第20回:「安全と癒し」



日本医科大学 助教授 高柳 和江氏
  

 先日、日本医師会の坪井会長から「国民が欲しいのは安全と癒しの医療」という話がありました。
 そこで、今回は日本医科大学医療管理学教室助教授であり、「癒しの環境研究会」代表世話人や「NPO 21世紀 癒しの国のアリス」会長としてもご活躍の高柳和江先生に、「癒し」のスペシャリストとしてご登場願いました。先生の考える安全と癒し、そのどちらにも共通するキーワードは「患者が中心」のようです。(取材日:2003年10月24日)

−本日は安全と癒しについてお伺いします。
(安全は癒しの基礎)
私は、癒しよりもっと基礎的なことは「安全」だと思っています。癒しには、「入っただけでホッとする、リラックスできるところ」「そこにいると元気になるところ」の2つが必要です。でも、それにはまず安全という大前提がないと入ってホッとすることなどできないでしょう。それで私は「ひまわりシェル」を構築して「安全」の管理に取り組んでいるのです。「安全」は癒しにもでてこないぐらいの基礎的なことなのです。

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−「ひまわりシェル」とはどういうものなのでしょうか。
(似たような事故に応用がきく)
 インシデントの分析には量的な分析と質的な分析がありますが、私は質的な分析が大切だと思っています。ただ、今までのシェル(SHEL)※ではとても難しいと感じたので、ひまわりシェルを構築したのです。ひまわりシェルの特徴は、ひとつの事例を広い視野でとらえることによって、他の似たような事例にも応用がきくというものです。転倒ひとつを一生懸命やれば、他の転倒もそれで全部カバーできます。今までのシェルだと、ひとつの事例について、それに対してどうか、ということだけなので応用がきかない。ひまわりシェルは応用がきくのです。
(※事務局注:シェルについては「スペシャリストに聞く!第3回」で紹介していますので、詳しくはそちらをご覧下さい)

 ひまわりシェルの詳しい内容は「よくわかる患者安全管理」をご参照下さい。 
よくわかる患者安全管理
ヒヤリハットや事故の分析・活用に役立つ!

著者:高柳和江

出版社:日総研出版
ISBN:4890147446
サイズ:単行本(231頁)
発行年月:2002年11月
定価:3,300円(税別)
        

(対策に優先順位をつける)
 最近のアメリカのトレンドは「ハーム・マネジメント(Harm Management)」です。昨年まではセンチネルイベント(Sentinel Event:SE)という警鐘的事故や命に関わるような事故について、優先順位をつけて対策を立てるとしていました。最近は、SEだけでなく、命に関わらなくても患者さんに害があれば直すべきだということで害(Harm)の方まで広がってきたのです。
 ひまわりシェルは本当に患者さんに害があることや、SEを分析していこうという手法です。大勢に影響のないような、例えばオムレツをスクランブルエッグにまちがえましたというのはやらない。時間の無駄。数よりも、質・内容が大切なのです。また、対策には優先順位をつけます。優先順位には「すぐに直せるもの」「これをしないと命に関わる重要なもの」「今から計画を立てて長期的にやった方がいいもの」の3種類があります。これらを勘案して、うちの病院はどこを優先してやっていこうかと考えていきます。

(患者を中心にすべての要因を列挙する)
 ひまわりシェルが他と違う大きなポイントは、患者が絶対中心という点です(下図参照)。
患者さんが悪かったから自殺したとか、患者さんがボケていたから転倒したというのはおかしい。患者さんがどういう方であろうと事故は起こってはいけない。そのためには患者をとりまくSHELLについて考えられる要因を全て挙げなければいけない。例えば、当事者以外の要因のところにはできるだけ多くの人を挙げなさいといっています。院長も、看護部長も挙げなさい、と。いろいろな要因を挙げることで対策をシステマチックにすることができるのです。



 要因を挙げたら、その事例から具体的に、認知(実際に起こった事実を挙げる)、分析(どうして認知した事実が起こったのか)、対策(全ての要因を絡めて再発予防策を立てる)を次のような表に書いていきます。

要因 認知 分析 対策
S(ソフト)
H(ハード)
E(環境)
L(当事者以外)
L(当事者)


−ポイントを具体的な例で教えて下さい。

(例1:いろいろな人を要因として挙げる)
 「患者さんに間違った量のKClを注射してしまった」という事故があったとします。今までのシェルだと、注射をした看護師だけが責められるような分析の仕方で、最後は「私が悪うございました」と一筆書く、となる。それではシステムとして改善しない。希釈をされていないKClが病棟になければそういう事故が起こりえないわけです。これをシステムとするためには、この病院の薬剤部にははじめからKClの原液をおかない、薬剤部は病棟に原液の状態では卸さない、オーダリングの時に画面に「KCl」と入れると、赤くピカピカ光って警告が出る、などの対策が必要になるのです。
 先日「タキソール」を「タキソテール」と入力ミスしたことによる事故が起きました。新聞報道によると、赤く点滅して「これは抗がん剤ですがいいですか?」という警告が出ていたそうです。でもこれだけでは防げなかった。
 さらに「二人目のドクターに確認しましたか?」「上司の了解がありましたか?」というサインが出るようになっていて、その後でなければ薬局は払い出しをしないというようなシステムがあればよかったのです。
 いろいろな人をいれたシステムを考えるためには、やはり要因をたくさん挙げることが必要です。要因をたくさん挙げるひまわりシェルを1度やっておくと、こういうことを考えられるようになります。薬のことをひとつ深く取り組んでおけば、その薬だけでなく他の薬にも応用がきくのです。

(例2:大きく書かない)
 概念的に大きく書きすぎないことが大切です。抽象的概念的に大きく書いたら意味がなくなります。「業務変更」では何をどうしたらよいのかわからない。せっかく事例から取り組むのだから、事例から考えられる要因、認知、分析、対策を具体的に書いていく。例えば「遅出を作る」とか。忙しかったのであれば、何時からが忙しいのか把握する。それがわかったら、実際に急患が入った際には○○に連絡する、そこから手の空いている看護師に来てもらうシステムを作る、というように具体的に書く。「業務変更」とか「業務の見直し」という書き方はやめた方がいい。

(例3:患者を中心に考える)
 忙しい時に、3人のナースのうち、2人が検温に行って、1人が食事介助をしている。食事が終わった後、患者さんから「痰が詰まったので取ってほしい」と言われ、取ったところ誤嚥してしまい、人工呼吸器をつけるようになってしまった、という事例がありました。
 これに対して普通のシェル分析では、マニュアルを作って、まず食事の前には吸痰してから食事をさせましょう、とその程度しか思い浮かばない。
 ところが、患者を中心にひまわりシェルで分析していると、「検温なんて必要?」ということに気付くようになるのです。検温は本当に必要な人だけに行えばよくて、全員にするのは時間の無駄じゃないか、となる。しかも、この事例で検温に回っているのはリーダー看護師だった。忙しい時間帯にいちいち体温計を配り歩いて回収する検温は、本当に必要な人だけにして他はやめるべきだ。あるいは最初からベッドサイドに体温計を置いておくという方法もある。そもそも、誤嚥しそうな人と、その危険のない人が一斉に食事を摂らなくてもいいのではないか。食事時間に時差を設けたらどうか。誤嚥の危険がない人は一斉に食べていただいて、誤嚥しそうな人は時間をおいて看護師がすぐに行けるような時間に吸痰をしてから食べるようにすればよいのではないか。こうしたアイデアが出てくるのです。

(会員へのアドバイス)
−本ネットワークでは「実態調査」を行い、会員の方からヒヤリハット事例の報告に協力して頂いています。これらの報告内容をひまわりシェルで分析するためのアドバイスをお願いします。

報告内容 先生からのアドバイス
配薬トレイの中に患者の薬を間違えて入れた。患者が気付き、訴えた為、確認後取り替えた。 患者中心の書き方になっていない。また、日本人に典型的なのですが、主語がない。主語を書くと、いかに患者本位になっていないかというのがよくわかります。
口頭指示による側注の実施漏れ 何をどのようにやらなかったのかという具体性がない。これが死ぬような薬なのか、死なないような薬なのかもわからない。
医師の書き間違え 書くところが書きにくかったのかもしれないし、ペンが良くなかったのかもしれないし、読みにくい字によるのかもしれない。その辺が全くわからない。

 
供/祐峭学に基づいた安全管理


(モノで事故の6割は防げる)

 事故は「モノ」を変えることによってその6割を防げる、と言われています。色を変えたり、形を変えたり、同じタイプのもので揃えたり、モノを直すことで事故の根本原因に対応できるからです。基本的な人間工学に基づいた安全管理が必要なのです。日本はそういうところにもっと予算を使えるようにすべきです。医療界の努力や、厚労省の理解は勿論、お金を出しても安全を買いたいということを社会がもっと求めるような方向に行くべきだと思います。

(色分けされた救急カートの引き出し)
 アメリカの病院における、こどもの急患への対策を紹介します。救急カートの引き出しが、一番上が赤、その次が緑、次が黄色、というようにそれぞれの段が色分けされています。その色に対応したメジャーリングテープをベッドの横に敷き、それにそってこどもを横に寝かせます。こどもの身長がテープの赤のゾーンだったら、救急カートの赤い引き出しを開ける。するとそのこどもの身長にあった薬、気管のチューブ、マスク等が入っている。テープの黄色ゾーンの身長であれば、黄色の引き出しから出して使う。わかりやすい。
 よく救急の場面で薬の単位を間違えたということがありますが、このようにカートに入っていれば間違えようがない。これが「モノ」で事故を防ぐということです。

(顔写真は歯と耳がポイント)
 アメリカでは患者さんを間違えないようにカルテや指示簿に顔写真を貼っています。現在日本の医療機関で、カルテに患者さんの顔写真を貼っている所がどれだけあるでしょうか。今まで1〜2件ぐらいしか聞いたことがありません。また、この顔写真のとり方がとても大切で普通の証明写真のような顔をしていてはダメなのです。顔が一番良くわかるのは「歯」です。麻酔科医は「絶対笑った顔写真で」と言いますよ。そしてもう1つは「耳」です。耳の形は皆異なっている。アメリカのパスポート写真は片耳が出ているものしか受け付けないです。正面を向いている写真はありません。でも日本では笑わないで、正面を向いて、と言うでしょう。基本的な人間工学に基づいていないのです。


掘〔しの環境

−ここまでは先生が「癒し」よりもっと基礎的とおっしゃる「安全」についてお伺いしました。次に「癒し」についてお伺いします。

(癒しで自己治癒力を高める)
 私が代表世話人をしている「癒しの環境研究会」が10周年を迎えました。これまでさまざまな分野の方と癒しの環境を考える会をもってきました。最近は病院の建て替えの際にアドバイスを求められることも多いです。今後も、癒しの環境について具体的に研究し、皆さんが納得できるようなデータを示していきたいと思っています。
 私は、人間は自己治癒力で治ると思っています。そして自己治癒力を引き出す環境にしなくてはいけないと思っています。

(癒しの3要素)
 癒しの環境の3要素は、ハードとソフトとそれをつなぐものと考えています。
ハードはソフトを規制します。例えばきれいなホテルではゴミを捨てるような気にならないでしょう。変な言葉使いもしませんよね。だからハードは絶対に必要です。
 しかし、今までの病院は入っただけで病気が悪くなるようなところが多い。
 ハードとソフトをつなぐものとしては、緑や美術品といったアメニティがあります。スウェーデンでは建設費の5%、アメリカのある州では建設費の0.5%をアメニティに充てるということが、法律で定められています。残念ながら日本にはありません。
 ソフトで一番大切なのはコミュニケーションだと思います。コミュニケーションというとすぐ「接遇」といって、見た目をニコニコしたり、「患者様」と口だけで実際は何もしなかったり、とかく形だけに、間違って狭めてしまいがちです。しかし、インフォームド・コンセントだけでなく、実際にすぐ何かをしてくれる、患者の疑問に答えてくれる、これら全てがコミュニケーションだと思います。日本人はコミュニケーションと言うと、すぐに「ああインフォームド・コンセントね」「カルテ開示のことね」とするのですが、患者さんの気持ちは、必ずしもカルテ開示をして欲しいわけではない。まず「私が言っていることを聞いてる?」ということなのです。

(顧客プロセス)
 そこで、医療にとっては新しい概念なのですが、「顧客プロセス」というものが、癒しのソフトとして大切になってきます。
 先日私のところへ来られた方のお話です。腰が痛いから膵臓癌じゃないかと心配して病院に行ったところ「腰痛です、膵臓癌ではありません」と医師に言われ、まず2週間薬を飲んだ。しかし治らないので、次に検査をしようということになった。検査をしたら異常が出ている。そこでCTを撮ろう、となる。それから予約を取るのでさらに2週間かかる。その途中であまりに痛みがひどくなったので、「何とかなりませんか」と病院に電話をすると、病院側は「痛いのでしたら救急車で来て下さい。でも、あなたはCTの予約をしていらっしゃいますよね」と言う。その方は、救急車を呼ぶほどでもないと思いその病院には行かず、家の近くの病院で知り合いの先生に痛み止めの注射をしてもらったりして何とか過ごした。それから予約の日にCTを撮り、1週間後に結果が出た。なんと膵臓癌の末期。患者の奥さんが病院に呼ばれて医師の話を聞きに行った。奥さんは「主人には告知しないで下さい」と言う。しかし病院側としては、末期だから退院してもらわないと困る。「痛みがあるのに退院と言われても。すぐにホスピスと言うわけにもいかないし」と、奥さんが困っていると、「では抗がん剤でもやってみますか、あまり効かないけれど」との言葉が返ってきたそうだ。一体これは何なのか。

 医療機関における顧客(=患者)はその病院に何を求めてきたか。痛みを取って欲しい、痛い原因を見つけて欲しい、すぐ治して欲しい、ということです。これを「顧客価値」といいます。そして顧客がどういうシナリオを描いてきているか。病院に行ったらすぐ検査をして、痛みをとってくれるだろう。もし癌だったら、告知をしてくれて手術をして治るだろう、というのが患者側のシナリオ。これを「顧客プロセス」といいます。
 しかし病院側にしてみれば、痛みであればまず2週間普通の痛み止めを投与して、治らなければ検査をして、次にCTを撮り、その結果を見て、というのが普通のシナリオです。腰が痛いと来院した人全てにCTをバンバンとりまくっていたら、全部査定されて引かれてしまう。日本の医療システムはそうなっているのです。初診の人にはCTを行えない。
 だから医療側のプロセスと顧客プロセスは違う。
 この顧客プロセスをどれだけ汲み取って医療側のプロセスに乗せていくかというのが、「顧客価値」を考えたやり方です。そういうことをきちんとできるのが本当の癒しのソフトだと思っています。そういうことをしていかないとこれからの病院はやっていけない。ハードにお金をかけなくても、医師の目、医師の判断など、ソフト面でもっと顧客にあわせることが出来るはずです。

(NBM)
 真に何が患者さんのためか、その人が求めているのは何か、それを患者さんに聞いていくことが大切です。そこで私は、NBM(Narrative Based Medicine)といって、患者さんの言葉を聞くということをやっています。患者さんの話を聞いていると、全然違う視点に気付くのです。
 先日、クローン病と診断された方3人のお話を聞いたのですが、3人が3人とも診断がつくまでに約2年かかったというのです。何故か。クローン病は「回腸末端炎」とも言われ、その症状は腹痛、下痢、下血、というもの。この3人の患者さんは「胃が痛い」「鳩尾のあたりが痛い」と心下部痛を訴えたのですが、そのことがクローン病と結びつくような医学教育がなされていなかったからなのです。
 3人の方は、皆「詐病」だと言われて痛みがあることを認めてもらえず、2年間ぐらい経過し、腸に穴があいたとか、腸閉塞で手術という段階になってやっと「クローン病」と診断がついたそうです。
 患者さんの言うことを聞いても、教科書を書き直してないからこういうことになるのです。医学部の学生が「クローン病のところに心下部痛とは書いてない、下腹部痛とは書いてあるけれど」と言っていました。教科書には、何十年も前の先生によって、回腸末端は右下腹部のことなので、そのあたりが痛いだろうというようなことが書いてある。
 患者さんの言うことを聞いたら、それにあわせて直していかなければならないのです。
 顧客プロセスもNBMもいかに患者さんを中心に聞くかということです。そして患者さんの自己治癒力を高めていくというのが癒しの環境なのです。


 事例の分析方法に困っていた方は、患者を中心にした「ひまわりシェル」でひとつの事例について要因をたくさん挙げてみると、新たな対策を見出せるかもしれません。
 また、癒しの環境作りにも、患者を中心とした「顧客プロセス」「NBM」が大切であることがわかりました。
 もうすぐ師走。忙しい今こそ、癒しについて考えてみてはいかがでしょうか。