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医療技術の向上のために献体の活用を

~普及求め、医師らが活動~

医療の質と安全の向上を図るため、献体(亡くなった人または家族の意思により寄付される遺体)を利用して医療技術を習得する「サージカル・トレーニング」を国内に導入する取り組みが注目されている。2006年9月、医師らが中心となり、NPO法人「MERI Japan」(名古屋市)を設立。さまざまな活動をはじめている。同法人理事長の蜂谷裕道医師(はちや整形外科病院院長)に話を聞いた。

蜂谷裕道 医師
蜂谷裕道 医師

手術中の医療ミスは、医師の経験不足が一因

2002年11月、東京慈恵会医科大学付属青戸病院で、前立腺がん摘出のため、「腹腔鏡手術」を受けた男性が医療ミスにより死亡した。熟練した技術が求められる手術に、未熟な3名の医師が担当したことが最大の原因とされている。医師らは腹腔鏡の練習台として手術を行ってきた。地裁判決では、患者の安全よりも医師に経験を積ませることを優先させた、という指摘もなされている。自らも整形外科医として1年に200件以上の手術をこなしている蜂谷裕道氏はこう話す。

「この事件は言語道断ですが、実際のところ『医師は実際の手術の場で技術を身につけている』というのが実情です。しかし一人前に手術ができるようになるまでは時間がかかる。その間、ずっと患者さんを練習台として使わせていただくことになってしまいます」

またこの方法では、近年、普及が進んだ内視鏡や腹腔鏡を使った低侵襲手術の技術を習得するのはむずかしいという。低侵襲手術は患者の身体に負担が少ないうえに、入院日数が短く済み、医療経済の面でも非常に優れた方法だが、切開創が小さいぶん高度な技術が求められる。さらに、直接患部を見ることができないため、技術を習得しづらいという。

「最近は低侵襲手術からさらに発展した最小侵襲手術(MIS:Minimally Invasive Surgery)が登場しています。新しい医療技術はメリットを期待できる反面、リスクも伴います。新しい技術を安全に普及させるには、外科医が確かな基礎技術を持った上で、しっかりとしたトレーニングを受ける必要があるでしょう」

こうした問題を解決するために、模擬手技訓練装置を用いたトレーニングも行われている。技術の進歩により、体内の各組織に似せた機器が開発されているが、それでも実際の手術とは大きく異なる。また、ブタなどの動物を使った研修では、出血場面を経験できるものの、人間と臓器や骨の位置など解剖学的な構造が違うので、習得できる技術が限られてしまうという。

手術テクニックの早期習得に役立つ献体によるトレーニング

「手術のテクニックは、人体でなければ学べないことが少なくありません。特に、整形外科、脳神経外科など骨を削る手技が伴う手術は、実際の人体で確かめることが非常に重要です」と蜂谷氏。

現在、実際の手術に最も近い形で技術を学べる方法として注目されているのが、「献体(亡くなられた本人または遺族の意思により寄付される遺体)」を用いたトレーニングだ。米国はもとよりタイ、韓国など、海外には献体でサージカル・トレーニングが受けられる施設があり、医療安全のために技術を身につけたいという多くの医師に利用されている。ところが日本の場合、献体は医学生の解剖実習に使われることがほとんどで、外科医の手術のトレーニングに用いられるケースは非常に少ない。その大きな理由は、死体解剖にかかわる法律の運用が曖昧なことにある。

「死体解剖保存法は、『医学教育や研究目的の解剖』を認めていますが、『医学教育』の中に『外科医の技術向上のための研修』が含まれるか否かは、明確に規定されていない。いわばグレーゾーンです。禁止されているわけではありませんから、強行してしまうことも可能でしょう。しかしグレーのままで実施しても、今後の発展は期待できません。また、献体受付の窓口である篤志家団体の理解も得られないでしょう」と、蜂谷理事長は言う。

国内では事実上、献体による研修を受けることはできないため、海外の施設を利用する日本人医師も少なくない。しかし渡航などで高額な費用がかかるうえ、遠方ゆえに休診する期間が長くなるという問題が生じている。アメリカで2日間研修を受けるだけでも1週間、一番近い韓国でも、最低4日間は診療を休まなければならない。医師が自分一人しかいない地域で、代わりの都合がつかないようなケースでは、研修には行けないということだ。蜂谷氏はこう話す。

「こうした問題は、日本で献体を使用したトレーニングができるようになれば、解決することが可能です。また、医療技術の習得や開発のために、外国の施設や善意にいつまでも頼るのではなく、医療の質と安全については、日本国民みずからが負うべきではないでしょうか」

国内での普及を求めてNPO法人を設立

PDFファイル - 設立趣旨書
設立趣旨書

そこで蜂谷氏らは2006年9月、献体を使った手術トレーニングを日本に普及させようと、NPO法人「MERI Japan」を立ち上げた。

法人名は、米国テネシー州にある医療技術向上のために教育と研究の機会を提供する施設「MERI:Medical Education & Research Institute」から取った。

「米国の MERI は献体を使ったサージカル・トレーニング・コースを設置していて、多くの日本人医師が利用しています。いずれは MERI のような施設を日本に作ることが目標です」

「MERI Japan」のメンバーには医師のほか、弁護士や一般市民も参加し、手術器械を扱うメーカーも支援している。現在の主な活動は次の三つだ。

  • 献体をサージカル・トレーニングや医療技術の研究開発に使用できる法整備に向けて政府に働きかける
  • ゴーサインが出たときにすぐにトレーニングがスタートできるような環境を整えておく
  • 献体を通じた安全で安心な医療の在り方を一般の人にも理解してもらう

政府への働きかけについては、昨秋構造改革特区をつくってその枠内で献体の研修ができるよう、国に提案したが、認められなかった。現在さまざまな方法を模索中だ。 また実際、どのような場所、システムで献体トレーニングを実施していくかについては、現在国内で唯一、献体を医師の研修に利用している札幌医科大学に協力を求め、構想を練っているという。

「現在、大学の解剖学講座で献体によるサージカル・トレーニングを推進しようとしているのは、札幌医大だけです。そのため、サージカル・トレーニングに必要な未固定標本(ホルマリン処理をせずに凍結保存をする遺体のこと)を扱っているのも札幌医大だけ、という状況です」

そのため、同大では献体の登録をしてもらう際に、解剖実習に対する同意に加え、希望者にのみサージカル・トレーニングについての同意も取るようにしている。献体の窓口となる篤志家団体も、サージカル・トレーニング対して非常に協力的だという。

「現在、全国的に献体を申し出てくださる方は多く、大学医学部生の解剖実習だけでは利用しきれずに提供をお断りしているような状況。今後、MERI Japanとしても、一般の方に対し、トレーニングの必要性を積極的に啓蒙しようと考えています」

4月8日に開かれたMERI Japan主催のシンポジウムでは、参加者に対するアンケートが実施され、回答者60人のうち、21人が「医療技術の研修・研究開発に生かされるのであれば献体する」、9人が「医療・医学のためなら、どちらでも良いから献体する」と答え、「医学生の教育のため(従来どおりなら)献体する」を含め、半数以上が献体に理解を示した。

4月8日MERI Japan主催シンポジウム参加者アンケート

(設問)自身の献体を考えるか
・医療技術の研修、研究開発に活かされるのであれば献体する 21名
・医学生の教育のため(従来どおり)なら献体する 1名
・医療・医学のためならどちらでも良いから献体する 9名
・献体はしたくない 10名
・未回答 11名

※「従来どおり」とは解剖実習のみを指し、「どちらでも」とは 解剖実習とサージカル・トレーニングの両方を指す。

「国内で承認されれば、医師、患者双方の医療安全に対する意識は確実に高まります。日本人の体型に合った生体材料の開発にも道が開け、日本人特有の疾患に対する治療法の確立も見込まれるでしょう」と蜂谷氏は話している。

MERI Japan事務局(はちや整形外科病院内)
代表電話番号(052-751-8188)

取材・企画:熊谷わこ

カテゴリ: 2007年7月 5日
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