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第36回:「真のホスピタリティとは何か」

東洋大学 国際地域学部 教授 服部勝人氏

今回は、ホスピタル(病院)と語源(ホスペス hospes=主客同一、語義はlord of stranger=客人の保護者)を同じくする「ホスピタリティ」を取り上げる。スペシャリストは、東洋大学国際地域学部教授、日本ホスピタリティ・マネジメント学会理事長などを務める服部勝人氏。ホスピタリティとは何か、サービスとはどこが異なるのか等について話を聞いた。(取材日;平成17年1月28日)

服部勝人氏

ホスピタリティとは

(ホスピタリティの定義)

私の定義する広義のホスピタリティとは「人類が生命の尊厳を前提とした創造的進化を遂げるための、個々の共同体もしくは国家の枠を超えた広い社会における多元的最適共創関係を成立させる相互容認、相互理解、相互確立、相互信頼、相互扶助、相互依存、相互創造、相互発展の8つの相互性の原理を基盤とした基本的社会倫理」です。
(最新のホスピタリティの定義は服部勝人氏のホームページを参照ください)

(ホスピタリティとサービスの概念比較)

介護分野向けに作ったものですが、ホスピタリティとサービスの概念を比較した図を見て下さい。

ホスピタリティとサービスの概念比較(介護)

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ホスピタリティとサービスの概念比較(介護)

サービスとは主従関係であり、一方的、一時的な関係です。サービスの効率性追求のためには、人間的要素を排除した省力化、機械化、自動化が図られ、コンピュータ化への連動で全体のシステムが進行します。サービスは機能であり、基本となるものです。ホスピタリティはサービスを土台とした、サービスの上位概念で付加価値と位置付けられます。

私は、ホスピタリティを具現化するために「主客同一の関係で人間の尊厳をもって対等となるにふさわしい共創的相関関係で互いに遇する」という定義(ホスピタリターイズム)をしています。これを医療の場に当てはめてみると、医者も患者も対等な関係で、病気を治すために共に歩む関係と捉えることができます。立場が違えば役割も異なります。医療で言えば、医師は医師としての尊厳と職業観と専門的なものがなければいけません。一方、患者には患者の立場があります。そこで、互いに立場の違いを認めあい、理解しあい、助けあい、頼りあい、成長していくという考えが不可欠となります。同調して言いなりになってはいけません。妥協はしないこと。それぞれの立場が確立されて初めて相互信頼が生まれます。相互信頼を確立するためには、単なるサービスという機能のみの提供ではなく、人と人とのふれあいを前提に、医師と患者の間に優劣や上下関係が無く対等で、お互いにふさわしい関係であるという概念、つまり、ホスピタリティの概念の導入が必要なのではないでしょうか。

こうしたホスピタリティの実践は、リピート効果や新しい創造的価値を生み出します。医療の場合、患者にリピート効果というのは語弊があるかもしれませんが、何かあったときにまたその医療機関や医師にかかりたいと思える関係をつくりあげるということです。

医療界について感じること

最近は医療関係者の間でも「ホスピタリティ」に随分関心が高まっているようです。依頼される講演会や、「ホスピタリティ・コーディネータ」認定特別養成講座の申込者の中にも、医療関係の方が増えています。ただ、理解するのが難しいようで、誤解されている部分もあります。

(応対)

接客態度として、患者に「様」をつけて呼べばそれでいいと思われている風潮がありますが、近年ホテルを参考とされる医療機関が多い中で出てきたものと思われます。接客における意識改革の一歩とはなったと思いますが、違和感に思う人は少なくないと思います。丁寧な呼び方ではあるけれど、ではなぜ「様」でなくてはならないのか、「さん」ではいけないのか。私は「様」でなく「さん」でも決して失礼な呼び方だとは思いません。

それよりも、患者がまず医療機関に来るということは、具合が悪いから来るのであって、そこには不安が常にあります。特に初めて来院した場合には、その医療機関のシステムさえもわからない場合もあるのです。患者は、より早くその不安の除去をしたいと考えています。自分だけが先に診てもらえればとは思わないまでも、一刻も早く不安を除去したいのです。そんな時に、「様」と呼ばれること以上にしてほしいことがあるのです。

大きな要素としては、応対の時の声の調子、応対の時の表情などです。とかく医療機関の応対にはぶっきらぼうな応対が多かったように思われます。本来、医療機関は病んでいる人が来る場なのだから、精神的にも肉体的に敏感になっているのです。それ故、安心できる心地よさは重要な要素なのではないでしょうか。システムの改善は多くの医療機関でなされてきていると思いますが、特に、IT化の進展により人と人との接点が希薄化される中では、医療従事者のもつべき人間としての温もりが、より重要なのだと思います。

(インターコミュニケーション)

普段、何気なく使われている言葉にコミュニケーションがありますが、私は、これは情報伝達だと考えています。これからはインターコミュニケーション=情報交換(交流)と捉えるべきだと考えます。例えば、投薬については数年前から薬の手帳などが発行されましたが、その意義が理解されず、実際はあまり活用されていないように思います。「自分の飲んでいる薬はきちんと伝えましょう」という促しが、医師側からもっと行われるべきです。また、患者にその必要性を説明しなければなりません。なぜ、必要なのか。投薬の過剰投与、飲み合わせの配慮などができることなど、患者にとって重要なことであること。患者も自分のことを自分で把握する必要性が、より良い治療に結びつくことを理解させるということです。

同じ投薬について別の観点から見ると、医師が投与した薬を患者がきちんと服用しているかという問題です。もちろんこれまでも十分に指導して当たり前のことだと思うかもしれませんが、この当たり前だと思っているところが問題なのです。医師は投与した薬を患者は正確に服用していることを前提として診察します。しかし、患者は、医師を信頼していないのではないが、自己判断で正確に服用していない場合もあります。特に慢性疾患になる方が、薬に対しての変な慣れが生じ、この場合、医師は投与した薬があっているのか正確な判断ができない。このことが患者にとってどんなに危ないことかを理解させていないからです。

良い診療をするためには、患者からの正確な情報収集と医師からの正確な情報提供というインターコミュニケーションが必要なのです。そのことを医師だけでなく患者にも理解させる努力をすべきでしょう。残念ながら、医師には「医者のいうことを患者が守ってくれない」、患者には「医者には何も言えない」という風潮が根強くあるのも事実なのです。目標を達成するためにお互いに何をするのか。目標は病気を治すことであり、医師と患者が共に治療方法を模索しながら病気を治すということを忘れないでほしいと思います。

また、私は今いろいろな診療科に通っているのですが、最初にかかっていた先生が、他科の先生を選んで紹介してくれていますが、あの先生の紹介してくれる先生なら大丈夫、この医師に任せてもいいという気になります。人と人との関係における時間と場の共有に加えて、意識の共有の拡大は相互信頼の基盤となるものなのです。医師が変われば患者も変わる、互いに影響しあう関係なのです。

(患者への教育という視点)

医師が患者に対して勉強会を行っている医療機関があります。糖尿病の重症患者を励ます試みとして、いっしょに山登りをしたり、定期的に歩く会を開催したりしているところもあります。その際に体にいいお弁当を教えてくれたりします。このように患者を教育するための取り組みを行うのはよいと思います。  私は生活面へのアドバイスとして、水泳をすすめられたのですが、「忙しくて行く時間がない」と言ったら、家でできるようにと体操のDVDをいただいたことがあります。日々の生活習慣や予防医療など、もっと身近なところに感じられるといいのではないでしょうか。

これからの医療は、治療するだけではなく、治癒後生きていくための希望を与える、精神面での治療や生活面へのアドバイスや予防知識の教育も必要なのではないでしょうか。

ホスピタリティ実践のススメ

(地域医療における相互連携)

地域の開業医に課されているのは、新しい情報の入手、情報交換、情報管理の強化です。地域では診療科を越えて相互連携し、その地域共通のパンフレットを作ったり、こういう相互連携があるということを住民に提示する取り組みがあるとよいのではないでしょうか。プライバシーの問題もありますが、地域でデータの共有をどう行うべきかなども考えるべきです。この相互連携を繰り返すことで、医者と患者との場と時間の共有が始まり、それが拡大して地域の絆が生まれ、安心して病気や健康の相談ができるという意味での生涯患者、延いては幾世代にも渡る永代患者につながってゆくことになると考えます。

基本である情報がうまく伝達されていないと、相互連携はとれません。医療に関連する部門がいかに相互連携するかが重要であり、そのためには地域医療に関する意識統一が必要です。

地域全体で相互連携システムを構築していかないと安全は伴わないと思います。医師が自ら進んで集まってマネジメント等の勉強をすべきです。地域住民への対応がポイントであり、そこに相互満足度があらわれます。何でも厚労省がやるのを待っているのではなく、自分たちでできることはどんどん進めていくべきでしょう。もちろん官・学・産・民の多元的相互連携はこれからの医療に欠かせないものだと考えます。

対等となるにふさわしい人と人とのネット・ワークこそがホスピタリティ・ネットワークだといえるでしょう。

(施設・設備)

今までの医療機関は、待合室や医療機器のそろった施設を建てればそれでよいという感じでした。これから理想的な医療機関となるためには、今までの決まりきった構造ではなく、1つひとつの細かい環境を考えていかなければならないでしょう。アクセスビリティ(近づきやすいこと、分かりやすいこと)、アメニティ(物的環境)とコンフォート(使いやすさ、できるだけ不快感がないこと)を工夫することです。

また、特に色、素材、明かりに関しての配慮が不十分だと思います。医療機関にとって清潔なのはあたりまえですが、そのために冷たい感じになっていることに気が付いていないのではないかと思えます。少しでも不安の除去に役立てるように、色、素材、明かりが与える精神波動の研究をとりいれてほしいと思います。

(患者数の最適化)

患者がたくさんくると医療機関は繁盛して儲かるかもしれませんが、多すぎると患者をさばいていくような感じになってしまいます。ここが医療の難しいところです。患者数の最適化は大切なことです。私はホスピタリティの定義に「生命の尊厳」という言葉を入れています。その基本を忘れると、患者をさばくことになってしまいます。

また、これに連動して規模、範囲、程度、重要性、問題などの面・様相・特質など複数の要素を考慮した最適規模があると考えます。適正人員、適正患者数など、医療機関としての最適化が何かを考えるべきなのです。

(対等となるにふさわしい共創的相関関係)

ホスピタリティの概念として前述した「対等となるにふさわしい」がキーワードとなります。  大学教授と学生の例で考えると、学生にとっては、甘く、簡単に単位をくれるような先生が良い先生と思われがちです。しかし立場をはき違えてはいけません。以前、学生に対して、友達感覚で授業の後もフランクに接していたら全部裏目に出ました。学生の言いなりになっていてはいけません。礼儀作法や規律がなくなります。「らしさ」を尊重しなければなりません。教員らしさ、学生らしさ、同じように、医師らしさ、看護師らしさも必要です。それが対等となるにふさわしい関係を作るもとになります。もちろん患者としてどうあるべきかという患者らしさも必要なのです。

最近はセカンドオピニオンも広まり、複数の医師にかかる人が多くなり、患者が医者を選ぶ時代になりました。しかしその反対に、医師は患者を選べないといいますが、そうではないと思います。インフォームド・コンセントからインフォームド・チョイス、そしてホスピタリティ・チョイスという考えが現れてきています。  良い医療をするためには、患者と医師との間にコンセンサスが必要なのであり、過疎地など例外もあるでしょうが、医師も患者を選べる、そういう方向にいくべきだと思います。誤解しては困りますが、患者は命を医師に預けるのですから、医師が自分勝手に患者を選ぶということをいっているのではないのです。医師の指示を守れない場合は、「的確な治療ができないのですよ」ということを患者に理解させることが重要なのです。

ホスピタリティには「いい患者はいい医師を創り、いい医師はいい患者を創る」というように、共に創る(共創)という概念もあるのです。

(生きがいの創造)

 安全とは不安を除去することです。不安とは情報不足、的確な処置の不十分さなどです。不満は個人的な問題ですが、不安はだれにでも共通してあるものです。まず、不安を除去しないと不満の除去もできません。

また、技術的なことばかり安全だといっても患者は信用しません。技術が最高であっても、人間味、愛情がないと患者は離れていきます。そこで、人と人との潤滑油となる「ホスピタリティ」の実践が重要になるのです。

組織の形態やシステムがどんなに完成度が高くても、最終的に組織を活性化させるのは「人」です。

ですから、患者の生きがいを考えると同様に、医療従事者もやりがい、働きがい、生きがいをもつべきです。行政では住みがい、学校では学びがい、企業では働きがい、これらが人間の知性化となり、創造的進化する原動力となって、人間社会のウェルビーイング(安寧・健康・繁栄・幸福)の実現を可能にすると思います。

生きがいの創造

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生きがいの創造

一方的な関係の「サービス」から、一歩進んだ相互関係の「ホスピタリティ」へ、医療もできるところから始めなければならない時代に来ているようだ。その実践のために医師は「医師らしさ」を失わず、やりがい、働きがい、生きがいを感じていなければならないという。では「医師らしさ」とは何であろう。社会の価値観が多様化している今、ホスピタリティの前にここから考えなければならないような気がした。

カテゴリ: 2005年3月 2日
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