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ナノテクノロジーにおける近未来医療の可能性

医療事故と言っても様々な種類の医療事故がある。その中には、医療従事者による手技の未熟さが起因しているものもあるだろう。それらに対する対策は医療従事者の手技の向上しかないのであろうか。テクノロジーによって医療の質そのものが劇的に向上すれば、手技の問題も緩和できるのではないだろうか。そこで、今回は、東京大学・医療ナノテクノロジー人材養成ユニット・ユニット長の片岡一則氏に、ナノテクノロジーにおける医療の可能性についてお話を伺った。

片岡一則氏
片岡一則氏

ナノテクノロジーとは

原子・分子レベルで作った超小型の機器等を応用する技術をナノテクノロジーという。これは、物質をナノメートル(nm、1nm = 10-9m)の領域において、自在に制御する技術が実現可能となったことから着目された技術。ナノメートルという単位は、我々の日常で使うことはほとんどないが、その大きさを説明すると原子・分子の場合は約0.1nm~10nm程度。たんぱく質が約20nm程度。インフルエンザウィルスが約200nm程度。大腸菌が約2,000nm(2μm:注1)、ダニが約20万nm(=200μm)程度、アリが約400万nm(=4mm)程度。イメージするのは困難であるものの、ナノメートルという単位がいかに小さいものかお分かり頂けるだろう。

このナノテクノロジーを活用すると、どのような利点があるのであろうか。「例えば、コンピューターは、驚異的に小型化・高速化することが可能となる。また、記憶媒体も同様に超大規模容量化することができる。さらに鋼鉄よりも10倍強く軽い素材を作ることができる」と片岡氏。現在、ナノテクノロジーは様々な応用の可能性が模索されているようだ。

(注1)
1,000nm=1μm(マイクロメートル)
1,000μm=1mm(ミリメートル)

医療における応用可能性

医療分野においても、ナノテクノロジーは十分に応用される可能性をもっている。片岡氏によると「超小型の探索船が、薬・遺伝子・超小型センサー・超小型手術機等を載せ、目的とする細胞まで血中を伝って到達する。つまり、薬を目的とする細胞まで届ける、体内で何が起こっているかをモニタする、また直接手術を行う等の応用が可能となる」。まさにSFさながらの世界である。1966年、米国で映画「ミクロの決死圏」が制作された。その映画では、医療チームを乗せた探索船を縮小光線で縮小し、人体に潜入した後で治療を施すといった内容であった。これらのSFはどうやら半世紀前後でSFではなくなるかもしれない。

ドラッグデリバリーシステム

期待される技術の一つはドラッグデリバリーシステム(DDS:Drug Delivery System)。これは小型探索船が薬を目的とする患部もしくは細胞まで運搬し投与するシステム。片岡氏によると「これにより、例えば抗がん剤自体の薬を体全体に投与するのではなく、がん細胞が集中している患部まで運搬することで、薬の副作用を非常に高いレベルで抑えることができる」と魅力的な近未来像を語る。この技術が確立されれば、人類は薬の副作用といった問題から開放されるのかもしれない。「このドラッグデリバリーシステムはナノテクノロジーにおける言わば内科治療」と片岡氏。

遺伝子デリバリーシステム

薬だけでなく遺伝子も目的とする細胞まで運搬することができる。この場合は、遺伝子デリバリーシステムと呼ばれる。遺伝子を目的とする細胞まで正確に運ぶことができるとどのような利点があるのであろうか。「ES細胞を使った再生医療の技術と組み合わせると、目的とする臓器を、自身の体内で再生することができるようになる。ES細胞(胚性幹細胞)は、すべての細胞に分化できる能力をもつ万能細胞。体内にあるES細胞に遺伝子を的確に運搬できることで、細胞の分裂の方向性を制御できる(分化誘導)」と片岡氏は言う。

現在のES細胞を使った再生医療では、他者の臓器を移植した場合の免疫系の拒絶反応の問題は解決しているものの、その臓器を移植するにあたって人体を侵襲するといった問題があった。また、移植する臓器を人間以外の動物で再生する場合にも倫理的な問題がある。これらの問題は、遺伝子デリバリーシステムとES細胞を使った再生医療が組み合わさること、つまり自身の体内で臓器や骨等を再生することで解決しそうだ。

ナノ診断器機

診断器機も超小型化することで様々なメリットがある。「現在、生化学検査はかなり進歩してきたものの、かなりの量の血液を必要とする。また、緊急である場合や、出先である場合の検査はなかなかできない。臨床検査の場合は、検査を委託して結果が戻ってくるまで、タイムラグがある。そういうときに用意されているのが、ナノ診断器機としてのヘルスケアデバイス。ヘルスケアデバイスには微細加工技術を使って多数の小型センサーがついており、例えば、一滴の血液を送るだけで多項目の診断ができる。耳たぶの血液一滴で、今まで静脈注射で取得していた以上の情報が得られる」と片岡氏はその利点を強調する。

その他、特定の酵素等と反応した場合に光・磁気を出す仕組みを探索船に乗せて血中に投与。MRI等の磁気共鳴装置で外部から体内のどこに何が分布しているかを把握することができる。もちろん、さらに技術が進みセンサーも機能向上すれば、体内で何が起こっているかの情報を外のコンピューターに直接送るといったことも可能になるだろう。これらの診断はin-vivoイメージング(生体内イメージング)といわれ、基本的には人体を出来るだけ正確にモニタするといったポリシーのようだ。このような人体情報の取得が非常に高い精度で可能になれば、従来医療従事者の注意力に頼っていた医療安全の部分も全面的にテクノロジーがバックアップする形で、問題自体が収束する可能性もありうるのではないだろうか。

ナノ治療器機

ナノ治療機器は、手術の役目を果たす。ナノレベルではないものの、既に現在では、顕微鏡下で行われる手術としてマイクロサージェリーが高度先進医療として実施されている。「マイクロサージェリーがマイクロレベルではなくナノレベルで実現できるようになると、現在よりも更に微細なレベルでの手術が可能となる。また、探索船に乗せる所まで技術が発達すれば、低侵襲が担保されると共に、人間の手や従来の器機では届かない領域での手術も可能となるだろう。ナノ治療器機よる手術はナノテクノロジーにおける外科治療」と片岡氏。

【図表1】

ナノテクノロジーが拓く豊かで安心な医療

■将来を見据えた人材育成

「ナノ治療というのは、特殊な診断・特殊な治療というものではなく、医療のハードウェア自体が間違いなくこの方向で進んでいく」と片岡氏。また、「ナノテクノロジーは知財の塊。もしこれらの技術・ノウハウ・特許などが、外国に押さえられてしまった場合、日本が外国に支払うべき対価は莫大なものとなる」と氏は警鐘を鳴らす。そして、「医療分野におけるナノテクノロジーを基盤とした産業を輸出産業にし、外貨を獲得すること。それができれば、医療自体のパイが膨らんだとしても、結果として国家的にプラスになる」と医療のナノテクノロジーにおける国家的ビジョンを語る。同氏がユニット長をしている「医療ナノテクノロジー人材養成ユニット」は、そんな将来を見据えた布石なのだろう。同ユニットは、ナノテクノロジーと医療を結ぶ将来的な人材育成を主眼におき、医学系人材には工学の知識を、工学系人材には医療の知識を学ぶ場を提供している(図2)。ここで育った人材が、日本の医療ナノテクノロジー分野をリードするといった構想だ。

さらに片岡氏は「一昔前は、国家の安全保障とは国防のことであった。これからは健康という意味での安全保障にシフトしていくべき。21世紀の安全保障は、軍需産業ではなく、個人の健康を守る健康産業と環境を守る環境産業に大きく移行していく必要がある」とその思いを熱く語る。片岡氏の国家的視点に立ったリーダーシップに期待したい。

【図表2】

なぜ新規の人材養成なのか?

<取材を終えて>

ナノテクノロジーはまさにSFのような話であるが、実現可能な技術の段階まで成熟しつつあることに驚きを隠せない。この技術が、安定的かつ廉価に運用されることができるようになれば、人間の平均寿命も飛躍的に上昇するかもしれない。また、医療安全に対する考え方も現在とは質的に違ったものになる可能性もあるだろう。日本における医療ナノテクノロジー研究の進展を待ち遠しく思う。

取材 田北陽一

カテゴリ: 2006年12月15日
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