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第25回:「透析医療におけるリスクマネジメント」



東京女子医科大学 腎臓病総合医療センター 血液浄化療法科
 教授 秋葉隆氏
     
 今回のスペシャリストは、東京女子医科大学腎臓病総合医療センター血液浄化療法科教授の秋葉隆氏。日本透析医学会の理事や、日本透析医会危機管理委員会の感染症対策部会部会長などとしても活躍されている。透析医療におけるリスクマネジメントのポイントとして、タイムスパンで分けて考えること、現状と問題点について伺った。 (取材日:2004年3月18日)





I タイムスパンで分けて考える
 リスクマネジメントをタイムスパンで分けて考えると、短いものから長いものまで非常に幅が広い。これらをバランスよく行っていくことが必要です。

(1)短いタイムスパン;日常透析操作
 透析患者は、1回4時間の透析を週3回行う人がほとんどです。一番短いスパンのリスクマネジメントは、この4時間の安全性を担保することです。透析中は、血液が体外循環するため血圧が下がり、いろいろなアクシデントが起こる可能性があります。このアクシデントを、透析システム、安全な医療用具の供給、それを使うスタッフの訓練などにより、いかになくすかということになります。

(医療器具の改良)
 透析の開始・終了の操作が機械だけでできる、自動開始・自動終了機能装置の開発が進んでいます。近々認可されるでしょう。これは医療スタッフの作業の安全性向上、省力化に役立ちます。患者さんの状態が一番悪くなりやすいのは、透析開始時であり、空気誤入などの大事故が起こりやすいのは終了時です。この時期を、機械を用いることにより、振れのない診療にすることが出来ます。

(院内システム)
 週3回外来で透析を受けている患者Aさんが、透析中に吐血した事例がありました。その日の問診結果、便の色がいつもと違ったので、看護師がAさんに「今日は、医師に相談してから透析をするか決めましょう」と話し、その場を離れました。Aさんは病室のベッドに横になって待っていました。その後、病室を通りかかった技士が「Aさん、透析を始めましょうか」と声をかけました。Aさんは先ほどの看護師の話を聞いていたにもかかわらず、いつもの調子で「はい、お願いします」と言ってしまいました。しかし、透析でヘパリンが入ると、Aさんは吐血しました。
 この事故の要因は、明確な「止め」が入っていないことです。透析をするのは手の空いた技士で特に決まっていなかったこと、看護師が医師に相談している途中だということを周囲に示していないこと、患者に指示したことが正しく受け止められたかどうか確認していないことなどが問題点です。
 対策としては、透析を開始するかはっきりしない患者をベッドに寝かせないことにしました。しかしそうなると、患者が安全に待てる別の待合室が必要です。結局、病院の設計の問題にまでなりました。

(2)中位のタイムスパン;感染
 もう少し長いスパンのリスクマネジメントとしては感染の問題があります。感染対策はやれば確実に防御できるし、リターンがあります。逆に、もしやらなかった場合に失うものはものすごく大きいのです。

(薬剤調合時の感染)
 過去に都内、最近では兵庫県でB型肝炎劇症化が集団発生した事件がありました。その時点では断定されませんでしたが、のちに、透析中に投与する薬の調合時にウィルス性肝炎に汚染されたということが明らかになりました。
 そこで静脈投与薬物からの感染を防止する対策をたてています。エリスロポエチン製剤(造血促進剤)は生理食塩水に溶かして使いますが、溶く操作の際に汚染することがあります。最近は、はじめから小さい注射器に溶液の状態で詰まっているものが売られ、一般的に使われるようになったので、エリスロポエチン調合時の汚染による感染はなくなりつつあります。
 まだ申請中ですが、ヘパリン(抗凝固剤)を透析用に希釈して注射器に入れたものも近日中に使えるようになります。これでヘパリン調合時の感染が防げるようになります。

(C型肝炎の陽性化率)
 C型肝炎ウイルス抗体がはじめは陰性だった人が陽性になった場合(陽性化)、通常感染があったと考えます。C型肝炎抗体が透析施設内で1年後に陽性化する率は平均2.2%というデータがあります。これは強烈に大きい数字です。ただ、数値の分布には偏りがあって、約6割の施設は陽性化率0%です。残り4割の高いところが平均値をあげているというのが現状です。また、データは、その施設が報告してくれたからわかった数値だということに注意しなければなりません。最悪の施設はHCV抗体を測ってさえいないかもしれません。もっと悪い施設も存在するかもしれないということです。
 陽性化率が高くなる最大の原因は、医療スタッフも患者さんも、陽性になっていることを認識していないことです。C型肝炎は通常不顕性感染であり、風邪の症状がでる程度で、検査しないとわからないぐらい軽いものです。しかし、長生きすれば、肝癌や肝硬変になる可能性が高いので、感染させてはいけません。
 GP(General Precautions)と言うのですが、人間はみな何らかの病気に感染しているというつもりで対応しなさいとしています。そうすれば、陽性の人が他人にうつすことも、陰性の人が周りからうつされることもありません。しかし、まだまだこの認識レベルが低いのです。そこで、陽性化率の高いところの対策をきちんとするように、という勧告を、近々透析医会と透析医学会が共同して出す予定です。

(隔離)
 米国疾病管理センター(CDC)は、B型肝炎は隔離することとしていますが、C型肝炎やHIVの隔離をリコメンドしていません。C型肝炎はB型ウイルス肝炎とくらべ劇症化する率も低いのでCDCはあまり重視していないのです。陽性者も、隔離されたからといって痛みが取れるわけではないから、何のメリットもありません。メリットがあるのは陰性の人だけです。また、隔離のためには専用の部屋も必要になります。当然、施設運営上は隔離する対象が少ない方が助かります。そこで患者数の少ないB型肝炎とHIVの隔離はする施設がほとんどですが、患者数の多いC型肝炎感染者の隔離はまだまだできていません。
 CDCが推奨していないから日本でも隔離する必要がないという人もいます。しかし、米国と日本では患者の母集団が違います。米国はC型肝炎感染者数が少ないし、移植が行われるケースが多いため透析期間も短い。施設内でこれだけ感染が見られる以上、CDCのガイドラインをそのまま受け入れるのではなく、日本にあったC型肝炎感染対策が必要だと思われます。

(3)長いタイムスパン;災害
(大規模災害)
 最後に災害の問題。災害対策は、お金と手間をかけたときに明確なリターンがあるかどうかわかりませんし、実際どこまでやったら有効かという検証ができていないため、非常に難しいのです。
 確かに運のいい人は全く遭わずにすみます。東京の透析医は、大地震による建物の崩壊、停電、長期間の断水などに一度も遭っていません。だから、1円もかけなかった人が結局一番利口だ、と考える人がいるのです。
 透析中の災害対策としては「緊急離脱セット」と言われるものがあります。ベッドサイドに備えておく鉗子と鋏のことで、価格は1セット3,000〜5,000円します。透析中に大地震が発生し、誰も回路を外してくれないなと思ったら、自分で出血しないように鉗子で回路をとめ、鋏で回路を切って逃げなさい、としています。しかし、これをうまく使えて逃げた患者さんはまだ1人もいないと思います。普通の震災であれば、数分待てばスタッフが来て、外に出ている血をきれいに体に戻してくれます。自分で回路を切ってしまったら、そこに流れていた血液(約200cc)が無駄になります。このようなことから、緊急離脱セットはほとんど使う機会がないという意見があります。
 その点、患者さんに施設付近の避難場所を周知し、災害時のスタッフの持ち場、役割分担を決めておくことは、コストをかけずにできます。消火器を持って駆けつける人、偵察に行く人、現場を指揮する人、そういう役割を決めておきます。透析室に誰もいなくなったら困りますから。

 透析患者は一見健康そうですから、災害時にあまり優遇されません。
 週3回の透析を行っている患者は、まるまる1週間透析できないと、生命の危険な状態になりますが、2回パスして3、4日までなら何とか大丈夫です。もちろんその間、塩のたっぷりかかったおにぎりが支給されても、食べるのは半分にして塩分摂取を控えるなど、透析を受けられないと自重して生活することが必要です。たくさん食べると、血圧が上がり脳出血を起こすこともあります。しかし、カロリーを補給しないわけにはいきません。
 阪神大震災の時には、周辺の避難場所で透析を受け終わった患者は、一刻も早く地元に戻りたがりました。けれど社会としては、さしせまった外傷者の対応を優先します。「透析患者だけを特別扱いできない」「誰もが水も食べ物もないのに透析までは」という言葉も聞かれました。透析患者一人の治療に必要な水で、20人の生活用水がまかなえる。そんな時に被災地で透析を受ける必要はないということなのです。
 
(都のマニュアル)
 全国の透析患者23万人の3割が関東、1割が東京都にいると言われています。都内で長期にわたる停電や断水がおきた場合、多くの患者さんを他地域で診療してもらう必要がでてきます。1万人単位での移動となると、自衛隊に協力してもらわなければならないでしょう。それには行政の力が必要です。
東京都健康局から「災害時における透析医療活動マニュアル」が発刊され、都内透析医療機関、救急医療機関に配布されています。大規模災害時の医療救護活動の命令、要請、及び情報連絡系統図や連絡先一覧などが記載されています。こういう下敷きがあると、行政が動いてくれます。

(災害時情報ネットワーク)
 日本透析医会では、ホームページを利用して、災害時における透析医療機関の情報伝達及び情報集計を行っています。
 【災害時情報ネットワークURL ; http://www.saigai-touseki.net/ 】
 昨年9月に北海道で起きた十勝沖地震の後には、ここにいろいろな情報が寄せられました。被災地からは「うちは震度いくつで配管が壊れましたが、すぐに修繕でき、現在は透析が出来ています。ご心配なく」、周辺部からは「うちは大丈夫ですから、○○人まで受け入れられます」などという情報が入りました。


II 現状と問題点
(1)母集団の重症化
 透析導入患者の平均年齢の推移をみると、1983年には51.9歳だったのが、2002年には64.7歳になっています。19年間で13歳も高齢化しているのです。また、患者の主要原疾患の割合推移をみると、糖尿病性腎症の割合が1983年の7.4%から2002年の28.1%まで増加しています。高齢で合併症の多い患者さんが増えているということです。当然、若い患者よりも、多くの医療処置が必要になります。看護師の手がかかるし、薬もたくさん飲み、入院者数も増えます。
 しかし、死亡率の推移を見ると1983年の9.0%から2002年の9.2%までほぼ横ばいです。これは驚異的なことです。母集団の重症化にもかかわらず、透析療法の管理を十分行っていることの表れです。(データ出典;「図説 わが国の慢性透析療法の現況(2002年12月31日現在)」日本透析医学会)
 今後、患者さんの重症化にどうやって対応し、いかに質を良くするかということを非常に心配しています。
 ある程度解決になるのが、移植です。移植を増やしたいという希望を透析医はみな持っています。しかし移植には、神に抗う考えを受け入れるかどうかという、文化との関わりが強くあるのです。

(2)行政との関係
 日本の総医療費30兆円のうち1兆円が透析に費やされている。一方日本の総人口1億2千万人に対し、透析患者は23万人である。透析患者はひとりで十数人分の医療費を使っている。だからこれを抑制しなければいけない、これ以上パイを大きくしたくない、という考えがあると聞きます。
 しかし透析をしなければ死んでしまう人が、月々約40万円の医療費で、普通に生活したり、仕事をして社会に貢献したりしているのです。決して医療費抑制の対象にしてはいけません。
 厚労省は、総額規制があるから、どうしても額の大きいところに目を向けます。そして、質を良くするために投資をするという方向ではなく、パイを小さくしようとするのです。
 
 透析医療の場合、基本的に患者さんの自己負担がありません。患者側にお金をたくさんはらって質の良い医療を求めるというモチベーションはないのです。質の高いより安全な医療提供を求めるなら、医療側のモチベーションを上げなければなりません。良い診療に対するきちんとした評価がなければ、質を担保できません。つまり、透析医療の質の向上は、行政側である程度コントロールできる領域なのです。行政側は、医療費抑制だけのためにいろいろ手直しをしていますが、自分たちが医療の質のカギを握っていることをもっと自覚してもらいたいと思います。

(3)事故の許容範囲
 リスクマネジメント全てに共通して問題となるのは、事故の許容範囲をどうするかということです。
 航空業界では、飛行時間に対する事故回数の許容範囲を定め、それ以下にしようと決めています。医療業界では、医療行為に対する事故回数の許容範囲が決められていません。目標が高ければ高いほどコストがかかるのは明らかです。同じ10分の1にするのでも、1/10の事故率を1/100にするために増えるコストと、1/100を1/1000にするコストでは大きな差があります。後者のほうが膨大な人件費がかかりますし、過程も複雑化していきます。

 透析治療は長期にわたりますから、患者さんも診療内容を大体覚えています。若い医師や看護師が「これからあなたの穿刺をします」と言うとやはり不安そうにします。スタッフの一挙手一投足を見ています。場合によっては「ノー」、「もっと慣れた先生を連れてきて」とおっしゃる方もいます。確かに誰だって、可能な範囲で一番良い医師に穿刺してもらいたい。その気持ちはよくわかります。
 しかし、若い医師が後続でついてこないと、どんどんこの領域の医師が少なくなるという危惧があります。医師が若い時に訓練を受けて高い技術レベルに達しておいてこそ、将来エキスパートになれるのです。患者さんが若い医師にノーと言い出したら、日本の医療は遅れてしまいます。
 また、医療事故の中には不可抗力があります。不可抗力の部分を防止するには、医療従事者を増やすか、システムを多重化するしかありません。同じスタッフにいくら一生懸命やらせてもよくはなりません。
 ではどうしたらよいか。やはり、皆でここまでは許容範囲というのを決めて、それに合わせてお金をかけていくことが必要だと思います。医療側だけ頑張ってリスクを最低限にするということは、理念としてはわかりますが、実際には不可能です。私は決して、医療事故が起きることを許容しろと言っているのではありません。皆で耐えられるのはどこか、共通のポイントを見つけましょう、と言いたいのです。


 秋葉氏は「医療安全、事故はゼロ、そのためにいろいろな努力を惜しんではいけない、そう言っている人の3分の2は形式論に過ぎない」と言う。昨年末に厚労省が出した真空採血管の使用上の注意についても「あの注意を厳守した結果、採血のために何回針を刺すことになっても、逆流して感染するよりはいい、医療安全のためには不自由を忍びなさいとスタッフの努力にまかせた」と。
 厚労省はコストをかけないで、精神論でいった。コストを惜しまず、すぐに全品回収し滅菌した採血管に取り替えさせる方法もあったはずだ。
 医療事故の許容範囲をどうするか。それを決められる行政との関係が、今後のリスクマネジメントのポイントのひとつになるのだろう。