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インシデントリポートのパソコンによる管理

 医療スタッフは日々の現場で、数々のインシデントを経験している。安全管理の必要性が叫ばれている昨今、より効果的な対策を行うには、こうしたインシデントを数多く集めることが必要だ。しかし、忙しい医療現場から多くのレポートを集めるのは容易なことではない。両国東口クリニック(東京都墨田区)院長の大山恵子医師は、インシデントレポートを直接パソコンに入力して処理をする方法が効果的だと考え、5年ほど前、当時一緒の病院に勤務していた諸見里仁医師(現・両国東口クリニック副院長)とともに、独自のインシデントレポート収集ソフト『おっとっと』を作成し、運用してきた。

 2005年の第50回(社)日本透析医学会学術集会で『おっとっと』を紹介したところ、参加者から『自分の施設でも使ってみたい』という要望が数多く寄せられた。そのためこれをきっかけにキリンビール株式会社医薬カンパニーの協力を得て改良を重ね、さらに使いやすい進化型システム『どっきり!ひやり』を開発。現在同社のホームページ(http://www.kirinsmile.com/)から無料でダウンロードできるようになっている。開発の経緯やソフトの内容について、大山医師(写真左)諸見里医師(写真右)に話を聞いた。

 

■回収率アップの方策

 リスクマネージメントの必要性は2000年ころから医療界でも注目されるようになり、大山医師や諸見里医師が当時勤めていた病院でも、大きな事故を未然に防ぐインシデントレポートの収集に取り組むようになった。当初は文献などを元に作成した用紙を提出してもらうスタイルにしていたが、レポートを作成し提出する作業は手間がかかるため、忙しい現場では後回しにされがちだった。
 スムーズに記入してもらうための書式もいくつか検討したが、入力の簡単なチェックシート方式にすると、項目数は多くなり、詳細な情報を得るにはA4版用紙2枚を要することに。必要な項目を見つけ出す時間が余計にかかる結果となった。また、自由記入方式にすると、管理者が内容を読み取って集計するのに多くの時間を要するため、非常に不便を感じたという。
 大山医師と諸見里医師は、それらの問題点を解消する方策としてパソコン入力によるインシデントレポートの作成を思いついた。ちょうどその時期は院内のコンピュータのネットワーク環境が整備され、スタッフ各自がメールを使えるようになっていたことも幸いした。諸見里医師は言う。
「最初はメールでレポートの作成と提出を行うという発想でしたが、それでは集計するためには一度印刷をしなければならず、集計の手間は軽減されません。そこで『集計まで行うことができるデータベースソフトに、ネットワークから直接入力する』という方法を思いつきました」
 民間の病院で予算は限られているため、諸見里医師自身がソフトの作成を担当。アプリケーションソフトは、当時クラリス社から発売されていた「ファイルメーカープロ」を使用した。諸見里医師は、それまでも主治医意見書などオリジナルの書類をファイルメーカープロで作成していたため、開発費をかけず、比較的容易に出来上がったという。
 なお、改良版の『どっきり!ひやり』も、『おっとっと』同様にWindowsパソコン用のシステムだが、Windowsの標準的データベースソフト「Access」を使用している。『おっとっと』は院内では問題なく活用していたが、他の医療機関で使ってもらうには、より汎用性の高いアプリケーションにしたほうがいいという理由から、Access(2002/2003/)に対応する仕様に変更した。

■現場から生まれた工夫が満載

「『どっきり!ひやり』は私たち医師をはじめとする現場のスタッフの声をもとに作成されてきました。そのため、非常に使いやすいソフトだと自信を持っています」
と、大山医師。インシデントレポートの性格上、パソコン入力になっても報告する際の抵抗感が大きく減ることはなく、むしろ長文を入力するための慣れないキーボード操作を敬遠して回収率が落ち込むことも予想された。こうした問題点を解消するため、さまざまな工夫を重ねた。『おっとっと』から『どっきり!ひやり』への改良点も含めて、その特徴を挙げてもらった。

●工夫その1〜親しみの持てる画面で抵抗感をなくす〜

報告することのマイナスイメージをなくし、積極的に業務改善に貢献しているという前向きなイメージをもってもらえるよう、画面は親しみの持てるアニメ調にした。ガイドをする男の子のキャラクターを諸見里副院長が作成し、優しい口調の平易な指示に従って入力が進められる。また、文字を少なめにし、シンプルでわかりやすい構成を心がけた。

 

●工夫その2〜記入を簡便に〜

 わずか3ステップの画面操作で入力は終了する。必要な事項を抜かすことなく最小限の手間で作成できるように、選択記入の入力方式を採用しているため、3ステップでじゅうぶん。プルダウンメニュー(事前に登録してある内容から選択する方法)を活用して、たくさんの情報をひとつの画面にすっきりとまとめる工夫がなされている。ただし、プルダウンメニューだけでは実際の細かな内容を表現できないため、自由に記入ができる欄も設けて、詳細な報告にも対応できるようにした。
 また、ロールプレイングゲームの手法を取り入れ、選択した内容が枝分かれし、さらに選択していくと報告が完成するなど、画面を切り替えることで情報入力が単調な作業にならないように配慮した。

●工夫その3〜

 『おっとっと』を開発した当初は、所属や仕事、経験年数だけを記入してもらい、原則無記名にしていた。抵抗なく報告してもらえるようにとの配慮だったが、現在のクリニックを開業して運用していくうちに、大山医師ら管理職ばかりでなくスタッフの中からも「効果的な安全対策のためには記名式にしたほうがいい」という声があがりはじめた。
 そこで、『どっきり!ひやり』では記名式に変更した。スタッフの氏名や所属部署、経験年数などが事前に登録されているため、プルダウンメニューで自分の名前を選択するだけで済む。また、個人情報保護法に対応してパスワード方式を取り入れており、報告者は自分の入力履歴以外は見ることができないしくみだ。

●工夫その4〜Exel形式への書き出しが可能〜

 『どっきり!ひやり』は、入力されたレポートをExelなどの表計算ソフトで扱える形式に変換することができる。利用の仕方はさまざまだが、両国東口クリニックではこのデータを独自の簡易データ解析システムREGIA(Ryogoku East Gate Clinic Incident report Analyzer)に取り込んで活用している。まだ開発中だが、現在は月別、曜日別、時間別、報告者別、職種別、原因別、発生場所別、発生タイミング別などの機能を備え、簡単に分析ができる。さらに、複数の分類を掛け合わせて分析することも可能で、組み合わせ方次第では、これまで気づかなかった傾向が見えてくることもある。
 また、自由記入欄の中の内容をキーワード検索できる点も、大きな特徴だ。自由記入欄が充実している施設では、微妙なニュアンスも拾い上げることができ、対策を講じる際の大きな助けとなりそうだ。

■『どっきり!ひやり』を上手に活用するためには

 『どっきり!ひやり』をせっかくダウンロードしても、上手に活用しなければ安全対策につながらない。大山医師は
「インシデントレポートの重要性と効果について、事前に全スタッフに理解してもらうことが一番大切です。また、たくさん報告してもらうことは良いことですが、一部の人だけが多く報告するような状況になると、情報に偏りが生じます」
と話す。集まったデータが効果的に機能していることを理解してもらうためには、こまめにデータを解析し、フィードバックさせることが必要だが、最初のうちは集まったデータを回覧してもらうだけでもスタッフの意識の向上につながるという。
「なお当クリニックでは、賞罰を恐れて意図的に報告をしないという事態を避けるため、『インシデントの報告は賞罰の対象にしない』とスタッフ全員に明言しています。逆に、積極的に安全対策に取り組んでいる点は評価をします」(大山医師)


〜両国東口クリニックの場合〜

 同クリニックでは、以下のような流れで『どっきり!ひやり』をフィードバックさせ、安全対策に役立てている。

 インシデントが発生したら…

(1)『どっきり!ひやり』に入力
(2)管理者(所属長など)による入力内容の確認(ほぼ毎日見ている)
(3)1週間に1度開かれるリスクマネージメント会議(管理職が出席)で報告。
  対応策の検討・決定。
(4)結果をスタッフミーティングで報告。対応策を実施。
(5)2週間後に再評価


 対応策については、後日「きちんと実施されているか」「効果があったか」などを検証し、効果が出ていない場合は、新たな対応策を検討している。

■マスターを組み替えることで、どんな施設にも対応

 『どっきり!ひやり』は人工透析業務が中心の同クリニック向けに改良されてきた。しかし、マスターを組み替えることで、各施設向けの内容に簡単に変更することが可能だ。
 『どっきり!ひやり』の無料ダウンロードは始まったばかりだが、大山医師らは採用施設間で共通のシステムを使用しているという利点を生かし、情報の共有をしていきたいと考えている。
「透析医療において患者の病態把握、治療状況、転入、転出などの情報は、1年に1回情報収集され、統計調査報告が行われています。インシデントについても、透析医療でどのようなインシデントが多いのかを把握することは大事であると考えています。各施設でデータを共有できれば、施設独自のインシデントなのか共有のインシデントなのか分析が出来ますし、各施設の壁を越えていい対策も出し合えるでしょう。しかし、どのようなツールを導入したとしても、スタッフ全員がより安全な医療を目指すという意識を持つことが最も大事。インシデントレポートはそのための重要な情報源と捉えています」
と大山医師は話している。