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東京女子医大事件をきっかけに考える


 医療ミスでの医師の逮捕は1988年以来、と東京女子医大の事件が報道されました。しかし、医療過誤や刑法の規定及び刑事訴訟法の手続きについても専門的なことが多く、十分理解されていないことがあると思われます。そこで、弁護士の甲斐順子先生にこれらの点について聞いてみました。
 
医療過誤と刑事事件
弁護士   甲 斐 順 子


 医療過誤で患者が死亡したり傷害を負った場合、ミスを犯した医師や看護婦が「業務上過失致死傷」罪で処罰される可能性があります。また、直接ミスを犯していなくても、ミスを隠すためにカルテの改ざん等を行った者が「証拠隠滅」罪で処罰される場合もあります。このように医療過誤が刑事事件として捜査がなされると、最近報道されているように医師の逮捕といった事態も起こりえます。
 刑法や刑事訴訟法の用語には、日ごろ馴染みがないものも多く、刑事手続きもあまり一般的には知られていません。以下、概略をご説明します。

1 刑法の規定

(1)業務上過失致死傷(業務上過失致死と業務上過失傷害をあわせてこう呼びます) 

刑法第211条1項: 業務上必要な注意を怠り、よって人を死傷させた者は、5年以下の懲役若しくは禁錮又は50万円以下の罰金に処する。重大な過失により人を死傷させた者も同様とする。
 前段(「業務上必要な・・・・処する。」まで)がいわゆる業務上過失致死傷罪です。
 通常の過失についての過失傷害罪(刑法第209条)、過失致死罪(刑法第210条)に比べて、業務上の過失は重く処罰されます。また、過失傷害罪は、「親告罪」であり、告訴がなければ公訴提起(起訴)できないのですが、過失致死・業務上過失致死・業務上過失傷害罪は、「親告罪」ではありませんから、告訴がなくても、起訴は可能です。
 業務上過失致死傷が問題となる類型としては、医療過誤の他に交通事故、ホテル・雑居ビル・デパート等の火災、工事現場での事故等が挙げられます。
 業務上過失致死傷罪が成立するためには、業務上の注意義務(結果予見義務と結果回避義務に分けられます)を怠ったこと(注意義務違反)と死傷という結果との間に因果関係が存在しなければなりません。注意義務の具体的内容、注意義務違反があったかどうか、そして注意義務違反と死傷という結果との間に因果関係があるかどうかが重要な争点となることが多いといえます。
 また、複数の医療関係者が従事して行う大規模な手術の場合などでは、死傷に直接つながるミスを犯したのが誰か、その他の関係者に監督上の過失がなかったか、複数の担当者の過失が競合して死傷の結果に至った場合の刑事責任など様々な問題が考えられます。

(2)証拠隠滅  

刑法第104条: 他人の刑事事件に関する証拠を隠滅し、偽造し、若しくは変造し、又は偽造若しくは変造の証拠を使用した者は、2年以下の懲役又は20万円以下の罰金に処する。
 この条文で注意すべきは、「他人の」刑事事件に関する証拠の隠滅等が犯罪とされている点です。自分の刑事事件に関する証拠隠滅は処罰の対象になっていないのです。
 ただし、自分の刑事事件について、他人に証拠を隠滅するよう働きかけることは、証拠隠滅の教唆(共犯の一類型)にあたるというのが通説・判例です。
  刑事事件とは、裁判になったものだけでなく捜査段階にあるものも含まれます。
 なお、証拠隠滅罪も、親告罪ではないので、告訴が無くても、起訴することができます。

(3)その他

刑法160条(虚偽診断書等作成罪)は、「医師が公務所に提出すべき診断書、検案書又は死亡証書に虚偽の記載をしたときは、3年以下の禁固又は30万円以下の罰金に処する」と規定しています。判例・通説によると、国公立の病院に勤務する医師(公務員)が、公務員の資格で虚偽の診断書等を作成したときは、虚偽公文書作成罪(刑法156条)が成立し、虚偽診断書作成罪よりも重く(懲役刑)処罰されます。また、医師法24条は1項でカルテ(診療録)の記載義務を、2項で5年間の保存義務を定め、違反者は同法第33条の2で50万円以下の罰金に処すると定められています。

2 刑事訴訟法(刑事事件の手続き)

(1)刑事事件が発生すると、捜査機関(警察)が証拠を収集して、犯人を確保し、検察官が裁判にかけるかどうか決定します。検察官が公訴を提起(起訴)すると、裁判所での公判が開かれ、裁判官が判決を言い渡します。これがおおまかな刑事事件の流れです。

(2)起訴前の捜査を受けている者を「被疑者」といい、起訴後は「被告人」と呼びます。(民事裁判の「被告」と刑事裁判の「被告人」は、司法の場では厳密に区別して使われますが、マスコミ報道などで両者を混同して使用していることも見受けられます。)

(3)捜査機関による捜査には、任意捜査と強制捜査があり、被疑者の逮捕は、強制捜査の典型です。
 逮捕は警察や検察の独断で行えるわけではなく、裁判官の発する逮捕令状に基づいて行われます。また、逮捕に伴って、捜索差押えがなされることもしばしばあります。
 警察が捜査を行い、被疑者を逮捕しない場合でも、ごく軽微な事件を除き、原則として、事件を書類・証拠物とともに検察官に送致しなければなりません。これを一般に「書類送検」と呼んでいます。
 警察による逮捕がなされると、48時間以内に被疑者を検察官に送致するか、釈放しなければなりません。そして、検察官は被疑者の送致を受けてから24時間以内に、裁判所に勾留請求をするか、被疑者を釈放しなければなりません。つまり逮捕した被疑者の身体を72時間を超えて拘束する場合には、逮捕状とは別に裁判官の勾留状が必要となります。
 勾留が認められると勾留請求の日から10日間、(延長が認められればさらに10日間)被疑者の身体拘束が継続し、最大20日間の勾留期間満了までに検察官が被疑者を起訴するか、釈放するか決定します。なお、この起訴前の勾留中は、保釈という制度はありません。また、勾留中の面接が制限されることもあります。
 書類送検であれ、逮捕による被疑者送致の場合であれ、検察官は送致を受けた事件について起訴するかどうかの処分を決めなければなりません。
 検察官は起訴するかどうかの裁量権を有しており、犯罪の嫌疑がないと判断されれば不起訴処分になりますし、犯罪の嫌疑はあるけれども諸事情を勘案して、起訴を猶予するということで不起訴処分となることもあり得ます。

(4)起訴後は保釈という制度があり、一定の要件を満たした場合には、保釈保証金を裁判所に納付した上で、勾留中の被告人は身体拘束から解放されます。被告人が逃亡したり、裁判期日に正当な理由なく出頭しなかったときには、保釈が取り消され、保釈保証金が没収されることがあります。

(5)裁判の審理は原則として公開の法廷で行われます。そして、検察官、弁護人双方が主張立証を尽くし、裁判所が判決を下します。
 判決には、有罪・無罪の実体的裁判と公訴棄却・免訴などの形式的裁判がありますが、一般的には実体的裁判がなされます。懲役刑などの有罪判決の場合でも執行猶予判決であれば、ただちに服役することにはなりません。猶予期間中に、更に犯罪行為をしなければ、刑の執行を受けなくてすむというのが執行猶予の趣旨です。
 なお、日本の裁判制度は三審制なので、一審判決に不服があれば、控訴することができ、控訴審判決に不服があれば上告をして、より上級の裁判所の判断を求めることができます。 


(注)逮捕と書類送検
 逮捕されるか、在宅のまま書類送検されるかの基準は事案によって異なりますが、事件の重大性・悪質性・逃亡のおそれ、証拠隠滅のおそれ等が総合的に検討されるものと思われます。また、複数の被疑者がいる場合の逮捕の必要性は、個別の被疑者ごとに事件への関与の程度や、捜査への対応などに応じて判断されるので、被疑者の一部が逮捕され、一部が書類送検されるという異なった扱いになることもある意味当然といえます。

3 医療事故発生時の対応

 医師の逮捕などの強制捜査は、治療中の患者さんに多大な悪影響を及ぼし、また医療機関の信用を傷つけるものであり、医療機関側のリスク管理の観点から極力回避すべき事態です。
 医療事故が発生した場合には、刑事事件として捜査対象となることも想定し、その場合でも強制捜査に至らないよう、まず弁護士と相談の上対応する必要があるでしょう。