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「欧州にまで押し寄せた“賠償責任保険料急騰”の大波」

日医総研フランス駐在研究員 奥田七峰子


 フランスでは2002年3月4日に「患者権利と保健システム・クオリティに関する法」が制定された。その内容は国家に対して、院内感染事故や輸血によるC型肝炎感染、麻酔ショックなど、医療提供者側に過失が認められない医療事故被害者への賠償義務を課す画期的ものとなっている。ところが制定から半年以上を経た現在、同法がもたらした「副作用」が医療界に大きな波紋を呼んでいる。この制度を運用するための財源は、公的医療保険と民間保険会社が運営する賠償責任保険(医師賠償責任保険などが該当)の保険料の一部で賄われている。そのため賠償責任保険料の大幅引き上げや、保険の取り扱いそのものを止める民間保険会社が続出。医療機関経営者らの不満は頂点に達している。

 この国家賠償責任制度創設を巡っては、法成立当初から国民の社会保障負担増や賠償責任保険の保険料急騰を招くのではないかと危惧する声が出ていた。財源は天から降ってくるものではない。フランス政府は制度創設が決定したのを受けて新たに基金を設立。その運営財源を先に述べたように公的医療保険と民間保険会社の賠償責任保険から調達する方針を固めた。しかし、これだけで終わらないのがフランス政府の巧妙なところだ。基金の設立と同時に政府は全ての医師、医療機関、医療機器・製薬企業に賠償責任保険への加入を義務付けた。「加入者の拡大」と「医療事故国家賠償基金への拠出」という、「飴」と「鞭」を同時に民間保険会社に与えたわけだ。

 現在のところ、医療機関経営者らの「怒りの矛先」は同法を作成した「官僚」に向けられているようだ。テレビ、専門紙などのメディアは「コストや経営が何たるかを知らない官僚が整えた法制度が深刻な問題を産出した」「新法の制定が患者が提訴する動機づけになってしまうことに官僚は気づいていない」などと声高に叫ぶ医療機関経営者らの批判を盛んに取り上げている。

 フランスの民間保険会社の多くは医療保険、生命保険とともに、医師、医療機関などを対象にした賠償責任保険を取り扱っている。これら保険会社は加入希望者の病歴や医療事故歴といったリスクに応じて加入を拒否することができるタイプ(Assurance)と加入拒否ができないタイプ(Mutuelle、いわゆる共済保険)に分かれている。当然、リスク計算が可能な前者の方が保険料は安く、後者は高い。医師、医療機関を対象にした賠償責任保険について言えば、大半の私立医療機関は前者の保険、公立病院は共済保険に加入しているのが実情だ。

 医療事故の国家賠償制度の運営費を保険会社からの拠出で賄うという政府の方針は、当然ながら「賠償責任険の保険料引き上げ」という形で医療機関に跳ね返ってきた。医療機関経営者らは、「賠償責任保険の保険料を600%値上げすると保険会社にいわれた」(私立外科病院院長)、「保険料の25%引き上げを2003年の契約更新の条件として提示された」(公立病院の管理者)などと悲鳴をあげている。

 このように加入する保険が存在するのは、まだましなケース。業界最大手であるアメリカ系の損保会社ACEは、「リスク計算をすることができなくなったためにこの分野の活動続行は不可能」として、年内限りでこの分野から撤退することを加入者に通知した。ほぼ時を同じくして業界大手のセント・ポール社も、この分野の活動停止を発表した。

 一方、フランス保険会社連盟(Federation Francaise des Societes d’Assurance)は8月に2回にわたって臨時ミーティングを開催し、国家賠償責任制度創設と全医師・医療機関の賠償責任保険加入義務化への対応を協議した。ミーティングでは「過失の定義、賠償義務の対象範囲については、今後の判例を見守っていきたい」と事態を静観する方針が確認されたものの、会場全体には保険料値上げムードが色濃く漂っていた。私立病院連盟(Federation de l’Hospitalisation Privee)が傘下の病院1200施設を対象に行ったアンケート調査結果によると、回答を寄せた500施設のうち257施設が保険会社から保険契約の打ち切りを言い渡されている。代表的共済保険のSHAM(Societe Hospitaliere d’Assurances Mutuelles)は5月に50の医療機関から新規加入申込を受けたが、その大半はACEの元加入者だったという。

 フランスの医療事故訴訟件数は近年急速な勢いで伸びている。行政訴訟となる公立病院の訴訟ではここ数年患者側に非常に有利な判例が増加し、当然の帰結として賠償金の規模も年々拡大している。こうした事態に医療サイドの弁護士は、「『過失立証責任が患者側にあり、裁判準備の点で不利な立場にある』という世論に過剰に反応しすぎているのではないか」と攻勢を強めている。SHAMによると1989〜97年の8年間で訴訟件数は264%増加。一方、賠償金支払総額は1995年〜99年のわずか4年間で4倍に膨れ上がっている(パリ公立病院協会のデータ)。

 国家賠償制度創設の煽りをもろにくらったのが開業医だ。なかでも訴訟件数が多い麻酔科や産婦人科では年間保険料が平均1万5000ユーロ(約180万円:1ユーロ=120円)に達し、経営を圧迫している。事態を重く見た開業医組合連盟(CSMF:Confederation des Syndicats de Medecins Libereaux)は、「次回の診療報酬改定時に政府に対して賠償責任保険料上昇相当分の引き上げを行うよう要求する」とのコメントを発表している。

 とはいえ、新法をめぐる今回の騒動を「覆水寸前のコップに注がれた一滴」と指摘する声もある。医療事故が増加し、賠償金の支払総額が拡大すれば、保険会社は保険料を引き上げざるを得ない。国家賠償制度への拠出がなくとも、保険料急騰につながりかねない、“潜在的リスク”がもともと医療機関側にあったというのだ。前述のACE社は「医療機関側には従来から、人員不足、相次ぐストライキ、看護師・医師の不満など、労働環境そのものが悪化の一途を辿っており、医療事故が増加するリスクが以前から恒常的に存在していた」と指摘している。



参照文献:Le Quotidien du Medecin紙(8月29日付け)

追記:
米国では「株価バブル」の崩壊が原因で損害賠償保険の保険料が急騰する事態が生じています。詳細は「海外医療ジャーナル9月号」5ページ、「産業」のコーナーの「株価バブルの崩壊が医療過誤保険の保険料引き上げに波及」の記事をご覧下さい。日医総研ホームページ、海外レポートのコーナーからダウンロードすることができます。
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