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第6回:「失敗は失敗のもと」


畑村洋太郎先生

 医療の世界では日々新しい診断・治療技術や薬などが開発され、めまぐるしく変化している。それだけに「失敗」が起こりやすい環境にあるといえる。今回は「失敗」をテーマに考えてみたい。
 そこでスペシャリストとして、「失敗学のすすめ」「失敗を生かす仕事術」など、失敗に関する多くのベストセラーの著者である畑村洋太郎先生にご登場願った。先生は、工学院大学国際基礎工学科教授、畑村創造工学研究所代表、科学技術振興事業団失敗知識データベース整備事業統括としてなど、幅広くご活躍されている。
 その畑村先生は意外にも「“失敗は成功のもと”なんていう言葉は大嫌い」とおっしゃる。さらに「失敗はそのまま放っておけば失敗のもとでしかない」とも。そこで、失敗をそのままにしないために、組織運営、ものの見方、目的意識の面からお話を伺った。


組織運営】

―医療機関の方から「事故報告書がなかなか出ない」と聞くことがあるのですが。
 
 まず、事故や不具合が起こった時、それを「報告しなければならない中身だ」と本人が認識するかどうかという問題があります。「事故を人に言いたくない」という心理は元々誰でも持っているものです。ですから、当人が余程認識しない限り言う訳ないよ、と思います。報告した途端に文句を言われたり、叱られたり、減給されたり、自分の立場が不利になったりということに直結しているような場所では、必ず事故は隠されるか、無視されるか、あるいは見過ごされるに違いありません。なぜなら、本人に不利になるのですから。
 ですから、責任を追及するとか、本人が不利になるということを、一旦別にする必要があります。かといって、事故を野放しにするという意味ではありません。報告しないで放っておくよりも、報告をした方が罰や評価のひどくなる程度が少なくなる、という組織運営にする必要があるということです。
 東京女子医大の件はひどいと思います。皆分かっているのに言わないで、結局刑事事件になってしまった。やった人がおかしいという前に組織運営自体の問題です。事故は元々誰もが認めたくないもの。それなのに、表に出したときに懲罰が待っていたり、減給されたり、立場を追い払われたりするなら、誰もが事故を隠すか、さもなければ見過ごします。そうならないような運営をしようという実践が行われないまま、事故の報告を期待するのは所詮無理なこと。個人の努力ではなく組織運営そのもののやり方を変えていかない限り、同じようなことは今後いつでも起こり得ると思います。

―そうすると日本の司法制度については、どのようにお考えになりますか?

 米国には、免責と司法取引制度(犯罪者に免責の保証を与える代わりに真相を語らせるシステム)および懲罰的賠償(例えば未必の故意に対しては重罰を与える制度)があります。しかし日本はそうなってはいません。司法取引制度がない世界では、しゃべると全部自分に降りかかってきますし、自分の非を認めたことになります。ですから自分にミスがあってもしゃべってはいけない。日本の司法制度は失敗対策になっていないので、社会全体として非能率的なことをやっていると思います。法律の体系から何から、全て変えるべきです。変えない限り失敗は続くでしょう。

―先生は「失敗駆け込み寺」というものを提唱していらっしゃいます。もし、これを医療界で作るとしたら?

 現在、いろいろな会社が外部の弁護士事務所などにホットラインを置き始めています。そこに報告されたものは会社のトップでも関与できないようにして、弁護士などが失敗や内部告発を取り扱うのです。
 病院などでも本格的に隠蔽や改ざんをなくそうとしたら、「失敗駆け込み寺」のようなものを院内に設けるのではなく、院外に置かなければなりません。病院とは独立した、違うところが権限を持つ事です。そしてそこはあくまでも「駆け込み寺」であって、警察とつながっていてはいけません。さらに、そこに報告されたことは完全に秘密にされ、全部処置はされるけれども、法律的なことは何も起こらないという保証がないとダメです。このような考えについては「悪いことをしている人が罰を受けないのはおかしい」という理屈を言う人もいますが、そうではなくて「これが次の失敗が起こらないための一番の得策なのだ」と捉えるべきです。
 もし、院外に「駆け込み寺」が持てないならば、その役割を組織のトップがやるべきです。病院長か理事長か、とにかく権限がある人自らがやる。それ以外では組織を変える権限がないからダメです。ミスが起こるのは組織のどこかに不正や矛盾があるからです。何か重大なことが起こる背後にあるのは、誰かの1つのミスだけではありません。必ず組織運営のおかしさがあります。そこに踏み込んで変える事ができるのはトップだけなのです。そしてトップに話したことは誰にも口外されず、不利益を被らないという確信が持てないといけません。事故を報告しやすい雰囲気を作る、などというのは生ぬるい考え方です。それは副院長など他の人に任せるという程度の発想に過ぎません。そうではなくて、トップが全てなのです。もちろんこれをやる病院長は大変です。ですが、やればできる。そして明快な組織になります。


【ものの見方】

―医療の本質がわかる工学的素養を持った人の育成を

 ものを作る生産現場では、品質保証に関するいろいろなやり方がわかってきています。それを医療界へ持っていったら、人間のするミスを減らせるということは、いくらかはあるでしょう。しかし、そういうことを言えるようにするには、医療の現場と産業の実態の両方を一人で理解できる人を育てなくてはなりません。医学部と工学部が両方設置されている大学はあっても、両方をきちんと理解し両方を見ながらものを言える人は殆どいないでしょう。産業界から、この知識を医療界でも使えるはずだ、と言われても、医療界から見たら前提条件の違うことを言われるだけでかえって迷惑だ、ということもあるに違いありません。医療界と産業界で協力関係があると言っても、医療側が「こんな感じのものを作って欲しい」といったものを、産業側が「そうですか」といって下請け的にやっているだけ。医療の本質を見抜いて、工学で培ってきたものをどうすればよいかわかってやっている人はほとんどいない。しかし、そういう人が出てくればそのメリットを患者が享受できるようになります。ですから、これからはそういう人を育てることが大切ですし、また育てなければなりません。

―「人間の失敗予測ソフト」があったら

 工場などの生産現場では、これから起こり得るミスを事前に発見するソフトウェアが開発されようとしています。
 今あなたのやっている行動で、こういうふうにするとこういう失敗が起こりうるよという予測を提示して、その人が「あ、そうか」と思ってそれを防げる、「人間の失敗予測ソフト」があったら素晴らしいなと思います。しかし、それを作るには過去に起こっている失敗をきちんと直視しないといけません。これは、失敗を観察し、分析・分解し、法則性を見つけて提示する、という今までには全くない考え方です。本当に失敗が予測できるような理屈や、これとこれを学んでおけば失敗を避けることが出来る、というようなものがあれば、教育にものすごく役立ちます。また、不必要に起こる問題をなくすことができ、医療界では患者のためにもなるでしょう。

―「失敗学会」の設立

 12月に非営利組織「失敗学会」(http://www.shippai.org/)を設立します。失敗について考えたり、人から話を聞いたり、意見を交換する場を作ろうと思ったのです。失敗をプラスに変える努力をしようとしても、意見交換の場がないと、孤立してしまっている現状があるからです。だからといって「失敗を申告しなさい」などと言うつもりは全くありません。したい人は投稿すればいいし、聞いているだけでもいい。大事なのは、失敗をどう取り扱うか、自分たちの中でどういうことが起こっているのか、皆で考えて失敗を生かすこと。まずい失敗や困る失敗は減らすこと。きちんとものを考えたり意見を交換すること。そのための場を作ったのです。

―失敗を集めるだけでなく失敗の「知識化」を

 失敗を見て、分析して、次に使おうとしたり生かそうとする時に、何と何が欲しくなるか、自分たちで考えてそれを記述する。それが「知識化」です。ポイントとしては「短い言葉で書く」「簡単な絵で示す」などがあるでしょう。しかし失敗事例を集めれば何とかなる、という考えは間違っています。たくさん失敗を集めてどうするのですか?いくらガラクタを集めても、その山から宝物は出てきません。起こっている失敗の中から本気で学ぼうとして、1つずつを正確に分析して、その中からそれを構成している要素を取り出して、それらがどう絡んでいるのか推理して、というふうにして失敗を生かそうとして初めて、知識化できるのです。ただたくさん集めればいいというものではありません。

―「失敗知識のデータベース」構築

 平成12年に科学技術庁(現 文部科学省)は「失敗知識活用研究会」を立ち上げ、現在まで9回の研究会が開催されてきました。この会は失敗知識をリスクマネジメント手法の開発などに生かすことなどを趣旨として掲げています。その中に「失敗知識のデータベース」構築のための実行委員会(科学技術振興事業団 失敗知識データベース整備事業)が設けられました。私はその統括を担当しています。今年に入ってからは月に1回ぐらいのペースで集まり、失敗のデータをどのように体系化していったら有効に利用できるか、どういう形にしてホームページで公開していくのが良いのか、など検討を重ねているところです。尚、この内容を来年(平成15年)の2月中旬頃には一般公開できる予定です。このソフトウェアの構造性は医療界にとっても非常に参考になる可能性があると思いますので、その際は是非利用してもらいたいですね。


【目的意識】

―必要なのは目的意識

 医療の世界を、機械で自動化すれば良くなるとは決して思いません。そんなガサツな考えではかえって医療自体をダメにしてしまいます。機械だって暴走することはあるし、故障もする。一番いいのは人間です。でも人間は間違える。だから、間違えないために訓練や知識が要る。
 しかし最も必要なのは目的意識です。本当にいい医療をしたい、他の人が生きていくことの手助けをしたい、というふうに本当に真剣に考える基本がない限り、どのような方策も効果をあげられません。

―局所最適は全体最悪をもたらす

 どんな組織も、萌芽期から発展期、成熟期、衰退期を経て消えていく。規模の小さな萌芽期のうちは一人でも全体の状況が把握できます。しかし成熟期を迎えた巨大な組織全体のことを一人で把握することは無理です。無理なのに最適解を求められ、狭い範囲の知識の中で一生懸命工夫する。すると誤判断が起こり、取り返しのつかない事故が起こってしまうのです。
 東京女子医大の件では、機械の扱いの分からない人が扱っていた。立派な道具が入ったということだけで医療を行うようになっていて、「その人が使い方をわかっていない」こと自体を周りが把握していなかった。
 「何故やるのかわからないけれど、これはこういうことになっている。だからお前はこれをやりなさい」という人の動かし方や仕事のさせ方をしてはいけません。個人レベルで全体を理解できるように努力することも大切ですが、組織運営の仕方も重要です。「お前はこれだけやっていれば良い」ではなく「お前は全体がわかってないなら仕事ができないぞ」という仕事のやり方で組織を運営しなければなりません。全体がわからないまま、局所的な判断だけで良かれと思ってやると失敗が起こります。しかし、この全体が見えていないという状況は、現に日本中の会社にいくらでも存在します。つまり、このような失敗は、今後いくらでも起こりうる非常に怖いトラブルだといえます。
 大きな組織ではだんだん患者が見えなくなり、組織の中の論理だけになってしまう。こうしたことは巨大な組織になればなるほど起こりやすい。そういうことを自覚して「医療の原点は患者なのだ」といつも立ち返るような組織運営、教育の仕方、ものの考え方をしなければならないのです。患者中心でないのは医療ではありません。

―失敗は失敗のもとでしかない

 私は失敗を推奨しているわけではありません。失敗を防ぎましょう、とも言っていません。「何か行動をおこしてチャレンジしようとすると失敗は起こりますよ」と言っているのです。「それを認めて正確な取り扱いをしましょう」ということです。失敗はそのまま放っておいたら失敗のもとでしかありません。「失敗は成功のもと」なんて生ぬるいことを言うな、と思っています。失敗を、ジタバタしながら工夫して、努力して、糧にして、プラスに転化してこそ、初めて「成功のもと」と言えるのです。
 もともと私は「機械設計」に携わっていました。設計は「創造」する仕事です。いろいろと創造してチャレンジしていく過程では、どうしても失敗が伴うので「失敗」を取り上げたところ、立花隆さんに「失敗学」と名付けられました。そして、気付いたら「失敗」に関することで周りが賑やかになり、現在に至っているという感じです。これからの私の目的はやはり、「ものを作ること、創造(creation)」ですね。



 多くの医療従事者にとって、トップに事故報告をするというのは、かなり抵抗のあることだろう。しかし、組織運営を変えられるのはトップだけだ。畑村先生のお話をきっかけに、医療機関のトップの方が行動を起こし、失敗をプラスに変えられるような明快な組織作りに取り組んでいただければ、と願う。もちろん、「患者中心の医療」という目的意識を持って。