判例速報

※この記事は、2008-03-21にメール配信されたものと同じ記事です。
Medsafe会員各位


 今回は,前回(民事事件)ご紹介した割り箸事件の刑事事件の
判決です。民事事件では,過失も因果関係も認められませんでし
たが,刑事事件では,過失が認められています。

■年月日・裁判所

H18.3.28 東京地裁平成14年(わ)第2712号業務上過失致死被告事件

■本件公訴事実の要旨

 本件公訴事実の要旨は,「被告人は,東京都三鷹市a6丁目2
0番2号所在のb大学附属病院において耳鼻咽喉科医師として医
療業務に従事していたものであるが,上記病院内救命救急センター
第1次・第2次救急当直医師として,平成11年7月10日午後
6時50分ころ,同救命救急センター第1次・第2次救急診察室
において,救急車によって搬送されてきたA(平成6年10月1
2日生,当時4歳9か月。以下「A」という。)に対する初期治
療を行った際,救急隊員から,Aが割り箸をくわえたまま転倒し
て軟口蓋に受傷し,搬送中に嘔吐した旨申告され,診察中も嘔吐
し,意識レベルが低下してぐったりした状態であって,割り箸の
刺入による頭蓋内損傷が疑われたのであるから,このような場合,
付き添っていたAの母親Bから,Aが受傷直後数分間意識喪失状
態にあったことや上記割り箸の全部が発見されていないことなど
について十分聴取した上,Aの上咽頭部をファイバースコープで
観察し,又は頭部をCTスキャンで撮影するなどして頭蓋内損傷
を確認した上,直ちに脳神経外科医師に引き継いで,頭蓋内損傷
による頭蓋内圧亢進の抑制,割り箸除去等の適切な治療処置を行
わせるべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り,軟口蓋を貫
通した割り箸がAの頭蓋内に刺入して頭蓋内損傷を生じさせてい
ることに気付かないまま,Aの傷は単に軟口蓋の損傷のみにとど
まる軽度の刺創であるものと軽信し,十分な聴取や上咽頭部のファ
イバースコープによる観察又は頭部のCTスキャンによる撮影な
どをせず,刺創部に消毒薬等を塗布し,抗生剤等を処方したのみ
で適切な措置をしないままAを帰宅させた過失により,頭蓋内損
傷による出血等を放置して同損傷を悪化させ,同月11日午前7
時30分ころ,東京都杉並区c1丁目4番16号dマンション1
07号室C方においてAを心肺停止状態に陥らせ,よって,同日
午前9時2分ころ,再度搬送された上記b大学医学部附属病院に
おいて,Aを脳損傷・硬膜下血腫・脳浮腫等の頭蓋内損傷群によ
り死亡させた」というものである。

 なお,検察官は,第1回公判期日において,割り箸の刺入経路
につき,「Aの軟口蓋を貫通した割り箸は,上咽頭腔内,上咽頭
後部を経て,頭蓋底において左頸静脈孔内を通り,頭蓋腔内に嵌
入して左小脳半球の脳実質に至っていた」旨釈明した。 

■事案の概要 

・平成11年7月10日,都立高校の教諭であったBは,ボラン
ティア活動の指導をするため,同校の生徒数名を引率して,東京
都杉並区所在の知的障害者更生通所施設「g園」内で開催された
盆踊り会場に赴いた。その際,BはA及び次兄Gを一緒に連れて
行った。

・Aは,同園に出店していた屋台で,割り箸に巻き付けた綿飴を
貰い,同日午後6時5分ころ,その割り箸を手に持ち綿飴を口に
くわえたまま同園中庭を小走りに走っていたところ,前のめりに
転倒し,その際,手に持っていた綿飴の割り箸が同人の軟口蓋に
突き刺さった。付近にいたHがAのほうを見ると,Aは,右腕を
ひじから曲げて身体の下に入れるようにしてうつ伏せに倒れてい
たが,その後,口の中から割り箸を引き抜いてこれを放るような
動作をしていた。Bにおいて「子供が怪我をした。」という声を
聞いたのは,AやGのためにゲームの券をもらってこようとして
受付のほうに向かっているときだった。声を聞いてBが後ろを振
り返ると,Aがうつ伏せに倒れているのが見えた。Bは急いでA
のところに駆けつけ,同人を横抱きにして抱え上げた。Bは,A
がぐったりしている様子であったことから,「Aちゃん,大丈夫?」
と声をかけたが,Aから反応はなかった。Bは,付近にいた人か
ら「割り箸が喉に刺さったみたいよ。」と聞き,Aが転んで割り
箸を喉に刺したことを知ったが,Aの手に割り箸はなかった。

・Aの受傷後,約2ないし5分後に,同園の看護師Jが同園の職
員とともに駆けつけたところ,Bが,右手をAの首の辺りに,左
手を膝関節の辺りに添える形で横抱きにして,おろおろとした様
子で歩き回っていた。Bに抱かれたAは,全体的に力が抜けてい
るような状態であり,頭は上を向いて反り返り,手足には力が入っ
ておらず,だらんと下に垂れており,また,顔色は蒼白で血の気
がなかった。Jは,Aの顔色の悪さや力の抜けた様子,さらには,
意識がないような状態から,Aは呼吸をしていないのではないか
と推測し,職員に対し救急車の手配を指示した。

・Jは,Aの顔の近くから同人に対して「僕,僕。」と大きい声
で呼びかけたが,反応は見られなかった。Jは,Aの歯と唇の際
に血がこびりついているのが見えたので,Aは口の中を切ったの
だろうと判断した。そして,Jは,Bに対し,Aを地面に降ろす
ように指示し,Aを地面の上に仰向けに寝かせた上で,口腔内の
異物の有無を確認したり気道を確保したりするため,Aの顎を下
に引いた。すると,Aは,びっくりした様子で,声を上げて泣き
出し,蒼白だった顔色もよくなった。

・Aが泣き出した際に,JがAの口の中を見ると,口蓋の真ん中
より少し後ろ側に穴のようなものが見えた。これを見て,Jは,
そばにいたBに対し,「何か穴が開いているみたいですね。」と
言うと,Bは「何か割り箸を刺しちゃったみたいなんです。」と
言った。この言葉を聞いて,Jは,Aは割り箸をくわえて遊んで
いるときに突いて転んだか,転んで突いたのだろうと感じた。

・その後,次第にAらの周囲に人だかりができてきたこともあり,
JはAを安全な場所に移そうと考え,Aを横抱きにして,g園の
保健室に運んだ。その間,Aは泣き続けていたが,当初に比べれ
ば小さい声になっていた。また,手足から完全に力が抜けている
という様子もなくなった。 

・保健室に着くと,Jは,Aをベッドの上に仰向けに寝かせ,A
の口の中を確認するため,Aに口を開けるように言ったところ,
Aは泣きながら口を大きく開けた。Jがその場にあった懐中電灯
でAの口の中を見ると,割り箸その他の異物は見当たらず,他方
で,口蓋部分にへこみのような傷が認められ,柔らかい感じのか
さぶたができつつある状態であった。また,Jは,Aの手足に傷
や腫れ,出血がないかを目で観察するとともに,Aの後頭部を除
く頭部を両手で抱え込むようにして触り,こぶがないかどうかを
確認したところ,特に目立ったものはなかった。 その後まもなく,
Jは同園の職員から救急車が到着することを聞き,Aを横抱きに
して抱え,Bとともに保健室から出て,同園の門へ向かった。A
は,このころには既に泣きやみ,目を閉じて,声を出していなかっ
た。

・午後6時11分ころ,L隊長ら3名の救急隊員を乗せた救急車
が同園に到着した。Lが救急車を降りると,Jがひどく狼狽した
様子でAを抱いて立っていた。Jに急かされるようにしてLが救
急車後部ドアを開けると,JはAを抱えたまま救急車内に入り,
同車内のストレッチャーに同人を寝かせた。JがLに対して綿飴
の割り箸がAの喉に刺さったことを伝えて救急車から降りると同
時に,Bが救急車に乗り込んだ。LがBに対してAの受傷機転を
尋ねたところ,Bは,「盆踊り会場で歩行中,転倒し,綿飴の割
り箸が喉に刺さりました。」と答えた。続いてGが救急車に乗り,
Lが救急車の後方を確認した際,付近にいた60ないし70代の
女性が近づき,綿飴の割り箸はAが抜いた旨をLに伝えてきたこ
とから,Lは,Aが割り箸をくわえたまま転倒し,割り箸を喉に
刺したものの,割り箸はすでに全部抜けているものと判断した。

・Lは,救急車の後部ドアを閉めた後,Aに対して口を開けるよ
うに言ったところ,Aは口を開けた。LがAの口腔内を見ると,
軟口蓋やや左寄りに小さめの傷があり,その部位ににじむ程度の
出血が確認できたほか,舌にも若干の血液が付着していた。Lは,
割り箸が自然に抜けたのではなく,一旦刺さったものをA自身が
抜いたという情報から,割り箸はそれなりの深さに達しただろう
と考えた。その後,Lは,手でAの頭をくるむようにして触診し
たが,Aの頭部に傷や出血等の外傷は見当たらなかった。また,
意識を確認するために「僕,目を開けられる?」と呼びかけたと
ころ,Aはすぐに大きく目を開き,自然に目を閉じた。Lは,A
がすぐに反応したことから,意識状態は悪くないと判断した。そ
のほか,瞳孔径,対光反射,呼吸状態,脈拍,体温いずれについ
ても異常は見られなかった。しかし,Lは,口の中の怪我である
ことから,耳鼻咽喉科のある救急病院へ搬送する必要ありと判断
し,救急車備え付けの「救急隊車載端末装置」,いわゆる病院選
別装置で搬送先を探した。そして,Lは,Aの年齢が4歳くらい
であり,自らは喉の奥に箸が刺さった状況を詳しく説明できない
であろうこと,傷の深さが不明であること,通常,喉に箸を刺し
たのであれば痛くて泣くことが予想されるのに,一言も口を利か
ないこと等から,入院が必要となる可能性を認め,Aを設備の整っ
た大学病院に運び,専門医に診てもらうことが最良であると判断
した。

・Lは,東京都三鷹市にあるb大学病院で耳鼻咽喉科の医師が当
直しているのを知り,同病院の救命救急センターに連絡を取るよ
う,M機関員に命じた。M機関員は,4歳の男児が転倒し,綿飴
の割り箸で喉に怪我をしたこと,バイタルサインは正常であるこ
と等を,応答した同病院のN医師に伝えた。その結果,同病院に
おいて受入可能との返答を得た。

・午後6時20分ころ,同病院に向けて救急車を発進。

・現場を出発してから約10分程度経ち,救急車が吉祥寺駅前付
近を走行しているころ,Aは徐々に体を左に傾け,いきなり,一
気に吹き出すようにして嘔吐した。その吐瀉物は,Aから2,3
0センチメートル離れた救急車内の壁に飛び散った。Lは,Aの
気道に嘔吐したものが入らないように,ガーゼで口の中の異物を
取り除き,口の周りをふき取った上で,Aに対してまだ吐きたい
かと聞いた。Aは頷いてはいたものの,声を出して返事をするこ
とはしなかった。Lは,Aが嘔吐した原因について,吐瀉物が白っ
ぽいベージュ色をしており,血液が大量に混じっているようには
見えなかったことから,血液を飲み込んだことによるものではな
いと判断した。

・午後6時40分ころ,同病院に到着。Lら救急隊員が,Aをス
トレッチャーごと降ろして救命救急センターの第1次・第2次救
急に搬送。Lは,Bに対し,病院の受付に行って受付手続をとる
よう告げ,Bはこれに従って,Gとともにその場を離れた。

・Lは,救命救急センターの第1次・第2次救急の処置室におい
て,看護師のOにAを引き継いだ。この時,Aは,ストレッチャー
の上に身体の片方を下にする姿勢で横になり,両手を身体の前の
方に投げ出すようにして目をつぶり,ぐったりしていた。Lは,
両腕でAを抱え,Aをストレッチャーから処置台に移したが,A
は相変わらず目を閉じてぐったりした様子であった。Oは,Aの
意識状態が悪いのか,眠っているのか,一見しただけでは分から
なかったことから,LにAの意識状態を尋ねたところ,意識状態
は良いとの返事が返ってきた。Oは,Lから,Aが,綿飴の付い
た割り箸をくわえていて転び,その割り箸が喉に剌さったこと,
搬送中の救急車内で一度嘔吐したこと,Aが喉を刺した割り箸の
所在は不明であることなどの説明を受けた。Oは,傷の状態を確
認するため,Aに口を開けるよう言ったところ,Aは口を開けた。
しかし,Aが口を十分に開けなかったため,OはAに対し,更に
開けるように言ったところ,Aは口腔内の傷が見えるくらいの大
きさにまで口を開いた。そこでOが,Lに,「どこに刺さってた
んですか。」と聞いたところ,Lは,「ここに穴があります。」
と言って,傷のところをペンライトで照らした。 

・また,Oは,Aがぐったりしている様子が気になり,頭を打っ
て脳内出血を起こし,頭蓋内圧が高くなっている場合には,左右
の瞳孔の開き方が不揃いになることがあることから,Aの瞼を指
で開いて,左右の瞳孔を確認した。Aの瞳孔は左右とも3ミリく
らいで正常であった。 

・その後,Aが何かを探すように,胸の前で左右の手の平を交差
させるようなしぐさをしたため,Oは,抱き上げてほしいのかと
思い,Aに対し「だっこ?」と聞くと,Aがうなずいたことから,
右手をAの頭と首の付け根の辺りに差し込み,左手をAのお尻の
辺りに差し込んで,両手でAを手前に抱き上げた。Aは,Oに抱
き上げられてしばらくして,「おえっ,おえっ。」と嘔気を催し
始めた。Oが近くにあった膿盆を取ってAの口元に添えると,A
はその中に嘔吐した。Aが膿盆の中に吐いたものは,リンゴ飴の
ような甘い臭いのする透明っぽいもので,ぽつぽつと少しだけ血
が混じっていた。その後も,Aは,Oが着用していたエプロンの
肩ひものところを掴みながら,「おえっ,おえっ。」と声を出し,
しきりに吐こうとする状態であり,何回か少しずつ嘔吐していた。 

・Oは,Aの口元に膿盆をあてがいながらそのまま抱き続け,被
告人の到着を待った。

・被告人は,耳鼻咽喉科の救急当直医として病棟回診を行ってい
たところ,救急外来の事務員から,「口の中を怪我した子供が耳
鼻科1・2次救急に来る」との連絡を受けた。

・午後6時50分ころ,被告人,救命救急センター第1次・第2
次救急に到着。Lは,被告人に対して,意識が清明であること,
バイタルサインは正常であることを伝えた上で,「綿飴の割り箸
を喉に刺したようです。傷の深さは分かりません。」,「割り箸
は抜けています,本人が抜きました。」,「搬送途上,嘔吐が1
回ありました。」と申し送った。更に,Lは,Aに口を開けるよ
う申し向けて口を開けさせ,「刺した場所はここです。」と言っ
て,持っていたペンライトを取り出して,Aの口の中を照射し,
被告人に確認させた。すると,被告人は,「はい,分かりました。」
と返事をした。なお,被告人が返事をするまでの間,被告人から
Lに対する積極的な発問はなく,一方的にLが説明していた。そ
の後,Lは,被告人に傷病名を傷病者搬送通知書に書き込んでも
らい,これをもって引継ぎを終えた。このとき,被告人は,傷病
者搬送通知書に,傷病名として「軟口蓋裂傷」と記載したほか,
初診時程度別欄の5番の「軽症 軽易で入院を要しないもの」に
丸印を付けた。

・被告人は,Oに対して,Aを耳鼻科診察室に移動させるよう指
示するとともに,自らも同診察室に向かった。OもAを抱いたま
まの状態で処置室を出て,被告人の後をついていった。処置室か
ら診察室に移動するまでの間,Aは何回か嘔吐した。その後,待
合室にいたBらが合流したが,Aは終始ぐったりとした状態であ
り,Bはとても心配している様子であった。

・Oは,耳鼻科診察室に入ると,診察用の椅子にBを座らせて同
女の膝の上にAを下ろし,被告人に「瞳孔は3,3です。」と,
Aの瞳孔が同円同大である旨を伝えて,診察室から出ていった。
そして,Oは,Aが嘔吐していた様子などから,診察後にベッド
で休ませるようにとの指示を被告人から受けるのではないかと考
え,ベッドの空き状況を確認するために観察病床に赴いた。

・被告人は,耳鼻科診察室において,まずBに対して「どうしま
したか。」と尋ねた。すると,Bは「転んで割り箸が喉に剌さり
ました。」と答えた。そこで,被告人はAに対して口を開けるよ
うに言ったが,Aは十分に口を開けることができなかったことか
ら,BはAの顎に手を添えて口を開けるようにした。被告人がA
の口腔内を見たところ,軟口蓋左半の後端に近い部分に縦約5ミ
リメートル,横約7ミリメートルの傷があるのが確認できたが,
出血はすでに止まっていた。被告人は,傷口に倦綿子で抗生剤及
び消炎剤のケナログ軟膏を塗布したが,Aが痛みに反応すること
はなく,体を動かしたり声を出すこともなかった。診察中,Aは
1回嘔吐。

・被告人は,その後,Bに対し,今日はゆっくり休ませること,
2日後の月曜日に再来院すること,その際縫合するか否かを決め
ること,風呂に入れず,柔らかいものを食べさせること,薬は必
ず飲ませること,寝る際は横向きに寝かせることなどを指示。

・Bは,Aをこのまま連れて帰ることが心配だったことから,被
告人に「こんなにぐったりしているのに,本当に連れて帰ってい
いのでしょうか。」と問いかけた。すると,被告人は,「疲れて
眠っているだけだから大丈夫だ。呼吸もしているから大丈夫だ。」
と答えたので,Bは安心した。 その後,被告人は,抗生剤及び解
熱消炎鎮痛剤を処方した上,BとAを帰宅させた。なお,Bらを
帰宅させるに際して,「出血など何か変化があったら来るように。」
との具体的な症状を前提とした注意事項を被告人が伝えた事実は
なかった。

・午後6時50分から57分の間,Bは,Aを待合室の長椅子の
上に横にして寝かせた上で,付近の公衆電話から自宅に居るCに
電話をかけ,Aが受傷しb大学病院で治療を受けたことや迎えに
来て欲しいことなどを伝えた。BがCに電話をかけている間も,
Aは待合室で1回嘔吐。 その後,Bは,Aを抱いて迎えに来たC
の車に乗り,Aを座席の上に横向きに寝かせた。車に乗り込む際,
雨が降っていたことから,Bは,Aに寒くないかどうかを尋ねた。
すると,Aは「寒い」と口を動かしたようにBには思われた。

・午後9時前ころ帰宅。その後,Bは,被告人から処方された薬
をAに服用させようとしたが,Aは,すぐに嘔吐して薬を吐き出
してしまうので,そのまま寝かせることにした。 

・Bは,寝ているAの横で仕事をしながら,翌11日午前6時こ
ろまでAの様子を見ていた。その間もAは複数回嘔吐していた。
また,Aは時折いびきをかいていた。 

・午前6時ころ,Bは,寝ているAに対して声をかけ,月曜日は
おもちゃを買いに行こうね,と言った。すると,Aは頷くような
仕草を見せた。

・Bは,その後仮眠したが,午前7時30分ころ,Gから起こさ
れ,「Aちゃんの唇が紫色になっている。」などと言われ,Aの
様子を確認したところ,唇が紫色に変色し,問いかけにも全く反
応しなかったため,直ちに119番通報した。

・午前7時44分ころ,救急車がAの家に到着し,救急隊員がA
の状態を確認したところ,Aは既に心肺停止状態であったため,
直ちにAをb大学病院の救命救急センターに搬送し,同センター
のR医師やD医師らが,心臓マッサージや人工呼吸などの処置を
施したが,Aは結局蘇生しなかった。

・午前9時2分,同センターで死亡確認。

・Aの死亡確認後,Aの髄液を採取したところ,血性髄液が認め
られたことから,D医師らは脳内出血の可能性を疑い,同日午前
9時17分ころ,Aの頭部をCTスキャンで撮影した。その結果,
Aの後頭蓋窩に血腫,浮腫が認められたほか,脳実質内に空気が
混入していることが判明。そして,D医師は,被告人から初診時
におけるAの容態等について説明を受けるなどした後,同日午前
10時30分過ぎころから,被告人の指導担当教授であるT医師
らとともに,C及びBを含むAの親族に対し,Aが心肺停止状態
で救命救急センターに搬送された後死亡が確認されるまでの経過,
推定される死因,前日の耳鼻科診療の適否等について説明した。
D医師,T医師は,説明を終えて間もないころに,それぞれ,C
らに対して説明した内容を書き留めておいた。また,D医師は,
Cらの同意を得た上で荻窪警察署にAの検視を依頼し,同日午後
から行われた検視に立ち会ったが,検視の結果について,検視担
当医からは,通常の心肺停止であるということ以上に詳しい死因
の説明はなかった。 

・翌12日,鑑定嘱託を受けたh大学医学部法医学教室のU医師
は,同日午前10時30分ころから同日午後1時30分過ぎころ
まで,同教室にて,Aの司法解剖を行った。その結果,割り箸片
が左頸静脈孔を通り頭蓋内に約2センチメートル嵌入した状態で
残存していることが判明した。本件割り箸片は長さ約7.6セン
チメートルであり,咽頭側の断端は咽頭後壁から上咽頭腔内に1
センチメートル以上突出していた。割り箸は,軟口蓋から刺入し,
左頸静脈孔から頭蓋内に到達したものであると推定された。U医
師は,Aの頸部器官をホルマリンで固定し,保存することとした。
なお,受傷直後にAが引き抜いて放ったと思われる残りの割り箸
片は,その後も発見されていない。

■初期診断の前提となる事実 

 事実経過から,Aの診察を行う上で重要であると認められる情
報を抽出すると,次のように整理することができる。 

〈1〉救急外来の事務から,「口の中を怪我した子供が耳鼻科1
・2次救急に来る」との連絡を受けた。 

〈2〉処置室において,AはOに抱かれていたが,Oが着ている
エプロンのひもをしっかりと握っていた。 

〈3〉Aの口元には膿盆があてがわれており,その中の嘔吐物は,
やや透明で少しだけ血が混じっていた。 

〈4〉Lから,Aは午後6時過ぎころ転倒して綿あめの割り箸を
喉に刺したが,割り箸は本人が抜いた旨,搬送中の救急車内で1
回嘔吐した旨,処置室到着時のAの意識は清明で,バイタルサイ
ンも正常であった旨の申し送りを受けた。 

〈5〉Lが開口を求めると,Aは口を開けた。 

〈6〉Aの口腔内の傷は小さめで,出血は止まっていた。 

〈7〉Aの口腔内の傷を観察中,Aは1回嘔吐した。 

〈8〉診察室への移動中も,Aの嘔気は収まらず,何回か嘔吐し
た。 

〈9〉診察室で,Oから,Aの瞳孔は同円同大で異常はない旨伝
えられた。 

〈10〉Aは終始ぐったりとして発語もなく,自力歩行することも
なかった。 

■診察の初期における頭蓋内損傷の想定可能性 

「・・・Aの診察にあたった医師にとって,診察開始時における
所見,すなわち,転倒して割り箸を喉に刺して受傷したAが,頻
回に嘔吐し,ぐったりとして発語もない状態から,確定的に頭蓋
内損傷を疑うことは困難であるとしても,それを可能な病態の1
つとして想定することは可能であったと認められる。さらに,V
医師,P医師ともに,Aが頭蓋内損傷を想起させる状態にあるこ
との推定原因として,転倒により頭部を打撲したことのほか,口
腔内から刺入した割り箸が深部にまで達したことを可能性の1つ
として念頭に置いていることから明らかなように,本件において
割り箸の刺入と頭蓋内損傷との因果的連関を想定することは困難
なことではないと認められる」

「そして,検察官も指摘するように,診察とは,患者の身体状態
や受傷機転等の情報に基づいて,考えられる限りの病態を想定し,
その病態の中から真実の病態を発見するため,問診や各種の検査
を実施しつつ除外診断を行い,想定される病態の範囲を絞り込み
つつ,真実の病態発見に至ろうとするプロセスである。頭蓋内損
傷が生命に与える危険性の高さにかんがみれば,頭蓋内損傷を可
能な1つの病態として想定することは,診察にあたる医師の注意
義務であるといえる」

「したがって,被告人は,Aの可能な病態の1つとして,割り箸
の刺入と因果性を有する頭蓋内損傷を想定することができたし,
また,想定するべきであったと認められる。そして,頭蓋内損傷
が放置されれば増悪して患者を死亡させる可能性があることは当
然予見して然るべきであるから,必ず除外診断を行わなければな
らない」

■十分な問診や問い掛けを行った場合に得られるべき所見 

「本件で,Bに対して詳細な問診をしていれば,受傷直後のAは
意識がないような状態であったことや,救急車内での嘔吐は一気
に吹き出すようなものであったこと,さらには,Aが普段とは全
く違う様子であることなどをBから聞き出せた蓋然性は高いもの
と考えられる。そのような情報を取得していれば,Aの頭蓋内に
損傷が生じているとの疑いを強め,さらに必要な診療行為に及ぶ
重要な契機になったものと考えられる」

「この点に関して,弁護人は,Aが受傷直後意識喪失状態にあっ
たという重要な情報を被告人にもLにもBの側から申告していな
いのは不自然であり,そもそもAが意識喪失状態に陥った事実は
なかったのではないかと主張する。しかしながら,医学的に厳密
な意味での意識喪失であったかどうかまでは断定できないものの,
Aが意識を失っているような状態であったことについてはJとB
の各証言が一致しているところであるし,また,医学的知識のな
いBにとってみれば,Aの今現在のぐったりした状態にのみ強い
関心が向いてしまったとしても不自然であるとは言えない。そし
て,『どうしましたか。』という,どのように答えてもよいよう
な質問というのは,裏を返せばどのように答えればよいのか分か
らない質問であるとも言え,患者によっては最低限の受傷機転し
か答えられない場合も当然あり得るのであって,Bが『転んで割
り箸が刺さりました。』としか答えなかったことをもって不自然
であると言えないことはもとより,Aが受傷直後意識を失ったよ
うな状態であったことに合理的な疑いを差し挟む事情にはならな
いというべきである」

「また,弁護人は『被告人としては,一方において,患児が自ら
受傷直後に割り箸を抜いたという情報がある以上,受傷直後の意
識喪失状態…はなかったと判断する余地があったというべきであ
り,かつその判断が特に不当であったとは認められない。』と主
張するが,採用の限りではない。すなわち,Aが割り箸を抜いた
という情報は,その事実をLはもとよりBでさえ現認していない
伝聞情報であるのに対し,Aは意識がないような状態であったと
いうのはBが現認した情報であって,情報源の確かさでは後者が
上回る。もちろん,Bは医学の専門知識を有しない一般人である
ため,情報の内容については医師の立場から慎重に吟味しなけれ
ばならないことは言うまでもないが,そうであればこそ,『意識
がないような状態』とは具体的にどのような状態であったのか,
Aはいかにして意識を回復したのかといったことについて尋ねる
必要性が強まるというべきである。同時に,伝聞である『本人が
割り箸を抜いた』という情報についても,抜いたのか抜けたのか,
全部か一部かといったことも含めて改めて吟味を要することにな
ろう。つまり,BからAが受傷直後意識を失っているような状態
だったとの情報は,『割り箸は本人が抜いた』という情報と整合
的に説明するに足りるさらなる情報を取得するべき重要な契機と
なるのであって,直ちにいずれか一方の情報のみに依拠して診察
を進めるということにはならないというべき」

「次に,Aに積極的に問いかけをした場合に,Aがどの程度の反
応を示したのかを考察すると,Aが病院を出た直後に『寒い』と
口を動かしたように思われたことに照らせば,全く反応がなかっ
たとは認め難いが,Aが頻回に嘔吐している事実や,Aが普段と
は全く違う様子であるとするBの申告と相俟って,Aに異常が生
じている可能性に重きを置いて,頭蓋内に損傷が生じている疑い
を強めたであろう」

「このように,医師がBに対して詳細な問診を尽くし,Aに対し
て積極的な問いかけをしていれば,Aの頭蓋内に損傷が生じてい
ることの疑いは強まったものと認められる」

■除外のための検査・その1−上咽頭部のファイバースコープ検
査 

「Aの頭蓋内に損傷が生じている疑いを強めた耳鼻咽喉科医師が
その疑いを除外するために採るべき方策としては,まず,耳鼻咽
喉科という自分の専門分野の範囲内において可能な限り情報を集
めることを目的として,ファイバースコープにより上咽頭部を観
察し,傷の深さや方向,異物残存の有無を確かめることが挙げら
れる」

「・・・一般論としては異物残存の有無を確かめるべきであると
までは言えないにしても,本件においてはBに対して詳細に問診
するべき義務が認められるのであり,その義務を果たした場合に
得られるであろう情報を前提とすると,その後の診察を進める上
で重要な情報をもたらす可能性があるという意味で,異物残存の
有無を確かめることの重要性は否定されるものではない」

「・・・本件においては,傷の深さや方向のほか,異物の残存の
有無を確認することの重要性はなお存在したと認められ,Aの真
の病態を探究するという観点から,診療にあたる医師としてはそ
の重要性を認識すべきであったということができる」

「もっとも,傷の深さや方向,異物の残存の有無を確認する重要
性を認識すべきであったことから直ちにファイバースコープ等を
用いた検査をするべきであったということにはならない。すなわ
ち,医療についてはその専門的知識と経験を必要とするものであ
り,想定される各診療行為の取捨選択については医師の裁量的判
断に委ねられるケースが存在する。特に検査は少なからず患者へ
の侵襲を伴うものであり,その検査を行うことのメリットとデメ
リットとを比較衡量して慎重に決せられるべき事柄であることは
否定できない」

「したがって,傷の深さ・方向や異物残存の有無を確認する検査
方法としてファイバースコープによるべきであったといえるか否
かは改めて検討する必要がある」

「・・・ファイバースコープは傷の深さや方向,異物残存の有無
を確かめるために耳鼻咽喉科医師が独自の判断で採ることができ
る検査機具であり,他科の協力を得て行うCT検査のような画像
検査を除けば,他に適切な手段は存しないと認められる」

「そして,Aがぐったりしている状態であることを考慮すれば,
本件においてファイバースコープによる検査をしたとしても,A
が暴れるなどして血管を損傷するといった危険性は少ないと考え
られる。もちろん,突然拒否反応を示して暴れる可能性がないと
はいえないが,Aに対して積極的な問いかけをしてその意識状態
を正確に把握していれば,暴れるか暴れないかはおおよその見当
がつくはずであり,また,Bにしっかりと押さえておくよう指示
すれば足りる話でもあるので,本件はファイバースコープを用い
ることのデメリットは相当程度に低くなっている場面であると考
えられる」

「そうであるとすると,本件においては,傷の深さを確かめ,ま
た,異物の残存を確認するために,ファイバースコープによる検
査を実施するべきであったと認められる」

「もっとも・・・本件割り箸片は咽頭側壁に接する,あるいは咽
頭側壁をかすめるような形で残存していた可能性が高い。そして
・・・,咽頭腔は生前はつぶれたような形になっていることから
すると,本件割り箸片は咽頭側索のヒダ部分に理まっていた可能
性は否定できない」

「上記のとおり,ファイバースコープによって意識的に探索した
としても,本件割り箸片の発見には至らなかった可能性は残る」

「しかしながら,診察の時点に立って考えれば,他に適切な検査
方法がないことは前記のとおりであり,ファイバースコープによ
る検査が,Aが現在のような身体状態に陥っている原因を探求す
る足がかりとなり得る検査方法であることは否定されない。患者
の真の病態を把握することは医師にとって基本的な義務である以
上,本件においてはファイバースコープによる検査を行うべきで
あったと認められる」

「そして,ファイバースコープによる検査を行った結果,本件割
り箸片を発見できた場合には,割り箸が咽頭部奥深くまで刺入し
た可能性が認められ,『割り箸の刺入と因果性を有する頭蓋内損
傷』の疑いはいっそう強まることになろう。また,本件割り箸片
を発見できなかった場合であっても,そのことによって割り箸が
深く刺さっていないとか残存していないということはできないの
であるから,『割り箸の刺入と因果性を有する頭蓋内損傷』の疑
いはなお残るのである」

「したがって,いずれの場合であっても,脳神経外科医師に相談
し,意見を求めることになったと考えられる」

■除外のための検査・その2−頭部のCT検査 

「転倒による割り箸刺入と因果性を有する頭蓋内損傷の疑いを抱
いた耳鼻咽喉科医師が,その疑いを除外するために採り得べきも
う1つの選択肢は,直ちに頭部のCT検査を行うことである」

「もっとも,CT検査も被爆の問題があり,身体への侵襲を伴う
検査方法であることから,その検査を行うことのメリットとデメ
リットとを比較衡量して慎重に決せられるべき事柄であることは
いうまでもない」

「・・・本件においては,〈1〉転倒して受傷したAが,頻回に
嘔吐し,ぐったりとして発語もなく,意識レベルが低下している
ような状態から,頭蓋内に損傷が生じている可能性を想定するこ
とができ,〈2〉その想定を前提に,Bに対して詳細な問診を尽
くし,Aに対して積極的な問いかけをしていれば,受傷直後のA
は意識がないような状態であったこと,救急車内での嘔吐は一気
に吹き出すようなものであったこと,Aが普段とは全く違う様子
であることなどの重要な情報を得られた蓋然性が高く,Aの頭蓋
内に損傷が生じていることを確信に近いレベルで疑うことができ
たと考えられる」

「そうすると,脳神経外科医の立場からすれば,本件の場合には
CT検査を行うべきことになる」

「・・・脳神経外科医の専門家証人の見解によれば,本件はCT
検査を行うべき事案であったということができるが,弁護人が指
摘するとおり,最初から脳の異常を疑って診察する脳神経外科医
師と,脳の異常をにわかには想定し得ない耳鼻咽喉科医師とでは,
頭部のCT検査に関する実施基準が同一であるか否かは,改めて
検討する必要があると考えられる」

「・・・耳鼻咽喉科医師に対しては,中枢神経障害が疑われる患
者について,自らの判断でCT検査を実施するべきであるとの注
意義務を課すことはできないと認められる」

「上記のとおり,耳鼻咽喉科医師に対しては自らの判断で頭部の
CT検査を実施するべき注意義務を課すことはできないとしても
・・・,脳内の異変という専門外の病態を想定した場合には脳神
経外科医師に相談して意見を聞くべき注意義務があるというべき」

「前記のとおり,脳神経外科医師の立場からすれば,本件はCT
検査を実施するべき事案にあたるといえることにかんがみると,
Aの初期診察にあたった耳鼻咽喉科医師が,脳神経外科医師に相
談して意見を聞くなど上記注意義務を果たせば,脳神経外科医師
において頭部CT検査を実施することになったものと考えられる。
このことは,本件当日にb大学病院の脳神経外科の当直医師であっ
たE医師が,Aが受傷後数分間意識喪失状態にあったという情報
とともに相談を受けた場合には,神経所見を取って四肢麻痺や高
度意識障害がないと判断されたときでもCTを撮影することにな
ると証言していることからも明らかである」

「脳神経外科医師においてAの頭部CT検査が行われた場合,B
1医師,A1医師,W医師が一致して述べているように,Aの死
後に撮影されたCTスキャン・・・において認められるのとほぼ
同様の状態で,Aの左後頭蓋窩に空気が入っていることが分かり,
また,硬膜下血腫の存在が認められた可能性もあろう。したがっ
て,Aは入院することになったと認められ,その後は,脳神経外
科医師を中心に治療計画が練られ,その計画に沿って治療措置が
講じられることになったものと思われる」

■被告人の注意義務及び注意義務違反(まとめ)

「〈1〉救急車によって搬送されてきたAに対する初期診察を行っ
た際,救急隊員から,Aが割り箸をくわえたまま転倒して軟口蓋
に受傷し,搬送中に嘔吐した旨申告され,Aがなおも嘔吐し嘔気
が継続しており,発語もなくぐったりして,意識レベルが低下し
ているような状態から,転倒による割り箸の刺入と因果性を有す
る頭蓋内損傷が生じている可能性を疑うべきであった,〈2〉こ
のような場合,事実関係ないしAの意識状態を把握するため,A
に対して積極的に問い掛けをするとともに,Bに対して,Aの受
傷状況,受傷直後ないし搬送時の様子,普段の様子との異同など
を詳細に尋ねるべきであった,〈3〉Bに対する詳細な問診をし
ていれば,Aが受傷直後に意識を失ったような状態であったこと,
救急車内での嘔吐は一気に吹き出すようなものであったこと,現
在のAが普段とは全く違う様子であることなどを十分に聴取でき,
また,Aに対する積極的な問い掛けをしていれば,Aに異常が生
じている可能性を強く看取することができたはずであるから,A
に頭蓋内損傷が生じていることの疑いをさらに強めて,自らファ
イバースコープで上咽頭部を検査して異物の残存の有無や傷の深
さ・方向を確認し,または,脳神経外科医師に相談して頭部のC
T検査の実施が相当であるとの判断に達すれば,その実施を脳神
経外科医に依頼し,その後の治療を脳神経外科医師に委ねるべき」

「・・・被告人は,引継ぎ時に把握していたAの受傷機転をBに
確認した後,Bの手添えによりAの口腔内を見てその受傷部位を
確認した上で,特段の検査をすることなく,Aの創口にケナログ
軟膏を塗布し,横向きに寝かせることなど一般的な注意事項のみ
をBに伝えた上で,抗生剤及び解熱消炎鎮痛剤を処方して帰宅さ
せた・・・」

「したがって,被告人は,〈1〉Aの受傷機転や身体状態等の情
報から,Aには転倒による割り箸の刺入と因果性を有する頭蓋内
損傷が生じている可能性を疑わないまま,〈2〉Aに対する積極
的な問いかけやBに対する詳細な問診をしなかった結果,〈3〉
頭蓋内損傷の疑いを強めることにつながったであろう重要な情報
を取得できず,ファイバースコープで検査することも,脳神経外
科医師らに相談し意見を求めることもしないまま,Aの創口にケ
ナログ軟膏を塗布し,帰宅後の一般的な注意事項をBに伝えた上
で,抗生剤及び解熱消炎鎮痛剤を処方するにとどめて帰宅させた
のであって,前記注意義務に違反したものというほかない」
「以下,被告人の弁解を踏まえて詳述する」

■(注意義務1)頭蓋内損傷の可能性を想定しなかったことにつ
いて 

「被告人の弁解内容は,要旨,『〈1〉救急隊,管理当直の判断
で第1次・第2次救急の耳鼻科に決定したということは,患者は
意識レベルが生命に危険のあるような状態ではないということで
あり,このことは診察にあたって当然貴重な前提となる。〈2〉
処置室で,Aに対して視診,触診を行ったところ,顔色や唇の色,
呼吸状態に問題はなく,頭部に傷なども見られず,また,口腔内
の傷口は小さくて,出血は止まっており,腫れはみられなかった
ことから,大血管の損傷はなく,割り箸は深く刺さっていないと
判断した。バイタルサインも問題なし,開口命令に直ちに従って
いる以上意識も問題なし,項部硬直がない,運動麻痺や片麻痺な
どもないということになれば,通常,脳損傷や神経損傷の疑いは
ないというような判断になる。〈3〉Aは処置室で1回嘔吐した
ほか,診察室でも1回嘔吐したので,Aは元気がないのだろうと
判断した。』というもの」

「まず,搬送先が第1次・第2次救急の耳鼻咽喉科に決定された
ことの意義について見ると,既に述べたとおり,第1次・第2次
救急に搬送される患者は,危篤状態にあるなど直ちに集中治療室
に入院しなければならない患者ではないことを意味する。したがっ
て,『意識レベルが生命に危険のあるような状態ではない」とい
うのは当然であろう」 

「しかし,そのことが軽度の意識障害も生じていないということ
を意味するものでないこともまた,当然である。複数の専門医科
を有する総合病院は,搬送されてきた患者が搬送先の科の専門か
ら外れる症状を示している場合には直ちに他科の専門家医師に相
談できる体制が整備されていることに一つの重要な意義があるの
であって,耳鼻咽喉科に搬送されたが故に,軽度にせよ意識障害
が生じていることが見落とされ,中枢神経障害を想定した診療が
行われないというような事態があってはならない」

「だからこそ,救急隊員からの申し送り事項を踏まえつつも,患
者の発するサインを見落とすことがないよう,医師自らの目で慎
重に観察すべきことが求められるのである」

「そこで,被告人が自ら慎重に視診,触診等を行ったかを検討す
るに,被告人は,処置室における初期診察で,頭蓋内の異変を疑
わせるような重い症状は出ていなかったとして,Aが嘔吐して発
語もない状態にある原因が頭蓋内の異変にある可能性は除外した
旨供述している」

「しかしながら,被告人は,診察開始までにAが嘔吐した回数に
ついて,救急車内,処置室でそれぞれ1回ずつであることを前提
に供述しており,嘔吐の回数や嘔気について前提を異にしている。
また,同様に,被告人は処置台の上でAに対する視診,触診等を
行ったことを前提としているところ,Oは被告人が処置室に来る
前にAを抱き上げ,診察室でBの膝の上に降ろすまで抱き続けて
いたと証言し,その証言が信用できることは前記のとおりであっ
て,被告人が処置台の上でAの視診,触診等の身体診察や髄膜刺
激症状の検査を行ったとは認めることができず,また・・・,カ
ルテに『髄膜刺激症状なし』と記載されていることは被告人の供
述を裏付けるものではなく,被告人の上記供述はやはり前提を欠
くものと言わなければならない」

「そうすると,被告人は,搬送先が第1次・第2次救急の耳鼻咽
喉科に決定されたことや『意識清明,バイタルサイン正常』など
とLから申し送られたことといった事前情報を重視するあまり,
Aは軽症であるとの強い予断を抱いたが故に,Aの発する重要な
サインを見落とす結果を招来したものと考えざるを得ない」

■(注意義務2)問診等を尽くさなかったことについて 

「被告人は,要旨,『受傷機転はもとより,受傷直後のAの様子
等一切の事情を話してもらうという趣旨で,『どうしましたか。』
とBに尋ねたのであり,その問いに対して初期診察における所見
の見直しを要するような回答がなかった以上は,それ以上に言う
ことはないのだろうと判断した。Bからの情報は少ないと思った
が,医師側が勝手に押し付けるような問診をすると誤診を招くこ
とにもなりかねないし,重要な情報であればわざわざ聞かなくて
も当然答えてもらえるものだと思ったので,それ以上質問をしな
かった。また,Aは元気がない状態だったので問いかけをするこ
とは適当でないと考え,また,そもそも子供というのはなかなか
言うことを聞いてくれないものであるから,問いかけはしなかっ
た。』と弁解している」

「『どうしましたか。』という,どのように答えてもよいような
質問が,患者ないしその付き添いの者から広く情報を集める上で
有用な質問方法であることは否定されるものではない。そして,
診断にとって重要な情報はその質問に対する回答として得られる
ことが多いであろうことも容易に想像できる。被告人が『当然こ
ちらが勝手に決めていくようなことはまずできないですので』,
『医者側が勝手に押し付けるような問診では,それこそ誤診を招
くようなことになりますので』と述べるところは,もっともであ
る。『医師側が勝手に押しつけるような問診では誤診を招く』か
らこそ,正確な診断に必要な情報を,患者や付き添いの者から丁
寧かつ慎重に聞き出すことが大切なのである」

「どのように答えてもよいような質問というのは,裏を返せばど
のように答えればよいのか分からない質問でもあるのである。ま
た,患者も付き添いの者も千差万別であり,そのタイプに応じて
臨機応変に対処する必要があることは,被告人自身も認めている
ところである。このように,患者や付き添いの者と一口に言って
も様々なのであるから,個々具体的なケースにおいては,『どう
したか』というのは受傷機転だけを問われていると判断して回答
する者がいても何ら不自然とは言えないのである。そのような場
合には,目的意識をもって問診をしている限り,なぜ回答が少な
いのか理由を推察しながら,発言を促すために『どんなことでも
結構ですから話して下さい』と言葉をかけることはごく簡単なこ
とであろう」

「そして,診察開始時におけるBの様子について・・・,Aの容
態をとても心配しているような感じだったとされ,また,平成1
1年7月23日付けOの警察官調書によれば『お母さんは男の子
に『Aちゃん大丈夫』と何度も声を掛けており相当動揺している
様子でした。』とされており・・・しかるに,被告人は,Bが動
揺しているようには見えなかったとしてこれに相反する供述をし
ており,結局,被告人は付き添いのBの様子についても注意を払っ
ていなかったものと考えられる。ここでもやはり,事前に取得し
た情報から強い予断を抱いたことが影響していると言わざるを得
ない。被告人は,Aは軽症であるとの強い予断を抱いていたから
こそ,『どうしましたか。』との問いに対して『転んで割り箸が
喉に刺さりました。』という既にLから把握済みの情報を得るだ
けで満足して,それ以上の質問をしなかったものと考えられる」

「Aに対する問いかけについてもまた然りであり,Aが頻回に嘔
吐してぐったりしている状態から異常を感じ取れば,起こしてで
も意識状態を正しく把握しようとするはずである。Aは軽症であ
るとの強い予断の故に,意識レベルを正しく評価するべき重要性
に思いを致さず,結果,Aが発するサインを見落とすことになっ
たものと考えられる」

■(注意義務3)ファイバースコープによる検査を行わなかった
ことについて 

「被告人は,要旨,『Aには大出血はもとより,鼻出血や咽頭流
血が見られず,割り箸が奥深く刺さったことも,軟口蓋の傷が上
咽頭に達する貫通創であることも考えられなかった。また,『割
り箸は本人が抜いた』という情報からして,途中で折れて残存し
ていることも考えられなかった。したがって,ファイバースコー
プによる検査をする必要性はなく,また,そもそもファイバース
コープによる検査は小児に対して行うべきではない。』と供述し
ている」

「しかしながら,被告人自身が,『Aの軟口蓋の出血は止まって
いたものの,Aが嘔吐したのは相当量の血液を飲み込んだことに
よるものだと考えた』と述べているように,診察の時点で出血が
見られないからといっておよそ損傷がなかったとは言えないはず
である。また,前記のとおり,Bに対して詳細な問診を尽くして
いれば,受傷直後にAが意識を失っているような状態であったと
の情報が得られ,『割り箸は本人が抜いた』との情報を改めて吟
味し直すことになって,異物残存の可能性を思い浮かべる端緒が
得られたはずである以上,『途中で折れて残存していることも考
えられなかった』というのは前提を欠くことになる」

「そして,本件の具体的事情を踏まえると,傷の深さを確かめ,
また,異物の残存を確認するために,ファイバースコープによる
検査を実施するべきであったと認められることは前記のとおりで
あって,被告人の弁解は採用の限りではない」

■脳神経外科医師に相談して意見を求めることをしなかったこと
について 

「被告人は,頭蓋内損傷の可能性を疑えなかったことに加えて,
要旨,『Aは嘔吐していたが,頭部の傷がないことから頭部外傷
による嘔吐とは考えられず,心因性による嘔吐,血を飲み込んだ
ことによる嘔吐,咽頭反射による嘔吐であると判断した。それ故
に,脳神経外科の専門医に相談するまでもないと思った。』と弁
解している」

「しかしながら,被告人はAが頻回に嘔吐してぐったりした状態
であることの真因を探ろうとしていない。血を飲み込んだことに
よるものと考えた根拠が否定されることは既に述べたとおりであ
ることのほか,心因性の嘔吐であるか否かはBに対してAが普段
から吐きやすいかどうかを尋ねていない以上は被告人の憶測に過
ぎず,根拠の客観性に欠ける。咽頭反射による嘔吐というのも,
Aが頻回に嘔吐し,嘔気が継続していたことからすれば,単に嘔
吐を誘発したに過ぎないもので,嘔吐の真の原因に据えることに
は飛躍がある」

「嘔吐に関連して,被告人の指導担当教授であったT医師は『度
々嘔吐を繰り返すのは中枢神経症状ですから』と述べている。・
・・被告人はAが頻回に嘔吐していたことを認識していたことが
うかがわれ・・・そうすると,T医師の指導を受けていた被告人
とすれば,Aが頻回に嘔吐し,嘔気が継続している事実と転倒し
て受傷したという事実から,中枢性の嘔吐である可能性をまず念
頭に置いて然るべきであったということになる」

「にもかかわらず,嘔吐の原因を他に求めたのは,繰り返し述べ
ているとおり,搬送先が第1次・第2次救急の耳鼻咽喉科に決定
されたことやLから『意識清明,バイタルサイン正常』等を申し
送られたことといった事前情報を過度に重視するあまり,Aは軽
症であるとの強い予断を抱いたことに原因があると思われてなら
ない。その予断を理由づける情報にのみ目が行き,予断を否定す
る情報を見落とした結果,『他科の専門医に相談するまでもない』
状況を自ら作り出し,抗生剤等の内服薬を処方するにとどめて,
Aを帰宅させることになってしまったのである」

「そして,後に述べるように,Aの救命可能性は皆無ではなかっ
たと認められるのであって,現実に救命できたか否かはさておき,
Aを帰宅させたことで救命に向けた真摯な医療行為を受ける機会
を奪った結果になったことは否定できない」

■被告人の診療行為とAの死亡との間の因果関係(総論)

「・・・被告人は,患者の病態を慎重に観察し把握するという医
師にとって基本的かつ初歩的であるともいうべき注意義務に違反
したことは明らかである。そこで,次に問題となるのは,かかる
不適切な診療行為と死亡結果との間に因果関係が認められるか否
かである。すなわち,適切な医療行為がなされていたならば患者
がその死亡確認の時点においてなお生存していたであろうことを
是認しうる高度の蓋然性があるかないかという問題である」

「しかるところ,検察官は,論告において,Aの主たる死因は頭
蓋内損傷群の一種である『後頭蓋窩の急性硬膜下血腫及び小脳半
球の挫傷による,小脳扁桃ヘルニア及び上行性テント切痕ヘルニ
ア』であるとした上で,被告人から引き継ぎを受けた脳神経外科
医において後頭蓋窩の急性硬膜下血腫及び小脳半球の挫傷部位を
それぞれ除去するなどの処置を行っていれば,Aは相当期間にわ
たり延命が可能であったのみならず,救命できた可能性も十分に
高かったのであるから,被告人の行為とAの死亡結果との間の因
果関係は明らかである,と主張する」

「これに対し,弁護人は,Aの主たる死因は,左静脈洞閉塞によ
る静脈還流障害により大脳,小脳,脳幹に著しい脳の腫れ(脳腫
脹と脳浮腫)が生じたために起きた頭蓋内圧亢進であるとした上
で,本件割り箸片により挫滅した左頸静脈を再建することがAの
死を回避する唯一の措置であるところ,技術的・時間的に左頸静
脈を再建することは極めて困難であったと考えられるから,Aの
救命可能性はもとより,延命可能性もほとんどなく,被告人の診
療行為とAの死亡結果との間に因果関係はない,と反論している」

■Aの死因

「W医師は,Aの死亡に至る機序について,要旨,『優位側であ
る左側の静脈洞が閉塞したために,非優位側への静脈還流量が増
大し,他のルートも含めて,脳全体の静脈還流を完全に処理する
ことができず,徐々に静脈還流の積み残しが生じて,脳幹を含む
脳全体に浮腫を生じて死に至った』と説明している。そして,そ
の根拠として,〈1〉U鑑定書添付写真の18番,19番に写さ
れたAの脳の状態と,U鑑定書には脳浮腫の原因が静脈還流の阻
害によるというような記載があることから,Aには脳浮腫が生じ
ていたことは明らかであること,〈2〉色調に留意してCTを読
影すると,脳幹,脳実質全体に浮腫が生じていることが分かるこ
と,〈3〉静脈還流障害により広範な脳浮腫が生じたということ
は,閉塞した左側の静脈洞が優位側であったと推定されること,
〈4〉CT上,第三脳室や側脳室に脳脊髄液が貯留し脳室が拡大
していることが読影できるところ,この程度の脳室拡大では平坦
な脳回という現象を生じさせるには足りないこと,などを挙げて
いる」

「このように,W医師は,U鑑定書に記載された内容,添付写真
等からうかがわれるAの脳の状態を重視した上で,その有する脳
神経外科の専門家としての知見を基に,脳がそのような状態になっ
た原因を推考している。また,CTの読影に際しても,脳幹に浮
腫が生じているとの読影に現れているように,U鑑定書の剖検所
見との整合性やCTの色調に留意しながら丁寧に行っていること
が認められる。その推考過程は極めて合理的であり,その内容も
豊富な臨床経験と専門的知見に裏付けられており,説得力に富む
ものということができる」

「そして,W医師はU鑑定書に脳重量は1510グラムであった
と記載されていることについて言及していないものの,脳が全体
的に腫れて浮腫が生じていたとするW医師の見解からすれば,脳
全体に浮腫が生じれば脳重量の増加をもたらすことは当然である
と言えるのであり,言及するところがないからといってU鑑定書
記載の脳重量を無視しているということにはならないというべき」

「以上によれば,W医師の見解は,合理的なものとして高い説得
力を有するものであるということができる」

「F1医師は,剖検時のAの脳重量が1510グラムであって,
4,5歳の小児の平均脳重量と比べて少なくとも270グラム以
上重かったことに着目し,このような脳重量の増加の原因は,小
脳挫傷や水頭症によっては合理的に説明することができず,剖検
写真やCT写真から脳の腫れが脳全体に及んでいることに照らし
て,静脈洞閉塞により脳全体に腫脹ないし浮腫が生じたことが脳
重量の著しい増加の原因であると推定している」

「F1医師は4,5歳の小児の平均脳重量は1100グラムから
1237グラムであるとしているところ,この数値は,F1医師
が図書館で集めた4冊の文献に記載された数値を引用したもので
あり,作為性は全くうかがわれない。そして,F1医師は,上記
4冊の文献で示された平均脳重量のうち最も重い値を基準にして
も,剖検時のAの脳重量は270グラム以上増加したことを意味
することになると説明しているのであり,十分な客観性が認めら
れる」

「そして,F1医師は,U鑑定書を尊重する立場であることを明
言し,実際上も,脳重量が1510グラムと記載されていること
や血腫が小脳天幕上や脊柱管内にも認められることなど,U鑑定
書の記載や剖検写真等を注意深く検討している。これらのことか
ら,F1医師も,W医師と同様に,死因を推定するにあたっては
解剖時のAの脳の状態を的確に把握することを最優先事項として
位置づけ,Aの脳の状態を十分に把握した後に,その有する専門
的知見や臨床経験に照らしてAの脳がそのような状態に至った経
緯を医学的に解明しようとの姿勢であったことが強くうかがわれ
る。そして,F1意見書はE1・G1鑑定書に対する批判という
形を前面に出しているものの,そこで示されているF1医師の思
考過程は,客観的な事実や数値を前提にしたものである上に論理
的であり,説得力がある」

「上記のとおり,F1医師は,Aの脳重量が,U鑑定書に記載さ
れた1510グラムから4,5歳児の平均脳重量1240グラム
を引いた270グラム(以上)も増加していることを重要な根拠
の一つとし,剖検時の脳重量に何ら言及するところのないE1医
師の見解を批判している」

「そして,U医師によるAの脳の観察,分析が正確であることは
疑いがなく,したがって,U医師が解剖時にAの脳を計量した際
に1510グラムあったことは事実であると認められる」 

「・・・以上により,F1医師の見解も合理的で高い説得力を有
していると認められる」

「以上の次第で,Aの主たるないしは直接的な死因形成因子は,
W医師,F1医師が明確に主張し,また,U医師が主張(引用注
:U医師の見解は略)していると理解される『血栓症を伴う左静
脈洞閉塞による静脈還流障害によって脳幹が機能不全に陥ったこ
と』であると認める余地が十分にあるというべき」

「したがって,本件におけるAの救命可能性は,『血栓症を伴う
左静脈洞閉塞による静脈還流障害によって脳幹が機能不全に陥っ
たこと』が死因形成因子であることを前提に検討する必要がある」

■Aの救命可能性・延命可能性

「Aの主たるないしは直接的な死因形成因子が『血栓症を伴う左
静脈洞閉塞による静脈還流障害によって脳幹が機能不全に陥った
こと』であることを前提とすると,Aを救命するためには,左静
脈洞が血栓により閉塞するのを防ぎ,あるいは,閉塞した左静脈
洞を時機を逸することなく開通させることが必要になる」

「そこで以下,上記死因形成因子を前提に想定される医療措置を
検討しているU医師,W医師,F1医師の各見解を通じて,Aの
救命可能性・延命可能性を検討する」

「両名の見解は,いずれも,左静脈洞の血行が再開されれば,十
分に生存可能であるものの,本件においては頸静脈孔という部位,
さらには頸静脈の損傷の態様や程度から,頸静脈の血行再建とい
うのは著しく困難であること,また,割り箸を抜去してしまうと,
コントロール不可能なほどの出血が予想され,この場合には術中
死の可能性も高いこと,仮に,B1医師が述べるように割り箸を
安全な長さに切除して二期的に手術するにしても,結局は循環障
害の原因である左の静脈洞の閉塞は改善されず,手術前と状況が
変わらないので,手術しない場合と同じような転帰になること,
出血のコントロールとして静脈洞にオキシセルのような止血用材
を使用したり,静脈洞自体を結紮しても,やはり静脈洞の閉塞が
改善されないために手術前と状況は変わらず,同様な転帰になっ
たと考えられることから,Aの救命は非常に困難である,とする
ものである」

「・・・W医師は,被告人から脳神経外科医に引き継がれるまで
の予想される経過についても述べている。すなわち,『CTスキャ
ンを撮るという判断そのものも耳鼻科の医師だけでCTを撮ると
いう判断には私はならないと思いますから,7時に患者さんが来
たときに,CTを撮ろうというふうなことがもしあれば,そこで
はさっきお話ししたCTを撮る理由がございますので,その理由
をディスカスするためには,恐らく小児科の先生だとか,場合に
よっては神経学の先生ですね,こっちから上の脳のことになりま
すと。だから,神経内科とか脳神経外科,今回けがをしてますか
ら,何か患者さんおかしいなということであれば,多分,小児科
の先生に,何がどうおかしいのかということをきちんとおかしさ
に関する記載をどういうふうに考えているのかということを含め
て,小児科の先生と相談する可能性が高いですね。直接的に脳外
科の先生に行くというのはちょっとスキップしているような気が
します。いずれにしてもCTスキャンを撮るまでの,なぜ撮るの
かという考えがありますので,そのことも考えなければいけない
んですが,さっき早速撮るという話でしたから,撮ったとすれば
3時間もある,30分あれば,その後この写真を見て耳鼻科の先
生は先へ進めません。必ず脳外科の医者なりなんなりを呼ぶと思
います。そして,この写真の読みを見て,そしてMRIを撮るん
ならばどういう条件で撮ればどうなのかと,通常MRIを撮るん
だと思いますけど,それに合わせて何かということになりますか
ら,今言った血管が詰まってるとかそういうふうなことまで考え
なければいけなくなってきてるはずですから,そうすると,放射
線科のドクター,神経放射線というのはいますけれども,そうい
うMRIやCTスキャンなどの神経学的な画像診断に精通したプ
ロを呼ぶということになると思います。ですから,神経放射線の
ドクターと脳神経外科のドクターを呼んで,そして主治医にだれ
かになってもらうと,さっき入院の話をしましたね,主治医って
いますね。そして,その人が今言ったチームプレーの中心になる
ということになりますね。そして考えますから。次から次へぽん
ぽんぽんぽんトランプを切るように話が進むというわけではない
んですね。ですから,そういう意味では,多分写真を見て,少し
ディスカスして,そしてMRIを撮って,そしてその後血管撮影
ということになると思います。』と述べている」

「・・・また,W医師は,MRIを撮った後の経過について,
『異物を取るという判断をつける上で,ディスカッションを重ね
ることが必要になるため,実際問題として,初診時から3時間以
上後にならないと脳血管撮影は行えなかったと思われる。そして,
手術が始まるのは,脳血管撮影からさらに1時間後ぐらいであろ
うと考えられる。』旨述べている」

「・・・W医師,F1医師両名の見解,とりわけW医師の見解は,
本件におけるAの救命可能性を検討する上で最も重視されなけれ
ばならないというべき」

「以上の次第で,『血栓症を伴う左静脈洞閉塞による静脈還流障
害によって脳幹が機能不全に陥ったこと』が主たるないしは直接
的な死因形成因子であると認める余地が十分にある本件において,
左静脈洞が血栓により閉塞するのを防ぎ,あるいは,閉塞した左
静脈洞を時機を逸することなく開通させることは極めて困難であ
るから,Aを救命できた可能性は皆無ではないものの,極めて低
いと言わざるを得ない」

「以上により,被告人が・・・注意義務を尽くしたとしてもAが
初診翌日の午前9時2分の時点においてなお生存していたであろ
うことを是認しうる高度の蓋然性があるとは認めることができず,
被告人の不適切な診療行為と死亡結果との間に因果関係は認めら
れない」

■結語

「被告人は,Aに対する診療行為において,『患者の病態を慎重
に観察し把握する』という医師として基本的かつ初歩的な作業を
怠ったことについて,その批判に謙虚に耳を傾けるべきであろう。
Aは,診察時において,その小さな体で生命が危険な状態にある
ことを訴え続けていたのに,被告人は,搬送先が第1次・第2次
救急の耳鼻咽喉科に決定されたことや,意識清明,バイタルサイ
ン正常などと救急救命士から申し送られたことといった事前情報
を重視するあまり,Aが発するサインを見落とし,救命に向けた
真摯な治療を受けさせる機会を奪う結果となったのである。Aは
軽症であると診断され,安心して帰宅したはずであったにもかか
わらず,その翌朝には予想だにしなかったAの不帰を迎えること
になったBら遺族において,苦しむAのために最善を尽くせなかっ
た悔悟の念が消え去ることはなく,その心情は,察するに余りあ
り,同情を禁じ得ない」

「しかし,その一方で,本件は,被告人にとっても不運な側面を
有していたことも否定できない。受傷機転が軟口蓋を刺入した割
り箸が頸静脈孔に嵌入して頭蓋内にまで刺入するという類例を見
ない特異なケースであったこともさることながら,被告人は,日
ごろ生死に直面した患者を扱うことが殆どないと思われる耳鼻咽
喉科の専門医であり,臨床経験3年程度のまだ駆け出しの部類の
医師であったため,教科書的な処置の範疇から抜け出せず,他科
の領域に属する病態を想起するには至らなかった。被告人が他科
の専門医に相談しようと思わなかったのが,他科との垣根の高さ
が背景にあるとするならば,これが解消されなければならないこ
とは論を俟たない。診療科目の豊富さだけでなく,他科との連携
により相乗的な専門的医療行為を享受できるところに総合病院の
存在意義があり,b大学病院は,わが国屈指の人的・物的設備を
誇る総合病院としてその要請は高いものがある。本件は,医療従
事者に様々な課題や教訓を与えているところであるが,これもそ
の1つといえよう」

「そして,本件以後,口腔内の異物外傷事例であってもCT検査
を実施する傾向が見られるようになったことがうかがわれるが,
それが本件の最大の教訓であると位置づけるのは,必ずしも正鵠
を得たものとは言えない。本件においてAが遺したものは,『医
師には,眼前の患者が発するサインを見逃さないことをはじめと
して,真実の病態を発見する上で必要な情報の取得に努め,専門
性にとらわれることなく,患者に適切な治療を受ける機会を提供
することが求められている』という,ごく基本的なことなのであ
る」

「本件が語るところを直視し,誰もが二度と悲惨な体験をするこ
とがない糧とすることが,亡Aへの供養となり,鎮魂となるもの
と考え,判決を締めくくるに当たり,あえて付言した次第である」

「以上の次第で,被告人には,予見義務や結果回避義務を怠った
過失があるというべきであるが,過失とAの死亡との間の因果関
係の存在については合理的な疑いが残るので,本件公訴事実につ
いては犯罪の証明がないものとして刑事訴訟法336条により被
告人に対し無罪の言渡しをする」

■判決主文

 被告人は無罪。 

(求刑 禁錮1年)