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「当たり前のことを当たり前に」ギネス登録医師の医療安全対策

働き盛りの中高年を容赦なく襲う、くも膜下出血。そのほとんどは脳動脈が枝分かれする部分に生じた脳動脈瘤の破裂で起こる。脳動脈瘤の主な治療には、瘤の根元にクリップを挟むクリッピング手術と、カテーテルで瘤中にコイル状のワイヤを詰めるコイル塞栓術とがある。どちらも、瘤を破れにくくし、出血を防ぐための手立てだ。このうち、クリッピング手術のキーデバイスであるクリップを自ら考案、実用化し、数多くの救命に役立てているのが、総合新川橋病院(神奈川県川崎市)副院長の佐野公俊医師だ。手がけた同手術は累計3200例以上。2000年と01年にはギネスブックに登録された。一両年中に3回目の登録を予定している佐野医師に、手術を安全に行うための要点や、前人未到の手術数を支えたクリップの特徴などを聞いた。

佐野公俊医師
佐野公俊医師

手を止めさせた一過性の狭心症

「先生、(手術を)ストップしてもらえませんか!?」――。麻酔科医の緊迫した声が響く。手術用顕微鏡を構え、今まさに脳動脈瘤のクリッピング手術に挑もうとしていた佐野医師の手が止まる。患者の状態を刻一刻と知らせるモニターが心臓の異変を知らせたのだ。

脈拍を示すデジタルの数字は74から234の間を短時間に激しく乱高下する。即座に一過性の狭心症と判断された。無理にクリッピング手術を続けるのは得策ではない。

循環器科医が駆けつけ、念のためにAED(自動体外式除細動器)の電極パッドを患者に装着する。容態が落ち着くのを待って再開された手術は、循環器科医が万一に備えて立ち会う異例の“臨戦体制下”で続けられた。

脳動脈瘤の手術は通常、血圧を下げて行われる。強い血流で瘤が破裂する危険を避けるためだ。しかし、このケースの場合、血圧を上げないと心臓が音を上げる。脳にも心臓にも負担がかからない数値の範囲内で、手術は粛々と続けられた。

時間の経過とともに脈拍は次第に安定。しかし、脳動脈瘤の位置が深いばかりでなく、瘤周辺の血管や神経が込み入っていたことから、手術時間は当初予定を大きく上回る6時間に及んだ。2011年3月1日のことだ。無論、手術は成功。佐野医師の手を止めさせた患者は元気に術前の生活に戻っている。

こうして、佐野医師の脳動脈瘤クリッピング手術の実績に、3200例プラス何例目かが重ねられた。手術に限らず、一般に「数がすべてではない」という考え方がある。半面「数が物語る重み」があるのも事実だ。

「少なくとも国内では確実に前人未到」(佐野医師)というクリッピング手術数はどのように築かれてきたのか。

“臨戦体制下”で慎重に進められた手術
“臨戦体制下”で慎重に進められた手術

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臨床医の実績を測る物差しとして

医療施設や医師を選ぶ際に役立てられている、さまざまなランキング本。評価基準は発行元によってさまざまだが、ポイント制であれ、手術実績であれ、数が一定の目安になっているのは確かなようだ。命を預ける医師を選ぶのに、実績数1と100の差は大きい。

佐野医師が着目したのもその点である。「基礎に軸足を置いている医師は発表した論文の数で評価されるが、臨床医にはそのような物差しがない。そのころ、世界的に有名な医師のクリッピング手術数が1000例と言われていたので、世界に通用する評価機関としてギネスブックへの登録を思いついた」。

こうして、佐野医師は2000例の大台に乗せた2000年、2007例のクリッピング手術実績でギネスブックに登録。翌01年には2100例の手術実績で登録された。これを機に「ギネスに載った〜」は、マスコミが佐野医師を紹介するときの決まり文句になる。

内容の硬軟に関わらず、ギネスブックへの登録は自己申告による。「誰かの異論が認められれば外されるので、申告する際には合理的な裏づけが必要。例えば、すべての症例について、5W1Hを踏まえた記録を提出しなければならない」(同)という。

このようにして獲得したギネス登録を佐野医師は自らの単なるキャッチフレーズとしてではなく「手術のきれいさ」を示す評価点として位置づけているという。

累計症例数が認められたギネスブック登録証(2000年)
累計症例数が認められたギネスブック登録証(2000年)

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しなくてもよい無駄はしない

「実績が3000例を超えていても、きたない手術に価値はない。だから、数だけをいたずらに追うことだけがギネス登録の目的ではない」と佐野医師は強調する。

佐野医師の描く「きれいな手術」の要点は「しなくてもよい無駄をしないこと。その代わり、すべきことには手を抜かないこと」だ。いわば、コインの裏と表である。

脳動脈クリッピング手術に限らず、おおよそ、人の手を介する物事には決まった手順がある。それらの多くは長い間に磨きをかけられ、練り上げられ、これ以上簡単にできないというところまで無駄を省かれている。

だから、手術の場面では、必要な手順を落ち着いてきちんと踏むことが大切だ。無駄を省けば時間も早い。逆に、すべきところで手を抜くと、仕上がりは荒くなるという。要は「当たり前のことを当たり前にする」(同)ことだ。

実際、ライブ中継などでは「あんなこと、誰でも簡単にできる」と思われる手術をあえて見せるように努めているそうだ。一見簡単そうに見えることほど、実は奥深く、難しいことを若い医師に伝えたいからだという。

一見、簡単そうに見える手術ほど奥深い
一見、簡単そうに見える手術ほど奥深い

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術前と術後に描いた絵を比べる

佐野医師にとって、きれいな手術とうまい手術はイコールである。その結果として導かれるのが「安全な手術」である。

では、きれいな手術はどのようにすればできるのか。佐野医師が強調するのは難しい技術論ではなく、基本的な心構えである。それは「手術の全体像をできる限り思い描くこと」(同)だ。肉眼で術野や患部を確認できる開腹手術と違い、顕微鏡下の脳動脈瘤クリッピング手術では、患部へのアプローチや手技に対する自由度が限られている。

他の部位に比べて、時間的な制約も厳しい。そこでモノを言うのは「手術全体の流れや患部の状況、行うべき手順を丹念にシミュレーションすること」(同)だという。血管撮影だけに頼っていた以前の手法に比べ、3次元CTを活用できる現在は、患部の状況をさまざまな方向から自在につかむことができる。

佐野医師によれば「イメージをつかむことができれば難しくないし、患者さんにもそのように説明する。実際の手術は、描いたシミュレーションをなぞれば、うまくいく」。

そのため、若い医師に勧めているのが、術前に患部周辺の絵を描いて、術後に「答え合わせ」をすることだ。「両者の差がなくなれば、うまくなってきた証拠」(同)という。

術前には必ずイラストを描く。左の2枚は実際の様子
術前には必ずイラストを描く。左の2枚は実際の様子

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自分のビデオを普通の速度で見る

今日、手術の様子を動画で記録することは当たり前になった。肝心なことは、それを自らの技術を高めるのに、どう活用するかだ。

佐野医師は「自分のビデオを普通のスピードで見ることが大切だ」と説く。「ほとんどの人が遅いと感じるはずだから」だ。つまり、現場ではもっと早いと感じているのに、後で見返すと手際の悪さばかりが際立つ。

「それが、客観的に見て早いと感じられたら上達した証拠」と佐野医師は言い切る。同様に、ライブ手術などで、自分と同じだと思ったら、その人は「かなりうまい」、たいしたことはないと思ったら「同程度」、へただと思ったら「話にならない」というのが一応の目安になるそうだ。

「自分ではかなりうまいと思っていても、普通のスピードで見ると、さほどでもないことが客観的に分かる。その気づきが大切」(同)という。

自分の手術の速さを客観的に捉える姿勢が大切
自分の手術の速さを客観的に捉える姿勢が大切

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純チタン製で安全な手術に一役

佐野医師のギネス登録は、脳動脈瘤のクリッピング手術における累計症例数に対するものだが、使われたクリップは他社製であった。それは、登録が00年と01年であるのに対し、自らが考案した「サノクリップ」の誕生は02年であることからも明らかだ。

その意味で、一両年中に計画している3回目の登録は名実ともに「サノクリップ」の実力と貢献度を示すものになるだろう。

既製品に対する「サノクリップ」の特徴は大別して3つある。

  • 材質が純チタンであること
  • 瘤を挟む脚部に他社製にはない独自の曲がりをもたせていること
  • ねじれにくいこと――だ。

まず、純チタン製であるため、脳内に留置しておいても無害であるばかりでなく、術後のMRI検査に影響しない。次に、先を曲げてあることから瘤へのかかり具合が見やすい。そして、ねじれにくいため、手術を無理なく安全に進められる。

これらの利点はすべて、他社製の使い勝手に必ずしも満足していなかった佐野医師の「現場の声」を反映させたものであった。「こうすれば便利なのに。こうすれば、安全な手術がたやすくできるのに」と常々考え、探しているのに、適当なクリップが見つからない。なければ、自分でつくればよい。発想は至極単純であった。

独自の曲がりを加えたことで術野におけるクリップの位置が見やすく、2つに増えた支点のはたらきでねじれくい「サノクリップ」はこうして生まれた。

現在、第言ぢ紊泙膿焚修靴討い襦屮汽離リップ」は脚部の太さや長さ、形状、リングの有無などにより、170種類のバリエーションがある。

代表的なサノクリップ1
代表的なサノクリップ1
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代表的なサノクリップ2
代表的なサノクリップ2
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常用のクリップが収められたケース
常用のクリップが収められた
ケース

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新たな術式を拓くきっかけにも

きれいで安全な手術を実現するための日常的な心がけや器具(クリップや特殊鉗子、剥離子など)の開発とならんで、心を砕いているのが、未破裂動脈瘤の周辺に複数のクリップをかける「マルチクリッピング法」という術式である。佐野医師が10年前に提唱し、6年前には、かなり大きな瘤で成功させた。

「クリッピングの狙いは、ただ単に瘤を挟むのではなく、元の血管(親血管)を再構築して本来の血流に戻すこと」(同)という信念を形に変えた取り組みだ。

その実現のために「マルチクリッピング法」では親血管の表面に対して平行ではなく、深い部分に垂直にかけるようにする。単純なクリッピングは血流をさえぎる恐れがあるためだ。その上で、親血管に正しい血流が戻るよう、周辺をクリップする。その目的は、生死に関わる手術を正確かつ安全に行うことにある。

こうした術式の開発にも自由度の高い「サノクリップ」は貢献しているといえる。「サノクリップ」の登場を待たねば考えられなかった術式だからだ。これまでにない技術や素材から生み出された新製品が人々の生活をより快適に変えていくのに似ている。

「新たな術式は未破裂の脳動脈瘤クリッピング手術の安全性を高めるのに役立つのでは」と佐野医師は期待している。

本稿はクリッピング手術を通じて、手術の安全性と質の向上に取り組む医師の姿を紹介することを主眼としている。医療関係者の方は自らの経験を重ねて佐野医師の真意を汲み取っていただきたい。

プロフィール

佐野公俊(さの・ひろとし)氏略歴
1970年3月慶應義塾大学医学部卒業。米海軍横須賀病院(旧横須賀海軍病院)、足利赤十字病院、国家公務員共済組合連合会立川病院、慶應病院外科学教室などを経て、76年名古屋保健衛生大学医学部に赴任。79年医学博士。80年同大学医学部脳神経外科学助教授。85年日本救急医学会認定医。95年外国医師臨床修練指導医認定。2000年藤田保健衛生大学医学部脳神経外科教授兼救急部教授。00年と01年にクリッピング手術の実績数でギネスブックに登録。04年同大学医学部脳神経外科主任教授兼救命救急センター長。10年同大学名誉教授、同大学医学部脳神経外科客員教授。総合新川橋病院副院長、脳神経外科顧問に就任。世界脳神経外科連盟脳血管障害部門委員長。1945年3月、東京都生まれ。

連絡先:医療法人明徳会 総合新川橋病院
神奈川県川崎市川崎区新川通1-15
TEL:044-222-2111、FAX:044-245-4839
URL: http://dr-sano.com/


2011年07月14日(企画・取材:伊藤 公一)