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有害事象の全国的発生頻度について

日本においても医療安全対策を立案する上で、全国的な医療事故等の頻度を知ることは有意義なはずだ。今回のスペシャリストは報告書「To Err Is Human」における調査と同じ手法をつかって、医療機関における有害事象の全国的な発生頻度を研究している国際医療福祉大学小田原保健医療学部講師の小林美亜氏をご紹介する。

小林美亜氏
小林美亜氏

研究の目的や背景はどのようなものでしょうか?

報告書「To Err Is Human」-人は誰でも間違える-は、既に医療安全における重要な提言として、多くの医療関係者の知るところとなったのではないでしょうか。報告書では米国の医療事故死亡者の推計値(44,000人~98,000人)が、自動車事故(43,458人)や乳癌(42,297人)・エイズ(42,227人)などの死亡者より多いことを指摘しています。この推計値は、米国において有害事象の発生頻度をもとに推計されたものです。同じように日本においても、有害事象の全国的な発生頻度を把握する必要があるということ、その値を諸外国と比較可能な形で把握したいということ等が、厚生労働省の「医療に係る事故事例の取扱いに関する検討部会」で提出されました。その流れをうけ、厚生労働科学研究(主任研究者:堺秀人神奈川県病院事業庁長)の一環として、私を含めた研究チームが調査することとなったのです。

有害事象というのは、医療事故とどのように違うのでしょうか?

ここでの有害事象とは、医療事故よりも広い概念で捉えています。医療事故には決まった定義はありません。通常、医療側の過失の有無を問わず、濃厚な処置が発生したり、患者さんに一過性もしくは恒久的に障害を残したり、患者さんの死亡を早めることにつながったような重篤なイベントを医療事故とみなしています。本研究で把握した有害事象は、このような医療事故に加えて、院内感染、不可避の合併症なども含めています(図表1)。

具体的には、「医療行為や管理上の問題」により発生した可能性のある「患者への意図せぬ傷害や合併症」のうち、1)患者の死亡が早まった、2)退院時、患者に障害が残っていた、3)新たに入院の必要が出た、4)入院期間が延長した事例を有害事象としてみなしています。これは、米国、豪州、カナダなどの諸外国で行われた有害事象の定義と同じです。

どのような調査でしょうか?

調査では、層化系統的無作為抽出によって30病院を抽出。そのうち、本調査の趣旨に賛同して、院内倫理委員会の承諾が得られた18の病院から、1病院あたり250冊のカルテを調査しました。まず、一つの病院に2~3名の看護師を配置し、第一次レビューとしてトレーニングを受けた看護師(臨床経験3年以上)が調査対象病院に出向いて、1症例に対して1名の看護師が診療録を閲覧しました。次に、ケースサマリーを作成するとともに、18のスクリーニング基準(図表1)によって有害事象の可能性のある症例のスクリーニングを行いました。さらに、第二次レビューとして、医師も同様に病院に出向いて、第一次レビューで看護師が有害事象の可能性があると判定した症例について、看護師の作成したケースサマリーおよびスクリーニング結果を参照しながら、カルテレビューを行いました。第二次レビューでは、医師レビュー者間の合議の上で有害事象の最終判定を実施しています。さらに医療との因果関係や予防可能性(高い、低い、困難)についても評価しています。

図表1

図表1

予防可能性が高いというのは、どのような時にそう判断されるのでしょうか?

基本的に薬剤の量や種類に関する処方や投与などの間違いは予防可能性が高いと判断しています。患者に投与した薬剤の副作用などによる有害事象については、禁忌や慎重投与に関して医師が常識的な技術や知識に基づいて薬剤投与を行っていたどうかで判断しています。その他、予防可能性が高いかどうかの判断の難しいものは、各領域の専門家集団からなる専門家パネルや専門医などの意見を踏まえて評価を行っています。

さらに院内感染では、基本的に予防可能性が高いと判断しますが、そもそも疾病により免疫力が非常に低下している場合などは、これに該当しません。つまり、こちらがどんなに気をつけていても防げないものは、当然予防可能性が高いとは判断されません。

ただ、医療の提供体制そのものが問題であると判断される場合、例えば、人員配置がそもそも少ないとなった場合、それを予防可能性が高いと考えるのか、低いと考えるのかについては議論があります。しかし、私どもでは、今後解決されるべき問題であるという認識で、予防可能性が高いに含めています。

どのような結果でしたでしょうか?

有害事象の判定基準は、調査を実施した国によって相違があります。本調査では、カナダにおける有害事象の判定基準を用いて日本の有害事象発生率を計算しています。カナダの判定基準を用いたのは、調査年が2000年と比較的新しいこと、カナダでは把握した事象の概要と予防可能性に関する判定結果が公表されていること等の理由によるものです。結果、日本の有害事象発生率は6.8%(図表2)となりました。各国別のデータ(図表3)と比較すると、日本での調査結果とカナダの調査結果はほぼ近い値となっています。

図表2

予防可能性 高い 低い 困難 合計
頻度 2.1% 1.8% 2.9% 6.8%

この有害事象6.8%に含まれる「予防可能性が高い」割合は、31.3%です。諸外国では35.0%~51.0%と高い値となっております。日本の値が低く出ていることに関しては、確定的なことは申し上げられませんが、海外よりも調査年が新しいので、近年さまざまな対策が導入された結果、医療安全対策が以前より充実し、その結果、予防可能なものが減ったとも考えられます。あるいは、わが国の調査では30病院中12病院が調査に同意しなかったので、比較的質の高い(安全管理が進んでいる)病院が調査対象になったのかもしれません。

図表3

図表3

今後

現在の本調査の調査対象となるカルテ数を2倍、3倍に増やしても、統計上の信頼区間が縮まるだけで、あまり有意義ではありません。そこで今後は、トレーニングを受けたリスクマネジャーを配置する等のなんらかの対策を行った病院ではどれだけ効果が出ているかといったことを事故の減少率という形で把握し、さらにその対策にかかった費用を明らかにするといった費用便益分析を行いたいと思っています。ただ、そもそも有害事象の発生率が10%未満であることから、有害事象事例は集めた事例の10分の1以下しか集まりません。このため、対策を実行した場合はさらにデータ件数が少なくなる可能性があり、調査として非常に難しいところです。

また、国家的な逸失コストも算出することは重要かもしれませんが、本調査はカルテのみをレビューした調査となっており、当該患者さん自身や、レセプトデータまではアクセスできなかったことから、コスト算出は行っていません。ただ、米国調査の場合は、有害事象が発生した患者さんにアクセスし、休業損失や家計内生産損失を推計しています。

今後は、これらのコスト分析等を軸に研究を続けていくつもりです。

<取材を終えて>

日本において医療事故における個別事例は新聞やテレビ等でよく報道されているものの、どれくらいの頻度で発生するものなのかといった調査は今までなかった。今後、これらのデータを踏まえた形で、医療安全政策の大きな基礎として活用されることを願ってやまない。小林氏らの今後の活動予定であるコスト分析等の研究に期待したい。

カテゴリ: 2006年8月31日
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