医療判決紹介:最新記事

選択のポイント【No.466、467】

今回は、手術後の容体悪化に対する医師の対応について、病院側の責任が認められた事案を2件ご紹介します。

No.466の裁判例では、病院側は、看護記録に患者の容態につき「22時30分呼吸停止」との記載があることにつき、これは、苦しいという発言がなくなり、ぐったりとしたという意味であり、文字通り呼吸が停止したわけではなく、その時刻も確実なものではない旨主張しました。

しかし、裁判所は、看護記録以外のカルテ部分にも午後10時30分ころに患者の呼吸が停止したことが2か所明記されていること、医師が患者家族に対して、呼吸停止または肺機能の停止があったと説明していること、「呼吸停止」との記載がある看護記録は、他の記載と良く整合しており、このような意味合いの明白な用語を看護師という専門職員が、病院側が主張するような曖昧な身体状況を指すために看護記録の重大な看護局面の記述に軽々用いるなどということは、ほとんど理解しがたく、むしろ、その用語が普通に用いられるような状況が実際に認識されたのでそのように記載されたものと解するのが自然であること、患者遺族側が気管切開開始までの時間が長い点で過失がある旨主張するに至って、にわかに病院側が、それまで認めていた呼吸停止の事実や時刻を争いだしたという応訴経過などを総合勘案すると、看護記録に明記された記載を無視した認定はできないとして病院側の主張を採用しませんでした。

No.467の裁判例では、第1回手術の危険性(死亡の可能性)に関する説明義務違反の有無も争点となりました。病院側は、診療録記載のとおりの説明をしたと主張し、患者遺族側はそのような説明は受けていないと争いました。

この点につき、裁判所は、診療録記載の体裁自体も特に不自然とは認め難いことなどから、客観的事実としては、医師はおおむね診療録記載のとおりの内容の説明をしたものと認めざるを得ないとしつつも、次に、医師が患者及び家族らに対して診療録記載の内容を十分かつ正確に理解させるに足る説明をしたかどうかが問題となると指摘しました。

そして、通常は十分にかつ正確に理解させるに足る説明をしたものと推認されるところであるが、本件における遺族らが、患者の死亡後一貫して、患者が死亡する可能性について説明がなかったことを強く主張していること、死亡の可能性については、専門家ではない遺族らといえどもその意味の理解を誤るとは考え難いこと、仮に患者らに十分にかつ正確に伝えられていたとすれば、具体的にいかなる原因により死亡するに至るのかなどの質問がなされてしかるべきところ、そのようなことは証拠上窺われないこと、病院医師が遺族らに対し、「術前のムンテラで死亡の可能性のことについて充分説明しなかったことについてはおわびする。」と述べていること、患者やその家族らも当然に認識しているものとして、医師において、第1回手術により患者が死亡する可能性を十分にかつ正確には説明しなかったということも考え得ることなどから、裁判所は、医師が説明義務を尽くさなかった過失が存在すると判断しました。

両事案とも実務の参考になるかと存じます。

カテゴリ: 2022年11月10日
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