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組織の構造的要因によって起こる事故・不祥事を予防するための「組織の健康診断セルフチェックシステム」

JR福知山線の脱線事故、一連の食品偽装事件、社会保険庁の年金データ消失・改竄事件など、組織が内包している脆弱性が事故や事件に結びついていると思われる不祥事が相次いでいる。医療に関連するそれも多い。相変わらず直接の担当者や直属の管理者、代表者など個人の責任をあげつらうことが多く、その場合、「再発防止に努力したい」との通りいっぺんの決意表明がなされて、うやむやのまま終結するのが常である。しかし同種の事故や事件はいっこうに止む気配はない。そこでこれらの「失敗」の背後にある組織的要因を分析する研究に注目が集まるようになってきた。それらの事故や不祥事を組織行動学の視点で検証し、似通った組織構造上の問題や、そのストレスに慢性的に晒されるヒューマンファクターの問題、その相互作用を明らかにして、「失敗」の発生原因を究明。再発予防策のヒントに供する目的だ。

「しかし、使い勝手がよくどの組織にも応用できるメソッドはいまだに開発されていない。だから個々の事例からの経験則やあるべき論から対応策を講じているのが現状だ。そこで事故や事件を起こす組織の構造モデルを示し、それを予防するために企業などが実際の現場で簡単に活用できる『組織の健康診断システム』を開発したい」とする研究会が、昨年夏に発足した。名称をLCB研究会という。

このシステムが思惑通り完成すれば医療の現場、関連組織でも使えると思われる。研究会の中田邦臣氏に話しをうかがった。

診断システムの構造モデルはスイスチーズモデル

LCB研究会のメンバーは産官学の管理職11名である。事務局を務める中田邦臣氏は旧財閥系総合化学会社の出身で、2007年より失敗学会(※用語解説)のメンバーの一員として、お茶の水女子大学の公開講座「組織行動学による失敗事例の検証」の講師をつとめた。その前期の最終講義修了後に「講義の中で紹介した組織的要因が主原因となる事故、不祥事などの未然防止に資する『組織の自己診断システム』の実用化を目指す研究会を立ち上げたい」と呼びかけた。

「その講義を受講していた人たちの中の数名と、私が所属している失敗学会で当該テーマを一緒に研究していた数名が呼応してくれてメンバー11人が集まりました。いずれもがシステム開発のあかつきにはそれぞれが所属する組織への適用を検討している人たちです」(中田氏)

研究会は上記前期講義の修了後、ただちに活動を開始。月1回の頻度で例会を持ち、システム開発に着手した。その開発コンセプトは、オーストリアの心理学者ジェームズ・リーズンが1990年に提唱して、たちまち世界に広まった「スイスチーズモデル」という組織事故の発生概念を基にしている。

組織はどんな組織でも自らの業務に派生する潜在的なリスクから身を守るために“防護壁”を幾重にも構築している。だが完全無欠ではない。その様はあたかも多孔性のスイスチーズに似ている。アニメの中でネコのトムに追っかけられるネズミのジェリーが逃げ込む例の穴だらけのチーズである。組織の防護壁はそれをスライスして並べた状態に模することができる。通常はいずれかの壁でハプニングはチェックされて防護が成功する。ところが稀に防護壁に生じている穴をかいくぐってすべての防護壁を貫通してしまう事象が起こる。大きな事故や事件はこのようにして起こる・・・。これがリーズンが唱える組織事故の構造モデルである。


スイスチーズモデル

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(「『防護壁モデル』による『組織の健康診断』セルフチェックシステム」(LCB研究会)より抜粋)

「この考えに基づけば、仮に幾つかの防護壁の穴を通り抜けるような事象が起こっても、他の防護壁で阻止できれば、大きな事故、不祥事にはなりません。そこで重要なのは、完璧な防護壁は存在しない、防護壁はなんらかの欠陥があるものだということを組織全体が承知することです。それを前提に穴が空きやすく劣化しやすい防護壁を常に監視し、穴が増えたり大きくなったりする兆候の早期発見につとめ、速やかに対応していくことを心がけていれば、大きな事故、不祥事などを未然に防止することができると考えられます。それを個人の経験則や勘などに依拠して行うのではなく、安定的にシステマチックに行わなければなりません。私たちの研究会は、そのツールとして『組織の自己診断システム』の開発に当たったのです」(中田氏)

機能しない防護壁を早期発見する手法

組織の防護壁の機能はいつも一定しているわけではない。業績や設備投資状況、人事異動など、様々な原因で穴の数が増えたり、大きくなったりする。その逆も有りうる。

では防護壁の機能低下はどのようにすれば発見できるか。

よく知られているのは、産業界の多くの現場で実施されている、“ヒヤリハット事例”を集めてリスクをマネジメントする方法である。1件の重大事故の背後には29件の軽度の事故および300件のヒヤリハットが起きているとするハインリッヒの法則に依っている。ハインヒッヒはアメリカの損害保険会社の調査部に所属していた人物で、労働災害を統計的に処理してこの法則を発見した。

ヒヤリハット報告による方法はわが国では医療界でも活用されている。ヒヤリハットは医療の分野ではメディカル・インシデントと呼ばれる。2000年に厚生労働省は国立の医療施設における医療事故の発生防止対策および医療事故発生時の対応方法について、マニュアルを作成する際の指針を示した。そのなかで各施設は医療事故防止対策検討委員会を設置し、独自の事故防止マニュアルを作成するとともに、ヒヤリハット=インシデント事例や医療事故の分析評価を行うように提言している。

これに従ってヒヤリハット事例を報告した施設の一覧表を見たことがあるが、同規模の施設でもずいぶんと発生件数に格差があって意外に思った。何をヒヤリハットとするか、それをいかに正直に報告するか。施設によって考え方にバラツキがあるように思えた。また、それを分析して事故防止対策とするには、設置・配置が義務付けられているリスクマネジメント部会やリスクマネジャーの能力に依る部分が大きいのではないか、と思われる。

運用法に課題はあるにせよ、ヒヤリハットによるリスクマネジメントは、防護壁の機能低下を早期発見する有力な手法であろう。

「ヒヤリハットによるリスクマネジメントをスイスチーズモデルの事故発生概念図に当てはめると、ヒヤリハット事象は幾重もある防護壁の1〜2枚目の壁を突き抜けたアクシデント、軽度の事故は数枚の防護壁を突き抜けた事象と見なすことができます」(中田氏)

LCB研究会が採った防護壁の機能チェック法は、このヒヤリハット手法を盛り込んでおり、

  • (1)防護壁を監視する物理的仕組み
  • (2)防護壁を劣化させやすい組織行動をチェックする仕組み
によって構成されている。それを人の健康診断に模して、それぞれに複数の診断項目を設定しているところに大きな特徴がある。以下補足すると、

(1)の防護壁を監視する物理的仕組みの診断項目では、組織の体力(Capacity)を診断する。
以下の4つの項目がある。
  • 組織事故を未然に防止するための独立した別組織があるか。あるいは機能しているか=モニタリング組織
  • 会計監査、業務監査、ISOなどの監査があるか、監査目的が達成されているか=監査
  • 内部通報制度などのホットラインがあるか、機能しているか=内部通報制度
  • 不正は許さないという法令(ルール)遵守精神の決意が明確か、実践されているか=コンプライアンス
(2)の防護壁を劣化させやすい組織行動をチェックする仕組みの診断項目では、組織が自律して学習する姿勢(Learning)と、組織の実践力(Behavior)を診断する。双方で7項目がある。
  • 新規の事業、取引、新製品開発、設備投資などを推進する際に適正なリスク評価システムを設けているか、正しく運用しているか=リスク管理
  • 自社および他社の過去の事例に学ぶ姿勢があるか=学習態度
  • 教育・研修制度は維持されているか、効果を上げているか=教育・研修
  • 組織のトップが掲げた方針・目標が下部にブレイクダウンされて実践されているか=組織トップの実践度
  • 事故やトラブルなどの再発防止と、それを未然に防ぐための取り組みがなされているか=KY(危険予知)・HH(ヒヤリハット)活動
  • man、machine、method、materialの4Mの管理ルールが制定されているか、改訂されるとき変更管理制度が維持されているか=変更管理
  • 組織内のコミュニケーションは良好か、メンバーのモチベーションは高いか=コミュニケーション

『組織の自己診断システム』は以上の11項目から成り立っている。なおLCB研究会の名称は上記項目のなかのLearning、Capacity、Behaviorの頭文字から採っている。

組織の健康診断
組織の健康診断

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使える組織診断システムにするまで

この診断項目はもともと20項目以上あったという。

「原発事故、航空機事故や産業界で起こった事故で著名な事例では組織行動学的な分析・解析が進んでいますが、そこから業種の枠に関係なく汎用性があると思われる最低限必要な防護壁と、その監視に関する事項を私が抽出し、叩き台としてメンバーに提案しました」(中田氏)

抽出するに当たっては、航空関係者によって開発され、産業界で普及しはじめているVTA法やM−SHELなどの解析手法を用いている(※用語解説) 。事故や不祥事の原因解析の際、客観的事実を顕在化させることに有用な手法である。

しかし、20項目もある診断表は実用的でなかったそうだ。

「それをどう絞り込んで洗練させていくか。研究会の命題はこの1点に収斂されており、メンバー諸氏はそれぞれの立場や経験からさまざまな意見を述べ、みんなで検討して徐々に洗練されていき、現在の形になったのです。とくに診断の際に使用する判断資料を普通の組織に備わっているものに限定するという考え方が提案され、これによって防護壁の状態を客観的に評価できるようになり、診断の信頼性が一段と高まったように思います」(中田氏)

診断の実施方法

この『組織の健康診断』を実施するときの留意点について、中田氏は次のように言う。

「可能ならば当該組織の上級管理者、中間管理者、第一線の実務者の3階層で同じ時期に実施し、その結果を公開しあい、組織の“健康状態、”すなわち防護壁の現状について共通認識する機会を持って欲しいのです。そのためのツールとして活用することが好ましいと思います」

2008年の6月19日の月例会では、3人のメンバーが完成間近のこの『組織の健康診断システム』を使って自らの所属する組織の診断を行った結果を報告した。一人は化学会社、一人はエンジニアリング会社、一人は研究機関に身を置く人たちである。化学会社に所属する人は数年前に社内で事故を経験していることもあり、上司の許可を得て診断を行ったという。

「診断システムのいわば試運転を研究会のメンバーで行ったわけですが、報告を聴くと、どの業種でも違和感なく使えたようで、診断結果についても客観性・再現性があることをうかがえるものとなりました。3人のメンバーはいずれも当該組織のトップ、中間管理者、実務者の3階層を対象として診断を実施したのですか、トップでは総じて防護壁がうまく機能としているとの認識があり、階層が下がるにつれて点数が辛くなるのは共通していました。これは他の複雑な手法による組織の評価でも出ている傾向で、私たちのシステムの実用性を物語るものだと思います」(中田氏)

ただし、3階層の認識のズレがあったからその組織は「問題である」ということではない。そのズレを認識して共有化し、事故や事件を未然に防ぐための対策を立てることにこそ意義がある。誤解のないように・・・と中田氏は補足する。なお、この診断の対象としては、管理者の目が現場へ充分に行き届かない規模の組織が想定されている。診断の頻度は年に1度が目安で、全社的に行ってもよいし、特定の部署で行ってもよい。また診断の対象となる三者については匿名を条件にしても、診断結果には影響は出ないそうだ。

『組織の健康診断システム』の医療現場での応用について、中田氏は次のようにいう。

「医療の現場では運用しやすいと思います。事故やインシデントの発生と、機能しなかった防護壁の関係がはっきりとしていますから。産業界や他の業種では事故や事件を防御できなかった防護壁を顕在化できないことがよくあります。したがって医療の現場では、このシステムを使って防護壁の機能をチェックして弱点を抽出し、その機能を修復、あるいはアップさせることはそう難しくない、と思います」

事実、LCB研究会のメンバーではないが、中田氏の関連する他の研究会のメンバーに、医療法人に勤務する人がいて、いずれ院内感染防止のためにこのシステムを使いたいと意欲を示している。

中田氏は、この診断システムはもっと汎用化できる余地が残っているという。それが成れば、どの業種・業態でも使用できるとの自信を覗かせる。最後になるが『組織の健康診断システム』は2008年度から3カ年計画で文部科学省の科学研究費補助金対象研究テーマ(※用語解説)のひとつに組み込まれたことを付記しておく。今年度の研究活動の一環として11月25日に東京大学農学部弥生講堂アネックスにて、シンポジウムを開催する予定である。

用語解説
失敗学会
失敗学の提唱者・畑村洋太郎氏(工学院大学教授)を会長として2002年に設立された。多数の法人会員、個人会員を擁している。
VTA(Variation Tree Analysis)法
事故や事件などの原因として組織的要因があると推測される場合に使用される事故などの原因解析手法のひとつ。
作業主体の時系列の行動が明らかになっている場合に使用し、通常から逸脱した行為や操作などを顕在化させる。
なお顕在化した行為、操作がなぜ行われたかの解析は「なぜなぜ分析(Why Why Analysis)法」で行う。
(「『防護壁モデル』による『組織の健康診断』セルフチェックシステム」(LCB研究会)より抜粋)
M−SHEL(Management-Software,Hardware,Enviroment,Life)
事故や事件などの原因としてヒューマンエラーに加えた要因があると推測される場合に使用される事故などの原因解析手法のひとつ。事故などが起きた事象が、人(Life)と作業マニュアル、規則などのソフトウエア(Software)との間にどういう問題があったか?同様に設備、機器などのHardwareとの関係、事故等が起きた環境との関係、更にマネジメントとの関係から問題点を絞り込み、事故などの原因を究明する。
(「『防護壁モデル』による『組織の健康診断』セルフチェックシステム」(LCB研究会)より抜粋)
科学研究費補助金
人文・社会科学から自然科学まで全ての分野にわたり、基礎から応用までのあらゆる「学術研究」(研究者の自由な発想に基づく研究)を格段に発展させることを目的とする「競争的研究資金」であり、ピア・レビューによる審査を経て、独創的・先駆的な研究に対する助成を行う。
(文部科学省より審査を委託されている日本学術振興会のサイトより転載)

2008年10月23日(取材・企画:黒木 要)