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第34回:「医療の安全管理とモチベーション」



ヒューマンモチベーション研究所 代表 田川正則氏
     
 今回は、モチベーション(協働の質と人間行為の質)という視点から医療の安全について考えてみたい。スペシャリストは、国鉄本社保安課、民営分割の過渡期には国鉄及び新会社JRの本社中枢にて意識改革と安全の策定作業に係り、JR系ホテルの支配人等を経て、現在はヒューマンモチベーション研究所代表である田川正則氏。保安課時代に運転適性主任考査員に認定され、列車の運転に関わる従業員(運転士や保守係員等、事務業務以外の殆どの国鉄職員)の心理適性検査の管理指導とヒューマンエラー問題に関わり、最近は医療機関からヒューマンサービスやQC活動などの評価を依頼されている氏に、目に見えないモチベーションが安全に及ぼす影響について伺った。
(取材日平成16年11月16日)





(1) 国鉄の安全の歴史観から学ぶ医療界に欠けていること

  「どうしたらヒューマンエラーを起こさないで医療人を働かせることができるか」。モチベーションの増進は、経営者にとっては生産性の問題であり、個人にとっては「生きがい」の問題であり、地域社会にとっては安全・安心の問題です。
 言い換えれば、よい医療機関の存在価値は「医療の質とサービス」で決まり、「医療の質とサービス」はすぐれた個々の医療人のモチベーションによって決まるのです。
 わが国の安全システムで世界一と誇れるものは、国家の威信をかけて推進してきた原子力発電や宇宙開発ではありません。日本国有鉄道が独力で築き上げ、それを承継しているJR会社の鉄道システムです。
 しかしその国鉄が民営分割の際に、最も危惧されたのが組織の混乱と、大量解雇による職員の不安感からくる、モチベーションの低下に起因する鉄道事故の多発です。それは敗戦の昭和20年以降の列車事故(衝突・脱線・火災)が、それまで安定していた昭和16年当時に比べて列車走行100万km当たり約6.5倍、最高約700件/年も頻発させた苦しい歴史的体験があったからです。
 この克服は、当時のGHQから国鉄総裁に対する、「従事員の適否を確認し、且つ規程の厳守を常に知らしめること」(昭和24年4月8日)という勧告にはじまります。国鉄が直ちに実施した「運転適性検査」と、安全綱領という名の「安全文化」の導入により、世界一安全なシステムを確立させたのです。
 国鉄はこのような安全の歴史観を踏まえ、民営分割が決定的になった昭和57年から、責任事故の徹底的把握による運転事故防止運動を展開しました。国鉄最後の15年間(1972〜1986)平均50件/年あった列車事故件数を、民営分割後のJRでは同じ15年間(1987〜2001)平均17件/年と3分の1まで減少させ、世界の鉄道界を驚嘆させているのです(図表1参照)。

図表1「列車事故件数の推移」

鉄道事業者 国鉄最後の15年間 JR以降後の15年間
年度 1972〜1986 1987〜2001
平均事故件数/年 50件
(1986年度は20件)
17件
(2001年度は6件)

 国鉄では<安全は哲学>だといわれていました。日本の国鉄改革の成功を「他山之石」として、鉄道発祥の地、イギリス国鉄も民営分割を導入しました。しかし、鉄道事故が後を絶たず、死者が出る重大事故が毎年のように起きて、10年を経ずして経営は破綻し、今ではJRから経営研修を受けているのです。このことは、単に経営手法を真似ても、安全への哲学が確立していないと経営が成り立たないことを証明しています。
 
 厚生労働省が平成13年から行っているプロジェクト「医療安全対策検討会議」(平成13年5月18日から平成16年9月17日)では、医療事故に対して損害保険会社は次のように指摘しています。
 
「保険会社の目から見ますと、一般の企業では 同じ企業で同じ事故はほとんど再発しません。例えば1つの企業で事故が起きた、あるいは火災が起きたとしますと、その企業はあらゆる手段を講じて原因を究明いたします。ですから、同じ企業が同じ事故を起こすことはほとんどありません。
 ところが医療界では、同じ病院で同じ事故が同じような頻度で発生しています。これはどうしてでしょうか。医療界という世界には学習効果というものはないのでしょうか」

 ここに医療事故防止の原点があると思います。


図表2「医療安全対策検討会議におけるキーワードの使用度数」



 医学では「ヒポクラテスの誓い」が医師の職業的倫理観として長く重視されてきました。が、平成15年12月に厚生労働大臣が「医療事故対策緊急アピール」を発表するほど厳しい医療事故の現状を鑑みると、中山米造阪大名誉教授らが提唱していたように、医学が進歩してきた現在では、この職業的倫理観がむしろ危険であり、<医療の安全は哲学>だという哲学的考察が現実問題に欠かせないように思います。
 医療安全対策検討会議の安全対策の議論は、「倫理、モラ-ル」に代表される職業的倫理観の向上しかないという強迫概念にとりつかれていることがわかります(図表2「医療安全対策検討会議におけるキーワードの使用度数」参照)。このようなやり方は本来保守的な手法であり、むしろ古い手法の手直しに走るのです。医療事故を分析的にやろうという考え方に内在している本質的弱点は、どうしても分析しやすいところ、例えばヒヤリ・ハットから分析し、そればかりに時間をかけ、他を軽視しがちなところです。
 「協働の質と人間行為の質」といった医療事故防止の基本となるモチベーション問題は、中核となる心理適性検査、燃えつき症候群に関する議論がとても重要なのです。
 医療従事者は知的労働者ですが、心理適性検査に関しては実施されていないので未知数です。それだけに医療事故を繰り返すリピーター医師問題や頻発するヒューマンエラーは、職業的倫理観の低劣というよりは、むしろ職業病とされる「燃えつき症候群」の影響で、医療従事者個人の心理的不適性が更に不適性化して医療事故を誘因させているのではないかと思います。

−では、「心理適性検査」と「燃えつき症候群」の2つについて解説をお願いします。

(2)心理適性検査とモチベーション
 
(国鉄の心理適性検査)
 国鉄(JR)で行なっている基本的な心理適性検査は、次の5種類です。
  • 作業適性に関するもの(内田クレペリン検査)
  • 識別に関するもの(図形や文字の並びを判定する知的検査能力、ある種の知能検査)
  • 注意配分に関するもの(0から48の数字を見つける探索能力)
  • 機敏性に関するもの(鉄道信号を認識する知覚運動機能)
  • 高速適応に関するもの(新幹線運転指令員、新幹線運転士のみ)
 いずれの検査結果も加齢により平均的に劣化し、同時に個人差も大きく出てきます。
 この中で個人の作業適性や加齢変化を最も確実に予測できる、内田クレペリン検査に絞り込んで説明します。

(内田クレペリン検査)
 この検査は、連続加算作業において単位時間あたりの作業量の変化を曲線で表し、この作業曲線から、作業の早さ、安定性、持続性、正確さなどが基本的なモチベーションの質として判定されます。
 もともとは、ドイツの学者クレペリンが精神病患者を治療するために使っていたもので、ドイツに留学中の内田勇三郎氏により日本に導入され開発されたわが国独自の作業検査です。
 現在、地方自治体、教職員、警察、自衛隊、JRなどで採用され、年間約100万人が検査を受けています(図表3参照)。

図表3「内田クレペリンの検査の方法と診断」

検査手法
  1. 並んでいる数字の一桁の足し算を連続して行う。15分作業し、5分休憩の後、再び15分作業を行う。この作業の出来高を一定時間で記録していくと、折れ線グラフのような曲線を描くことができる。その形と作業量によって判定する。
  2. 必要時間は、練習等を含め約1時間(実時間は35分)
診断項目
  1. 意識的モチベーションが作業曲線に及ぼす効果
    1: 個人的特性や素質に基づく意志緊張の強さ⇒作業曲線
    2: 意志ならびに環境的な変化⇒波状的な動揺変化
    3: 作業に対する構えや精神的な態度⇒トレンド的な曲線変化
  2. 作業曲線に与える精神的因子
    1: 意志努力 2:気乗り 3:疲労 4:慣れ 5:練習
検査実施状態 年間約100万人(出典:日本・精神技術研究所)
【産業別の実施状況】
中央官庁(2箇所)、地方自治体(117箇所)、人事委員会(77箇所)、警察(30箇所)、医療法人(24箇所)、社会福祉法人(43箇所)、建設業(17箇所)、製造業(63箇所)、電気・ガス(4箇所)、運輸・通信(38箇所)、卸売り・飲食店(40箇所)、金融(20箇所)、サービス業(22箇所)、学校法人(48箇所)
検査の頻度 【参考】国鉄・JRでは3年ごと(採用試験では全員受験)
備考
  1. 内田クレペリン検査は、日本・精神技術研究所の指定用紙で行う。
  2. 判定者には理論的な知識、実験、判定の錬度だけでなく、実際の責任事故と比較検証した有資格者であることが求められる。
  3. この検査手法で「安全の質」の面で世界的な成果を上げているのが国鉄(JR)の鉄道労働科学研究所(RTRI)の研究である。

(内田クレペリン検査の作業曲線と判定)
 内田クレペリン検査の作業曲線の判定は、作業量の面から5段階、曲線の型や誤りの状態の面から6つの分類を、「良しとする定型」から「悪いとする非定型」まで合計で24に区分して判定します。
 悪い判定となる基準は、1:作業曲線が連続的右肩上がり(かなり疲労を伴う連続加算作業でありながら、通常人にない連続的な右肩上がりの性向は異常な興奮状態を示すものとされている)、2:作業曲線が連続的右肩下がり、3:ほとんど変化しない作業曲線、4:途中の休憩効果のない作業曲線、5:大きな下降・上昇または激しい上下変動を伴う作業曲線、6:加算の誤答の多い作業曲線などです。これらを持つ被験者は、程度の差はあれ非定型因子を保有しており、安全を伴う業務には不向きであるといえます。
 
 内田クレペリン検査作業曲線(図表4)の右図(C)は、日本心理学会(心理学研究46巻2号)論文から引用した内田クレペリン検査の1分毎の作業量(=モチベーション、以下省略)の変化を示しています。前期は概ね正常に推移していますが、休憩後の後期は作業量が激減・激増の乱れを起こしています。このような非定型者が医療従事者であれば本人が知らぬ間に医療ミスを起こす可能性が高いと考えられます。
 図表4の左図(A)は国鉄の新幹線総合指令所員(36歳)の作業曲線図で、概ね良質な定型を維持しています。一方、中央図(B)は平成16年4月に行った電気製品を流れ作業で組み立てている、製造業の新人リーダー研修(36歳)で行った検査結果です。被験者は有能な人材ですが異常に低い作業量から非定型と判定したものです。国鉄・JRではこのような人材は安全に係る作業に就くことはありません。
 このようなモチベーション特性のよくない“心理的不健康者”を見つけ出すには、今のところ内田クレペリン検査が最も有効な方法であると考えられます。
 しかし、全国の医療機関約168千個所で、内田クレペリン検査を採用している施設はわずか20数箇所しかありません。それも医療免許を必要としない事務職です。つまり医療従事者の“心理的不健康者”がほとんど把握されていないのです。
 

図表4「内田クレペリン検査作業曲線」

                                 

 (A;概ね正常な作業量)(B;異常に低い作業量) (C;日本心理学会論文)

(知能検査・内田クレペリン検査と責任事故の関係)

 国鉄では知能検査(識別検査)を実施しています。図表5は、国鉄職員約19万人における知能検査のランクと責任事故の関係を示しています。平均的な評点10を頂点として両サイドでは減少傾向にあります。評点8は責任事故を起こし難い業務に就かせているため事故指数は低くなっています。評点10から12は運転士などの資格の取得可能者です。知的レベルが最も高い12が11の者よりも2倍近く事故指数が高くなっています。他の知覚・運動機能検査の場合と異なり、検査成績と事故指数とが直線的な関係にないことは注目すべき現象といえます。結局、諸条件を総合して、知能検査成績と事故指数との関係では、平均よりもやや上位の者が事故の可能性が最小で、そこから上下に乖離するほど可能性が大きいのです。他部門より医療従事者が多いと推定されるレベル10、11、12の医療ミスも、このような傾向にあると推定されます。

図表5「知能検査と責任事故」

評 点 8 9 10 11 12
母 集 団 8,581人 36,091 72,116 52,828 15,511 185,127
構成比(A) 4.6% 19.5 39.0 28.5 8.4 100%
事故者集団 6人 30 109 22 12 179
構成比(B) 3.4% 16.8 60.9 12.3 6.7 100%
事故指数(B/A×100) 73.9 86.2 156.2 43.2 79.8


図表6「内田クレペリン検査と責任事故」

判 定 1:b'−b'f
2:b'f
1:Fb
2:Fa
a'f−Fa 1:a'
2:a'−a'f
3:a'f
その他
母 集 団 14,973人 18,264 87,284 59,247 7,631 187,399
構成比(A) 8.0% 9.7 46.6 31.6 4.1 100%
事故者集団 15人 21 93 50 0 179
構成比(B) 8.4% 11.7 51.9 27.9 0 100%
事故指数(B/A×100) 103.8 120.6 111.4 88.3 0


 図表6は、国鉄職員約19万人における内田クレペリン検査のランクと責任事故の関係を示しています。判定「Fa、Fb」の被験者は、知能検査の評点8レベルの場合と同様に責任事故を起こし難い業務に就かせていますが、それでも事故指数は最も高く、仮に運転士等のリスクのある業務に就かせた場合、更に事故指数は高くなると推定されます。
 判定欄「その他」とは、左欄の「a'、a'−a'f、a'f」判定よりも良いレベルにある「定型特徴が数多くみられ、全体的にも部分的にも問題点がない」ランクの被験者で、その事故指数は0となっています。このように内田クレペリン検査の判定と責任事故との臨床的妥当性は高いのです。
 なお、レベルa、レベルb等についている「'<f<F」の3種類の冠(かんむり)は非定型の強度を示しています。非定型の作業曲線を示す被験者の気質は、やや内向的でこだわりの多いタイプに比較的多く見られ、定型は物事に積極的で協調性に富むとされています。
 知能検査・内田クレペリン検査と責任事故のデータは、1974年度中に起こした運転関係業務従業員の検査成績について鉄道労働科学研究所の竹内常雄氏と岩下栄治氏が行った研究論文(1975.10)に基づいています。これは臨床面で責任事故と心理適性の相関が明らかにされた数少ない安全研究です。


(3)燃えつき症候群とモチベーション
 
 医療従事者の職業病ではないかとされる「燃えつき症候群」は、働くモチベーションや組織の士気を著しく低下させて、医療事故を誘因させていると考えられます。土居健郎氏らが研究した「経験年齢別にみた燃えつき症候群」(図表7参照)は、看護師の約4割、医師の約2割が陥っていることを示しています。医師の自殺が平均の1.6倍という高い数値もそれを裏付けているように思います。

図表7「経験年齢別にみた燃えつき症候群」



 田尾雅夫氏らの研究によると、看護師(約600名)の意識調査をしたところ、4段階中の職務意識が最も望ましくない「今の部署を移りたい&今の病院を辞めたい&看護師を辞めたい」の組み合わせを選択した看護師は、全体の3割以上を占めていたと報告しています。
 これを選択した看護師を5件法でストレス度検証すると図表8「職務意識と燃えつき症候群」に示すように「1:労働過多(ストレス度=3.8)>2:看護不全感(3.5)>3:教育環境不備(3.0)>4:上司との葛藤(2.9)>5:同僚との葛藤(2.7)>6:患者の死体験(2.6)>7:医師不信(2.5)>8:コミュニ欠如(2.3)」となっています。
 2:、6:を除く全てが、一般的な知的労働者の職務意識と同じような労働環境にあると仮定した場合、2:の看護不全感が看護師の業務として最も大きな精神的負担となっていると推定できます。これを裏付けるように看護師の平均勤続年数は約7年と短く、しかもここ数年のマイナス傾向は、熟練度の問題以前に医療機関の「協働の質と人間行為の質」といった医療事故防止の基本となるモチベーションの低下が深刻化していることを示唆しています。
 このように医療の最前線を担う看護師を中心とした慢性的な看護不全感は、「燃えつき症候群」へと変換して医療事故が起き、連鎖して医療機関の評価の低下に至っているものと断定されます。

図表8「職務意識と燃えつき症候群」


(職務意識の4段階)
  1. 今の部署で働きたい&今の病院で働きたい&看護師を続けたい
  2. 今の部署を移りたい&今の病院で働きたい&看護師を続けたい
  3. 今の部署を移りたい&今の病院を辞めたい&看護師を続けたい
  4. 今の部署を移りたい&今の病院を辞めたい&看護師も辞めたい


−「燃えつき症候群」を防ぐための良い対策はあるのでしょうか。

(4)リーダーの実験主義で、職員の意識や態度が変わる

(モチベーションとコーピング)
 「燃えつき症候群」を防ぐために、コーピング(coping)といわれるストレスの軽減や除去などの体系的な整理が試みられています。
 田尾雅夫氏らのコーピング研究によれば、1:問題直視、2:対人依存、3:認知操作、4:問題回避、5:発散避難、6:嗜好依存の6グループのうち、軽減効果は、1:問題直視型(「医師に相談する」「本などを読んで勉強し直す」など)と3:認知操作型(「くよくよしない」「ものごとをプラス志向に考える」)のコーピングで認められています。しかし、彼らの持つ高いモラールが燃えつき症候群の進行をかろうじて押し止めている程度で、有効な対策は未だないのです。
 一方、私のコーピング研究の原点は、ホテルマンに何故「燃えつき症候群」が起き難いかということです。ホテルマンは医療機関よりも更に徹底したヒューマンサービスを求められ、時としてお客様から召使のごとく一方的に命令される立場に置かれています。そこに重要なポイントがあると思います。
 多くの医療機関では、製造業のQCサークル活動を導入した顧客満足(CS)のサービス改革活動が推進されています。しかし、この発想は、ヒューマンサービス業には馴染まないのです。ホテルでは、製造業でいう消費者・得意先を意味する顧客(Customer)という用語は用いません。代わりにお招きしたお客様、来賓(Guest)という言葉を用い、CSではなくGSと言います。ホテルマンは「より広い心、より深い心、より低い重心」をヒューマンサービスの理念としています。同じホスピタリティの源流であっても、医療機関が推進しているCSの視点とは、ここが全く異なるのです。

(民営分割とホテル時代の経験から)
 国鉄は世界一安全で安定した鉄道システムを完成しましたが、サービスに対する発想と戦略を失念していたため、自動車や航空機に利用者を奪われて倒産しました。このため民営分割後のJR会社草創期は、徹底したお客様志向で社員の意識改革をすすめました。その結果、いまのJR会社を優良企業に変身させることができたのです。
 この実践体験から官僚的発想、閉そく的な風土、価値観を打ち破る大切さを知りました。そこでJ.デューイ(1859〜1952)が唱えた実験主義(為すことによって学ぶ)を参考にして、新しいヒューマンサービスの創造を試みました。私が草創期行った主なものは以下のとおりです。
  1. (財)日本科学技術連盟「サービス産業品質管理全国大会」最優秀賞受賞 1996年
  2. (財)日本規格協会「標準化と品質管理全国大会」(21世紀の代表企業に選ばれる) 1997年
  3. 自前のインターネット宿泊予約システムで全国トップクラスの実績 1998年
  4. ホワイトカラーの徹底した業務量軽減…韓国官庁・産業界から訪日調査団 1995年

 具体的な実験方法についてお話します。

(ホテルの客室に六甲山の石、布引の滝の水)
 都市型ホテルはランキング競争が大変激しい業界です。JR系ホテルの支配人に就任したとき、職場にGS理念を構築しました。これまでの設備投資をベースにした<感性的満足>から、お金に解決を求めない<情緒的満足>といったヒューマンサービスに挑戦してみたのです。それには風土や価値観を創造的破壊する発想が必要でした。

 先ず最初に客室の中に<小石>を置くことを思いつきました。「この石はお部屋から見える六甲山の石です。今から何千年も前から神戸の歴史を見てきた石です。ここは600年ほど前に楠木正成が戦死したところです、もしかしたら突貫の声を聞いていることでしょう。よろしかったらこれを見て安らいでください」などと、手書きした紙を石に添えて置くというものです。
 このような提案を実行するためには経営会議の承諾が必要です。日本ホテル協会に加入できる都市型ホテルは室内調度品などに対する格調が高く、伝統的なサービスを変更することはタブーに近いのです。
 提案すれば非難轟々で「支配人はふざけている」とまで言われてしまいます。そこで宿泊の若いホテルマンや客室係に対して、「本日から当分の間、10箇所の客室に小石を置いてお客様の満足の実験をしてみます。これは実験ですから問題が起きれば直ぐに中止しますから」と言って実行に移しました。若いホテルマンたちは協力してくれました。
 しばらくすると客室係が「支配人、部屋から石がなくなっているので補充して下さい」と言ってきたのです。長期滞在の外国人の中には「私は1週間泊まったのだから、7個下さい」とおっしゃる人もいました。
 部屋から見えるあの山頂にホテルマンが登って石を拾って持ってきている、そう思うととても欲しくなるわけです。また中国の古い文献を調べてみると、昔から人は山の石に神秘性を覚えていたようです。お客様の強い反応を経営会議に報告すると、施策として全面実施することが決まりました。

 そのうち他の従業員たちも興味を持っていろいろ提案してくるようになりました。そのひとつが、神戸の名所、布引の滝(日光の華厳の滝、紀州の那智の滝と並ぶ三大神滝のひとつ)の水をポリタンクに汲んできて、ガラス製の小さな器に入れ、ホテルの庭に生えている野草の草花を一輪客室に置くというものです。これまでどこのホテルでも行ってきた高価な赤いバラよりも安らぎを覚えると話題になりました。
 このような活動を開始した翌年に、(財)日本科学技術連盟から「サービス産業品質管理全国大会」に推薦されて発表し、最優秀賞を受賞しました(1996年)。その時の審査員長(サービス産業で知られた池澤辰夫早大教授)からは、QCサークルの新しい境地を開いたといわれました。翌年、(財)日本規格協会の「標準化と品質管理全国大会」にて、21世紀に向けてわが国を代表する施策を実施した企業として、ソニーやNTTなど10社とともにサービス産業界を代表して選ばれました(1997年)。
 手作りのインターネット宿泊予約システムでも、老舗の巨大ホテルを上回る実績を挙げ、宿泊予約システム最大手の“旅の窓口”等から役員が視察に来るまでに成長したのです。設備投資を殆どしなくても僅か3年間でホテル業界のリーダーの1つになったのです。すると、選ばれたホテルに従事しているという意識が出てくるからでしょう、社員の意識や態度も明らかに変わりました。
 このような実験的展開が職場を活性化させ、「燃えつき症候群」を防ぐ経営手法だと思うのです。

−最後に、医療界への提言をお願い致します。

(5)安全革命を

 厚生労働省の「医療安全対策検討会議」だけでなく、各医療機関が独自に行っている安全管理委員会の医療事故防止運動に対して思うことは、国鉄が安全対策で学んだ直接的な「事故防止対策」よりも効果的で重要な「人間性尊重」に基づく安全文化の構築が未だなおざりだということです。
 医療人の倫理観や医療技術の向上がことさら強調されて、精神主義的で事故防止を図ろうとする強迫的概念にとりつかれているように思います(図表2参照)。
 いま医療現場で何が起きているか。それは看護不全感を主因とした「燃えつき症候群」がモチベーションを低下させて起きている、医療ミスの多発です。“「看護不全感」⇒「燃えつき症候群」⇒「ヒューマンエラー」⇒再び「看護不全感」”という負のスパイラル現象を絶ち切るには、看護不全感の原因となっているヒューマンサービス改革が避けて通れない最優先課題だと思います。
 若くしてガンで死亡した医師が “患者になってはじめて看護不全感の真の意味を知った”と書き残した手記があるように、患者を単に「病気の治療を受けているヒト」とした職業的倫理観でなく、患者を主語にして診察や看護を追求することが必要だと思います。
 加えて、内田クレペリン検査の導入が求められます。医療行為は「体力を伴う仕事」「指先を動かして行なう仕事」「頭を使う仕事」を三位一体にした高等的なものです。それだけに潜在する何らかの作業特性の非定型保有者が無意識のうちに引き起こす医療ミスは、現在の医療の資格制度を手直しするだけではどうにもならない状態なのです。良かれと思って精一杯努力しても、ヒューマンエラーは起きてしまいます。誉高い医療人としての人生が半ばで挫折したり、高額な医療補償で医療機関経営が危機に陥る可能性が高いのです。
 これからは、医療従事者個人の作業特性を調べて、この先生にはあの先生、この看護師にはあの看護師をペアにする、というようにお互いを補い合える協働体系が必要なのではないでしょうか。定期的な検査と医療チームの組み合わせによる医療ミス抑止は「医療の安全文化」の確立に欠かせないものだと思います。

 看護不全感を予防するコーピングには、ヒューマンサービスに対する創造的な実験主義に撤することが大切です。リーダーが率先して挑戦すれば、職場の空気の活性化につながり、その先には新たな展開があるのです。厚生労働省が掲げている安全文化に頼るだけではなく、医療機関の安全管理委員会が独自で風土や空気を変える安全革命の奨励が大切です。また、看護大学や看護専門学校の授業科目にない「ヒューマンサービス学」や「医療安全論」など、これまでの看護学概論等から独立させた講座による新しい展開が、21世紀の医療界に欠かせないと思います。

 これからはホテルのフロントに「マル適マーク」が掲出されているように、医療機関の中にも「マル適ヒューマンサービス」とか「マル適内田クレペリン検査」といった看板を掲げるところが出てくるかもしれません。ホテルの業界用語で言うと「5つ星病院」となるでしょうか。安全対策としてできることは全部行ないました、というアピールです。このようにアピールすることは地域社会にとっても大事です。従事者の士気も上がります。


  「燃えつき症候群」の防止にはリーダーのヒューマンサービスへの実験主義的挑戦が必要だという。田川氏は今でも学会や集まりでは「石ころの田川さん」と声をかけられるそうだ。ヒューマンサービスの実験に成功して、周りからも認められれば、仕事は楽しくなる。楽しければ看護不全感も起こらない。
 しかし、成功するときばかりではない。その時はすぐに軌道修正することが必要だ。それをふまえた上で、安全のためにはどんな小さな提案でも、実験してみる価値はあると思う。新年にちなみ、皆様の職場でも新たな実験を提案してみてはどうだろうか。

(主な参考文献)

  • 厚生労働省 「医療安全対策検討会(議議事録)」 2001.5.18〜2004.9.17
  • 渡辺聰子 「生きがい・自己実現と組織」日本経済新聞 1995.3 
  • 日本国有鉄道 「採用時適性検査関係規程類集」 1979.3
  • 日本国有鉄道 「考査関係協定、通達、事務連絡集」 1982.3
  • 伊藤格夫 「内田クレペリン作業曲線の因子分析的研究」 心理学研究31 1960
  • 竹内・岩下共著 「責任事故と心理適性検査」鉄道労働科学研究所 1975.10
  • 適性検査研究会編「適性検査Q&A」 日本鉄道図書 1983.10
  • 田尾・久保共著 「バーンアウトの理論と実際」誠信書房 2000.2
  • 土居健郎監修 「燃えつき症候群」金剛出版 2000.7
  • 田川正則 「患者安全管理の質の目に見えないモチベーション要因」日本品質管理学会 2004.10