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No.306「食道アカラシア手術で患者の脾臓が損傷。県立病院の医師に手術手技上の過失を認めた地裁判決」

広島地方裁判所平成12年1月19日判決 判例タイムズ1077号260頁

(争点)

  1. 脾臓を損傷した過失の有無
  2. 縫合不全を起こした過失の有無

(事案)

患者X(男性・平成4年の手術当時62歳のタクシー運転手)は、昭和31年ころ、食道アカラシア(下部食道噴門部の弛緩不全による食道の通過障害や食道の異常拡張などがみられる機能的疾患)の手術を受けた。

平成4年9月1日、Xは、A病院の紹介状とレントゲン写真を持参し、Y県が開設・運営するY病院第1外科を受診した。紹介医の診断は、食道アカラシア(術後)、高血圧症、左横隔膜神経麻痺、痛風、逆流性食道炎であった。なお、Xは、A病院で薬物療法を受けていたが奏功しなかったため、担当医において外科的治療の可能性を考慮し、Y病院外科に紹介したものである。

受診時のXの訴えは、胸内苦悶感、喉頭部違和感(通過障害)、心悸亢進であった。Xは、これらの症状が5年前からあったが近日症状が増悪し、喉までのつかえ感と痛みが食後約5時間継続する上、食餌摂取困難による栄養障害から5kgの体重減少があることを訴えた。また、A病院での上部消化管透視撮影では、食道胃接合部における消化管壁の肥厚と内腔の狭窄(8mm径)及びそこから口側における食道内腔の拡張(5.5cm径)の所見を認め、前回手術部位の炎症性肥厚又は瘢痕性肥厚による食道胃設合部の狭窄を呈していた。そして、胸部単純撮影の所見では、左横隔膜の神経麻痺(昭和31年頃の手術が原因)による横隔膜の挙上が認められた。

以上より、Xを診察したY病院第1外科部長O医師は、食道アカラシア再発(術後再狭窄)であると診断し、治療方針として外科的治療を行うことを考えた。

Y病院においては、食道アカラシアに対する手術の方式について、①弛緩不全に陥っている食道下部のうち粘膜を残して筋層のみを縦切開して食道下部を拡張するヘラー法、②通過異常の恒久的拡張維持を図るための粘膜外噴門部筋縦切開・筋層横縫合、③術後の逆流性食道炎の予防と恒久的拡張維持のための粘膜弁作裂、胃底部縫着及び胃底部横隔膜固定、④迷走神経の食道下端部における廃絶による幽門部の弛緩不全を防止するための幽門形成術を一般的に組み合わせて行っており、本件においてもO医師らは、Xについて、上記のような内容の手術を計画していた。

平成4年9月16日、Xに対する手術が施行された。

ア 開腹

まず、Y病院のH医師がXの上腹部を正中切開にて開腹したが、開腹の際、Xが以前受けた胆嚢摘出手術時の皮膚切開部に腸管が癒着しており、その癒着を剥離する際、腸管の漿膜筋層が欠損したため、漿膜筋層縫合で補った。この際、粘膜までは損傷しなかった。  

開腹したところ、癒着が強度であり、また漿膜損傷があったことから、H医師からO医師へと執刀医を交代した。

イ 剥離

食道胃接合部では、胃底部から食道、脾臓にかけて横隔膜との間及び相互間の癒着が強かった。食道下部の噴門部は通常胃の背面にあり、食道の下端部を十分に露出して剥離しない限り食道の手術はできないこと、及び、ヘラー法を施行した後に胃底部を縫着するためにも胃底部を十分に剥離する必要があったことから、O医師はこれらの剥離を試みた。

剥離の際、O医師は脾臓を損傷し、出血させた。O医師は、すぐにガーゼ等を圧迫して当て、15分から20分程度の間止血を試みたが、止血は不可能となり、やむなく脾摘術を行った。

また、O医師は、剥離に際して、胃底部後壁に穿孔を起こしたため、直ちにカットグット糸にて連続縫合で縫合閉鎖した。

ウ 食道下部

O医師らは、前記のとおり、食道下部については粘膜を残して筋層のみを縦切開して食道下部を拡張するヘラー法の施行を予定していたが、前回手術でのヘラー法と思われる施術によって筋層が切開され、粘膜だけが残った状態となり、その部分の粘膜がところどころ膨隆し、筋層が癒着していた。

O医師は、筋層の癒着している部分をできるだけ剥離してヘラ-法を施行することを試みたところ、筋層が非常に薄くなっていたことから、食道胃接合部において粘膜の一部が穿孔した。そのため、内側の粘膜も含めた全層を切開するウェンデル法(全層縦切開横縫合法)に手術方法を変更して、3cmにわたって全層を縦に切開した上、ここをカットグット糸で連続縫合によって横縫合し、さらに非侵襲糸(絹糸)で結節縫合を加えた。なお、食道の前壁を縦切開することから、同部を通っている迷走神経は食道切開部にて当然切断されることになるため、O医師は食道周囲の迷走神経を結紮して切離した。

また、O医師らは、胃底部縫着も予定していたが、胃底部が横隔膜後壁との癒着のために萎縮しており、胃底部縫着ができない状態であった。O医師は、縫合不全防止のため、縫合部にベリプラストP(生体内での接着剤のような薬剤)を塗布した。

エ 幽門部

胃前庭部から十二指腸にかけては、Xが以前受けた胆石症による胆嚢摘出術のために強度の癒着があった。

O医師は、幽門形成術のため、幽門部から十二指腸までの癒着を剥離したが、剥離の際、十二指腸球部前壁に穿孔を来した。本来は肝臓の下面には胆嚢があるべきところ、Xの場合はその胆嚢摘出部に十二指腸が上行癒着している状態であったため、O医師らは当初、この穿孔を総胆管の穿孔であると疑ったが、Tチューブを挿入し、レントゲンで造影検査したところ、穿孔部位は総胆管ではなく十二指腸だったことがわかり、同部を絹糸により結節縫合で補修した。その後、O医師らは、幽門形成術を施行した。その際、O医師は、幽門部について筋層だけでなく全層を切開して縫合した。

オ 閉腹

O医師は、ドレーンを左側腹部から食道胃接合部へ、また右側腹部からモリソン腔へそれぞれ挿入留置して閉腹した。

なお、O医師らは上記各縫合につき、吻合部からの漏出が少ない方法である二層縫合により行い、その際に使用した針糸も、普通の針ではなく、針に糸が一本だけ付いているため針穴が開きにくいアトラウマティック針を使用し、さらに吻合部にベリプラストPを塗布し、もって縫合不全の防止を図った。

本件手術の手術時間は、4時間32分であった。本件手術中の出血量は全体で1065mlであったが、このうち脾臓損傷が原因となる出血量は全体の8割程度であった。

Xは、本件術後、発熱や白血球増加等の感染、炎症を示す所見が続いた後、同年12月7日にY病院を退院した。Xは、平成5年7月からタクシー運転手に復職したものの、体がだるいなどの体調不良のため、月間7日から10日しか仕事をしておらず、平成8年には退職した。

Xは、Y病院の医師らには脾臓を損傷した過失及び縫合不全を起こした過失があるとして、Y県に対して、損害賠償請求訴訟を提起した。

(損害賠償請求)

患者の請求額 合計 : 2500万円
(内訳:逸失利益1400万円+慰謝料800万円+弁護士費用300万円)

(裁判所の認容額)

裁判所の認容額 合計 : 1606万8355円
(内訳:逸失利益606万8355円+慰謝料800万円+弁護士費用200万円)

(裁判所の判断)

1.脾臓を損傷した過失の有無

この点について、裁判所は、止血が困難な状況であったこと、1000ml余りの全出血量の約8割が脾臓損傷によるものであること等から、Xの脾臓損傷の程度は、軽微な被膜損傷ではなく比較的深部に至る実質損傷であったと推認しました。また、裁判所は、脾臓摘出が可能であったこと、すなわち脾門部での血管処理が可能であったということは、下極方向の脾臓周囲の癒着はそれほど広範囲でなかったと推認しました。

そして、裁判所は、脾臓周囲の癒着がそれほど広範囲でなかったにもかかわらず、脾臓に対して、比較的深部に至る実質損傷を生じさせたことからすれば、O医師には、癒着部分の剥離に際して、脾臓に深部にまで至る実質損傷を生じさせないように癒着部を剥離すべき注意義務があるのにもかかわらず、剥離のために脾臓を牽引した際、指が脾臓の深部に入ったり、強く握りすぎたなどの手術手技の不備によって本件の膵臓損傷を生じさせたと推認し、O医師につき脾臓を損傷させた過失を認定しました。

2.縫合不全を起こした過失の有無

この点について、裁判所は、まず、Xには微小漏出が発生しており、その発生機序として、幽門形成部で縫合不全が発生し、そこから微小漏出が起こったこと、及び、この微小漏出のためにXの入院期間が伸長したと推認しました。

裁判所は、その上で、幽門形成術を施行する際は、筋層のみ切開して粘膜までは切開しないことが大部分で、粘膜が残ることから縫合不全は起こらないのが当然であるとの証人の証言などを前提に、O医師には、幽門形成術に際して、縫合不全を起こさせないために全層までは切開すべきではないにもかかわらず、全層を切開した過失があると判断しました。

裁判所は、また、証人の証言から、一般的に、消化管損傷について、剥離操作での損傷程度であれば、患者の栄養状態等が悪くない限り、縫合不全は通常発生しないこと、消化管の縫合不全の原因としては、大きく分ければ患者の栄養状態等と技術的な問題との2つになること、仮に技術的な問題が原因で本件の縫合不全が発生した場合、本件では幽門部を縦に切開し、菱形状に広げて横に縫合しており、縫合部の端の部分について寄せ合わせに食い違いが生じてしまったことなどの想定が可能であることを認定しました。その上で、裁判所は、本件手術前の平成4年9月9日になされた検査ではXの栄養状態に異常が見られなかったと認定し、本件の縫合不全の原因は技術的に不備があったことにあると推認しました。

裁判所は、これらのことから、O医師には、幽門形成部の縫合に際して縫合不全を起こさせないように縫合すべき注意義務があるのにもかかわらず、技術的な不備によりこれを惹起させた過失があると判断しました。

以上のことから、裁判所は、Y県に対して、上記「裁判所の認定額」の賠償を命じました。その後、控訴が棄却されて判決は確定しました。

カテゴリ: 2016年3月10日
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