 様々な資料などを見ても,そんな例(割りばしが頭蓋底を貫通す る例)は今までになかった。」(I医師),「割りばしが頭蓋内 に達したという例は過去になく,とても脳内の出血など予測でき るものではなく,CTを撮らなかったのはやむを得ない判断であ る。」(J医師),「自分の子供でもCTを撮らない。」(I医 師)旨を説明した。 ・なお,翌平成12年7月7日,警視庁荻窪警察署は,被告Aを 被疑者とする業務上過失致死被疑事件を東京地方検察庁に送致し, 平成14年,東京地方検察庁検察官は,被告Aを被告人とする同 被告事件を東京地方裁判所に起訴した。平成18年3月28日, 東京地方裁判所は,被告Aに対して,無罪を言い渡した。東京地 検は,これを不服として,東京高裁に控訴し,現在,控訴審に係 属中。 ■被告Aの過失の有無 「人の生命及び健康を管理すべき業務に従事する者は,その業務 の性質に照らし,危険防止のため実験上必要とされる最善の注意 義務を要求されるが(最高裁昭和36年2月16日第一小法廷判 決・民集15巻2号244頁参照),この注意義務の基準となる べきものは,診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水 準である(最高裁昭和57年3月30日第三小法廷判決・集民1 35号563頁)」 「原告らが,被告Aが行うべきであったと主張する診療・治療は, いずれもDに頭蓋内損傷が生じていることを診断すべき義務を基 礎とするものと解されることから,まず,被告Aにおいて,割り ばしが刺入したことによる頭蓋内損傷及び頭部打撲等による頭蓋 内損傷を診断する義務があったかどうかについて検討する」 「原告らは,Dの意識状態について,診察時の身体状態からする と ,Dはそもそも覚醒しておらず,起こしても話ができるような 状態にはなく,被告AがDの意識状態を判断するための働きかけ をきちんと行い慎重に判断していれば,Dの意識状態はより重度 の意識障害(『刺激すると覚醒する』以上の意識障害)があると いう判断になったはずであると主張する」 「・・・Dの意識レベルにつき,被告Aは外来診療録に『意識レ ベルI−2と思われる』,H看護師は『救急患者データベースNo. 1』と題する書面に『I−1.2(1及び2の双方を含むように丸 印)』とそれぞれ記載している」 「しかし,被告A及びH看護師は,Dの意識レベルを確認するた めに,Dに対して意識的に氏名や生年月日を尋ねたり,体を揺さ ぶったりしていないこと,これらの記載について,被告Aは,元 気がなかった趣旨でI−2と記載した,H看護師は,Dは目は開け てくれないが,開口命令に従っていることから,意識清明に元気 に歩き回ったりする状況にはないが,言っていることをきちんと 分かっていると判断してI−1から2と記載したと供述しているこ と,JCSによる小児の意識レベルの評価は曖昧になり得るもの であり,特に意識レベルがI−2であると厳密に評価することは困 難な場合があることからすると,上記外来診療録及び『救急患者 データベースNo.1』と題する書面の記載内容から,直ちにD の意識レベルが,JCSのI−2程度に低下していたということは できない」 「そして,F看護師は,Dが受傷直後に意識を回復した後,○○ 園の保健室に向かう途中や,同室のベッド上で泣き続けていたと 供述していること,G救急隊長らは救急活動記録票に,搬送中の Dの意識レベルが清明であった旨を記載し,G救急隊長はH看護 師からの意識レベルに関する問いに対して,ただ『いいですよ。』 とのみ回答していること(医師でないとはいえ,救急救命士の資 格を持ち,様々な症状の患者の搬送を多数回経験しているG救急 隊長が,約30分間にわたってDの状態を観察した上,医学的見 地からみて看過し難い程度の意識レベルの低下が認められる場合 に,看護師ないし医師に対して,意識レベルについて特段の指摘 をすることなく,『いいですよ。』といった回答をすることは容 易に考え難い。),Dは,F看護師,G救急隊長,H看護師及び 被告Aらの問いかけや開眼命令,開口命令に対して,即座に応じ ていること,G救急隊長は,処置室で被告Aを待つ間,Dの状態 に大きな変化はなかったと供述し,原告Cも,Dの状態について, 救急車にいたときとH看護師に抱かれていたときとで変わってい ないようであった旨を供述していることに照らせば,Dが声を発 することがなく,全体として目を閉じた状態が継続していたこと を考慮しても,被告AがDを診察した時点において,Dの意識レ ベルが低下していたとまでは認めることができない」 「・・・Dは,○○園での受傷後,F看護師に抱かれて保健室に 運ばれるまでの間,手足を動かしたりしがみつくことはなかった が,抱きかかえるのに協調する程度の力の入り具合がみられたこ と,救急車内での嘔吐時に,自ら上半身や顔をやや左に動かして いたこと,被告病院の処置室において,H看護師がDを抱きかか えたところ,DはH看護師が着用していたエプロンのひもをつか んでおり,体全体に力が入っていない状態ではなかったこと,F 看護師,G救急隊長,H看護師及び被告Aらの開眼命令や開口命 令に従い,目や口を開けていること,瞳孔径や対光反射に異常は みられなかったことが認められる一方,Dに四肢麻痺等の所見が あったと認めるに足りる的確な証拠がないことに照らせば,被告 Aの診察時に,Dに神経学的な異常があったとまでは認めること ができない」 「この点,原告Cは,被告Aによる診察時には,Dの首がすわら ず,力が入らない状態であったと供述しているが,この状態につ いて,熟睡してしまうと,横に抱っこしても首が垂れてしまうよ うな状態であると表現しており,医療従事者でない原告Cが医学 的な見地に基づく神経学的な異常の有無を判断できるとまではい い難いことを考え合わせると,原告Cの当該供述は上記判断を左 右しないというべきである」 「原告らは,割りばし片は,折れ始めた部分から尖った方の先端 までの約2センチメートルが,咽頭後壁から上咽頭腔内に,肉眼 的に見ても明らかに突き出ていたと主張する」 「この点,K医師は,Dの解剖時,割りばしの折れた方の先端が 上咽頭腔内に約2センチメートル突き出ていたことを確認」 「これに対して,W医師(口腔外科医)は,日本人の4,5歳児 の頭蓋骨標本を入手し,4,5歳児の平均値により上咽頭腔の模 型及びK鑑定書記載の形状による割りばし様の木片を作成して検 証を行い,頭蓋底の蝶形骨の翼突鉤との位置関係も矛盾しないこ とを明らかにした上で,本件において,割りばし片は,口蓋帆張 筋や口蓋帆挙筋などの軟部組織内に埋没して上咽頭腔内に突き出 ていない傷部及び左頸静脈孔の位置関係を写真から概算して検討 した結果,割りばし片は上咽頭腔内をほとんど通過していない, U医師は,慶應義塾大学医学部法医学教室に保存されていたDの 上咽頭標本をX医師とともに観察した結果を踏まえて,割りばし が咽頭腔に突き出ていたとは考えられない,とそれぞれ指摘して いる」 「そして,咽頭後壁における割りばし片の穿通痕や,割りばし片 が上咽頭腔内に突き出ていたことを直接示す写真がないこと,K 医師は,Dの解剖時の切開方法では,筋肉層に割りばし片が埋も れていたとしても,空間に出ている状態に見える可能性がある旨 を供述していることにかんがみると,割りばし片が上咽頭腔内に 突き出ていたことを確認したとのK医師の供述には,合理的な疑 いを差し挟む余地があるというべきである。そうすると,割りば し片の先端が上咽頭腔に突き出ていたとの原告らの主張を採用す ることはできない」 「したがって,割りばし片は,軟口蓋から,上咽頭腔は通らずに 側壁の筋肉組織内を通って左頸静脈孔に刺入したもので,割りば し片の先端は,上咽頭腔に突き出ておらず,軟口蓋と側壁の筋肉 組織の中にあったものと認めるのが相当」 「・・・解剖学的な現時点での通常の理解に照らせば,軟口蓋か ら刺入した異物が頭蓋内に到達するためには,頭蓋底を穿破する ルートと頸静脈孔を通過するルートの2つがあるとされている」 「この点,軟口蓋から刺入した異物が頭蓋底に刺突するなどして 衝撃を与え,これにより頭蓋内に損傷が生じることも考えられな くはない」 「しかし,割りばしは,塗りばしや鉄箸,串などと異なり,一般 的に先端が鈍形で,折れやすい材質・形状である一方,頭蓋底の 骨が厚く硬いものであることからすると,割りばしが強い勢いで 頭蓋底に刺突した場合には,割りばしの曲げや破断等によって, その衝撃が吸収される可能性が高い。本件においても,割りばし は頸静脈孔に刺入する前に,硬口蓋に当たり途中でひびが入るな どしたのではないかとの指摘がされているし 頸静脈孔からの刺入 に伴う頭蓋内損傷以外に,頭蓋底の骨折や,割りばしが頭蓋底に 衝撃を与えたことに起因する頭蓋内損傷又はそれに起因すること を普通に疑わせる症状が生じていたと認めるに足りる証拠はない」 「確かに,割りばしが頭蓋底に刺突する角度によっては,割りば しの曲げや破断等によって衝撃が吸収されることなく,頭蓋底に 相応の衝撃が加わることも否定できないが,しかし,割りばし様 の木片が頭蓋底を刺突し,頭蓋骨そのものを損傷することなく, 刺突の際の衝撃が頭蓋骨中を伝播することによって頭蓋内損傷が 生じるとの医学的知見が確立していたり,このような症例が報告 されていることを認めるに足りる証拠はない」 「本件においては,頭蓋底の骨折を疑わせる髄液の漏出や,頸動 静脈損傷等を疑わせる大量の出血,頸静脈孔内の迷走神経,副神 経,舌咽神経の損傷に伴う神経学的な障害が生じていたことを認 めるに足りる証拠はない。さらに,軟口蓋を刺したとされる割り ばしが持参されていないこと,D本人が割りばしを抜いたと告知 されていたことを考慮すると,傷の深さは,子供の力でも割りば しを容易に抜去することができる程度にとどまると考えるのが通 常である」 「そして,中枢神経系の疾患により嘔吐が惹起され得ることにつ いては多くの医師ないし文献が指摘するところであるが,Dの嘔 吐が客観的に中枢神経系の疾患を原因とするものであったと認め るに足りる証拠がないこと(嘔気を伴わない嘔吐で噴射状のもの は中枢神経病変の特徴であり,中枢神経系の疾患による二次的な 嘔吐では嘔気が存在することが多いと指摘する文献もあり,Y医 師も,頭蓋内圧が上がったときの嘔吐は噴水のように吐く旨供述 しているが,一方で,吐き方は胃の内容物の状態によっても変わ り得るのではないかと指摘していることからすると,Dの嘔吐が 中枢神経系の疾患によるものであったと断定することはできない というべきである。),前示の事実関係の下では,(1)救急車内の 嘔吐は,救急車に乗ったことによる恐怖と車酔いのためのもので ある可能性がある,(2)診察時の嘔吐は,舌圧子ないし倦綿子によ る軟口蓋の刺激の影響によるものと考えられる,(3)口腔内裂傷に よる出血を飲み込んだ後の吐気が続いていたとみる余地がある, (4)アセトン血性嘔吐症の可能性も考えられることに照らせば,軟 口蓋から頭蓋内へ異物が侵入する症例についての解剖学的・臨床 学的知見,歩行中転倒して割りばしが喉に刺さったという受傷機 転,Dの意識レベル,バイタルサイン,神経学的症状を総合考慮 すると,被告Aが,Dの嘔吐につき,中枢神経系の疾患の可能性 を除外したことが,合理性を欠くものであったということはでき ない」 「なお,T医師は前記『異物による外傷』と題する論文において, 解剖学的には,口腔・咽頭の後方に内頸動脈などの大血管や神経, 頭蓋,頸椎などがあり,異物刺入の直達力,方向によってはこれ らの器官まで損傷する可能性があり,また実際にそのような報告 例もあると指摘し,Z医師も同趣旨の供述をしている。しかし, 上記論文には,生命に危険が生じた症例報告は引用されていない こと,T医師は,上記論文の趣旨は,生命に危険が及んだという 症例がないからといって,頭蓋内を損傷する危険も考えられるか ら注意せよとのいうものであると供述していることに照らせば, 上記論文は,当時の臨床医学の実践における医療水準を指摘した ものではなく,抽象的な注意喚起を提言したものにとどまるとい うべきである」 「そうすると,Dが嘔吐し頻回に嘔気を催していたことを考慮し ても,口腔外傷に関する医療水準や解剖学的・臨床学的知見,D の意識レベル,バイタルサイン,神経学的症状等の身体状態,受 傷機転,受傷部位の状態,頭蓋内に残存していた割りばし片が確 認困難な状態であったことにかんがみれば,被告Aにおいて,割 りばしの刺入を原因とする頭蓋内損傷を予見することが可能であっ たということはできない」 「また,G救急隊長及びH看護師は,Dの触診や視診の結果,頭 部にこぶやぶつけたような痕跡は見当たらなかったと供述してい ること,転倒の際に割りばしが口腔内に刺さるという態様からす ると,転倒時に頭部を強打したとは考え難いこと,そのほかにD が転倒の際に頭部を強打したと認めるに足りる証拠がなく,前示 の被告Aが診察したときまでのDの心身の状態にかんがみると, 被告A自らが頭部の視診及び触診を行ったと認めるに足りる的確 な証拠がないことを考慮しても,被告Aにおいて,頭部打撲を原 因とする頭蓋内損傷を予見することが可能であったとはいえない」 「なお,入院診療録のI医師作成部分には,診察内容について, 『昨日来院したときには意識レベルはI−2と比較的子供が頭部 を打撲したときに起こりえる位の意識レベルであった。』と記載 されていることが認められるが,I医師が被告Aから聞き取りを 行った際の具体的なやりとりが明らかでなく,『頭部を打撲した とき』とは意識レベルを説明するための例示に用いられた可能性 も否定できないのであるから,当該記述を根拠として,直ちに, 被告AにおいてDの診察時に頭部打撲を予見していたと認めるこ とはできないというべき」 「以上の事実関係及び診療当時の臨床医学の実践における医療水 準に照らせば,Dの頭蓋内損傷を予見することが可能であったと は認められないから,被告Aにおいて,Dに頭蓋内損傷が生じて いることを診断すべき義務があったとはいえない」 「そうすると,被告Aの診療・治療における過失行為として原告 らが主張するその余の事実について認定・判断するまでもなく, 被告Aの診療行為に過失があったとは認められないことに帰する」 ■被告病院の過失の有無 「原告らは,被告病院としては,被告Aのような経験不足の医師 が救急医療を担当している時には,その医師が診断に少しでも不 安を感じた時には,経験豊富な同じ診療科及び他の診療科の医師 にすぐに相談できる体制,すなわち,チーム医療体制を作ってい なかった点において過失があると主張する。しかし,前示のとお り,被告Aの診察において過失があったとはいえず,そのほかに 被告病院の体制に不備があったと認めるに足りる証拠はないから, この点についての原告らの主張を採用することはできない」 ■因果関係について(総論) 「前示のとおり,被告Aの診察及び被告病院の体制に関し過失が あったとは認められないから,その余の事実について認定・判断 するまでもなく,これらの点についての原告らの請求は理由がな いことに帰するが,本件の事案にかんがみ,被告Aの診察行為と Dの死亡との間の因果関係の有無についても検討する」 「この点,原告らは,Dの死因は,割りばしの頭蓋内穿通により 生じた『後頭蓋窩の急性硬膜下血腫』及び『小脳半球の挫傷によ る『小脳扁桃』ヘルニア及び上行性テント切痕ヘルニア』であり, Dを入院させた上,必要な診察・検査・観察,適時の手術を行う ことにより,80パーセントないし90パーセントの確率で救命 できたと主張する」 「これに対して,被告らは,Dの死因は,『左内頸静脈洞内に血 栓が形成され,静脈洞が完全に閉塞し,静脈の還流障害が生じた 結果,著しい脳の腫れが生じたために起きた頭蓋内圧亢進による 脳幹圧迫』であり,手術等の治療によるDの救命可能性は極めて 低く,仮に被告AがDを診察した際,直ちに脳神経外科医に引き 継いだとしても,Dがその死亡の時点においてなお生存していた であろうことを是認し得る高度の蓋然性があったとはいえないと 反論する」 「そして,訴訟上の因果関係の立証は,一点の疑義も許されない 自然科学的証明ではなく,経験則に照らして全証拠を総合検討し, 特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認し得る高度の 蓋然性を証明することであり,その判定は,通常人が疑いを差し 挟まない程度に真実性の確信を持ち得るものであることを必要と し,かつ,それで足りるものである(最高裁昭和50年10月2 4日第二小法廷判決・民集29巻9号1417頁参照)。そして, 医師が注意義務に従って行うべき診療行為を行わなかった不作為 と患者の死亡との間の因果関係の存否の判断は,経験則に照らし て統計資料その他の医学的知見に関するものを含む全証拠を総合 的に検討し,医師の当該不作為が患者の当該時点における死亡を 招来したこと,換言すると,医師が注意義務を尽くして診療行為 を行っていたならば患者がその死亡の時点においてなお生存して いたであろうことを是認し得る高度の蓋然性が証明されれば,医 師の当該不作為と患者の死亡との間の因果関係は肯定されるもの と解すべきである(最高裁平成11年2月25日第一小法廷判決 ・民集53巻2号235頁参照)」 ■Dの死因について 「b医師及びc医師は,K鑑定書,平成17年2月21日付け捜 査報告書及び同月24日付け捜査報告書添付の写真等に明らかな プレッシャーコーン(圧迫円錐。小脳扁桃が大後頭孔にくさび状 に落ち込み,小脳下面に大後頭孔による圧迫の跡が残ること)が 記録されているとして,Dの脳に致命的な小脳扁桃ヘルニアが生 じていたと指摘する」 「そして,e医師は,上記各捜査報告書添付の写真には,かなり 明瞭な圧迫円錐の存在を示唆するような所見が存在するとして, Dの脳に認められた病的所見として小脳扁桃ヘルニアが認められ るとしている。また,K鑑定書及びK医師が作成した意見書には, 小脳扁桃ヘルニアに関する記述は何ら存在しないが,K医師は, 多少,小脳扁桃が大後頭孔に落ち込んだような所見があったが, 形態的な変化は脳ヘルニアとしては軽い旨を供述している。 「これに対して,d医師は,解剖時の写真では,どこにプレッシャー コーンがあるかは分からないと指摘するとともに,知り合いの脳 外科医2名に見てもらったが脳ヘルニアの所見があると答えた者 はいなかったと供述し,仮に脳ヘルニアの所見が存在していたと しても,それは被告病院において行われた腰椎穿刺の影響による 可能性も否定できないとしている」 「Dの後頭蓋窩の脳圧を定量的に認めるに足りる証拠はないが, 前示のとおり,後頭蓋窩には相当量(K鑑定書によれば,頭蓋内 の血腫合計約24ミリリットルのうち,大部分は左後頭蓋窩の小 脳テント下のものであった。なお,成人の後頭蓋窩の容積は約2 30ミリリットルとされている。)の硬膜下血腫があったこと, 割りばしの刺入による小脳挫傷によって脳浮腫が生じていた可能 性が高いことからすると,後頭蓋窩の脳圧はある程度上昇してお り,それによって小脳扁桃部分に下向きの力がかかっていた可能 性は高い」 「しかし,致命的な小脳扁桃ヘルニアが生じていたとのb医師, c医師及びe医師の指摘は,主として写真の画像からの判断にと どまり,小脳扁桃の立体的な形態観察に基づくものではないこと, d医師を含む複数の医師が,b医師,c医師及びe医師が判断に 用いたものと同じ写真を見ても,プレッシャーコーンがあるかは 分からないと指摘していること,K医師は,小脳扁桃が大後頭孔 に落ち込んだような所見があったが,形態的な変化は脳ヘルニア としては軽い旨を供述し,K鑑定書及びK医師が作成した意見書 には,小脳扁桃ヘルニアに関する記述は何ら存在しないこと,ヘ ルニアが生じていたとされる部位の組織学的な裏付けが何ら存在 しないことを総合考慮すると,本件において,致死的な程度の小 脳扁桃ヘルニアが生じていたとまでは認めることができないとい うべき」 「b医師及びc医師は,四丘体槽が閉塞し,同時に第3脳室及び 側脳室が拡大しているCT画像及びK鑑定書添付の写真から,上 行性テント切痕ヘルニアの所見が明らかに認められる,e医師は, 平成17年2月21日付け捜査報告書添付の写真に,小脳天幕切 痕の印象痕が示されているとそれぞれ指摘している」 「しかし,d医師は,四丘体槽の閉塞は中心性ヘルニアでも生じ 得るし,b医師らが根拠として挙げる写真には,小脳テントの辺 縁によって圧迫された跡はないと指摘していること,K鑑定書に は上行性テント切痕ヘルニアに関する記載が全くなく,K医師は 当該ヘルニアについて何らの供述もしていないこと,同ヘルニア の所見が存在すると指摘するe医師も『上行性ヘルニア気味』と 指摘するにとどまっていることからすると,本件において,上行 性テント切痕ヘルニアが生じていたと認めることはできない」 「a医師は,脳自体の損傷や,硬膜下血腫そのものが死因である とすることには無理があるが,非優位側の静脈が閉塞した場合も, 優位側からの導出不足(積み残し)によって脳の還流が少しずつ 阻害されていくことはあり得るとして,本件においては,Dの左 頸静脈孔が挫滅し,静脈洞に生じた血栓による還流障害によって 広範囲の脳浮腫を惹起し,脳幹の機能障害(脳幹への脳浮腫の進 展)により死亡するに至ったと指摘する」 「また,d医師は,静脈洞が完全に閉塞した結果,頭蓋内の静脈 内に血液のうっ滞が生じ,急性脳腫脹及び脳浮腫が惹起され,そ れに伴う著しい頭蓋内圧亢進によって,脳血流が低下し,脳幹の 循環障害から心停止に至ったと指摘し,Dの脳重量が1510グ ラムと,同年代の小児の平均重量として仮定した1240グラム (文献上,4から5歳で1200グラム,5歳で1100から1 200グラム,約1200グラム,1237グラムなどとされて いる。)と比較して270グラムも増加していることが,これを 証明しているとする。そして,a医師が述べる,非優位側が閉塞 した場合にも還流の積み残しが生じ得るとの考え方については, ごくごく常識的なことであろうと指摘する」 「そして,Y医師も,本例では,静脈洞の血栓により,平成11 年7月11日午前6時前後以降に急速な脳腫脹が生じ,脳内圧が 上昇して脳ヘルニアが起こり,脳幹を圧迫して呼吸が停止したと 指摘している。これに対して,b医師及びc医師は,静脈系は側 副路が豊富であることに加え,血栓は静脈洞交会部に至っておら ず,上記のとおり,優位側である右側の横静脈洞などを通って, 静脈血は体循環に還流することから,脳静脈還流の致死的停滞は 起きていないと指摘し,a医師が述べる静脈洞血流の積み残し理 論は脳神経外科領域では知られておらず,文献にも見られないと する」 「そして,e医師は,上記各捜査報告書添付の写真につき,左横 洞に流入する静脈領域である左側頭葉や後頭葉の側面から底部に おいては,静脈血の還流阻害による脳組織の局所的な異常所見, 左小脳の髄質や中脳における静脈性のうっ血や,梗塞性出血の前 段階である脳浮腫や脳腫脹等は存在しておらず,むしろ中脳自体 は虚血状態にあったというような印象が強く,左横静脈洞は閉塞 していなかった(K医師が存在していたとする左静脈洞の血栓は 単なる死後の血管内血液凝固である。)可能性があり,左横静脈 洞内が閉塞されていなければ,左から右への血流は保持されてい るのだから,本件において認められた脳腫脹ないし脳浮腫は静脈 血の還流不全によって生じたものではない可能性を強く示唆して いると指摘するとともに,a医師が述べる上記積み残し説に疑問 を呈している」 「この点,頭蓋内圧亢進は,静脈洞血栓症の代表的な病態とされ ているところ,Dの頭蓋内圧が上昇していたことは多くの医師が 指摘するところである。そして,b医師は,S状静脈洞の切断に より血液循環に問題が生じたとの例も報告されていると供述して いる」 「しかし・・・,Dの頸静脈ないしS状静脈洞につき,左右いず れが優位であったかを認めることはできないこと,Dの脳に静脈 血の還流阻害による脳組織の局所的な異常所見等が生じていたと 認めるに足りる証拠がないこと,d医師はDの脳重量が増加して いることを重視するが,Dの平常時の脳重量を認めるに足りる証 拠がないこと,a医師が指摘する静脈洞血流の優位側からの導出 不足(積み残し)によって脳の還流が少しずつ阻害されていくこ とはあり得るとの点についても,これが医学的な一般的な知見で あると認める的確な証拠がないことに照らせば,本件において, 致命的な還流障害が生じていたとまでは認めることができないと いうべき」 「以上によれば,Dは,軟口蓋から左内頸静脈孔を経て刺入した 割りばし片が刺入したことによって,左内頸静脈は頸静脈孔部で 挫滅し,同部から少なくとも左S状静脈洞にかけて血栓が形成さ れるとともに小脳実質の, 損傷(深さ約3.5センチメートル) 及び小脳損傷部の周囲の硬膜下腔の出血が生じ,脳の腫れ(その 原因については,医師の意見が分かれるところであるが,K鑑定 書及びその他の医師の意見に照らし,脳浮腫ないし脳腫脹による ものであった可能性が高いというべきである。)及び頭蓋内圧の 亢進に伴い,最終的に呼吸ないし循環中枢の障害により死亡した ものと認められるが,これに至る具体的な機序は不明といわざる を得ない」 ■救命可能性について 「仮に,被告Aの診察時において,Dに頭蓋内損傷が生じている ことが診断できた場合の救命可能性について検討する」 「頭蓋内損傷が疑われる患者に対し,CT検査などの画像診断を 行い,病変部を明らかにすることは,当時の医療水準に照らして も,通常行われる検査方法であった」 「・・・Dの死亡確認後,被告病院において撮影されたCT画像 には,小脳付近の後頭蓋窩に硬膜下血腫(この点,入院診療録の CT検査欄には,後頭蓋窩に硬膜外血腫との記載があるが,I医 師の供述に照らせば,当該記載は硬膜下血腫の存在を否定する趣 旨ではないと認められる。),浮腫,空気混入の所見が存在する ことが認められる。これらの所見のうち,空気は割りばしの刺入 と同時に侵入したものである可能性が高く,後頭蓋窩の血腫につ いては,その出血源や受傷後,死亡するまでの血腫量の変化を認 めるに足りる的確な証拠はないものの,内頸静脈や小脳そのもの が損傷していることからすると,早期に血腫の一部が生じていた 可能性が高いというべき」 「後頭蓋窩の硬膜下血腫は後頭下開頭術による血腫の除去により, 小脳挫傷による頭蓋内圧を抑制するためには減圧開頭術等の外科 的処置により,それぞれ対応し 手術適応は,血腫量の変化,頭蓋 内圧の程度,患者の神経症状や意識レベル等の変化,異物の存否 などを総合考慮して判断される」 「そうすると,本件においては,Dの頭部のCT検査により,頭 蓋内に空気が混入していたこと,後頭蓋窩の硬膜下に血腫が存在 することが容易に判明していたというべきであり,手術適応の判 断のため,Dは直ちに入院し,ICUに収容して,バイタルサイ ンのモニターや1時間毎のCT検査を行いつつ,経過観察がされ たであろうと認めるのが相当」 「・・・頭蓋内の異物の存否は,Dの手術適応の有無の判断要素 となることから,頭蓋内の割りばし片の存在を予見ないし発見し 得たかについて検討する」 「原告らは,割りばしは,折れ始めた部分から尖った方の先端ま での約2センチメートルが,咽頭後壁から上咽頭腔内に,肉眼的 に見ても明らかに突き出ており,ゾンデやファイバースコープに よる確認のほか,CT検査を実施していれば,Dの頭蓋内に空気 が入っていることが判明していたし,MRI検査を実施していれ ば割りばしが写った可能性も否定できないと主張する。しかし, 前示のとおり,割りばし片の先端が上咽頭腔に突き出ていたとま では認めることができないこと,割りばしはD自らが抜いて捨て てしまったと伝えられていたこと,平成11年7月11日にDが 再び被告病院に搬入された以降は,Dの死亡が割りばしを喉に刺 したことに起因するものである可能性を十分予見し得たにもかか わらず,司法解剖によって発見されるまで,Q医師,R医師,I 医師らの診察や警察医による検死においても発見できなかったこ と,司法解剖を施術したK医師も,脳を取り出した際に初めて割 りばしの存在を確認したことからすると,手術適応の判断のため, より慎重な検討が期待できることを考慮しても,被告病院の医師 らにおいて,Dの経過観察中に,Dの頭蓋内に割りばし片が残存 していたことを予見ないし発見可能であったであろうとまでは認 めることができない」 「以上の事実を前提として,Dの手術適応の有無を検討する」 「この点,b医師及びc医師は,小脳テント下(後頭蓋窩)の容 積は小さい上,生命に直結した脳幹が前方にあることを根拠に, 小脳テント下の血腫は小脳テント上の血腫よりはるかに少量で手 術適応が生じると指摘する」 「これに対して,Y医師は,本件においては,同日午前6時以前 には手術適応にならなかったのではないかと供述し,a医師も, CTのみの所見では,場合によっては手術をしなくてもいいかも しれないと指摘している。また,複数の医師は,手術適応か否か は,意識レベルないし神経症状の推移を最も重視すると供述して いる」 「そして,後頭蓋窩の硬膜下血腫の手術適応について,具体的に 指摘する的確な証拠がないこと,前示のとおり,後頭蓋窩の血腫 の出血源や受傷から死亡するまでの血腫量の変化,頭蓋内圧の変 化を認めるに足りる的確な証拠がなく,少なくとも同日午前6時 ころまでは,Dの意識状態に大きな変化はなかったことに加えて, 頭蓋内に空気が混入した部位が明らかであったとはいえず,その 機序や異物の存否も含め,通常の後頭蓋窩硬膜下血腫の場合以上 に,手術の適否について慎重な検討が必要となったことがうかが われることを考慮すると,Dが心肺停止状態に至る以前に手術適 応の判断がされたとまでは認めることができないというべきであ る。(V医師は,頭蓋内に異物が存在する場合には,6時間以内 に緊急手術が必要であると指摘するが,前示のとおり,頭蓋内の 異物の存在を確認し得たとはいえないし,Y医師が,近年は抗生 物質が進んでいることから6時間にはこだわらずに手術をしてい ると供述している」 「そうすると,Dは,ICU等での経過観察中,同日午前6時こ ろから午前7時30分ころまでの間に心肺停止状態となった可能 性が高いというべきである。もっとも,ICUに収容されている ことからすると,適時に適切な措置を採ることができた蓋然性が 高いが,かかる措置によっていかなる程度に救命が可能であった のか,その後にいかなる措置をすべきであったのかなどについて, これを認めるに足りる的確な証拠はない」 ■因果関係について(結論) 「以上のとおり,Dが死亡するに至った具体的な機序が不明であ ること,被告Aによる診察の後,Dが死亡した時点以前に手術適 応の判断がされたとまでは認めることができないことに照らせば, 被告AがDに頭蓋内損傷が生じていることを診断し,被告病院に おいて入院・治療を行ったとしても,Dがその死亡の時点におい てなお生存していたであろうことを是認し得る高度の蓋然性が証 明されたとはいえない」 「したがって,被告Aの診療行為とDの死亡との間に因果関係が あると認めることはできない」 ■ 生存の相当程度の可能性について 「なお,疾病のため死亡した患者の診療にあたった医師の医療行 為が,その過失により,当時の医療水準にかなったものでなかっ た場合において,医療行為と患者の死亡との間の因果関係の存在 は証明されないけれども,医療水準にかなった医療が行われてい たならば患者がその死亡の時点においてなお生存していた相当程 度の可能性の存在が証明されるときは,医師は,患者に対し,不 法行為による損害を賠償する責任を負うものと解するのが相当で ある。(最高裁平成12年9月22日第二小法廷判決・民集54 巻7号2574頁)」 「しかし,本件においては,前示のとおり,Dが死亡するに至っ た具体的な機序が不明であり,平成11年7月11日午前6時こ ろから午前7時30分ころまでの約1時間30分の間に容態が急 激に悪化し心肺停止状態となったこと,延命のために具体的にい かなる措置を採るべきであったかについて,これを認めるに足り る的確な証拠がないことにかんがみれば,Dがその死亡の時点に おいてなお生存していた相当程度の可能性の存在が証明できたと いうことはできない」 ■被告病院の医師らによる不適切な説明・発言の有無 「I医師は,原告らに対して,『子供の場合死亡する様な脳出血 としては,くも膜下出血,脳動静脈の奇形や外傷による動静脈血 管の破綻などが原因である事が多い。昨夜割りばしを咽頭部に刺 したことももしかして深くささっていれば可能性はあるが‥ 刺入 したわりばしがどの位刺入したかはすぐに現場で抜いてしまい, 捨ててしまったので判断がつかない。あくまでも可能性の1つと しては考えうる』旨を説明したことが認められるが,I医師がD の死因は割りばしの刺入による脳出血であることを確定的に診断 していたと認めるに足りる証拠はないから,I医師の説明ないし 発言が虚偽であったということはできない」 「また,『脳内出血の原因が割りばしが刺さったことだとすれば, 脳まで達した瞬間に死亡する。つまり事故現場で即死ということ になるはず』,『だいたいこんなに出血していれば,救命された としても,植物状態になっていただろう』,『脳内の異常事態を 疑い,CTを撮るということは,この意識状態では100パーセ ント撮らない。自分の子でも撮らない。レントゲンについては被 ばくの方が怖い。この状態で撮るなら,ここに運ばれてくる子供 全員を撮らなければならないことになる。この病院はたまたまC Tを撮る設備があったが,ないところに運ばれたらそもそも撮れ なかった。』との説明をしたと認めるに足りる的確な証拠はない」 「J医師及び被告Aらが,原告らに対して,『割りばしが口内に 刺さり,亡くなったということは聞いたことがない。』と説明し たことは争いがなく,弁論の全趣旨によれば,J医師及び被告A らが,原告に対して,『割りばしは,先端が鋭利でないし,それ が頭蓋底を貫通するなどということはあり得ないので,CTを普 通は撮らない。』と説明したと認めることができる」 「この点,J医師及び被告Aが,口腔内に割りばしが刺入したこ とにより死亡した症例について知っていたと認めるに足りる証拠 がないこと(複数の医師が,本件以前に同様の症例があったこと は知らなかったと供述していることは,証拠上明らかである。), 口腔内から刺入した割りばしが頭蓋底を穿破したとの症例が報告 されていると認めるに足りる証拠がないこと,本件においては, Dの頭蓋内損傷を予見することが可能であったとはいえないとこ ろ,当時の医療水準に照らし,割りばしによる口腔内損傷の場合 には当然にCT検査を行うべきとの知見が確立されていたと認め るに足りる証拠もないことからすると,J医師及び被告Aの説明 が,明らかに虚偽であったということはできない」 「平成11年7月13日のDの通夜直前に,『割りばしが喉の奥 から頭蓋底を貫通しているが,頭の骨は硬く,頭蓋底を貫通する などあり得ないと考えた』(J医師),『法医学書,様々な資料 などを見ても,そんな例(割りばしが頭蓋底を貫通する例)は今 までになかった』(I医師),『割りばしが頭蓋内に達したとい う例は過去になく,とても脳内の出血など予測できるものではな く,CTを撮らなかったのはやむを得ない判断である』(J医師), 『自分の子供でもCTを撮らない』(I医師)と説明・発言した ことは争いがないが,上記のとおり,これらの発言が明らかに虚 偽であったと認めることはできない」 「したがって,被告A及び被告病院の医師らの説明・発言が不適 切であったとの原告らの主張を採用することはできないというべ き」 ■判決主文 (請求棄却)