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慶友国際医療フォーラム2006「社会的共通資本としての医療」


 慶友国際医療研究所と同志社大社会的共通資本研究センター主催のフォーラム「社会的共通資本としての医療」が、平成18年5月27日(土)、都内で開催された。
 医学的最適性と経済的最適性は両立することが可能かをテーマに、「世界の医療に学ぶ」「日本の医療を考える」「社会的共通資本としての医療」の3部から講演が行われ、その後、患者やマスコミなどさまざまな立場からの「コメント」が披露された。
 当日の概要について、一部であるが、会員の皆様にお伝えする。 

※なお、このフォーラムはあと2回(今回を含めて全3回)開催される予定である。


【第1部 世界の医療に学ぶ】

(1 イギリス医療の挫折と復活) 
  近藤 克典(医師、日本福祉大学教授)
 イギリスの医療費抑制政策は副作用として
 1)質の低下
 2)人材流出
 3)医薬品等の供給不足
をもたらした。復活のために医療費を1.5倍にするとしているが、一度荒廃すると取り戻すのは大変である。
 イギリスから学ぶべきことは、
 1)医療界のモラルの重要性
 2)見識あるジャーナリズム=荒廃ぶり+背景取材→「医療費抑制策が主因」と国民が気づく
 3)費用抑制だけでなく、医療の質・公平性をもモニタリングできる仕組みづくり
である。
 イギリスの失敗を再現しないように、日本の医療者が燃え尽きる前に適切な手当てが必要である。

(2 市場原理とアメリカ医療の危機) 
  
津田 光夫(医師、医誠会診療所院長)
 市場原理の最大の問題は、無保険者問題と皆保険の実現である。
 2006年4月12日、米マサチューセッツ州では、全州民に医療保険の加入を義務付ける州法が成立した。同州は、2007年7月までに推定55万人の未加入者を州民の1%未満にまで減らせると見込んでいる。低所得者には保険加入のための補助金を出す一方、十分な所得があっても加入しない人には一種の罰金を科す、となっている。
 これは快挙である。今後の動向に注目したい。

(3 アメリカの整形外科医の教育と医療の現状)
  
水口 外茂次(医師、水口整形外科院長)
 アメリカの医学部卒後訓練は学会主導で行われ、大学・教育病院の全ての研修医が学会のカリキュラムに沿って、同じレベルのトレーニングを受けるように義務付けられている。トレーニングは臨床が主体。手術件数、Teaching Staffも多い。
 整形外科学会(AAOS)の権威も高く、Residentの教育、専門医試験、卒後訓練以後の医師の教育など、全てにおいて主導的な役割を果たし、医療の向上に貢献するところが大きい。整形外科の卒後訓練は通常5年間で、終了後1年間のFellowshipを受けて開業する。
 日本でも、各科の学会の権威を高め、学会が指導的役割を果たすことが重要と考える。
 

【第2部 日本の医療を考える】

(1 日本の医療に未来はあるか)

  鈴木 厚(医師、川崎市立川崎病院地域医療部長)
 日本の医療には2つの大きな流れがある。医療の質、安全性を高めてくれという国民の願いと、医療費抑制政策(国の政策)である。しかし、この2つは矛盾するものであり両立しない。
 政府や財務省の考えは、患者負担増、診療報酬引き下げである。しかし、患者負担が増えれば低所得の国民が困る。病院が廃院になれば周辺の住民が困ることになる。病院が不採算部門を切り離せば、医療難民が生じる。医師、看護師などの医療従事者のやる気の消失にもつながる。
 医療はサービス業ではない。国民の生命と健康を守る安全保障である。経済と連動して論議してはいけない。

(2 住民と共に作る医療) 
  
鎌田 實(医師、諏訪中央病院名誉院長)
 医療はただの科学ではない。科学であれば進歩すればそれだけ評価される。しかし、医療の技術がいくら進歩しても患者の不満は増える一方だし、必ずしも評価されることばかりではない。
 日本の医師、看護師は土俵際にきている。患者が変わらなければいけない。国民を仲間にして理解してもらわないと大変なことになってしまう。今ならまだ間に合うと思う。

(3 日本の医療を崩壊させないために)
  
出月 康夫(医師、東京大学名誉教授、南千住病院長)
 崩壊させないために、と題したが、実際には日本の病院医療の崩壊はすでに始まっている。
 第1に病院財政の破綻である。病院の約7割が赤字である。
 第2に医師と患者の信頼関係の崩壊である。近年の医療不信の増加にはマスコミ報道にも責任があると思う。
 第3に医療従事者の意識の低下である。昨年1年間で勤務医4300人が病院から離れたといわれている。小松秀樹氏(虎ノ門病院泌尿器科部長)はこうした最近の勤務医を「立ち去り型サボタージュ」と表現している。
 病院にとっての唯一の収入源である診療報酬は、公共料金である。電気・ガス・水道・鉄道料金並の原価計算による積算が必要である。医療制度改革に必要なのは、適正な診療報酬体系を作ることだ。病院機能評価の項目には「医師の労働環境」も取り入れたらよいと思う。


【第3部 社会的共通資本としての医療】

(1 社会的共通資本としての医療)

  宇沢 弘文(学士院会員、東京大学名誉教授)
 各医療機関ないしは個々の医師が高い職業的能力と倫理観を持ち、医学的見地から最適と考える診療行為を行っているか、さらに医療資源が効率的に配分されているかをどのようにして判断するか。これは決して厚生官僚が行政的観点から行うものであってはならない。ましてや儲かっているかどうかという市場的基準によって左右されてはならない。
 私たち経済学者に課せられた課題は、ヒポクラテスの誓いを誓って医の道を歩む職業的専門家が、その志を保ち、人間としての生き様を全うすることが出来るような経済的、制度的条件を希求し、その基本的性格を明らかにするものでなければならない。

(2 理想的な医学教育制度を求めて) 
  
鴨下 重彦(医師、東京大学名誉教授、賛育会病院長)
 日本の医学教育には根本的な欠陥があった。そもそも卒前の国家試験は文部科学省、卒後の臨床研修は厚生労働省と管轄が分かれている。例えば「健康(教育)省/庁」というものを作り、医師教育を一元化すべきではないか。
 制度改革の方向として次の3つを提案する。
 1)学士入学の再検討→医学部8年制の採用→臨床研修制度廃止
 2)専門医制度の充実と医学博士(臨床)の廃止
 3)医学修士の拡充


【第4部 コメント】
(1 患者の立場から)
  高橋 ユリカ(作家)
 35歳で大腸がんの経験をし、その後ホスピスの取材等をしている。
 日本では在宅やホスピスが何故うまくいかないのだろうか。ホスピスや緩和医療を医学部教育の中に組み込むことを考えてほしい。
 また、日本人は税金の使われ方にあまりにも鈍感である。日本はどうしてこんな土木国家になってしまったのか。無駄な公共事業より、医療福祉にもっとお金を回すべきではないだろうか。

(2 臨床医の立場から) 
  中本 雅彦(医師、田川市立病院)
 35年間臨床医として病院勤務しながら感じてきたことを述べる。
 勤務医の労働条件は非常に酷である。まず、多くの計画はだめになる。家族との旅行や団欒もままならない。学会の参加も困難である。せめて自分が話すところだけ、といって参加するが、聞きたい他の演題が聞けない。当直明けでも普段どおりの仕事をしなければならない。しかし、睡眠不足は酩酊状態の頭と一緒という報告もある。そのような状態で医師を勤務させている管理者としても、何か起きるのではないかといつもヒヤヒヤしている。
 また、病院の経営困難を理由に、何時間働いても時間外賃金にシーリングを設けている病院もある。
 わが国の医療を経済の面で見ると、医療の核となる医療施設が得た収益を周辺医療産業が収奪している。この原因は、わが国のいびつな医療費配分にある。この状況を放置しておくと医療の質は低下する。医療の劣化は即国民の首を絞めることになる。

(3 医療経済学者、医事ジャーナリストとして)
  
田中 滋(慶應義塾大学教授)
 医療費財源の推移を、下図のように、縦軸を意思決定に関わる軸、横軸を生活保障に関わる軸とする座標軸で考えてみる。座標軸の上に行くほど個人も、集合体(病院、大学等)も自立している、下に行くほどコントロールされていることになる。第3象限の「20世紀後半体制」がもたなくなると、オプションとして第4象限の「財政重視」、あるいは第1象限の「新自由主義」へと移ってきた。そして、医療を社会的共通資本とする考え方は、第2象限に該当する。




  水野 肇(医事ジャーナリスト)
 不信感が高まっている社会保障制度であるが、これはなんとしても守ってもらいたい。無駄を排除することは必要であるが、足りない部分は国民が負担しなければならないと思う。もっと国民の意見を聞くべきである。次の総理には、小泉氏より社会保障に対して関心のある人になってほしい。

(4 医療関係の報道に携わる立場から)
  五阿弥弘安(記者、読売新聞社社会部長)
 マスコミ報道が萎縮医療につながるという批判があるが、もしマスコミ報道がなかったらどうなったであろうか。1999年の横浜市大の患者取り違え事故をはじめとする報道後、患者に対するコミュニケーション教育などが向上したのは確かである。
 最近の福島の産婦人科医の事件については、逮捕・起訴する必要がなかったのではないかと思う。しかし、その後学会が「逮捕・起訴はけしからん」という声明文を出しているのをみると、それだけでよいのだろうかという気がする。医師会や学会には自浄能力が欠けていたのではないだろうか。自ら調査をし、まずいところは正す、自律的なプロの集団であってほしい。

  近藤憲明(記者、毎日新聞社論説委員)
 新聞社の論説室は、毎日エキサイティングな議論をしている。まず、お昼のニュースが終わると、1時間半ぐらい会議をして、その日に取り上げるテーマを決める。そして、そのテーマに新聞社として何を主張するか、さらに1時間ぐらいかけて議論をする。昨日で言えば、増え続ける社会保障負担費に対して、経済部出身、社会部出身も加わり議論が繰り広げられた。
 また、医療は人間の死生観にも通じるところがあると思う。人間の命は有限なんだということを、医師も患者も共通認識としてもつべきではないだろうか。

  田辺 功(記者、朝日新聞社編集委員)
 日本の保険医療制度の最大の欠陥は、質を無視してきた構造にあると思う。技術料がない、麻酔科医が少ない、マンパワーが足りない、ということも質を無視すれば簡単に成り立つのである。技術を評価されない世界で、誰が技術を向上させたいと思うだろうか。技術がうまくてもほめられない、上手くなろうというインセンティブが働かない制度そのものが問題である。そこを医師や看護師の個人的な情熱で何とか補っている。最近、それを改善する方向に動き始めたのは良いことである。

  山口 聡(記者、日本経済新聞社編集委員)
 マスコミの報道にも問題があるかもしれないが、医療界にも問題がある。診療報酬の不正請求など厳然たる事実がある。また、患者側からは、「訴えたかったわけではない。やむを得ず、最後の最後の手段として訴えたのだ」という話を聞いたこともある。医療側も自浄努力をしてほしい。

  森平 暁(記者、共同通信社編集委員・論説委員)
 医療関係の記事が地方紙の一面トップを飾ることが多くなっている。社会面を含めると医療関係の記事はさらに多い。対象となるテーマ、人も非常に幅広い。
 通信社と地方紙の医療報道における問題点としては以下のものがある。
 ・チーム取材とはいえ、残る縦割り
 ・眼前の事象にとらわれやすい
 ・取材者の意識は首都圏在住サラリーマン
 ・「あるべき医療制度」の統一見解はない

 また、今後の課題としては次のようなものが考えられる。
 ・インターネットの普及とデジタル・ディバイド(情報格差)が背景に
 ・新聞メディアの特性
 ・何のための医療制度改革か



 最後に宇沢弘文氏(写真)が次のようにしめくくった。
 
 ヒポクラテスの言葉「Life is short, Art is long」のArtは「芸術」と訳されていることがあるが、本来、Artは医術を意味するもの。「人間の生命は短い。しかし、その短い生命を救おうとする医術は永遠の生命を持って、過去から現在、そして未来につづく」という趣旨である。
 医術が永遠の生命をもちうるのは、一人ひとりの医師がヒポクラテスの誓いに忠実に、医師として、また人間としての生きざまを全うし、医術を次の世代に伝える営為に全力を尽くしているからである。
 ところが今までの医療制度は、無理がありながらも、60才以上の医師が、あるいは50代前後の医師も含めてかろうじて支えてきたように思う。それを今後若い世代にどう伝えていくのかが課題ではないだろうか。