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医療の質・安全学会 第1回学術集会に出席して

医療安全推進者ネットワーク理事
医療の質・安全学会評議員  寺岡 暉(*1

「医療の質・安全学会 第1回学術集会‐医療の質と安全をめざすパートナーシップ−」(高久史麿学会長)が、平成18年11月23日(木)、24日(金)の2日間東京ビッグサイトにおいて開催され、関係領域の専門家を含む広い分野の参加者が集った。筆者も、両日参加した。後に述べるように一部しか聞いていないので、全体を網羅することはできないが、概説と考察を述べたい。

医療安全の確保と医療の質の向上が、わが国のみならず全世界を通じて医学・医療の最大のテーマであり、医療界のみならず法曹界など広い分野の専門家が真剣に取組んでいることは言うまでもない。医療の質と安全の確保と向上は、医療提供者と受療者の共通の願いであるが、言わば現場の努力のみではこの目的は達成できない。医学・医療の枠組みを超えた学際的研究や取組みが必要であるというところから、平成17年11月「医療の質・安全学会」(高久史麿 理事長)が設立された。このたびはこの学会の第1回の学術集会である。

本学術集会のプログラムは特別講演、教育セミナー、シンポジウム、公開シンポジウム、ワークショップ、ミニワークショップ、一般演題、ポスター発表、ベストプラクティス報告からなり、内容は少なくとも取り上げ方においては、多角的で欠けるところのない学術集会と呼ぶに相応しいものであった。しかし、それだけに勉強する側からみると、どれかを選択して他を切り捨てるか、あるいは中途半端にあちこち会場を渡り歩くかしかなく、プログラムの構成に一考を要する。筆者は、出来ることならなるべく多くのセッションに参加したかったが、結局選択的に参加したので、抄録集を読んだだけのセッションも多い。抄録集は各団体に送付されていると思うので、お読み頂ければ全体像がより正確に把握できると思う。

高久史麿学会長は、開会挨拶および会長講演「医療の質・安全学会がめざすもの」で、2004年8月27日〜29日パレスホテル箱根で開催された第127回日本医学会シンポジウム「医学・医療安全の科学」Science of safety in medical practice and researchを発端として、2005年11月本学会を設立し、この第1回学術集会開催に至った経由を述べた。また、日本医師会ほか各界の取組みや厚生労働省の医療安全対策会議報告書(2005年6月)についても説明し、さらに、Five years after To Err Is Human: what have we learned ? JAMA 2005 May 18;293(19):2384-90、を引用しつつ、2010年までに達成すべき目標を定めるのが喫緊の課題であり、本学会の役割でもあると述べた。また、医療の質・安全の確保のためにわが国の財政状況の中でどれだけの費用を医療に投じるかと言うことは国民全体で考えるべき課題であることにも触れた。

*1 医療法人(社団)陽正会 寺岡記念病院 理事長 Tel:0847-52-3140
E-mail:E-mail
http://www.teraoka-hosp.jp/

プログラムの概略

○ 特別講演 「医療の質・安全に求められるもの」

リスク・マネジメント財団副理事長(最高医療責任者) 佐藤 隆巧

○教育セミナー 2題
  • 「産業界の質・安全管理に学ぶ」トヨタ自動株式会社
     TQM推進部 古谷 健夫
  • 「患者の権利とパートナーシップ」
     NPO法人患者の権利オンブズマン 池永 満
○シンポジウム 2題
  • SY1「患者安全のシステムを創る‐医療の質・安全と医療者の労働環境」
  • SY2「医療の質・安全学会が果たすべき役割について−質・安全にかかる諸学の役割と緊急研究課題」
○ワークショップ 9題
  • WS1「医療の質・安全の取組みの現在−病院の取組み」
  • WS2「医療の質・安全の取組みの現在−行政・業界と第三者機関の取組み」
  • WS3「医療事故被害者救済の取組み−被害者とは誰か、救済とは何か、取組まなければならないことはなにか−」
  • WS4「医療の質・安全の取組みの現在−プロフェッションと学会の取組み」
  • WS5「医療の質・安全と費用(コスト)」
  • WS6「医療の質・安全とジャーナリズムの役割」
  • WS7「医療安全管理者と推進者に求められる能力」
  • WS8「医療専門職の育成と医療安全」
  • WS9「医療安全のための技術開発」
○Mini-ワークショップ 2題
  • 「医療の質・安全の向上をめざす市民・患者活動のリンケージ」
  • 「医療の質・安全の向上をめざす共同研究の推進」

概説および私的コメント

(全てを網羅していないことをお断りします。)
  1. 特別講演「医療の質・安全に求められるもの」
     佐藤 隆巧 リスク・マネジメント財団副理事長 ハーバード大学医学部助教授
    IOM(米国医学研究所)が「米国では、医療過誤による死亡者が44,000人から90,000人に上る」という報告書を発表した1999年のスターティングポイントから7年経つ。米国では医療過誤訴訟が非常に多く、賠償額が高額であることから、1976年ハーバード大学附属病院はCRICO ( Controlled Risk Insurance Company Limited )という医療過誤保険会社を設立。1979年CRICOはリスク・マネジメント財団(Risk Management Foundation: RMF )を設立した。RMFは医療プロセス全体を患者の安全・医療の質の観点から再デザインする“プロセス・リエンジニアリング”という概念を提唱し、取組んでいる。
  2. 教育セミナー1「産業界の質・安全管理に学ぶ」
    このセミナーで示されたトヨタにおけるTQM活動やPDCAサイクル(plan-do-check-act cycle)による問題解決方法は、国の政策推進方法(例えば医療費適正化への取組)のトレンドになっているもの。
  3. シンポジウムSY1「患者安全のシステムを創る‐医療の質・安全と医療者の労働環境」
    基調講演“Keeping Patients Safe: Transforming the Work Environment of Healthcare Workers”
    Donald M. Steinwachs Johns Hopkins University
    IOMのレポート“To Err is Human”では、医療過誤は High Reliability Systemsにおいて学ばれたプリンシプルを適用することによって防ぐことが出来るという強力なエビデンスが示されている。2004年のIOMレポート“Keeping Patients Safe”では、医療労働環境への視点に立ち、患者に直に接する機会の最も多い看護職にフォーカスを当てた。また、このレポートは患者の安全を守る組織に改革するための以下の4つ領域における青写真を示している。
    1. リーダーシップ、マネジメントの実施
    2. 組織の文化
    3. 業務能力
    4. 業務および労働環境のデザイン
     四番目のワーク・リデザインの領域では、長時間労働、疲労、患者のケアに必要な本質的仕事以外に時間を取られることが事故につながることを指摘している。また患者に接触する前の手洗を励行して院内感染を防止すること、薬剤投与のプロセスを改善して投薬ミスを防ぐことを第一に実践すべきであるとしている。
     シンポジストの日本看護協会常任理事楠本万里子、日本病院薬剤師会会長伊賀立ニ、名古屋大学医学部附属病院医療の質・安全管理部相馬孝博の各氏は、「看護の労働環境と医療安全について」、「患者への薬剤師の貢献−現状と課題」、「患者安全のシステムを創る‐人的資源の観点から医師の役割を考える」というテーマで、それぞれ看護師、薬剤師、医師の役割を述べた。共通しているのは三者とも医療の質・安全性の向上のためには人材投入が必要であり、深刻な人材不足が現状であることを訴えたことである。その解決策として各専門職の本来業務の見直し、多職種チーム医療の推進を挙げたのも概ね一致している。微妙な問題として、医師業務の他職種への委譲があげられた。また看護協会の代表が7対1看護の導入を評価するのは予想通りとしても、地域医療提供の主戦場である民間中小病院の現状を無視する風潮は看過できない。
  4. シンポジウムSY2「医療の質・安全学会が果たすべき役割について−質・安全にかかる諸学の役割と緊急研究課題」
    基調講演「医療の質・安全学会が果たすべき役割について−内閣府総合科学技術会議の役割とライフサイエンス分野推進戦略の紹介−」
    山本 光昭 内閣府参事官(ライフサイエンス担当)
    シンポジスト
    稲垣 克巳 「克彦の青春を返して」:医療事故調査委員会の性格をもつ第三者機関の設立を提唱。
    小松 秀樹 虎の門病院泌尿器科部長 「学会が果たすべき役割について 相互観察」:医療崩壊を防ぐのが本学会に課せられた最大の課題。peer reviewなど相互監視の確立、医療事故を調査する第三者機関の設置、公平な保障制度と医療安全を目的とする行政処分制度の整備が必要であるとし、医療提供者の処罰のあり方を総合的に検討するWGを本学会に設置することを提案。
    飯塚 悦功 東京大学大学院工学系研究科 「医療の質・安全学の確立に向けて」:医療安全学の知の体系・技術基盤の確立が必要であり、医療分野に相応しい形で提供されなければならないと。
    出河 雅彦 朝日新聞東京本社編集委員 「医療の質・安全学会が果たすべき役割について−質・安全にかかる諸学の役割と緊急研究課題」:行政、医師会、学会などから医療の将来を見据えた青写真が示されないままに「部分的な改革」が行われてきた。医療の質・安全学会には、医療関係者の教育・研修システムの問題点を洗い出し、具体的な政策提言につながる研究をしてもらいたい。また医療の安全・質の向上に必要な財源については、社会からコンセンサスが得られるような研究や提言が必要であると述べた。
  5. ワークショップWS−1 「医療の質・安全の取組みの現在‐病院の取組み」
     済生会熊本病院・TQMセンター長 副島 秀久氏による「クリニカルパスと質管理」、医療法人宝生会PL病院 理事・事務長 北島 正憲氏による「TQM(総合的質管理)による医療の質・安全確保に向けた取組み〜医療のTQM推進協議会〜」、 日本医療機能評価機構理事 大道 久氏による「日本医療機能評価機構における取組み」、国立病院医療安全管理協議会、大阪大学医学部附属病院中央クオリティマネジメント部 中島 和江氏による「国立大学病院医療安全管理協議会における医療安全への取組み」が発表された。全国の医療現場の参考になれば、という趣旨のセッションだが、人材難、資金難に苦しむ一般病院がどこまで取組めるかが問題。
  6. ワークショップWS4「医療の質・安全の取組みの現在−プロフェッションと学会の取組み」
     木下 勝之日本医師会常任理事がシンポジストの一人として発表されたセッション。
  7. ワークショップWS−6「医療の質・安全と費用(コスト)」
     医療の質を向上させ、安全な医療を提供する為には、財源が必要であることは論をまたない。手当ての仕方として、診療報酬による手当てとインフラストラクチャーの整備とがある。しかし、それぞれどの程度かけるのが適切であるかの説得力のある説明は、このセッション(5人の発表者)でも示されなかったし、議論もかみ合わなかった。これからの本学会の課題の一つであるが、むしろ日本医師会が社会的コンセンサスを得られるような論理性のある数字を示すべきであろう。
  8. ワークショップWS−9「安全のための技術開発」
     座長の東京電力株式会社技術開発研究所、河野龍太郎氏は医療システムの問題点として、作業の中断が多い、多重業務である、ディフェンスが弱い、人間の特性に環境を合せなくてはならないなどを挙げた。
     このセッションでは、医療システムをより安全にするためには、人間の能力を高めるアプローチとヒューマンエラーを誘発しにくい環境にするアプローチがあるという視点から、医療以外の産業界の考え方、医療現場の技術開発(看護師)、医療機器の安全管理(臨床工学士)、メーカーの取組み、シミュレーション・ラボセンターにおける教育の有用性(医師・管理者)が発表、討論された。
     医療事故原因の70%はヒューマンファクターであることを考えると、シミュレーション・ラボセンターによる標準化された医療技術臨床技能(スキル)の習得訓練は有用であろう。

全般的考察

  1. 医療の質・安全学会は高い目標を掲げており、第1回学術集会と呼ぶに相応しい大変立派な会が開催された。しかし現実の医療現場に目を向けたとき、人手不足と資金難で崩壊の危機に瀕している大半の医療機関は、何が必要かはわかっていいてもそれに手が届かないのが現実だ。このように学会での論議と現場とには乖離があり、これが大きくなると、学会が社会にアッピールすればするほど、現場の“努力不足”が目立つという事態を招きかねない。日本医師会の医療安全推進者養成講座や医療事故防止研修会など現場重視の取組みの重要性を改めて痛感した。
  2. とは言え学術集会の発表には、現場としても参考になることが多い。出席できる人はほんの一握りなので、発表内容をできるだけわかり易く医療機関に伝達する努力が必要。
  3. この度の学術集会で示された医療の質・安全への取組みと考え方の基調は、米国IOMの報告書、”To Err is Human”(1999 ) ,”Keeping Patients Safe” ( 2004 )にある。”Keeping Patients Safe”では、患者に接する機会の多いナースは医療ミスにかかわる率が最も多く、またそれを防ぐのにも最も近い立場にあるという観点から、ナースの作業プロセス、職場環境、技術などのリデザインにフォーカスを当てている。シンポジウム1において、看護協会代表のシンポジストは、24時間365日の看護サービスの質保証には、看護者の量・質の確保が不可欠であると述べているのには同感である。しかしその延長線に、この度の7対1看護師配置新設への高い評価をおいているのは、大多数の民間医療機関が深刻な人手不足と資金不足に喘ぎ、大病院優遇の制度のために経営難に陥っている現場を無視することにつながり、これがこの学会の風潮となるようなことがあってはならない。
  4. ワークショップ−9「安全のための技術開発」では、医療安全を、人間の能力を高めるアプローチとヒューマンエラーを誘発しにくい環境にするアプローチから分析し、仕事のプロセス、職場環境、チームワークなどを再点検して、ワーク・リデザインすることが重要であるというコンセプトが大切であると指摘している。このセッションで示された医療以外の産業界の考え方や取組み(「産業界の質・安全管理に学ぶ」)、シミュレーション・ラボセンターの設置は大いに参考になる。
  5. 看護師、薬剤師、医師など全ての医療専門職は、医療の質・安全向上のために人員確保の必要性を訴えているが、実態としてはこれを実現することが困難である。特定の限られた病院だけの質と安全の向上を誘導する医療政策(例えば7対1看護師配置の導入)は、医療界全体の質と安全を向上することにはつながらない。人材確保とそのための資金確保について、社会が納得できる提言をするのは日本医師会の喫緊の課題である。