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第29回:「医療安全への認知的アプローチ」

法政大学 社会学部 教授 原田悦子氏

今回は、人が頭の中で「ものごとをどのように理解し、考え、学習し、判断しているか」を知るという認知的アプローチの視点から医療の安全を考えてみたい。スペシャリストに、実験認知心理学、認知工学をご専門とする法政大学社会学部教授の原田悦子氏を迎え、「縦の糸・横の糸モデル」「ユーザビリティテスト」「モノを変える視点」について伺った。(取材日;平成16年7月22日)

原田悦子氏

(1)縦の糸・横の糸モデル

(医療現場の特異性)

一般に、認知科学の視点から人間の行動を記述するときには、ある1つのゴールに対してどういうプランをたてて、どう行動して、どう評価(フィードバック)するかという流れで把握します。

ところが医療の現場では、医療従事者は、たくさんの患者さんのケアを一度に行なっていて、ある一つの時点で複数のゴール(患者の治療と安全)を持っています。また、ひとりの患者さんのケアについてみると、つい先ほどは別の看護師、その3時間前は医師の診断、というようにいろいろな人の手によって一つのゴールが達成されていきます。このように医療現場は、複数のゴールが多くの人の手によって、複合的に同時に目指されている点が特徴であり、それが医療安全の難しさでもあると思っています。

そこで私たちが提案しているのが、「縦の糸・横の糸モデル」です。これは、1患者1医療行為についての発生から終了までの経緯を示す「縦の糸」と、医療従事者がある1時点に同時に実施しようとしている複数のタスク間を「横の糸」で結ぶモデルです(下図参照)。

注射投薬を事例とした「縦の糸・横の糸」記述モデルの例

【出典】原田悦子・重森雅嘉・渡辺はま 2004
医療事故防止のための看護タスクモデル:「縦の糸・横の糸」モデルの提案 2004.4
看護研究(医学書院), 37(2), 3-7.

(縦の糸)

まず、縦の糸をみると、社会的にも時間的にも分散している形、すなわち、複数の医療従事者にまたがり、数時間から数日間に渡り、一つの仕事が流れていきます。 具体例で考えると、まず医師が、患者の状況にあわせて「三日間ぐらいはこの薬を投与して様子をみましょう」と、三日間のレベルで考えてオーダーを出します。それに対し1日単位で薬剤師が薬を出し、看護師が1回ずつ投薬していきます。この際、ひとつのゴールに向かって、時系列の流れの中で一気に診療行為が流れてしまえば、まだ話は簡単なのですが、現実には必ずしもそうはいきません。たとえば、ある時点で医師から「この薬はあまり効かないから、こっちにしてみよう」「副作用が出てきたからこれは止めてこっちにしよう」というオーダーの変更や中止が加わることがあります。実際、こういった変更・中止による投薬上の事故は非常に多く発生しています。

(横の糸)

次に、横の糸の複雑さを考えてみます。1人の看護師が複数のタスクを同時にこなしていこうとすると、まず、頭の中で「プランニング」がなされます。タスクの数が増えるほど、またその一つずつが難しい課題であればあるほど、頭の中でどのタスクをどこまで達成できたかをモニターしながら仕事を進めていくのは難しくなりますね。

また、複数のタスクが「最初からやるべきこととしてある」場合ばかりではありません。たとえば、ある患者さんに関するケアの準備をしている途中で、別の患者さんに声をかけられると、他のタスクが発生します。つまり、それまでに実行していたタスクを一旦止めて、新しく言われた方の内容に注意を向けてその要望に応えようとし、そこで新たなタスクが発生し、それを実行してから元の場所・タスクに戻ってきます。このように、今しなければならないことが、最初は1つだったのに、2つ、3つと増えていくと、それを片付けながら最初のことをどうやってこなしていくかという問題が出てきます。実際、途中でタスクを中断した場合には作業にかかる時間が長くなり、またエラーも増加します。またそのタスクを、誰か他の人に頼んだとしても、その頼み方が不正確・不十分だとまた別の間違いが起こってきます。

(事故を複数の視点で捉える)

こうして個々の業務についてじっくりみてみると、縦の糸と横の糸の交差が見えてきます。実際に起きてしまった事故やインシデント(ヒヤリ・ハット事例)を、この縦の糸と横の糸の交点に位置づけることによって、なぜそういったことが発生したのか、複数の流れや視点から捉えることができるようになります。

報道される医療事故で、起きてしまった問題を1つの行為としてのみ切り出して見ると、とてもシンプルなだけに、医療の現場を知らない人からは「どうしてこんな単純な間違いをするのか、医療の現場はなんて緩んでいるのだろうか」と思われてしまいがちです。しかし、実際には非常にたくさんの、しかも類似した「シンプルなタスク」があって、それらがこういった医療現場に独自の複雑さを持って進行している全体の中で、あるたったひとつのタスクで、ふっと問題が発生している、それが医療事故です。最終的に起きた事柄がシンプルだからといって、簡単に予防できるものではないのです。その発生の「状況としての複雑さ」をきちんと意識した上で、ひとつひとつを解きほぐしていくことが大切ではないかと考えています。

(2)ユーザビリティテスト

もともと、私が取り組んでいる認知工学というのは、「人にとってモノを使いやすくする」ための、モノのデザインの研究です。この研究領域での一番の基礎になるのが、ユーザビリティテストといわれるものです。ユーザビリティテストとは、対象となるモノを使って、典型的なユーザが典型的な課題(タスク)を達成する過程を観察・分析し、その製品が持つ問題点の抽出とその改善を行なう方法です。最近少し、医療安全研究に携わるようになり、医療の現場にふれるようになってみると、やはり、医療現場にある様々なモノについても、ユーザビリティテストを行なっていくべきではないかと思っています。実際、医療現場で使われているものには「どうして、こんなに使いにくいものをがんばって使っているのだろう」と思うようなモノがたくさんあります。また、在宅医療・在宅福祉への動きの中で、患者さん自身が使う機器についても、ユーザビリティテストが必須ではないかと感じています。

(テストの必要性)

昨年の12月、糖尿病患者用の自己注射「ランタス注キット」にリコールがかかりました。これは、「簡単な操作で」一定の量までしか注射できないのが特長になったインスリン製剤キットでしたが、「患者さんの誤操作」によりその一定量しか入らなくする部品が壊れてしまい、必要以上のインスリンが投与されてしまうという事故が起きたためです。

メーカー側の説明では、この注射キットの使い方は、まず注射筒キットに針を付け、それからダイヤルで投与量を設定し、皮下注射をする、という順番でした。しかし、考えてみてください、なぜ「まず針をつける」のでしょう?「まずダイヤルで投与量を設定してから」針を付けるという順番も、可能ではありませんか?実際に目の前にこのキットがあって、「量を調整して注射します」と言われたときに、どちらを先にやると思いますか?

ここで何が問題かというと、実は、針を付けない状態で量を調整すると、キット内に圧力がかかり内部構造が壊れる、そのために、針が付いていない状態では量を調整してはいけなかった、ということです。その仕組みがわかっていれば確かにその手順を踏むでしょう。しかし、ダイヤルをここに合わせて量を設定すると書いてあるだけでは、その前に針を付けなくてはいけない理屈はわかりません。人は、理屈(行為の意味)がわからなければ後は丸覚えするしかありません。するとどうしても間違いが発生します。

また実際のところ、気をつけて行うべき細かい作業、頭を使う作業として、量の設定の方を先にしたくなるのは、人間のタスク達成の過程として、十分におこりうることだと思います。このことは、1度でも実際のユーザが実際に使う様子を観察する、つまりユーザビリティテストがなされていれば、事故が起こる前に問題があることがわかったのではないかと思われてなりません。メーカー側は、最終的にモノを使う人、つまりユーザの視点からモノを見て、作っていただきたいと思いますし、そのためにはユーザビリティテストを製造過程に組み込んでいくことがもっとも有効な手立てだと思われます。

(テスト参加者のメリット)

以前、輸液ポンプのユーザビリティを実施した際には、実際に看護師の方にもテストに参加していただきました。その際にテスト後にいろいろお伺いすると、「確かにこういうボタンが並んでいると間違いやすいですね」「いつもは、アラームの意味をきちんと突き詰めて考えてはいないですね」等の反応がでてきました。こうして実際に利用している方たちに参加していただくと、問題点がきちんと明らかになるというメリットと同時に、参加された方自身にも「使いやすい、間違いを起こしにくいモノとはどんなモノなのか」「モノを使うときに今、何に注意をはらっているのか、それはなぜなのか、モノのデザインを変えるとその必要性はなくなるものではないだろうか」という、モノを見る目が培われてくるように思われます。その意味で、現場や卒前の医療安全の一環として、医療機器のテスト参加者になっていただけると、両方にとってメリットがあるのではないかと考えたりしています。

(テストの効果)

では、なぜ現時点では、医療機器メーカーはこういうテストをしていないのでしょうか。

テストをすれば多くの場合、問題点が明らかになってきます。それに応えようとするとデザインに影響が出て、製造工程、納期に遅れが出ます。また、コストがかさみ、販売価格が高くなり、売りにくくなります。テストをするにはお金と時間がかかる、その結果、売れないものを作っても仕方がない、というのが現時点での医療品メーカー側のホンネではないでしょうか。

しかし、購入側の意識が変わり「ユーザビリティテストをきちんとやっているのですか。では、安全性が高い製品ですね」と聞いてもらえるようになり、「多少高くてもテストをしてある製品の方が安心だ」「確かに使いやすいね」と言って買ってくれるお客様が定着するようになれば、「それでは各製品の製造デザイン過程で、きちんとテストをしていきながら作っていきましょう」と良い方向に回り始め、結果的に安全なものが、より安く作られるようになります。今、その好循環の最初の部分を、グッと回す力が必要だと感じています。安全のためのモノ作りに価値を認める文化を作っていくこと、とも言えるかもしれません。

(3)モノを変える視点

(人間の記憶はかくも曖昧)

近年の認知心理学研究からみると、人間の認知・記憶は非常に脆いものです。たとえば、フラッシュバルブ記憶といって、社会的な大事件が起きた時点での行動や状況を「あの時、私はこういうことをしていた」ととても鮮明に覚えていることがあります。例えば、9・11同時多発テロ事件のときのことを鮮明に覚えていらっしゃる方も多いのではないでしょうか。

しかし、実はこの鮮明な記憶もまた、本当のことかどうかは全くわからないのです。

米国エモリー大学での有名な実験があります。学生たちに「スペースシャトル・チャレンジャー号の事故が起きた日に、あなたは何をしていましたか」と、まず事故の1週間後に聞きました。そして3年後に同じ質問を同じ人に聞いたところ、「その日の記憶」はとてもドラマチックな内容に変化していました。そして学生たちは、3年前の自分の回答を見ても「でも、今の自分の記憶の方が、本当の記憶なのだ」と語ったのです。つまり、私たちの記憶は、自分では真実だと思っていても、事実とは異なっている可能性があるのです。こういった人間の認知の弱点は、自分の過去に関する記憶ばかりでなく、周りの状況の理解や判断、何かを解決しようとする問題解決過程にもいろいろ存在しています。

そういった弱点を持つ人間がやることなのですから、どんなにプロ意識をもっていても、どんなに明確な目的を持って献身的に行っていても、エラーは起きます。そしてエラーが事故にならないために、個人の注意や努力に依存するのには限界があります。それよりも、エラーを起こそうと思ってもできないような環境をどうやったら作れるかを考えていくことが重要なのです。

各種の道具のデザイン、使う際のモノの配置の仕方、情報を受け渡しするための媒体(メディア)のフォーマット、それをどういう形で人から人へ伝えていくかという組織の作り方、それらは全て「(誰か他の)人が作った」モノ、すなわち人工物ですから、人が「作り変える(デザインをし直す)」ことができます。1人の医療従事者がたくさんの仕事を同時並行的に複雑に達成しているときに、「どうやっても間違いが起きないような環境」を作って事故を減らす。一挙に0には出来なくても、0.1%ずつでも減らしていく。安全は、そうした積み重ねで少しずつ達成できていくものなのです。スイッチひとつで一瞬にして「100%安全になりました」というようなものではないのです。

(輸液ポンプのデザインを変更)

輸液ポンプの設定には、点滴速度の設定と予定点滴量の設定とがあります。従来の輸液ポンプでは、その二つを同じ画面、同じボタンを使って、「今はどちらを設定しているのか」を小さなボタンを押して切り変えることによって設定してきました。こういったデザインをモード切替型といいますが、一般にこういったモード切替方式はエラーを引き起こしやすいことで有名です。つまり、共通の画面・ボタンでの設定するため、よほど注意していないと、二つの数値を逆に入力する、あるいは読み間違えるというエラーが簡単に起きてしまうのです。その結果、実際に使う場面では「とても注意を払って」設定をし、またスタート前に何度も設定間違いがないかどうか確認をする必要がでてきます。それでも気づかずに実際にスタートしてしまって、事故になることも少なくありません。

実はこういったことは今まであまり問題にされてきませんでした。作る側はそんなに難しい操作だと思っていないし、使う側もこんな簡単なことは「自分さえしっかりしていれば」できるはず、自分たちはプロなのだから「こんな機械は自分で使いこなさなくては」、と考えられてきたからです。つまり、とても使いにくく、注意して使わなくては「すぐに間違ってしまう」モノが、人の側の努力で「なんとか使われてきている」のです。医療従事者には、他に考えるべきこと注意すべきことがたくさんあるのに、そのモノのデザインが悪いために、ポンプの設定に余分なエネルギーを使いながら、気力と注意力でエラーを回避しているのです。

そこでユーザビリティテストにご協力いただいたテルモ(株)の方に、速度と予定量の入力画面はぜひとも別々にしてほしいと要望を出しました。後から伺った話では、製品価格が高くなるため、社内ではかなり反発があったそうです。しかし、実際に改善した製品を出してみた結果、「わかりやすい」と現場の評判はよいというお話でした。そうしますと、その実績をみた業界団体でも使用安全のためには入力画面を2つ分けた方がいいという話になり、厚労省のガイドラインにも組み込まれるようになりました。

これは、本当にちょっとしたことですが、実際に「変えていく」ためにはやはりコストがかかります。たかが二つの数字入力のことで、なぜそんなにコストをかけなければいけないのかと思われるかもしれません。でもそれによって確実に操作エラーを減らせますし、同時に、ユーザ(医療従事者)はそれまでそこに向けていた認知的なエネルギーを他に向けることができるのです。そのエネルギーをもっと安全や、医療の質の向上の方にむけていきたい、そのために、様々なモノについて「モノのデザインを変えて、もっといい環境を作ろう」という視点が必要だと思うのです。

(医療現場の方へのアドバイス)

医療現場でヒヤリ・ハット事例など危ないと思うことがあったら、「私が悪かった」「○○さんの注意不足・確認不足だった」とヒトのせいにして終わりにせず、なぜこんなことが起こったのだろう、どうしてこの時、こういうことをしたのだろう、ということを、できれば複数の人の間で議論していただきたいのです。例えば、「違う患者さんの点滴薬をつなごうとした」のはなぜかを考えてみる。「ここに点滴バッグがおいてあったから」「△△さんは○○号室だと思って、○○号室のところしか見ないで持っていったから」間違えたというように。次に、「なぜここにモノとして置いてあったのか」「どうしたら、部屋番号だけでなく名前の方を間違いなくチェックできるだろう」とモノのレベルで考えてみる。準備済みの点滴の保管場所・保管ルールをどう決めれば、あるいは点滴上の患者情報をどのように書けば、間違えることがなくなるかというように、環境を変えるという視点で見ていく。そうすると、きっといろいろな改善案が出てくると思いますし、一度のヒヤリハット事例からその後の事故を防ぐことができると思われます。

特に院長先生にお願いしたいことは、ぜひ、実際に自院のスタッフがどういう環境で毎日のお仕事をしているのか、スタッフの視点から院内の環境を見て回っていただきたいという点です。そして、例えば準備用の机がもう一つあれば、複数のスタッフで同時に間違いなく朝の注射準備ができるのではないか、ベッド間隔がもう少し広ければ隣り合う患者さんの点滴台やモニターをすっきり置けて見間違い・接続間違いがなくなるのではないか、というように「不安全な行動がとれないように」モノを変える可能性を様々に考えてみていただきたいのです。モノや空間のデザインによって人間の行動が制約・影響を受けているということを前提として見ていただけると、これまでとは違うものが視野に入ってくるのではないかと考えております。

こうした安全への取り組みには、お金や時間の面でも、またメンタルな面でもとかく負担がかかります。それだけに、とりわけ経営側の方は、すぐに、安全に対するフィードバック、目に見える成果が欲しいと思われることでしょう。これだけお金や時間をかけたのだから万全だと思っているときに、事故やヒヤリ・ハットが起こると、無駄なことをしたのではないかと思われることもあるでしょう。ですが、そこは少なくても1,2年は待っていただきたいと思います。わずか数ヶ月で「全然変わっていない、もうやめよう」と判断してしまうのは、評価の仕方が性急すぎます。数年たってみたら、そういえば全体としてヒヤリ・ハットが減ったねというのが真の成果であろうと思います。医療現場ならではの特殊な複雑性を念頭に置いていただき、ぜひ、医療安全については「粘り腰でいこう」とお考えいただきたいと思います。

認知科学の視点から安全に取り組むためには、人の記憶や注意力に頼らず、モノを変えていく視点が大切だとわかった。そういった視点から現場を見直すためには、まず、日常の医療タスクを縦の糸・横の糸で分析して記述してみるとよいだろう。

また今後は、医療関係者、医療機器メーカー、認知工学者の三者が連絡を取り合い、ユーザの視点を重視したテストを行なっていくことが必要であろう。コストや時間など負担も多いが、何年かたった時に、あのときの効果があったと言えるようでありたい。

カテゴリ: 2004年8月11日
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