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第1回:「異状死におけるリスクマネジメントについて」

東京大学大学院法医学教室 客員研究員 新島仁先生

異状死については、医師法21条で「医師は、死体または妊娠4月以上の死産児を検案して異状があると認めたときは、24時間以内に所轄警察署に届け出なければならない」と規定され、違反に対し2万円以下の罰金刑の刑事罰を課すと定められ、その届出の性質については、殺人などの犯罪の認知と通報を通じた司法警察への協力であると意識されてきたと思われます。

しかし、こうした従来の感覚とは異質なものが近年議論され始めました。それは、医療が関与し死亡した場合における異状死届出の是非についてです。このことについて、医師を始めとした関係者は注意深く検討する必要に迫られています。

そこで、第1回目の「スペシャリストに聞く!」のテーマとして「異状死」を取り上げました。今回のスペシャリスト新島仁先生は、東京大学法医学教室の研究員、東京都監察医務院の監察医、内科臨床医としてなど、広くご活躍されています。では早速聞いてみましょう。

新島仁先生 新島仁先生

-最近「異状死」という言葉を聞くようになりました。異状死として届け出されるケースとしては様々なものがありますが、今回はリスクマネジメントとの関係で、医療事故や医療過誤関連の届出ということを中心に伺います。リスクマネジメントマニュアルに警察への届出という項目が含まれるなど、最近警察への届出制度に関する議論が聞かれるようになりました。しかし医療がらみの実際のケースを前にすると、どこまでが「疑い」であるのか、一体届け出をどうすればいいのか迷うことも多いと聞きます。

医療事故と医療過誤の境目は相対的なもので、本当の所は誰にも決められないんだと思います。文化的に流動的に決まっていく事なんだという気がします。

さて、透明性や情報公開、説明責任というのは今後の医療の方向でしょうが、そうした情報公開の動きと、この警察へ届け出るという規定は、実は相性が良くないのです。

-かなり問題のある制度であるということでしょうか。

制度が問題と言うより、解釈と運用の問題なんです。例えば殺人を目撃した人がいて、犯人が逃げてしまって通りがかった人が医者を呼びに行く。そこで医者が死亡確認して死体検案書を書いてしまえば、そこで堂々と火葬は出来るし、死んだ人の権利関係は一切終了する。一件落着。でもさすがにそれで終わりにして闇に葬ってしまうわけに行かないですよね。やっぱり警察に連絡して、ちゃんと殺人として捜査をしてもらわなきゃいけない。この当たり前のようなことをきっちり法的に義務付けたのが、医師法の規定のそもそもの意味であったはずです。条文上は「異状」のある場合には警察に届けなさい、というごく簡単なものになっています。

-リスクマネジメントの話とはずいぶん違いますね。

そうなんです。こういう話が医療事故や医療過誤についてのリスクマネジメントマニュアルに入っているのは、何か異質なものが紛れ込んでいるという違和感があります。もちろん時代の変化に柔軟に対応していくことは当然必要です。医療事故や過誤を対象にしていくのもいいのかもしれない。「異状」ということの解釈をそこまで広げることも可能でしょう。制度の運用を変えていくことで何とか社会状況の変化に対応してきたわけです。しかし、少なくとも最近まで医療現場から警察は遠い存在だったのが、今は解釈によっては医療の結果を警察に報告するような所まで相当変わってきている。その軋みがそろそろ露呈して来つつある様に思えます。

医療機関に広がる『臆病』と言う病

-届け出をする医療側にも変化があったのでしょうか。

いろいろ医療過誤の報道がなされるようになって、医療機関も防衛的になる。以前は医療側と患者側の互いの信用に支えられていたものが、後でもし訴えられたらどうしようと考えて、事前に、相手からの反論の余地をできるだけ少なくしておこうと思うようになる。よくリスクマネジメントマニュアルで「医療過誤の疑いがある場合は警察へ届け出を」とあるのですが、一般に「無いことを証明する」のは困難なわけですから、これは正しいけれど無責任な表現です。現実のケースは様々な要因が絡んでいて、人が死んでいる以上、その過程に技術的問題や注意義務違反が完全に無かったかという言われ方をされれば、すぐに反論は難しいでしょう。疑心暗鬼になればきりが無いわけで、届出が増えるわけです。例えば東京都区部の場合、警察へ届けがあるとさらに監察医が依頼を受けて検案を行いますが、なぜこれが異状死として届けられるのかと理解に苦しむものも少なくありません。届け出をされた先生とご相談させて頂くと、明快な届出理由があることはむしろ少なくて、この「○○は否定できない」というのが多い。何が起こるか分からないという不安が根本にあるんです。トラブルになってはたまらない、面倒なことは避けたいということが先に立っている。しかしそれが杞憂とは言い切れないという面があることが問題なわけですが。こういうケースに行き当たる度、『臆病』と言う病が医療機関に静かに感染して拡大していることを感じます。

遺族から見てもしっくり来ないケースもあると思います。かかりつけで往診を受けていたとか、特養老人ホームに入っていたとか、病死ではあるのだが死因が絞れないとか、医療事故以外にもいろいろなケースが異状死として届け出されます。こういう場合、患者や家族としては医師と信頼関係ができていたのに、いざ死んだからといってぽんと警察へ届出をされて警官がやってきて、と言うのはいかにも冷たいような気がします。ごく普通の死亡のはずなのに、いきなり警察が関与してきて戸惑ったという遺族は多いですし、「なぜ警察になど届けた!?」と遺族が医師を取り囲んでトラブルになることもあります。

正当な医療行為がきちんとプロテクトされる仕組みがなければ、この様な医療機関側の過剰防衛ともいえる態度は続くでしょう。

警察も困っている

-届出を受ける警察の方に問題はないのでしょうか。

届出を受ける警察側もその扱いには苦労しているのです。受けた届出に対しては何らかの処理をしなければなりませんし、その人手と手間は馬鹿になりません。異状死として届け出されるのは何も犯罪死体や医療事故関連だけではありません。犯罪と関係ないことは分かっているんだけれど、病名が確定しないから警察に届けた、というものも珍しくありません。これは、以前死因がよく分からない時に使われていた「心不全」という病名が使えなくなったことにも関係しているでしょうね。死因は良く分からないし、といってみんな病理解剖できるわけじゃないし、困ってしまう。しょうがないから届け出る訳ですが、この届出先が警察であるのです。警察にしてみればいい迷惑です。また一部の病院では警察の介入を積極的に進めるようになり、警察が「事件性が無いので警察の介入は必要ないでしょう」と病院側に伝えると「本件について今後トラブルが起きても以降は警察の責任とする」といった内容の念書を病院の要求に応じて警察側が書かされた、なんて話もあります。防衛意識のあまり警察に筋違いな負担を押し付けてしまう風潮が医療機関側に出てきつつありますが、これは警察には気の毒なことです。刑法犯の検挙率が20%を切りましたが、異状死届け出の対応には刑事が本来の仕事の時間を割いて当たるわけですから、余計な届け出は社会的コストの損失も招いていると思います。

異状死届け出は刑事手続き

-異状死として警察に届け出ることに伴う医療側にとってのリスク・問題点はどのようなことでしょうか。

医療側の届出意図が、正当な第三者による評価だとしても、その期待に必ずしもこたえられるわけではありません。警察に届け出をするということは、当然ながら刑事上の手続きのスタートを意味します。実際刑事さんたちが担当になっていろいろ調べるのですね。ただ問題が医療上のこととなれば、警察に判断能力はないですから、司法解剖へということになるでしょう。司法解剖となればその際、業務上過失致死被疑事件、被疑者誰々、と書類ができまして、刑法犯の被疑者になります。これは手続きとしてはごく正当で自然な流れであると言っても、ちょっと一般市民の感覚とは違うところもありますね。また、この段階で新聞やテレビのニュースになることがあります。結果として正当性が認められたにせよ、報道による損害はまず回復されません。

司法解剖の問題

-警察に判断能力がないとすれば、司法解剖がポイントとなりますが、その司法解剖に伴う問題はないのでしょうか。

司法解剖になれば一件落着かと思えばそうではありません。「法医学者は医療に関しては素人だ」と言う法医の先生がいらっしゃるように、司法解剖を行う法医学の医師は一般に医療から遠い場所に居ます。公的に鑑定を依頼される以上、回答の責任があるわけですが、医療が細分化している現在、医療上の是非の判断は法医学教室には困難なものになっています。これは法医学教室にとっては過度の負担を強いられていると言えますが、鑑定を待つ側にとっても不幸なことです。

-そうすると、異状死という形で医療側に警察へ届け出させていることが、廻り廻って再び医療側に問題を生じさせていると。

結局、犯罪のスクリーニングを医者にさせ届け出をさせている。そして届けた医者の方は、警察や司法に医療上の判断を漠然と期待している。こういうねじれた関係にあるのです。この異状死届出というのが、何を、何のために行うものなのかということが、分からなくなっている。東京都区部では、医師から警察に対し「医療が関連した死なのだが、異状死として届けたほうが良いかどうか教えて欲しい」という相談の電話が月60-70本あるそうです。そして制度の目的が分からないのは現場だけでなく、厚生労働省や警察庁という役所においても同じではないかと、私は感じています。

リスクマネジメントマニュアルという処方に含まれた変な成分

-はじめのところに戻りますが、リスクマネジメントマニュアルの中で「疑わしきものは速やかに警察へ届け出る」と明記すること自体、もう一度検討が必要ということになるのでしょうか。

考えてみれば、リスクマネジメントマニュアルと言うのは時代への対応に悩み臆病になった医療機関を救う一つの処方箋でもあるはずです。しかしその処方に入っている「異状死届出」という薬は、エビデンスを持たないまま従前通りに漫然と処方されているだけのものに私には見えます。一体どういう目的で処方され、作用と副作用はどのくらいなのか評価されていない。患者である医療機関は、何かこの薬変だなと思いつつも決められたとおりに服用する。かえって体の調子が悪くなるだけなのかもしれないし、ひょっとすると副作用で不随意運動が出たりして周りの人-遺族だったり警察だったり-にも迷惑になっているのかもしれないですね。

今後の展望

-それでは、今後リスクマネジメントの視点から、この問題にどう取り組めばよいのでしょうか。

今後どういう仕組みでこういう問題を扱っていくかは、いくつかの場所で議論が進行中であるように聞いておりますので、期待して待ちたいと思います。今の枠組み内でうまく運用していくのか、何か新しい仕組みを作るのか。法的整備の議論も重要と思います。

カテゴリ: 2002年4月15日
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