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フランス酷暑の夏〜敬老の日を前に〜

日本の冷夏と対照的だった欧州の酷暑。熱波がこれほどまでに死者を出したのは何故か。異常気象がもたらす危険を他山の石として、日医総研の奥田研究員より届いたパリからのレポートを掲載する。


日医総研海外駐在研究員 奥田七峰子

 今年のフランスは稀に見る酷暑であった。気象庁開設以来、未だかつて計った事のない温度と、天気予報が一日の温度を告げる。連日、新聞の見出しには、「日陰で42度を記録!」、「半世紀に一度の酷暑が、ここ数週間続く模様」とある。イザベル・アジャー二主演の映画タイトルからとって「殺意の夏」と名付けられた連日40度を越す猛暑は、フランスの社会構造そのものに大きな爪で襲いかかった。

 8月29日、疲れきった表情で、酷暑がピークにあった8月1日から15日の2週間における最終的な死亡者数は、11,450人にのぼるであろうと発表したマテイ保健相。今秋の国会で、2004年度医療マイナス予算案を、国民、野党議員に突きつける力は、今の彼にはもうない。前ジョスパン左派連合内閣により導入された自立支援個別介護手当(APA)は、現右派内閣により受給条件にかなり制限が加えられ、良質の在宅ケアを継続して頼む事ができなくなった老人が沢山いる。
 死者の半数を占めるとされる高齢者の多くは、入所施設(50%)で死亡しており、次いで病院(30%),自宅(20%)であった。しかし、病院の数字に関しては、救急に運び込まれた段階で既に手の尽くしようの無い程衰弱している高齢者がその多くを占めており、これも自宅あるいは施設での死亡者数と言えよう。在宅者では、ヘルパーが水分を摂らせるなり、訪問看護師が生理食塩水を打った老人には、圧倒的に死亡者が少なかった事もわかった。(バカンスを返上して戻ってきた医療職者で最も多かったのが、個人開業看護師であった。)

 個人主義を尊重するフランスが創り出した、都会の弱者達が最大の標的となった。一人暮らしの高齢者、介護手当受給認定からはずれた高齢者、人事予算を凍結された入所施設のオールド・オールド(健康に問題を抱え社会とかかわるのがむずかしい高齢者)、ホームレス・・・。

 通常、欧州の夏は暑くても30度程度の日が、延べ20日間あるかないか。朝夕はカーディガンが必要なほど涼しい風が吹く。この為、クーラーを備える家庭は極めて少なく、手術室を除いて、病院内もクーラーはない。ましてやラテンの国フランス人にとって、夏はバカンスの季節。夏の1ヶ月のバカンスの為に、11ヶ月間働く、と国民の誰もが思っている。「クーラーを買う費用があったら、バカンス費用にまわしたい」、「1ヶ月病床を閉めて、職員にもよく休んでもらったほうが、人事管理もし易い」等はどれも実際に良く聞かれる台詞である。

 こうして、病院は、公立も私立も病床、あるいは病棟ごとに閉め、開業医も代診者がみつかればよいがそうでなければ休診となり、医療体制もすっかりバカンス・モードとなる。代診者獲得合戦は4,5月の、又がらんとした病院は7,8月の風物詩である。
 総枠予算管理体制下にある病院では、ある程度ベッド・コントロールをしなければ、人事・予算管理も見通しが立たないのかもしれない。毎年、どの疫学統計を見ても、7,8月(特に8月)の発病率、手術室稼働率、入院率は、ぐっと低くなっている。しかし、これが疫学的・生物的理由というよりも、人為的な現象である事は、想像に難くない。
 ある機会を得た際に、この点について問題視はされないのかと、仏保健省Ministere de Santeの高官に尋ねてみた。「8月には、病院に行くよりもバカンスに出る方が、最良の治療。我々はバカンスによって癒されるのさ」と、スマートな笑顔で返してきた。

 確かに、公立病院職員には、国家公務員としての義務である「最低サービス保証義務」があり、病院ごとの閉鎖は禁じられている。この為、まるで儒教の国にあるかのような年功序列制よろしく、ベテラン医師、有名医師は、姿を消し、若手の医師が留守を預かる。
 日本に比べ、かなりの自由が許される開業医にも、「休日診療当番制」を政府は要求したが、実現には至っていない。制度案に同意したフランス医師会長は、会員からの批判を浴びて事実上の引責交代を余儀なくされた。やや誇張した表現になるが、「8月もあくせくと働いているようでは、まだまだ」医師としてのステータスに関わるのである。
 フランス病院救急勤務医協会(AMUHF)会長、Dr.パトリック・ペルーの発表によると、パリに隣接する高級郊外住宅街のあるオード・セーヌ県全体で、8月15日の週末、連絡可能な医師は、実に2名のみであった。「多くの在宅高齢者を患者に持つ家庭医は、継続性が肝心。代診者とのコンタクト方法も伝えずに休診した医師は、もはや犯罪者である」と糾弾する。彼は、「最初に異常を感じた時点で、何度も行政機関に警告したが、10日間以上、政府から何の反応もなかった。救急の廊下は夏季病床閉鎖の影響で行き場のない患者で溢れていた。搬入された時点で既に力尽き果てている高齢者が」と続ける。そして、「我々、病院救急勤務医は過酷な労働条件に長年さらされ、その多くがバーン・アウトしている。今回も、最前線で病診連携の後援もなく孤闘した感がある」とも。
 この糾弾に対する大手医師労組(CSMF)ミシェル・シャサンの回答、「8月15日の週末、3千人の家庭医が、オン・コールであった。しかし、我々家庭医は、患者・家族からの連絡、呼びかけがあって初めて医療介入できる」という言葉も、国民の理解は得られなかった。
 衰弱した独居老人が、どうして医師に連絡できよう。日本の開業家庭医に比べると、このような休日診療当番制を拒否し、長期不在を許すフランスの家庭医には、やはり問題点があると言わざるを得ない。
 筆者の愚息の小児科医も毎年2ヶ月、休診される。毎夏、無事にと祈らんばかりに不安である。日本の医療制度に慣れ親しんだ者にとっては信じられない現象であるが、赤信号を皆で渡る時の歩行者の心境か。どこの医療機関も同様に休診であれば、患者の他院への移出の心配もないのかもしれない。お国柄の違いか、彼らから「人の命を預かっている」という言葉はあまり聞かれない。少なくとも、今回のこの回答は、そのような意識が高ければ出なかったのではなかろうか。

 生命の危機に関わる事がない為であろうか。パリ市歯科医師会は不適当な競争を回避する為に、会員に「休診歯科ディスペンサー(大学歯学部の救急科など)以外は、8月休診とするように」と呼びかけた、と歯科医から聞いた。さすがに罰則はないまでも、8月に診療するのには、それなりのプレッシャーを感じると彼は言う。

 しかし、事態は例年のシナリオよりも遥かに深刻なものとなった。
 8月13日夜、前出病院救急勤務医協会は「酷暑による死亡者数は、例年同時期の30〜50%増、既に3,000人に上る」と発表した。これを受けた政府は、緊急医療対策令「プラン・ブラン」(英訳「ホワイト・プラン」)を発令した。ホワイト・プランとは、1988年の省令により定められた、大災害・原発事故・大規模テロ等、非常事態発生時に特別にしかれる緊急医療強化体制のこと。前回は、1995年のパリ地下鉄テロ爆破事件の際に出された。今回特に影響があったと見られるイル・ド・フランス県(パリ首都圏)の公立病院で、1,000床を開設、自由意志を基本に、医療従事者へバカンス休暇を返上して、職場に戻るよう召集令が出された。この為に、総枠予算の枠外で、特別予算があてがわれる事も決定された。
 また国内に存在する数千の高齢者入所施設に、フランス赤十字社より看護学生が派遣され、飲料確認業務を行った。また、内務省管轄下にある交番警察、消防局員は、赤十字隊員とともに、独居老人宅をパトロール、バイタルサインの確認記録と水分摂取指導巡廻を行った。ミリタリー・ホスピタルも、一般病院同様、本プラン活動を行った。在宅、施設どちらの老人も、年々高齢化が進み、いわゆる「オールド・オールド」とよばれる要介護者が多くなっている。この為、症状も重く、十分な人的資源を確保できないフィールドに、赤十字や軍の力が貸し出されたのだ。

 最初、数百人であった死亡者数は、1,500、3,000、5,000、そしてついに1万人にまで上った。ラファラン首相は当初、「異常気象まで政府のせいにされては困る。野党の、猛暑対策に関する批判には、一切応じない」とマスコミにコメントした。これに対し野党は、「政府の楽観視と遅すぎたリアクションが、事態を悪化させた」と厳しく批判。8月上旬、真っ先にバカンス先から戻って来なかったジャン・フランソワ・マテイ保健大臣に、野党は辞任を求めた。「誰もわたしに正確に報告してくれなかったので、事態の深刻さを理解するのに、時間がかかった」との弁明は、(サラリーマンであれば、こういう上司の下では働きたくないと思わせるような)不快な発言であった。
 マテイ保健大臣に「事態は沈静された」と誤報告したとされるルシアン・アベナイム総合保健庁(Direction Generale de la Sante)長官は、引責辞職を発表した。国民の誰もが、彼だけの責任では無い事は知っている。それでも政府は、誰かの首を斬らない訳には行かなかったのであろう。クロイツフェルト・ヤコブ、C型肝炎、SARS。就任以来、大きな医療危機に見事に対策を講じた公衆衛生学博士の氏も、自然の力には勝てなかったのである。気象庁からの非常事態警告がなかった為、事態把握が遅れたそうである。
 保健省をピラミッドの頂点とし、保健事業を担う行政機関は、数多く存在する。医療Gメンとして活動し、薬害、医療過誤事故や不適正な医療施設を厳しく管理する国立保健監視研究所(InVS)も、地域別の疫学統計を出した。その地方の保健問題を監視する地方社会保健局(DRASS)、その下の県社会保健局(DDASS)も、一様に、「前例が無い事であったので」と、この台詞はこの国でも聞かれた。

 高齢者入所施設に関しては、医療度の低い施設での被害が多かった。国内に私立(営利20%・非営利30%)、公立(50%)あわせ、その数にして1万施設、床数にして68万床を数える。全国私立高齢者施設組合(SYNERPA)の発表によると、1床あたりのケア従事者数は0.35人。同程度の高齢化が進む国ドイツ、スイス等と比べて遥かに少ない。
 更に、そのケア従事者の内訳をみると、看護師・医師が常駐しない施設も多く、介護ヘルパーのみの施設もある。同団体は今回の惨劇の理由として、
  • 総枠予算管理下にあるこれらの施設へ、前政権で約束されていた1億300万ユーロが財政難を理由に凍結されたこと
  • 入所者の高齢化(入所者平均年齢86歳)
  • 要介護度、症状のより重くなった患者への人手不足
をあげた。

 しかしながら、EU共同体メンバーとして国内赤字削減を約束させられ、一方では、減税を公約に再選されたシラク大統領としては、医療費削減を目的とする医療改革を是が非でも実現させたい。高齢者が酷暑に対応できる十分な財源は、どこからも降って湧いて来るはずもなく、死亡者数だけが重くのしかかっている。

 死亡者11,450人と言う数字は、野党が与党を、保健大臣が総合保健庁長官を、総合保健庁が気象庁を、病院勤務医が家庭医を、家庭医が老人の家族を、家族が保健行政を責める為の道具だけに使われてはならない。誰もが責任者探しをしているが、責任者は、社会全体である、解決方法は全員で考え出すべきだ、とある議員が発言した。これには誰もがうなだれた。皆が一番痛い所をつかれた。
 確かにパリが最も暑い時、国民の大勢は、政治家、医療従事者同様、バカンス先の避暑地でニュースを見ていたのである。患者団体が勝ち取った患者権利法による「病室退出から葬儀までのプロトコール」も、この非常事態には徒労となった。行き場の無い遺体が、仕方がないので、パリの胃袋と言われるランジス市場(日本の築地にあたる)の大型冷蔵室で臨時保管されているという、耳をふさぎたくなるニュースも。

 暑さも落ち着き涼しい風が吹き始めた8月25日、介護手当目的の財源を得る為に、祝祭日を一日減らして、この日の労働に相当する雇用者・被用者社会保障負担を全て高齢者ケア目的税としようと、MEDEF(日本の経団連にあたる)が提案した。その祝祭日には、カトリック祝祭日の多い5月の、過ぎ越しの祭りの日が選ばれ、フランス・カトリック教会も同意を示した。お隣のドイツでは既に1990年代後半にこの制度を導入し、一年に一日、高齢者費用創出の日と決め、社会全体が連帯で負担している。(その日を就労の代りに、高齢者ケア・デイに充ててもよい。)
 週35時間時短制導入によって休暇も増えたし、一日くらい譲歩しても良いではないか、今日ある社会を造って来てくれた高齢者の世話は社会全体でみようとは、なんと素晴らしい姿勢であろう、と単純に感動する私の前で、テレビ画面は、「経営者側が、労働者の一日の生産を丸々得する狡猾な案」と、反撥する大手労組総裁を映し出した。同時に突然急騰した株式会社経営医療機関の株価も、この惨事の陰で薄笑いを浮かべる人間がどこかにいる事を感じさせ、不気味であった。
 折しも9月15日は、日本では敬老の日である。フランスに遅れて、しかしながら遥かに上回った速度で高齢化が日本でも進んでいる。

 最後に、安置延長期間を過ぎた8月末日、いまだに誰からの連絡もなく、無縁共同墓地に入れられる独居老人遺体が300体と(しかも身元は判明しているにも関わらず、家族からの引き取り連絡が無い)、パリ市発表の寂しくも恐ろしい数字だけが残った。



参照文献:Le Quotidien du Medecin, APF