判例速報
今回は,被告の設置する病院に入院中に,心タンポナーデを発 症して死亡した患者の相続人らが提起した損害賠償請求訴訟にお いて,被告病院の医師らには,患者が心タンポナーデを発症し, ショックに陥った後,直ちに心嚢液の排液措置をとるべき義務を 怠った過失があると認め,過失と患者の死亡との間に因果関係を 認めることはできないが,同過失がなければ,患者が実際に死亡 した時点においてなお生存していた相当程度の可能性があるとし て,被告に,慰謝料等合計1100万円の支払いを命じた事案で す。 ■年月日・裁判所 H20.2.29 京都地裁 平成18年(ワ)第1394号 損害賠償請求事件(医療過誤) ■当事者 原告側:亡Dは昭和22年生。原告Aは,亡Dの妻であり,原告 C及び原告Bは,いずれも亡Dの子。 被告側:被告は,京都市に,被告病院を設置しており,被告病院 の中には,救命救急センターが設置されている。被告病院の救命 救急センターは,京都府に3つある救命救急センターの一つであ り,京都市のみならず,近隣市からの救急隊による収容要請にも 応じている。日本救急医学会専門医指定施設であり,京都府では 唯一,救急医学会認定指導医が専従。 ■診療経過 ・亡Dは,平成17年2月21日午後3時過ぎ,自らが運転して いた2トントラックを上り坂に駐車する際,サイドブレーキを引 くのを忘れ,降車後,同トラックが後方に動き始めたことに気付 き,これを止めようとして,同トラック後部とその後方に駐車し ていた乗用車前部との間に挟まれ,同日午後4時ころ,被告病院 に救急搬入された。 ・亡Dは,被告病院救命救急科外来で,「左足関節開放性脱臼骨 折」と診断された。被告病院搬入時,意識清明であり,頭頸部に 異常なく,胸部に圧痛なく,呼吸音は左右差なく清であり,上肢 の可動性は良好で,腹壁は平坦で軟らかく,腸管の蠕動音は正常 で,骨盤の動揺はなく,直腸,前立腺,肛門括約筋,右下肢等に 異常はなかった。胸腹部のFAST,胸部正面仰臥位X線単純撮 影,腹部臥位,骨盤,足,膝関節等のX線単純撮影,12誘導心 電図検査等が実施され,上記の胸部正面仰臥位単純撮影によって, 左第6肋骨側胸部に骨折が認められた。 ・被告病院救急救命科医師は,速やかに左足関節の脱臼観血的整 復術を実施する必要があると判断。 ・亡Dは,被告病院に入院することとなり,午後4時50分,救 命救急センター(ICU)に入室。入室時,意識清明で,呼吸, 循環に異常はなかった。このころ,亡Dは背部痛を訴え,同日午 後6時10分にも背部痛を訴えたため,鎮痛剤投与。 ・午後7時40分から午後11時50分までの間,被告病院整形 外科医師により,緊急手術(左脱臼観血的整復術,左骨折観血的 固定術,左足関節固定術,以下「本件左足手術」という。)が行 われた。同手術中,亡Dより,左胸部痛の訴えがあり,鎮痛剤が 投与された。亡Dは,手術終了後,ベッドに移動したときにも左 胸部痛を訴え,病棟に帰室する際にも,家族や友人に,左胸部痛 を訴えていた。 ・2月22日午前0時15分に帰室したが,その際看護師に対し, 背部痛を訴えた。午前0時30分,亡Dは,呼吸すると左前胸部 痛があると訴えた。同時点で,SPO2は98%であった。 ・午前2時ころ,亡Dは,足及び左腰の痛みを訴えた。看護師が ボルタレン座薬を挿肛中の午前2時20分ころ,亡Dは,心窩部 痛を訴えた。看護師から呼ばれた被告病院救命救急科のE医師は, 12誘導心電図検査を実施した(第2回12誘導心電図検査)が 異常を認めず,バイタルサインにも異常がなかったので,亡Dに 対し,H2ブロッカーであるガスターを投与した。E医師の診察 中,亡Dの心窩部痛は軽減し,同日午前3時ころ,亡Dは入眠。 ・午前5時30分ころ,亡Dが足の痛みを訴えたので,鎮痛剤が 投与された。同日午前6時ころ,亡Dは,再度心窩部痛を訴えた。 そのころ,亡DのSPO2と呼吸音には問題がなかった。看護師 は,亡Dにガスターを投与したが,心窩部痛が軽快しなかったの で,午前6時45分ころ,E医師を呼んだ。E医師は,淡々血性 の血尿を認めたが,腹部エコーでは明らかな所見はみられず,亡 Dのバイタルサインにも異常がなかった。E医師は,血液検査を 指示するとともに,胸腹部の造影CT検査を実施することとした。 ・午前7時ころ,亡Dの血圧は,92/55mmHgに低下したが, その後収縮時血圧は100mmHg以上に回復した。午前7時ころの 脈拍数は70回〜80回/分,SPO2は98%であった。 ・午前7時10分ころ,亡Dは出棟して本件造影CT検査を受け た。その結果,心嚢に血液が貯留していること及び左血胸がある ことが判明した。午前7時28分に撮影されたCT画像によれば, 心嚢液の厚みは1cm以上に及び,心嚢液中には,血腫若しくは 凝血塊が存在することが読み取れた。 ・午前7時40分ころ帰室。 ・午前8時10分ころ,亡Dにチアノーゼが生じたため,酸素吸 入が開始された。血圧は100ないし110台であった。心窩部 痛及び腰痛は持続しており,鎮痛剤が投与された。同日午前8時 25分,亡Dについて,「血胸」「肋骨骨折」「心タンポナーデ」 がそれぞれ病名登録された。 ・午前8時30分ころ,胸腔に左トロッカーカテーテルが挿入さ れた。その後,急に血圧が下がって測定不能となり,橈骨動脈の 脈拍に触れることもできなくなり,意識レベルは,ジャパンコー マスケールでI−3(覚醒はしているが,自分の名前,生年月日が 言えないレベル)状態。 ・午前8時50分ころ,亡Dの呼吸は浅く,アンビューバッグに よって人工呼吸が行われ,ブミネートポンピングがなされ,ドー パミン製剤(昇圧剤)及びアルブミン製剤(血液製剤)が投与さ れ,気管内挿管が施行された。同日午前8時57分ころ,血圧は 30ないし40台であり,頚動脈を触知できなかった。心臓マッ サージが開始され,心臓マッサージを受けながら,亡Dは手術室 へ移動。 ・午前9時2分,手術室に入室。 ・午前9時4分から午前11時48分までの間,被告病院心臓血 管外科医師により,亡Dに対し,開胸(正中切開)による心タン ポナーデ解除術が施行された。左第6ないし第8肋骨に1か所ず つ骨折があり,心臓には肋骨骨折によって生じた小骨片1本が刺 さっており,左室心尖部に約3cmの裂創があったが,出血は既 に止まっていた。心嚢切開により,心嚢内出血約430ミリリッ トルが排出された。また,トロッカーカテーテルによって,胸腔 から360ミリリットルの血液が排出された。術前から心停止状 態であったが,心タンポナーデが解除された後,自己心拍が再開 した。心停止時間は約20分間に及んだ。 ・亡Dは,本件開胸手術後,CT,脳波,ABR検査(脳誘発電 位検査)等を受け,「低酸素脳症による脳死」と診断された。心 停止中に有効な脳血流が保たれておらず,低酸素脳症になったと 考えられた。その後,亡Dに対して脳保護のための低体温療法等 の治療が続けられたが,平成17年3月4日午前10時40分, 死亡。 ■心嚢液を排液すべき時期について 「心嚢液貯留が心タンポナーデに移行する例は僅かである。もっ とも,外傷を原因とする心嚢液貯留の場合は,心タンポナーデに 移行する事例が多い。一般に,炎症を原因とする心嚢液貯留は, ゆっくりと進行するが,外傷を原因とする心嚢液貯留は,進行が 早い。外傷による心タンポナーデは,内科的疾患による心タンポ ナーデと異なり,少量の血液でもショックに至る。外傷直後の心 タンポナーデ患者の場合,タンポナーデ症状が出現してから心停 止までの時間は,5ないし10分とされている」 「心タンポナーデによるショックは,貯留心嚢液の量がある閾値 を超えると急激に生じる場合がある」 「心嚢液の排液措置は,心嚢穿刺,心嚢開窓術,開胸手術のいず れの方法であっても,侵襲性が高く,リスクを伴うこと,心嚢液 貯留が認められても,多くの場合は,自然に吸収されて,軽快す ることに鑑みると,心嚢液貯留が認められたからといって,医師 に,直ちに排液措置をとる義務がないことは明らかである。心嚢 液が貯留した後に生じる循環異常は,多くの場合,Beckの3 徴,奇脈,Kussmaulサイン等であって,必ずしも緊急性 が高い症状とまではいえないから,これらの循環異常が生じた後 に排液措置をとっても,通常は,患者の生命を危険に陥れること にはならない」 「しかしながら,一般に,外傷性の心嚢液貯留は,心臓の破裂や 心筋の挫傷等によって血液が貯留する場合が多いから,それ以外 の心嚢液貯留よりも進行が早いし,心タンポナーデに移行する割 合も高い。タンポナーデ症状が出現してから心停止までの時間が 5分ないし10分とされているのは,受傷直後に心タンポナーデ に陥った場合だけであるが,それ以外の場合であっても,それま で循環動態に異常がないのに貯留心嚢液量が閾値を超えることに よって,急激にショックに陥ることがあり,その場合,患者は生 命の危機にさらされるのであるから,これらの事実に鑑みると, 少なくとも外傷性の心嚢液貯留の場合,貯留の原因,貯留量の変 化等から,近い将来,心タンポナーデに移行する可能性が高いと 判断される状況になれば,排液措置がとられるべき」 「そこで,本件において,心嚢液の排液措置がとられるべき時期 について検討する」 「開胸手術によって確認された心嚢内出血の量が430ミリリッ トルであり,トロッカーカテーテルによって胸腔から排出された 血液量が360ミリリットルであるが,これは,心嚢から胸腔に 漏れ出たものと考えられるから,結局,亡Dの心尖部挫傷部位か らの出血は合計で790ミリリットルに及んだと考えられる」 「搬入時FASTでは心嚢液貯留が認められなかった」 「本件造影CT検査の結果,血腫ないし凝血塊が認められたが, これにつき,証人Hは,血腫部分の輝度が高く,これはその血腫 が新しいことを意味しており,大量の急激な出血があったことが 考えられると証言しているところ,その証言内容を否定するに足 る証拠はない」 「亡Dの心嚢液貯留の原因が,本件事故によって生じた肋骨骨折 の結果,小骨片が心尖部に刺さったことによる心尖部挫傷である こと・・・を併せ考慮すると,本件造影CT検査から長く遡らな い時間帯に,急激な大量出血があったとしても,出血自体は,本 件事故後間もなくからじわじわと始まっており,搬入時FAST では,未だ確認できるだけの量には至っていなかったものの,時 間の経過とともに,徐々に貯留量が増大していったものと認める のが相当である。そうすると,遅くとも2月22日の早朝には, 既に心尖部挫傷部位からの出血量及び心嚢内の貯留量は相当量に 達していたと考えられるし,今後も出血量の増加が予想されたと いうことができるから,そのころには,客観的には,排液措置が とられるべき段階に至っていたと認めるのが相当である」 ■22日午前7時28分ころの心嚢液の発見前に排液措置をとらな かったことについて 「原告は,被告病院医師には,22日午前0時30分,午前2時 20分,午前6時及び午前6時45分の各時点で心エコー検査を 実施すべき義務があったのに,これを怠ったため,心嚢液の貯留 及び増加の事実を把握できず,排液措置が遅れた旨主張するので, 以下,被告病院医師に,上記各時点で心エコー検査を実施する義 務があったか否かを検討する」 「本件事故の態様,亡Dに肋骨骨折が生じたこと等に照らすと, 本件事故によって亡Dの胸郭に強力な鈍的外力が加わったことは 容易に推認できる。したがって,被告病院医師としては,亡Dが, 鈍的心損傷によって心タンポナーデを発症する可能性があること を考慮してその治療に当たる必要があったということができる。 そして,本件において,被告病院医師は,Primary sur veyとして,搬入時エコー検査をしたものの,心嚢液貯留は認 められなかったが,これは,心タンポナーデの発症の可能性を考 慮したものと考えられる」 「ところで,証拠によると,JATECでは,鈍的心損傷につい て,明確な診断基準や診断のためのgold standardが ない旨,鈍的心損傷が疑われる場合の初期スクリーニングテスト として最も信頼性の高い検査は12誘導心電図検査であり,全例 に必須である旨,多発する心室性期外収縮や他の病態からは説明 できない洞性頻脈,心房細動,右脚ブロック,ST変化などが鈍 的心損傷でよくみられるが,循環動態が安定している患者で来院 時の心電図が正常ならば,治療を要する心損傷の危険性は少なく, それ以上の検索は必要でない旨,もし来院時の心電図が異常なら ば,持続心電図モニターで24時間から48時間監視する旨がそ れぞれ記載されていること,FASTについて,循環に異常を認 める患者には必須の検査であり,循環に異常を認めなくとも,ショッ クに陥る可能性のある損傷を除外する意味でルーチンに行うのが よい旨,最初に液体貯留が認められなくても,必ず時間を置いて 再評価し,繰り返して行うことが重要である旨,循環異常の検索 モニターとして,ショックの有無にかかわらず繰り返し行うこと を推奨する旨,循環に異常を認める場合は繰り返し行う旨がそれ ぞれ記載されていることが認められる」 「そうすると,JATECによれば,鈍的心損傷が疑われる場合, FAST及び12誘導心電図検査を行うことは必須であり,これ らに異常があれば,繰り返しのFASTその他の検査で厳重な監 視が必要であるが,これらに異常がなく,循環動態が安定してい る場合には,繰り返しFASTを行うことが望ましいとはいえ, 行わなくともJATECに反するとはいえないことになる。もっ とも,その後循環異常が認められれば,FASTを行うべきこと は明らか」 「そして,証拠によると,JATECは,我が国における外傷診 療の質の向上のため,日本外傷学会及び日本救急医学会の監修に よって,外傷初期診療において共通言語となるべき標準的診療指 針として策定されたものであることが認められるところ,医師が, そのような趣旨で策定されたJATECに定められた診療をした のであれば,特段の事情のない限り,過失があるとは評価できな いというべき」 「本件において,被告病院医師は,亡Dに対し,搬入時FAST を行って異常がないことを確認し,第1回12誘導心電図検査を 実施して異常を認めなかったが,なお,亡DをICUに収容し, 持続心電図モニター等での監視を続けた。そうすると,被告病院 医師に,原告が主張する上記各時刻に心エコー検査を実施する義 務があったか否かは,第1回12誘導心電図検査で異常所見があっ たのか否か,その他の検査結果や亡Dの容態に循環動態の異常を 示唆する所見があったか否かによって決せられることになる」 「証拠によると,第1回12誘導心電図検査の結果,I,II,aVL, V1,V2,V3で,STの上昇がみられたが,その上昇幅は1mm未 満であり,他に異常所見はみられなかったこと,STの上昇は2 mmまでであれば,健常者でもみられることが認められる。そう すると,第1回12誘導心電図検査の結果に異常所見があったと いうことはできない」 「証拠によると,搬入時胸部X線撮影の画像で心胸郭比(心陰影 の最大横径と胸郭最大内径の比)を測定すると約63.4%であ ること,一般に成人では,50%以下が正常とされていることが 認められる。しかしながら,他方,証拠によると,一般に,単純 X線写真による心拡大の評価は,立位,背腹(後前)方向で,か つ吸気時撮影による心胸郭比でなされるのが基本であるのに対し, 亡Dに対する搬入時胸部X線撮影は,仰臥位,前後方向でなされ たこと,肋骨骨折による胸痛は呼吸抑制をきたすから,十分な吸 気時撮影をすることが困難であること,一般に,右側横隔膜頂点 の高さは,前方で第5,6肋間であるが,上記画像では,第3, 第4肋間の高さに位置していること,横隔膜高位の原因としては, 呼気不足又は中心性肥満が考えられるが,いずれにしても,横隔 膜高位は,心陰影を拡大させる要因となること,以上の事実が認 められ,これらの事実に鑑みると,搬入時胸部X線撮影の上記画 像だけから,亡Dに心拡大が生じていたと認めることはできない」 「証拠によると,第2回12誘導心電図検査の結果,I,II,aVL, V1,V2,V3,V4,V5,V6でSTの上昇がみられたが,その上昇幅 は,第1回12誘導心電図検査の結果よりも拡大していたものの, なお2mm未満であったこと,他に異常所見は認められなかった ことが認められる。そして,上記のとおり,STの上昇は2mm までであれば,健常者でもみられる上,証拠によると,心嚢液の 貯留が著しいと肢誘導,胸部誘導ともに低電位差となること,心 電図検査を複数回した場合,患者の状態に変化がなくとも,電極 の位置のずれによって波形の僅かな変化が生じることが認められ るから,第2回12誘導心電図検査の結果に異常所見があったと いうことはできないし,心嚢水貯留を示唆する所見があったとい うこともできない。なお,証人Hの証言中には,健常者にみられ るST上昇は,早期再分極と呼ばれる事象であって,STは凹型 の波形を示すが,亡DのSTは凸型ないし水平であり,これは心 外膜ないし心筋の障害を示しているとの部分がある。しかしなが ら,第1回及び第2回各12誘導心電図検査の結果をみても,こ れらにみられるST上昇が,明確に凸型ないし水平の波形を示し ていると判断するのは困難である」 「証拠によると,心嚢液貯留は基本的に痛みを伴うものではない こと,心窩部痛の原因としては,一般的には,虚血性心疾患,急 性の胃粘膜病変が考えられるが,心外膜が心嚢液に圧迫された場 合に患者が心窩部の不快感ないし圧迫感を訴えることがあること, しかし,その場合,循環動態の変化が同時に現れるのが通常であ ること,以上の事実が認められる」 「そうすると,亡Dが本件左足手術前から訴えていた背部痛,同 手術中に訴えていた左胸部痛,同手術が終了した後訴えていた背 部痛,左前胸部痛は,肋骨骨折によるものと考えて矛盾がないか ら,心嚢液貯留とは関係がなかったと認めるのが相当である。し かし,亡Dが2月22日午前2時20分ころ及び同日午前6時こ ろから訴えた心窩部痛は,心嚢液貯留に由来するものであった可 能性はある。しかしながら,2月22日午前2時20分及び午前 6時の段階では,亡Dのバイタルサインに異常がなかったこと, 午前3時ころには,鎮痛剤の効果があったとはいえ,亡Dの心窩 部痛は,入眠できる程度に収まっていたのであるから,亡Dの心 窩部痛の原因の一つとして心嚢液貯留を想定するのは困難であっ たというべき」 「以上の事実を総合すると,亡Dに対する搬入時の諸検査及び第 1回12誘導心電図検査では異常が認められず,亡Dの循環動態 も安定していたこと,その後ICUに収容して持続心電図モニター 等での監視を続けたが,バイタルサイン及び心電図モニター上異 常がなく,搬入後の検査結果にも循環動態の異常は認められなかっ たのであるから,22日午前0時30分,午前2時20分,午前 6時の各時点において,被告病院医師に心エコー検査をする義務 があったということはできない」 「次に,E医師が本件CT検査を実施するに至った経緯として, 証拠によると,看護師から亡Dの心窩部痛が軽快しない旨の連絡 を受けて,22日午前6時45分ころ亡Dを診察したE医師は, 心窩部痛に加えて血尿がみられたことから,腹部のスクリーニン グとして腹部エコー検査を行ったが,異常は認められなかったの で,何らかの予測し得ない病態の変化があるのではないかと考え, 胸腹部の造影CT検査を実施することにしたこと,腹部エコー検 査を実施したのに,心エコー検査を実施しなかったのは,亡Dの 心窩部痛が心臓由来の痛みとは考えていなかったからであること が認められる。このように,E医師は,本件造影CT検査を実施 するについて,心嚢液貯留の疑いを抱いていたものではないとこ ろ,E医師がこの時点で心嚢液貯留を疑っていれば,直ちに心エ コー検査を実施することによって,現実に心嚢液貯留の事実を把 握した午前7時28分ころよりも約30分程度早い時間帯に心嚢 液貯留の事実を把握することができたと考えられる。しかしなが ら,この時点でも,亡Dのバイタルサインに異常はなかったこと, 上記のとおり,心窩部痛の原因として一般的には心嚢液貯留は考 えないこと等に照らすと,E医師がその場で心嚢液貯留に思い至 らなかったことについてはやむを得ない面があるし,E医師は, 慎重な配慮のもと,胸腹部の造影CT検査を実施したのであるか ら,このときに心エコー検査を実施しなかったことを過失とまで いうことはできない」 「以上の検討の結果によれば,被告病院医師に,22日午前0時 30分,午前2時20分,午前6時及び午前6時45分の各時点 で心エコー検査を実施すべき義務があったとはいえず,これらの 時間帯に心嚢液貯留の事実を把握できなかったことはやむを得な かったというべきであるから,22日午前7時28分ころの心嚢 液の発見前に排液措置をとらなかったことが被告病院医師の過失 ということはできない」 ■22日午前7時28分ころの心嚢液の発見後の排液措置が遅れ たことについて 「本件造影CT検査で心嚢液貯留及び左血胸に気付いたE医師は, 同日午前7時40分ころ,CT室から被告病院循環器科当直のG 医師に電話で連絡した。亡DとE医師がICUに帰室すると,G 医師が待機していた。E医師はG医師と相談の上,(1)心嚢液貯 留の原因が外傷であり,止血と損傷部位の修復をする必要がある こと,(2)バイタルサインが安定しており,緊急に排液が必要な 状況ではないこと等から,開胸手術によって心嚢液を排除するこ とを決定し,そのための準備を進めることとした」 「E医師とG医師は,手術準備や処置のために,亡Dを広いベッ ドに移動させ,手術室に連絡し,執刀することとなる心臓血管外 科や麻酔科の医師を招集し,手術のための採血や輸血の準備を整 えた。また,招集を受けて直ちに駆けつけた心臓血管外科医長の I医師は,インフォームドコンセントをするために,原告の家族 に連絡をとって,来院を依頼したところ,到着まで1時間程度か かるとの返事であった。被告病院医師らは,インフォームドコン セントをしてから開胸手術を実施することとした。その後,E医 師は,心エコー検査をして,亡Dの心機能,循環動態が良好に保 たれていることを確認した」 「午前8時30分ころ,既に手術準備は整っていた。そのころ亡 Dの左胸腔にトロッカーカテーテルが挿入された。その後,亡D の血圧が急に低下し,亡Dはショック状態となった。被告病院医 師は,直ちに開胸手術に着手するのではなく,・・・人工呼吸, 薬剤の投与,気管内挿管,心臓マッサージ等に時間を費し,よう やく午前9時2分に手術室に入室し,午前9時4分から開胸手術 が実施された」 「次に原告らは,午前8時30分ころには手術の準備が整ってい たから,午前8時30分過ぎに亡Dがショックに陥った際,被告 病院医師には,直ちに心嚢液の排液措置をとる義務があった旨主 張するところ,なるほど,亡Dがショックに陥った時点において, その原因が心タンポナーデであることが明らかであり,心嚢液を 排液して心タンポナーデを解除しなければショックから回復させ るのは困難であるし,排液できればショックから回復することが 十分期待できたというべきであるから,被告病院医師としては, 何よりも優先して心嚢液の排液措置に取り組むべきであったとい うべきである。・・・しかるに,被告病院医師は,人工呼吸,薬 剤の投与,気管内挿管等に時間を費やして心嚢液の排液措置を後 回しにした結果(しかも,被告病院医師がしたこれらの措置は功 を奏せず,後記のとおり,午前8時50分ころには亡Dは心停止 に至った。),亡Dがショックに陥ってから排液措置に着手する までに約30分もの時間を費やしたのであって,これは,医療水 準に応じた診療行為とは言い難く,過失という評価を免れないと いうべき」 ■被告病院医師の過失と亡Dの死亡との因果関係 「亡Dの心停止時間は約20分間であった。証拠によると,本件 開胸手術の際の麻酔記録には,22日午前9時10分ころ,亡D の自己心拍が再開した旨の記載があることが認められるから,亡 Dが心停止に陥ったのは,午前8時50分前後であったと認めら れる」 「次に,亡Dがショックに陥った時刻について,本訴訟手続にお いては,『午前8時30分過ぎ』ということで当事者間に争いが ないが,証拠によると,開胸手術が終了した後,I医師が原告A に対して説明した内容は,『午前8時40分から急に血圧が下が り,意識がなくなった』というものであったことが認められるか ら,午前8時30分過ぎとはいえ,午前8時40分に近い時刻で あった可能性もある」 「心停止時間と蘇生率の関係については,3分間で50%程度, 10分間を超えると殆ど零%に近くなることは,一般的な認識で あるといってよいと思われる。そうすると,本件において,被告 病院医師が亡Dにショックが発生したことを確認後,直ちに心嚢 液の排液措置をとった場合に,午前8時50分ないしその後数分 以内に排液することができたかを検討しなければならない」 「これを検討するに当たっては,排液の方法として,手術室で開 胸手術を行うことを想定するのが相当である」 「そこで,ショックを確認後,直ちに開胸手術を施行することと した場合に要した時間について検討する」 「証拠によると,被告病院において,ICUから手術室に患者を 移動させるために要する時間は,モニター等をつけた状態で安全 を図って移動させる場合は少なくとも20分,そうでなく,最短 時間で運ぶのであっても5分程度は要することが認められる」 「そうすると,亡Dのショックを確認した後,被告病院医師が直 ちに開胸手術を施行することを決めたとしても,その実施までに 10分程度は要したと考えられること,手術に着手してから心嚢 液を排除するまで数分を要することを併せ考えると,午前8時5 0分までに亡Dの自己心拍を再開させるのは困難であり,午前8 時50分以後,なお数分間を要したと考えられる」 「以上を総合すると,被告病院医師の上記過失がなかった場合, 亡Dを救命できた高度の蓋然性を認めることはできない」 ■死亡時点においてなお生存していた相当程度の可能性について 「しかし,心停止時間は現実の20分間よりも短くて済んだこと は明らかであるから,亡Dが死亡した平成17年3月4日におい てもなお生存していた相当程度の可能性はあるというべきである」 「ところで,疾病のため死亡した患者の診療に当たった医師の医 療行為が,その過失により,当時の医療水準にかなったものでな かった場合において,その医療行為と患者の死亡との間の因果関 係の存在は証明されないけれども,医療水準にかなった医療が行 われていたならば,患者がその死亡の時点においてなお生存して いた相当程度の可能性の存在が証明されるときは,医師は患者に 対し,不法行為による損害を賠償する責任を負うものと解するの が相当である。(最高裁判所平成12年9月22日第二小法廷判 決・民集54巻7号2574頁参照)」 「よって,被告は,民法715条によって,亡Dが死亡の時点で なお生存していた相当程度の可能性を侵害されたことによって生 じた損害を賠償する責任がある」 ■損害 「以上のとおり,被告病院医師の過失と亡Dの死亡との間に因果 関係が認められないから,亡Dの死亡を前提とする亡Dの損害及 び原告らの損害を認めることはできない」 「しかしながら,亡Dは,死亡の時点でなお生存していた可能性 を奪われたことにより精神的苦痛を被ったものと認められる。そ して,その慰謝料の金額について検討するに,・・・亡Dが死亡 の時点で生存していた可能性は決して低いものではないばかりか, 単に延命をはかれたのみでなく,回復して日常生活に復帰できた 可能性も相当程度認められるというべきであり,その他本件で現 れた一切の事情を総合考慮すると,慰謝料金額は,1000万円 をもって相当と認められる。また,被告病院医師の過失と相当因 果関係のある弁護士費用としては,100万円が相当である」 「そして,原告らは,相続分にしたがい,原告Aはその2分の1 である550万円,原告B及び同Cは各4分の1である275万 円ずつを相続取得したものである」 ■判決主文 1 被告は,原告Aに対し,金550万円及びこれに対する平成1 7年3月4日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。 2 被告は,原告B及び同Cに対し,各金275万円並びにこれら に対する平成17年3月4日から支払済みまで年5分の割合によ る金員を支払え。 3 原告らのその余の各請求をいずれも棄却する。 <以下略>