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第8回:「品質管理の視点で捉えた医療事故の防止」


早稲田大学理工学部経営システム工学科 棟近雅彦教授


 
 
 今回のスペシャリストは早稲田大学理工学部経営システム工学科の教授である棟近雅彦先生。品質管理の専門家に、「質改善を進めるには」「他分野から学ぶ」「今後の課題」という側面からお話を伺った。



質改善を進めるには】

(質改善のためのポイント)
 改善のために重要なTQM(=Total Quality Management:総合的品質管理)の考え方は次の4つです。
 1つ目はPDCA(Plan Do Check Act)。これはマネジメントの基本です。
 2つ目は重点指向。いろいろな問題があるときにあちこちやるのではダメ。どういう風に重点を決めるのか難しいところですが、事故の件数を調べて、○○○が多いな、というように絞っていくのです。
 3つ目は事実に基づく管理。事実を良く調べましょう。事故報告書に原因とか状況とか起きた事実がよくわかるように書きましょう。それを科学的に分析していくことです。
 4つ目はシステム指向、プロセス指向。よいプロセスがよい結果を生むのです。

(事故報告書)
 医療の現場へ行って感じたことは、まずいろいろなことが体系的に行われていないということです。医師・看護師それぞれが状況を良くしたいと思っていても、それが組織的に行われていません。医療機関の中には事故を減らす、売上を伸ばす、医療技術を高めるなどいろいろな問題がありますが、質管理の観点からすると、最低限不良品をなくす、つまり事故を減らしましょうということになります。4〜5年前に私が医療機関へ関わり始めた頃、既にインシデントレポートや事故報告書といったものを取り始めていました。しかし、本来、その記録から分析を行ったり対策をたてるのが目的であるはずの事故報告書を見ても、中身がよく分かりませんでした。医療の言葉が理解できないからではなく、事故の分析に必要なことが書かれていなかったからです。看護婦が事故を起こしたことを、ただの反省文として書いてあるにすぎませんでした。
 事故報告書が反省文にならないようにするためには、自分たちの仕事の手順がいいのか悪いのか、そういう考え方を身につけるのが最初です。そこで提案したのが、単なる白紙の様式ではなく、記入欄を指示段階、準備段階、実施段階などに分け、どこがまずかったのか、記録しながら考えていけるような形の事故報告書です(表1参照)。


(表1:注射事故報告書:PDFファイル 11KB)

(手順のない場合の分析)
 投薬のようにプロセスが把握できるものは、前記タイプの事故報告書を使えますが、転倒・転落となると、個人がいわば「勝手に」転ぶ、つまりプロセスがないのでこの事故報告書はふさわしくありません。転倒・転落は非常に偶発的に起こる。我々だって可能性は低いが転ぶ。そういうものを押さえ込むのは難しいし、予測も難しい。誰でも四六時中転ぶ可能性があるのです。投薬を患者が勝手に行うことはあまりないでしょうが、転倒にいたる行動は患者が勝手に起こすから対策が難しいのです。そこで、その患者さんがどういう状態の人だったのかというのが重要になってきます。例えば痴呆がある、意識混濁している、等です。また周りの環境がどうであったか、といった点から事故状況を把握していく必要があります。
 そのためのものとして作ったのが「事故・状況報告書」「転倒・転落アセスメントシート」です(表2、表3参照)。アセスメントシートは患者さんが入院してきた時に、その人がどういう状態の人か危険度を得点化して評価するものです。夜間トイレにいくことが多い人や、痴呆がある人などは転びやすい。そういう人を事前に把握しておいて他の人より注意しておく。データを取っておいて、そのうち実際に転んだ人はどういう人かを捉えていけば、どのような人が転びやすいかを統計的に把握することが可能になります。


(表2:事故・状況報告書:PDFファイル15KB)

(表3:転倒・転落アセスメントシート:PDFファイル13KB)


【他分野から学ぶ】

(インセンティブ)
 現在、いろいろな病院が質改善に取り組もうとしていますが、そのためにはそれなりに人・モノ・金・時間をかけて活動する必要があります。しかし、質をよくすることによってお金が入ってくる構造になっていません。それが製造業と決定的に違うところです。製造業では不良品をなくすとそれだけ儲かります。しかし、活動資金がない、インセンティブがないとなると、我々は何のために改善をするのか。誰もお金儲けのためだけにやっているわけではないでしょうが、単に患者に迷惑をかけないようにということを考えているだけでは長続きしません。ですから、質の向上が利益につながるようなメカニズムにすべきなのです。そうすれば、その利益をさらなる質の向上に使うことができるのです。
 病院は儲けてはいけない、利益を得てはいけない、という風潮がありますが、利益をあげてそれを質改善への活動資金にしていくべきです。院長や各病棟の部長も、売上やコスト意識を強く持ち、管理できるようにならなければ。お金がないと活動が出来ないのですから。

(標準化)
 企業では、品質管理の基本である、作業の手順、仕事のやり方、モノ自体などが標準化されていますが、医療の世界では標準化が非常に遅れています。
 例えば、与薬の手順1つをとっても、病棟ごと、科ごとに違ったりするのです。科ごとに病気が違うのだから構わないではないか、という意見もあります。しかし、標準化されていないということは、メリットよりもデメリットの方が大きいのです。標準化というのは改善を進める上でのベースを形成するものです。今行っている方法の中で事故が起きた時に、ベースがあれば、「ここが悪いからこれを出発点として直していこう」ということになります。しかし、ベースがないと改善しようにも改善するところがない。すると改善結果も蓄積されない。これは大きな問題です。
 また、看護師が正しい情報をもらって正しいモノを使い正しい作業を行えば事故は起こりません。ここでいう情報とは医師からの指示や、検査結果などですが、これが間違っていたり曖昧だったりすることで起こる事故が多いのです。どうして情報が間違ったり曖昧になったり、誤解が生じるのか。それは、同じ内容・薬であっても、病棟ごとや医師ごとに言い方・表記が統一されていないからなのです。
 今でこそ「チーム医療」などと言われ始めましたが、医療には、元々1人の職人が自分の良いと思うやり方で施してきた、という歴史的経緯があります。医学部での教育でも標準化は意識されていません。「○○大学医学部のやり方」というのがあるぐらいですから。
 とある医師がこんな風に言いました。「私も昔だったら、標準化と言われたら反発したかもしれない」と。つまり、標準化というと何か制約がかかる、自分の創意工夫が発揮されないというイメージがあるのです。しかし、私たちと付き合うようになってからは「標準化できるものは標準化しておけばよい。つまらないことに頭を使わない。もっと難しいものはたくさんある。全てが標準化できるわけではない。例えば患者さんで言えば、同じような病気であっても少しずつ違うから、この患者さんには特別な対処が必要だ、等の判断が要求される。その時に頭を使えばよい。普通に誰もが出来ることは標準化すればよい」という風に考えが変わってきたようです。ただ、皆の頭をそのように変えていくのには非常に時間がかかると思いますが。

(KYT)
 建設現場や企業で行っているものにKYT(危険予知トレーニング)というものがあります。「今この場面で危険なものは何か」を考えるトレーニングをするのです。現場を撮影したビデオ、漫画、あるいは直接現場を見て、危ないところを指摘させることにより、危険性に対する感度を上げるのです(表4参照)。
 医療分野への応用として「転倒・転落KYTシート」を作成しました。
 例えば、患者がベッドの上からものを取ろうとしました。ここで何か危険なことはありますか?と考えさせる。すると、こういう状態だったら転落するな、何かに体をぶつけるな、とか危険を予測するのです。
 このような訓練をしておくことは、転倒・転落のような手順のない場合には特に有効です。転倒・転落だけでなく、安全文化を作る、質の意識を高めることにも効果があります。どの程度の効果かを定量的にいうのは難しいのですが、安全に関してはあらゆる手だてをうつことが大切です。

(表4:転倒・転落KYTシート:PDFファイル13KB)


 
(IT)
 IT(情報技術)を使うとかなり事故防止ができます。情報が正しく伝わらないことによる事故が多いからです。コンピュータによる薬剤オーダリング・システムにして、医師が入れた処方のデータを看護師が端末で受けとれるようにすれば、情報が途中で変わってしまうことがなくなります。そのほかにもいろいろな面でメリットがあります。導入費用をどうするかを含め、多くの課題を克服しなければなりませんが、ITの積極的な活用が、革新的に状況を変える可能性があります。

(改善事例発表会)
 産業界では、いろいろな企業の人たちが参加する品質管理大会というのがあり、そこでいろいろな改善事例が発表されています。このような場は、改善方法を広め、改善活動を活性化するために有効な方法です。残念ながら、医療界ではそのような場があまりありません。他の病院の活動はものすごく参考になります。そしてそれを広めていけばよいのです。そういう広める仕組みが必要です。
 クリニカルパスに関しては、病院でパス大会というのをやっています。これは意味があると思います。済生会熊本病院では毎月のようにパス大会を行っていて、見学者もかなり多いようです。病院の方でもトップをいっているという意識があるから、やらざるを得ない。それでますます良くなるのです。見られるということは大きな効果があるのです。

【今後の課題】

(今までの経験を医療界へ伝える)
 改善を進めるには「人・モノ・金・時間」が必要です。企業の場合には品質保証部など質を良くする専門の部署があります。しかし医療機関にはそれがありません。院長まで診察している状況ですから。そこが最大の悩みでしょう。「人」については教えていけば実際に実践できるようになる。しかし、分析をしたり改善策を考えたりする組織体制が出来ていないから、そこを何とかしなければなりません。今、専任のリスクマネジャーを置くという動きがありますが、大変良いことだと思います。無理を承知で言いますが、質改善はそれなりの「人・モノ・金・時間」を投入しないと進まないのです。
 私たちには製造業で起きた事故を分析してきた経験があります。その経験を医療界へ伝えるのが我々の役目だと思っています。

(社会的な課題もある)
  また、私が出来るわけではないのですが、社会的な課題として、医学部の教育方法や人事制度、保険制度、裁判制度にも課題があると思います。
横浜市大病院や、広尾病院の事故にしても判決としては個人を罰することになりました。しかし、質改善を進めるのに個人を怒ってはいけない。プロセスを正すことが必要です。結局病院は何も問われていない。そういう制度は変えていかなければ。
 また、悪意を持ってやったことは別ですが、事故報告した個人には免責を認める方がいいと思います。しかし、病院の管理体制への免責は認めてはいけません。それなりのマネジメントを取っていないところに対しては責任を追及し、相応の賠償をさせる。製造業でも、リコールなどで個人が問われることはなく、企業としての管理責任が問われます。役職としての管理者が責められることはありますが。医療界も少なくともそういう方向にもっていかなければならないと思います。
 患者さんへの補償制度をきちんとしなければならないのはいうまでもありませんが、事故の事実関係を全て洗いざらい出すことが大切。まずそれができるようにならないと解決しないでしょう。

(1人でも理解者を得て、良い前例を作る)
  病院で何か改革をやろうという話になると、必ず反発があるものです。例えば報告書がいろいろな種類を使うことに関しても、初めは反発がありました。
 企業でも同じことが言えます。改革運動をやろうとすると絶対反発がある。でもそれはしょうがない。全員参加という名目でも、皆がきれいに一丸となっての参加などとても無理。でも理解してくれるリーダーが1人はいる。
 「看護師はインシデントレポートを書き、提出もしてくれる。看護部はそれなりの活動をする。しかし、医師は例えばクリニカルパスをやろうとしてもなかなか協力してくれない。インシデントレポートも出してくれない。医師を巻き込むにはどうしたらいいでしょうか。」という話をよく聞きます。それに対しては「放っておきなさい」と言っています。「あなた方が引っ張っていけば後からついて来るから今は放っておきなさい。幸いといっては何ですが、今は事故が多いから分析するのに手一杯でしょう。だから今はそれをやりなさい。それでいいのです。その結果改善が進んできたら、皆やらざるを得なくなるのですから。やらない人は取り残されるだけです。無理に推奨するような無駄なエネルギーを使うのはもったいない。自分たちの改善をやっていけばいいのです。」と言っているのです。
 私たちがつき合っている製造業は少なくとも従業員が千人単位の規模で、多ければ数万人になります。そういう規模のところで改革を推奨していくのは大変なことです。その点、医療機関は規模からいえば中小企業。1人が頑張れば結構進むのです。これはすごいメリットだと言っているのです。強力な牽引役が1人いればいいのです。
 今後は、このメリットを生かし、今関わっている病院で少しでも良い例を作っていきたい。こういう風にやるんですよ、という見本を作っていきたいですね。



  1960年以来毎年11月に全国規模で品質管理活動の改善などを目的に続けられてきた「品質月間」は今年で43回目となる(主催:品質月間委員会)。
 また「患者の安全を守るための医療関係者の共同行動」として、平成13年度より、11月25日を含む1週間を「医療安全推進週間」と位置付け、医療の安全に向けた様々な事業を実施している(主催:厚生労働省)。今年は11月24日〜30日がそれにあたり、「根づかせよう安全文化」と題したポスターを配布したり、医療安全に関するワークショップや研究発表会を行う予定である。
 これらの活動はまだまだ広く浸透しているとは言えないが、本文を読んで下さった方のうちの1人でも、現場のリーダーとなって、新たな取り組みを始めて下されば幸いである。