セミナー情報:最新記事

No.69「難病のALS患者が痴呆の症状を伴っており、人工呼吸器装着に関する患者や家族の意思が明らかでなかった場合には、医師が患者に人工呼吸器を装着すべき義務を負わないとした地裁判決」

仙台地方裁判所平成12年9月26日判決(訟務月報48巻6号1403頁)

(争点)

  1. 医師らに人工呼吸器装着義務違反があるか
  2. 医師らに説明義務及び意思確認義務違反があるか
  3. 患者の生命の危険が差し迫った時期における医師らの所為に過失があるか

(事案)

患者C(昭和7年生まれの女性)は、平成4年9月末ころ「手に力が入らず、炊事、洗濯がひとりでできにくくなった」などの自覚症状を訴えてS市立病院整形外科を受診したが、原因が分からず、国立Y病院整形外科、ついで神経内科を受診し、検査のため入院した。平成5年2月3日ころ、患者Cは筋萎縮性側索硬化症(ALS)と確定診断された。患者Cは、平成5年4月30日、Y病院神経内科を退院した。

平成5年10月20日ころから、患者Cの夫Xは、患者Cの痰の吸引が困難になり、自宅療養では対応しきれないのではないかと不安を感じるようになり、10月23日、患者CはY病院神経内科に再入院した。

同月26日午前6時ころ、Y病院の当直医E医師は、患者Cが下顎呼吸をしており、呼名反応も痛覚反応もない旨看護師から報告を受けた。患者Cの主治医M医師は、Y病院から連絡を受け、同日午前6時30分ころ、病室に到着し、午前6時35分ころ、患者Cに気管内挿管をし、人工呼吸器を装着した。

午前8時3分、患者Cの死亡が確認された。

Xが、患者Cの死亡はY病院の医師らによる呼吸管理の不適切さによるとして、Y病院の設置管理者である国に対して損害賠償請求訴訟を提起した。

*ALSとは、進行性筋萎縮症の一型で、原因は平成5年当時も判決当時も不明である。骨格筋、舌・咽頭筋、顔面筋の萎縮と筋力低下及び構語障害、嚥下障害を主要症状とし、やがては呼吸筋も麻痺するに至り、呼吸不全により死亡する神経疾患。この疾患には知覚障害、眼球運動の異常及び膀胱直腸障害が見られないことが特徴である。予後は極めて不良で、根治的治療法はなく、発病後約5年以内に死亡する例が多いが、人工呼吸器の使用による長期生存例もある。

(損害賠償請求額)

患者遺族の請求額 2000万円
(内訳:4年ないし5年の延命の可能性を失った患者の精神的損害に対する慰謝料)

(判決による請求認容額)

裁判所の認容額   0円

(裁判所の判断)

医師らに人工呼吸器装着義務違反があるか

裁判所は、まず「ALSは、早晩呼吸筋が麻痺して呼吸不全に至ることが確実であるとされる難病であり、延命を図ろうとするならば人工呼吸器を装着する以外に方法はないとされている。」との前提を述べました。そのうえで、「しかし、人工呼吸器を装着すると、発語及び食事の経口摂取ができなくなること、装着した場合であっても延命を期待し得るのは数年間に過ぎないことも少なくないこと、ALS自体が回復する見込みはない上、意思疎通を十分に図ることが容易でない闘病生活が患者の人格にも影響を及ぼすこと、闘病中の患者の肉体的・精神的負担、家族らの経済的・肉体的・精神的負担 は計り知れないものであること、更には、我が国ではいったん人工呼吸器を装着した後これを取り外すことは家族らがどんなに希望した場合であっても許されないとされていることなど、人工呼吸器の装着に伴って様々な問題が生じることは避けられない」と判示しました。

さらに、痴呆の症状を伴うALS患者は、人工呼吸器装着の適応ではないとする海外 医学界の有力意見・鑑定結果などに言及し、「医師が、患者Cのように痴呆の症状を伴うALS患者に対して人工呼吸器を装着することが許されるのは、患者あるいは家族の 同意を得た場合のみであるというべきであり、人工呼吸器装着に関する患者CあるいはXの意思が明らかでなかった本件においては、Y病院医師らは人工呼吸器を装着すべき義務を負うとはいえない」と判断し、呼吸不全が重篤化する以前に人工呼吸器を装着すべきであったという原告の主張を退けました。

医師らに説明義務及び意思確認義務違反があるか

裁判所は、まず、患者CがY病院に入院した平成5年当時においても、医師は、ALS患者又は家族に対し、人工呼吸器の装着の諾否を判断するに最低限必要な事実の説明及び意思確認をする義務を負っていたと判示しました。そして、本件においては、主治医M医師はXに対し、人工呼吸器装着について説明を行い、装着の諾否についての回答を求めていたと認定し、医師らの義務違反を否定しました。

患者の生命の危険が差し迫った時期における医師らの所為に過失があるか

裁判所は、当直医E医師の経過観察に過失はなく、患者Cの症状が急激に悪化したため、Y病院の医師らは救急処置に追われ、人工呼吸器装着についてのXの意思を確認する時間的余裕はなかったなどと判示し、医師らの過失を否定しました。

裁判所は原告の主張する医師らの過失をいずれも否定し、原告の請求を棄却しました。

カテゴリ: 2006年4月14日
ページの先頭へ