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当たり前のことを当たり前にすれば、医療事故を減らすことができる

診療科目を問わず、低侵襲手術は今日の外科医療が掲げる到達目標である。患者の心身両面の負担を減らす、入院期間の短縮化などで医療費を抑える、新たな術式に伴うデバイスの開発を促すなど、低侵襲手術がもたらす効果は大きい。一方で、不慣れな術者やチームワークの乱れがヒヤリ・ハットや医療事故につながる重大な事態を招くこともある。心臓血管外科の分野では近年、指の長さよりも小さな創(きず)だけで済む、胸を開けない低侵襲心臓手術MICS(Minimally Invasive Cardiac Surgery)が注目されている。この術式の現在の第一人者で、自らも530例を超える手術に関わってきた名古屋第一赤十字病院第一心臓血管外科部長の伊藤敏明氏に医療安全の視点からMICSの意義や要点、課題などを聞いた。

名古屋第一赤十字病院 第一心臓血管外科部長 伊藤敏明氏
名古屋第一赤十字病院
第一心臓血管外科部長 伊藤敏明氏

低侵襲で注目されるMICS(ミックス)

「胸の骨を全部切らなくても済む」――。

伊藤氏はMICSの利点をそのように説く。手術における低侵襲の第一歩はメスの及ぶ範囲を極力小さくすることだ。一般的な心臓手術では通常、首の少し下からみぞおちまでの25センチほどを真一文字に切開する。その下にある胸骨を半分に切って広げると心臓から大動脈まで一目で見渡せる。良好な視野を得られるため、ほとんどの心臓手術ができる。その意味で標準的な方法とされ、同院でも長年にわたって取り入れてきた。

半面、目立つ場所に大きな傷ができる。骨を大きく切るため、骨髄からの出血や骨の癒合不全、骨の感染(胸骨骨髄炎)という危険な合併症が生じることがある。その点、MICSは体の右脇の下を3~7センチほど切るだけで済む。手術は肋骨の隙間から一切骨を切らずに行うため、術後の痛みも軽いという。特に女性の僧帽弁手術の場合、創が乳房に隠れるので、腕を上げない限りほとんど分からない。傷跡が気になる女性には嬉しいだろう。胸骨を切らないので骨の治りを気にする必要がない。創の小ささは術後の回復を早めるのにも役立つことから治療的な効果も高い。

「患者さんの痛みや負担が少ない方法に向かうのは医学の基本的な方向性。実際、手術は大切開から小切開、内視鏡、カテーテル治療へと進化している。その点では、心臓外科だけが蚊帳の外にいた。胸骨正中切開は標準的方法だが、少なくとも『創が目立たないように手術してほしい』という希望があるなら、それに応えたい」。伊藤氏は同院の基本姿勢をそう言い切る。

ただし、冠動脈バイパス手術や大動脈瘤手術などには旧来の胸骨正中切開で臨む。「特に足の動脈硬化がある場合には正中切開が適している。単弁の弁膜症でも個々の患者さんの条件によってはMICSよりも通常の切開のほうがよい場合もある」(伊藤氏)。

要するに、なにがなんでもMICSで押し切るのではなく、状況に応じて最適な方法を選ぶという姿勢を重んじる。いわば「患者ファースト」だ。

僧帽弁形成手術後の傷跡
僧帽弁形成手術後の傷跡
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大動脈弁置換手術後の傷跡
大動脈弁置換手術後の傷跡
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MICSでやりやすくなった僧帽弁手術

後先となるが、本稿は新たな術式の導入に伴う課題や方策を医療安全の観点から考えるための一例としてMICSを取り上げている。したがって、その歴史や術式、手技などの詳しい解説は別の機会に譲る。

同院ではMICSを2010年に取り入れ、2016年12月までに530人以上に行っている。同院心臓血管外科を率いる伊藤氏は2014年10月のMICSに関する日本胸部外科学会卒後教育セミナー・アドバンストコース講師や2016年7月の「日本低侵襲心臓手術学会第1回学術集会」大会長を務めた。同年10月には欧州胸部外科学会で内視鏡下僧帽弁MICSのオーラルプレゼンテーションを行っている。いわば、MICS普及のための旗振り役だ。

そんな伊藤氏もMICSが初めて日本に紹介された2000年ごろは懐疑的であった。「今日のような専用器具がない上、出血事故が起きたりして、苦労の割には報われない。そうまでして導入する意味が分からなかった」。当時は主に冠動脈バイパス手術に携わっていたため、MICSの利点を生かせる弁膜症手術にはさほど関わっていなかったせいもある。

転機は伊藤氏が主任部長になった2005年に訪れた。「立場上、すべての手術に関わるようになり、改めてMICSに向き合う縁ができた。海外の学会を見ても世界的な流れであることが分かった。たまたまミュンヘンで見学したMICSが思ったよりも簡単そうだったので、当院でも始めることを決めた」という。

これまで触れてきたように、MICSは低侵襲であるという点で「患者ファースト」を実現している。では、医療者から見た利点は何か。「例えば、僧帽弁の場合、胸骨正中切開に比べて弁を真正面から捉えることができる。内視鏡で詳細な観察ができるのでやりやすい。創による感染の心配をしなくていいのもメリット。大動脈弁は僧帽弁ほどやりやすくはないものの、感染の少なさや回復の早さははるかに胸骨正中切開をしのぐ」。

にもかかわらず、MICSの普及度は必ずしも高いとはいえない。同院では僧帽弁手術の9割前後をMICSが占めるが、全国ベースでは2割強(日本胸部外科学会データベース)にとどまる。「何も分からずに始めるとつまずく場所があるからだ。技術的に難しい点はあるが、細心の注意を払って慎重に臨めばさほどでもない。視野が狭いので出血時の対応が大変だとかうまく弁が展開できないので見づらいとかでつまずく。それを防ぐ手立てはそれぞれにあるが、分かっていないと難しいからと辞めてしまう人が多い。創の小ささは道具の自由度を抑える。例えば、糸をむすぶ時、指が届かないのでノットプッシャーを使わねばならない。これもつまずきを招く要因の一つ。施設によっては手術件数が圧倒的に少ないのも普及を阻む。やっと1件やって、次が3カ月後では上達するわけがない」(伊藤氏)。

内視鏡MICSの概念図
内視鏡MICSの概念図
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余計な意地を張らず見切りをつける

「MICSは決して超絶技巧を求められるわけではない。しかし、これまでにない術式であることは確か。そのぶん、なじみがないので必要以上に難しく考えられるのではないか」。伊藤氏はMICSに対する"食わず嫌い"の心理をそう分析する。その上で、医療安全につながる心構えとして3点を指摘する。

第一は、余計な意地を張らずに見切りをつけるということだ。例えば、一旦MICSで始めたものの、不意の出血など状況によっては開胸に切り替えざるを得ない場合が稀にある。小切開にこだわるあまり、適切な見極めができないと事態をますます悪化させるからだ。同院の場合、統計的に1%の割で開胸に切り替えるという。そういう時、問われるのは一つひとつの仕事を落ち着いて丁寧にできるかどうかということだ。それは医師自身のプライドに関わる繊細な問題でもある。

「事故は思い描いたイメージと実際に自分ができることのバランスが崩れたときに起きる。周りからうまいと見られていても、自分はもっとできるはずだと思う医師がいる。つまり、自分の本当の実力と自己イメージの均衡が取れていない。そういう時に事故が起こる。上手な人は失敗しないかというと、決してそんなことはない。逆に、自分の力量が分かっていれば無理をしないので、自分のできることだけをしていれば、非難されるような事故は起きない」。

伊藤氏は近年相次ぐ医療事故の背景の一端をそう読み解く。

他科で行われることに目を向ける

医療安全につながる心構えの第二は、心臓血管外科以外の診療科で行われていることに目を向けることだ。例えば、同院のMICSでは手術で用いる3~7センチの穴のほかに5ミリの穴を開けてさまざまな手術器具や内視鏡を挿入する。左右の道具を別ポートから入れるのは一般的な内視鏡手術では当たり前のことだ。しかし、それを心臓外科の手術で取り入れたのは伊藤氏が最初である。それまでは欧州の先例にならって小さな穴から道具を2本入れてやり繰りしていた。

「欧州の権威の先生がそうしているので世界中の心臓外科医が真似た。しかし、実際にやってみると、やりにくいことこの上ない。それで諦めてしまった人もいる。そこで、あえて国内の消化器の内視鏡手術を見学したら、3つの穴を使い分けて無理なく操作している。自分で試してみたら、一気にやりやすくなった。内視鏡のキホンのキを知らず、自己流の誤った方法で難しい難しいといっていたわけだ。また、欧州の先生の内視鏡手術のビデオを見ていたら、無影灯が点けっぱなしにされている。モニターへの写り込みを防ぐために消すのが常識だが、それにすら無頓着で、やりにくい手術を続けている。考えてみれば、隣の部屋を覗けば最先端の内視鏡手術を学ぶことができた。その意味では、心臓外科医に教わるより、他の分野で学んだことが随分役立っている」(伊藤氏)。

ありのままを真摯に受け入れる

心構えの第三は、目の前で起きていることをありのままに受け入れることだ。

「要するに都合よく考え過ぎないという姿勢だ。例えば、出血した時、大丈夫じゃないかな、そのうち止まるんじゃないかなという裏付けのない見通しが一番怖い。自分に都合よく考えるのではなく、ちゃんと事態を把握し、確認して打つべき手を打つように心がける。うまくいってないのにうまくいっているように思い込むのも危ない。自分が観察したことをねじ曲げないことも大切。ところが、これがなかなかできない」(伊藤氏)。

MICSにおける医療安全の視点で伊藤氏が指摘するのは「完全に真似る」ということだ。同院を訪れるたくさんの見学者には表面的なことばかりでなく、細かな部分も注意深く見て真似してほしいと伊藤氏はいう。「例えば、術中に体温を少し下げるのには意味がある。うわべだけしか見ない見学者は体温を下げずに36度でポンプを回して合併症を引き起こす。すべての操作やセッティングには必ずそれぞれの意味がある。だから、生半可な理解でやると、たいてい失敗する。その結果、MICSは難しいと決め付ける。MICSは普通に手術ができる人なら誰でもできる。とはいえ、MICSにはMICSの流儀があるのも事実。だからこそ、真似するなら完全に真似してほしい」。

では、MICSの術者としての適性は何か。伊藤氏によると、まず、胸骨正中切開の手術が一通りちゃんと危なげなくできなければ話にならない。MICSならではの環境に慣れるには20例ほどの経験を積む必要があるという。「その間は苦しいが、乗り越えるためには、やる気が必要。なんとしてもMICSを身に付けたいという熱意とか根性とかがないと徒労感だけが残る。やらされているという心構えでは多分、途中で放り出したくなる。誤解を恐れずに言えば、これから心臓外科のコミュニティの中で名前を売っていこうとか、一人前になっていこうという30代後半の医師には取り組んでみる価値があるのではないか」(伊藤氏)。

航空機の安全運航手法に学ぶ

人命に関わる事故を未然に防ぐ安全対策という点で、医療と航空の共通性が取り上げられることが多い。伊藤氏は航空業界で広く使われている危機管理手法をまとめたCRM(Crew Resource Management)という訓練方法を知り、手術室とコックピットにおける人間関係のあり方に興味を持った。同院に赴任して間もないころだ。

「コックピット内で異変を感じたとき、下位の人は機長に進言するのをためらう。その間に事態はどんどん悪くなる。手術でもまったく同じ。部長の手術に対しておかしいと思っても怒られるのを恐れて何も言わない。そういう雰囲気のあるオペ室は珍しくない。だから、私は必ず声をかけてくれと言ってきた。何かあった時、言ってくれていたら怒らないが、言わなかった時には怒る。それが医療事故につながる恐れのある場合はなおさらだ。術者も機長も万能ではないから、一つのことにのめり込んでいると気づかないことがある。その場の雰囲気に飲まれることもあるだろうが、勇気をもって進言してほしい」。

自分だけの閉じた思いでなく、チーム全員に徹底させるため、CRMの要点を掲示していたこともあるという。「これまで曲がりなりにも大きな事故を起こさず、手術で好成績を収めてこられたのは、そういうベースがあったからではないか」。伊藤氏は着任以来の取り組みを振り返る。時代が変わっても、診療科目が異なっても、医療事故を減らす要点は「当たり前のことを当たり前にする」ことに尽きるようだ。

プロフィール

伊藤敏明(いとう・としあき)氏略歴

1986年名古屋大学医学部卒業。名古屋大学関連病院ローテート、カナダ・トロント小児病院留学などを経て97年名古屋第一赤十字病院に勤務。心臓血管外科専門医認定機構心臓血管外科専門医、日本胸部外科学会指導医、日本外科学会外科専門医・認定医、日本低侵襲心臓手術学会理事。1962年、長野県生まれ。

企画・取材:伊藤公一

カテゴリ: 2017年5月17日
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