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第10回:「言語学からみた間違いやすい薬剤名」

埼玉大学教養学部教養学科日本文化コース教授 山口仲美先生

薬剤名の間違えは人命にかかわります。しかし、似たような名称が多数存在し、事故が起きても対応されないままのものがあります。そこで今回は言語学的視点から、薬剤名によるミスをどうしたら防げるかアプローチを試みました。ご登場いただいたスペシャリストは、現在、埼玉大学教養学部教養学科日本文化コースの教授である山口仲美先生。

国語学のスペシャリストに、言語的視点から「間違いがおこりやすい5点」「今後の命名の可能性」「言語に関する最新の動き」についてお話いただきました。

山口仲美先生

Ⅰ 間違いがおこりやすい5点

-似たような薬剤名がたくさんあることについて、先生はどのようにお考えになりますか?

私は普段「言葉の歴史」を研究していますので、その経験からお話しします。間違いがおこりやすいケースとしては、大きく次の5つが挙げられると思います。

間違いがおこりやすい5点
ポイント 対応
1 2字目と3字目は「転倒」がおきやすい。
(その次に3字目と4字目の転倒がおきやすい)
2字目と3字目を転倒させると同じになってしまうような名前は付けない。
2 次の3要件が揃うと間違いがおこりやすい。
  1. 1字目と2字目が同じ
  2. 末尾が同じ
  3. 長さが同じ位
せめて最初の2文字は異なるように工夫すべき。
3 「ン」「ソ」「シ」の字形に注意。 似たような位置に「ン」「ソ」「シ」があったら、工夫すべき。
4 長音符号(-)に注意。 初めの文字が同じ時は、同じような位置に長音符合がないように工夫すべき。
5 長い名前は記憶できない。 カタカナであれば、記憶に耐えられる8文字以内で命名すべき。

1. 2字目と3字目は「転倒」がおきやすい

日本語の言葉の歴史をみると、そもそも文字を見たときに人間は「転倒」して認識しやすいということがわかります。もっと具体的に言うと、日本人は「かな(ひらがな・カタカナ)」で書いたとき、2字目と3字目を転倒して取りやすいのです。

例えば「あたらしい」という言葉は、昔は同じ意味で「あらたし」だったのです。また、現在は「さざんか」と読む漢字の「山茶花」は、その表記の通り読めば「さんざか」ですよね。昔は「さんざか」だったのです。これらは2字目と3字目がきれいにひっくり返っています。このように2字目と3字目は変わってしまう、転倒がおきやすいということを言葉の歴史が証明しています。ですから、2字目と3字目を転倒させると同じになってしまうような名前はつけないでほしい、絶対にやめるべきだと思います。

それから、「2字目と3字目」の次に「3字目と4字目」も転倒がおきやすいのです。ごみの収集車のアナウンスをよく聞いてみてください。「毎度おさわがせして・・・」「毎度おさがわせして・・・」両方のパターンを耳にします。しかし、私たちは何かへんだなと思いながらもそのまま聞いています。言葉に対する違和感の意識が乏しいのです。

もう1例。駅名の「秋葉原」はどう読みますか?「あきはばら」ですよね。でも元々は「あきばはら」だったのです。

私自身の経験でも「おことの教室」を「おとこの教室」と読み違えてしまったり、「ふじまめの花」を「ふまじめの花」と読み違えてしまい恥ずかしい思いをしたことがありました。話し言葉では到底間違えないことも、視覚では間違いが起こるのです。

このように転倒が起こりやすい部分は特に取り違えやすいのだ、という意識を持って名前をつけることが大事だと思います。

2.揃ったら大変な3要件

  1. :1字目と2字目が同じ
  2. 末尾が同じ
  3. 長さが同じ位

この3要件が揃うとかなり間違いが起こりやすくなります。次の例を見て下さい。

  • 「アクチナミン」と「アクラシノン」
  • 「アスコタール」と「アスコネール」
  • 「アテネゾール」と「アテネノール」

これらはいずれも1:最初の1字目と2字目が同じで、2:末尾が同じで、3:長さが同じ6字であり、3要件が揃ってしまいます。見た目にも間違いやすいことがわかります。

さらに悪いことに、薬の名前は成分名からつけるという歴史的経緯がありますので、どうしても「ン」や「ル」で終わるものが多いのです。つまり2:の末尾はいやでも似てしまうということがあります。ですから、せめて最初の2文字は異なるように工夫すべきだと思います。

3.字形がそっくり「ン」と「ソ」と「シ」

薬の名前はカタカナがほとんどですが、その字形で特に見間違えやすいのが「ン」と「ソ」と「シ」です。

  • 「イソプロン」と「インプロヘン」
  • 「パソトミン」と「パントシン」
  • 「ビソポロン」と「ピンプロン」
  • 「パシフラミン」と「パンテチン」

これらは一見、すこぶるよく似ています。こうした字の形も意識して、似たような位置に「ン」「ソ」「シ」があったら、工夫したらいいのではないかと思います。

以前、喜劇俳優の「エノケ」が来るという看板を見て、その場へ行ってみたら、全然違う人が出てきたことがありました。よく見たら「エノケ」と書いてあったのです。わざと見間違えによる集客を狙ったものだったのですね。

また、「にんしん」とひらがなで書いてある喫茶店をみつけて、驚きながらそばによって見ると「にんじん」だったことがありました。濁点のところが薄くなっていて、遠くからは見えなかったのです。「点があるかないか」これも微妙な違いなので、気をつけたほうがいいですね。私の経験で、見間違えやすいことが証明されていますから。

4.長音符号にも注意

長音符号(-)は目立ちます。ですから、文字数が同じくらいで、同じような位置に長音符号が入っているとなおさら見間違えやすい。調べてみるとこのような例がありました。

  • 「ミコール錠」と「ミタール錠」
  • 「ミオナール」と「ミナトール」
  • 「セビノール」と「セイコール」
  • 「トキオサール」と「トコオサール」

長音が2字目位に入っていると、人間はまだ何とか識別するのです。しかし、初めの文字が同じで、長音が後ろの方で同じような位置にあるとかなり間違えやすくなります。

5.記憶に耐えない長い名前

経験的に言うと、記憶に耐えられるカタカナは8文字が限界です。それ以上長いと、覚えなくなります。記憶に耐えないと、即ミスをします。以下のような名前をすぐに覚えられますか?

  • セフチゾキシムナトリウム
  • スルファメトピラジン
  • スルファモノメトキシン

特に急いでいる時、人間は、文字を全体の印象で捉えます。そこで、ともかく視覚で区別できるのが最重要だろうと思い、視覚的に見間違いやすいと思われる5点を挙げてみました。命名に際しては、以上の点に注目していただきたいと思います。

Ⅱ 今後の命名に際しての対応

-では、こうした間違いを防ぐためにはどうしたらよいでしょうか。先生は以前「売薬」の命名に関してご研究をされていらっしゃいます。その視点から、「一般薬」の命名にも参考になるようなアドバイスを何か頂けますでしょうか。

今後の命名に際しての対応
1 語感の固定観念にとらわれない
2 表意文字である漢字を用いる
3 面白く分かりやすい名前を付ける

1.語末にこだわらない

Ⅰの間違えやすい5点の第2点目でもお話した「末尾が似ている」という点に関してですが、薬の名前は成分名からつけられることが多いので、自然と「ン」や「ル」で終わるものが多くなります。また、江戸時代の漢方薬の漢字表記をみても「丸(ガン)」「散(サン)」「丹(タン)」など「ン」で終わるものが多いのです。それで「ン」で終わると薬の名前らしく見えるから、また「運がつく」と縁起を担いで(?)、売薬では「ン」を語末につけるものがたくさん登場しました。しかしそれでは選択肢がかなり限られてしまいます。

ですから、そのような語感の固定観念にとらわれず、バラエティに富んだ名付けがあってもよいと思います。その方が間違いを防げる薬の名前ができるのではないでしょうか。「ドミアン」というサルファ剤がありますが、どのように名づけられたと思いますか?この薬の主成分は「スルホンアミド」。これを語末から順に4字目までさかのぼって読むと「ドミアン」になります。薬っぽい名前に見えるからということで「ン」を語末にしたものと思われます。「ドミアン」は、かなり良く出来た名前ですが、可能性としては「ン」で終わらなくても、「スルホンアミド」などと、「ド」で終わることがあってもいいのではないでしょうか。語末にこだわらない、ということは今後の命名方法の1つの可能性といえると思います。

2.カタカナ表記にこだわらない

表音文字であるカタカナ名が氾濫していますが、もう頭打ちです。そこで、表意文字である漢字をつけたらどうでしょうか。売薬で例を挙げますと、毛髪剤で、戦前は「FLORINE(フローリン)」と表音文字で表記されてちっとも売れなかったものが、戦後「不老林」と漢字表記に変えてヒットしたものがあります。「加美之素」という養毛剤も、「カミノモト」とカタカナで書かれるより漢字で書いた方が「美しさを加える」という効能が暗示されてきます。こうした工夫をしていくと、もう少しバラエティに富むのではないかと思います。

3.わかりやすい名前

売薬では、江戸時代から面白い名前がたくさんあります。風邪薬でいえば、式亭三馬のつけた「夜のまになほる風薬」、またその息子の小三馬のつけた「引風一夜なほし」というものがありました。山東京伝がつけた、これを飲むと本をよく読めるようになるという「読書丸」という薬もありました。こうした名前は意味がわかるから覚えやすいですね。

このように、江戸時代には、文士がその仕事だけでは食べていけず、薬屋を営み、自分のところから発売する薬に名前をつけることが結構あったのです。そして商魂たくましく、その売薬を自作の中で宣伝しているケースもみられます。前出の式亭三馬は、化粧水に「江戸の水」と名づけ、自作の中にも「『江戸の水』を使って肌がすべすべに・・・」と登場させています。

一般の人に向けては覚えやすくて効能を示せるような名前がいいと思います。面白く分かりやすい名前を付けていくのも、これからの可能性の1つとして考えられるのではないでしょうか。

Ⅲ 言語に関する最新の動き

-言語に関する最新の動きで、命名の参考になるようなことはないでしょうか。

2002年の12月25日に、国立国語研究所「外来語」委員会から「分かりにくい外来語をわかりやすくするための言葉遣いの工夫についての提案(中間発表)」が出されました。分かりにくい外来語について、言い換えなどを提案する目的で設置された「外来語」委員会が、今回63語について検討結果を発表したものです(最終発表は2003年10月の予定)。これによると、同委員会は、外来語の問題点として、「読み手の分かりやすさに対する配慮よりも、書き手の使いやすさを優先しているのではないか」ということを挙げています。そしてなによりも分かりやすい言葉を求めています。分かりやすさを求めるという点は、薬剤の命名方法にも結びつくと思われます。発表されたものの一部を挙げてみましょう。

インフォームド・コンセント

意味
治療の前に、医師は、病状や治療の内容につき十分に説明を行い、患者はそれを納得して同意すること。
言い換え語例
納得診療。
注記
原語の概念を過不足なく言い換えられる語はないが、患者の視点に立って言い換えることが望ましい場合は、「納得診療」が分かりやすい。概念の正確さを記す場合は説明を付与して用いることが望まれる。

セカンドオピニオン

意味
自分の受けている診断や治療について、担当医以外の別の医師に意見を求めること。また、その意見。
言い換え語例
別の医師の意見。
注記
「インフォームド・コンセント」とともに、医療における患者側の新たな権利として取り入れられた大切な概念である。適切な言い換えを工夫するか、説明を付与することで、概念の普及に役立てたい。

ゼロエミッション

意味
生産過程や流通、消費過程などで排出される廃棄物(排水、排熱、排気ガスなども)を再利用して、最終的な排出物(不用物)を出さないようにする仕組み。
言い換え語例
廃棄物ゼロ。廃棄物完全再利用。
注記
概念を正確に伝えたい場合は、単に廃棄物を「ゼロ」にする「出さない」という説明だけでなく、「再利用」の概念を盛り込むのが望ましい。

当たり前のように使っている外来語も、いざ日本語での訳を問われると、つまってしまうことはないでしょうか。分かっているようで分かっていない言葉というのは意外とたくさん存在しているものです。

先程お話した「カタカナ表記にこだわらない」というところにもつながりますが、名前に漢字を取り入れるということもミスを減らす対策の1つになると思います。例えば、漢字訳の名前を付けてみる。ナトリウムは「塩」などと訳してみるのはどうでしょうか。

また、たくさんあるカタカナ語の名前の中に「亜鉛化窒素」という漢字表記の名前があれば目立ちますよね。識別のために表意文字である漢字を意識的に取り入れていくことは、わかりやすさのために有効な手段だと思います。

-最後に、命名について普段先生のお感じになっていることをお願いします。

これは薬に限らず、どの世界にもあることですが、わざと間違えを狙ったような命名はやめてほしいですね。これはモラルの問題です。例えば、いい薬の特許が切れた時に、後発の医薬品に、故意にそっくりの名前を付けて、間違えて買わせようとするようなことはやめてほしいと思います。辞書でも売れているものの解説文のパクリをやる。「イモ辞書」と呼ばれるんですが。食品でもデザインが酷似した同種他社の商品が存在します。消費者はイメージで買うことが多いですから、パッケージが似ていて、大事な情報が小さくしか書かれていないと、間違えて購入してしまいます。他のものならまだしも、薬の場合は命にかかわることですから、より強くモラルが求められて然るべきです。

それからやはり名前は意味がわかると覚えやすい。これからの薬の名前は覚えやすくて効能を示せるようなものがよいと思います。売薬で言えば、蓄膿症の薬に「ハナトール」、便秘薬に「ラクトール」などという薬名がありますが、結構考えられていますね。これなら一般の人も覚えやすいですよね。わかりやすさを目指すことがミスをなくす大きな要因になると思います。

Nakami  Yamaguchi

【Nakami  Yamaguchi】

お茶ノ水女子大学卒業、東京大学大学院修了。専攻は国語学。文学博士。現在、埼玉大学教授。国語審議会委員。著書に『命名の言語学-ネーミングの諸相-』(東海大学出版会)『たのしいネーミング百科』(三省堂)、『犬は「びよ」と鳴いていた-日本語は擬音語・擬態語が面白い-』(光文社)など。詳細はホームページ「山口仲美の言葉&古典文学の探検」でも。

擬音語・擬態語の研究にも取り組んでいる山口先生は、医療の世界で「ヒヤリ・ハット」という言葉が使われているのも興味深いとおっしゃっていました。薬局にある売薬では「ハッキリ」「サラサラ錠」などがあるようですが、医療機関で出される医療用薬品の名前に擬音語や擬態語をつけるのは難しいでしょう。それでも、江戸時代の文士さながら、山口先生のような方に薬の命名をお願いしたら、きっと覚えやすくて間違えにくい名前をつけてくれるのではないだろうか、と一瞬楽しい想像をしてしまいました。

人間は急いでいると視覚の全体的な印象で捉えがちであるため、視覚的に間違えにくい名前であることが最重要だと教えていただきました。また売薬や外来語のお話から、「わかりやすい」ことが間違いにくくする要件であることもわかりました。

実際に誤認により事故が起きている「サクシン」と「サクシゾン」は、「間違いがおこりやすい5点」のうちの第2点目「1:1字目と2字目が同じ、2:末尾が同じ、3:長さが同じ位」の3要件が揃ってしまったケースに該当しています。皆様も他の事例をこの法則にあてはめてチェックしてみてはいかがでしょうか。

また、もし会員の中に時間の許す方がいらっしゃれば、類似名称の薬品を並べて、どれだけ間違えやすいかを、ある程度の人数を対象に実験してみてはいかがでしょうか。間違い防止に向けて、皆様にご協力をお願い致します。

カテゴリ: 2003年2月 3日
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