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第38回:「医療安全の経済分析」

同志社大学研究開発推進機構 技術・企業・国際競争力研究センター専任フェロー 安川文朗氏

安全はタダではない。では、医療の安全のためには一体いくら必要なのか。今回のスペシャリストは同志社大学研究開発推進機構の技術・企業・国際競争力研究センター専任フェローである安川文朗氏。氏の著書である「医療安全の経済分析」を参考にしながら、医療安全のコストの考え方を中心に話を聞いた。(取材日;平成17年4月15日)

安川文朗氏

医療安全のコストを考えるときのポイントは何でしょうか。

Ⅰ 医療安全のコストの考え方

医療安全のコスト計算について、私自身こうすればよいという答えは持っていませんし、考え中です。ただ、コストを考えるためのいくつかの前提条件はわかってきました。
まず、何を計算したいのかがはっきりしないと算出できません。対象は大きく二つに分けられます。起きてしまった場合の被害額を算定したいのか、起こさないようにするために必要な金額を出したいのか。つまり事後(ポスト)なのか予防(プレ)なのかの二つです。今いろいろな人が医療安全のコストと言っていますが、そこが曖昧な気がします。

(事後のコスト)

事後のリカバリーの話は、考え方としてはシンプルであり、ロジックとしてそれほど難しくないと思います。例えば、事故や院内感染が起こると、不必要な医療を提供しなければなりません。そのコストは、在院日数が延びることによる入院料、薬を余計に使うことによる薬剤料、医師や看護師など人を配置することによる人件費、と積算していくことができます。このように本来ならばなくてすむはずのものが発生したということが明らかだからです。
ただ、ここで問題になるのは、どこまでが正常な治療で、どこからがadditionalな治療なのかというのは医師でないとわからないということです。しかも、医師がそれを客観的に示せるかどうかもわかりません。境界線が曖昧です。そこが、私たちのように医療の外にいる人間にとって一番困る点です。考え方はシンプルであっても、事後のコストを計算するのは実は難しいのです。例えば、患者さんが10日で退院したとき、10日がまるまる必要な治療だったのか、8日だけ必要で2日はプラスだったのか、私たちにはわかりません。医師に申告してもらうしかないのです。しかし、当の医師にそのような計算をしている時間はありませんから、結局誰も計算しません。なかなかコスト計算が行われない理由はそこにあります。

では次に、予防(プレ)のコストはどう考えたらよいでしょうか。

(予防のコスト)

事後に比べるとこちらはかなり難しい話になりますが、コストを考える上ではいくつかのファクターがあります。
第一のファクターは、予防に必要な戦略をとるために、人やもの(システム)等のリソースが、医療機関全体にどれ位の量と質で投入されているかを把握することです。
まず、医療事故や院内感染も含めたadverse eventsが起きる可能性を極力小さくしたいということを合意するとします。それを起こさないために、優秀な人をどれだけ配置できているか、医療行為を支援するシステム(例えば薬剤の過誤をチェックできるシステム)が備わっているか、そのシステムをきちんとみることが出来るように職員がトレーニングされているか、等ということです。それらが潤沢にあって正常に機能していれば、常識的には、事故が起こる可能性は減ると考えられます。

人員配置について、看護師を例に考えてみましょう。
看護師が不足していると言われていますが、不足という言い方も難しく、本当に足りないのかは検証しなければわかりません。足りないように見える一つの原因は、看護師は結構職場を移るからです。特に都市部では中小病院から大病院に移りたがる傾向があります。よって、中小病院の看護師は慢性的に足りないということになります。職場を変わる理由には、給料が安い、労働環境が悪いなどいろいろあると思いますが、結果的に看護師がいつも欠員という状態は、医療事故が起きやすくなる要因です。予防に必要なコストの1つとして、看護師を定数確保し、さらに皆がゆとりを持って医療を行える人数を確保するのに必要な費用というものが考えられます。それを算出するには、まず5~10年のスパンで、どういうときに看護師が出て行ってしまうのか調査をし、給料が原因であればそれを避けるために必要な賃金はいくらか、ローテーションの問題であればそれに必要なシステム導入にいくらかかるのかといったことを計算すればよいでしょう。ただ、4月からの個人情報保護法の施行もあり、看護師個人のデータ収集はかなり困難になるでしょう。

第二のファクターは、リスクの種を実際に事故にまで結びつけてしまう潜在的な要因をどれ位評価するかということです。医療従事者同士のコミュニケーション、労働環境、患者さんと医療従事者の関係など、いろいろな目に見えない潜在的リスクがあります。普通だったらここでこんな意思決定はしないだろうということが実際には起きています。いくら人をたくさん配置したり、教育したり、システムを導入しても、最終的にその人がどう考え、どう行動するかはその場になってみないとわからないのです。第1のファクターで考えた人やもので、どんなに万全な環境を整えても、起きるときは起きてしまいます。こうした予測し得ない潜在的なリスクはどれ位存在するのか、ゼロに近いのか、1に近いのか。これを何らかの情報を使って基準化する必要があります。目に見えないリスクを目に見える形に数値化していかなければならないのですから大変です。しかし、この潜在的なリスクの評価を誤ると、すごく大きなadverse eventsが起きてしまうかもしれないのです。 また、リスクを非常に高く見積もって、ありとあらゆる可能性を排除しようとすると、膨大なコストがかかります。そこには安全に対する過剰投資をしてよいかという問題が出てきます。

第三のファクターは、医療安全への取り組みが組織の中で機能するように統治されているか、というガバナンス達成度を把握することです。
同じ医療機関内でも、部署間に温度差があるのはよくあることです。医療安全対策委員会などを開くとよくわかります。とても熱心な部署と、そうでないところが必ずあります。いくら組織上、安全対策部門を作っても、きちんとそこにコミットしてもらわないと機能しません。問題解決に際しても、部署ごとにこだわりがあって、なかなか進まないことがあります。そういうときに誰がイニシアチブをとって改善の方向に持っていくのか、経営トップの一声で動くのかどうか、ということです。
ガバナンスの達成度を数値化する方法はいろいろあります。例えば1つの医療事故対策にどれ位時間がかかっているかを見ます。解決まで2年かかるところもあれば1週間のところもあります。もちろん、ただ早ければ良いということではなく、いくつかポイントがあります。事故の問題が何かを必要な関係者が認識し、それが最終的に関係部署にきちんと伝わり、次からはその問題がいつでもレビューできる形で整えられ、情報として蓄積されている、というようなことです。また、安全対策の予算として各部署に配分された予算を、目標を達成するためにどれ位消化しているか、目標を期限までに達成出来たか出来ないか、なども目安になります。このように項目を作りチェックしていくと点数化できます。医療機関個々の安全の水準はわからなくても、ある目標に対して組織的にやっていこうというパフォーマンスのレベルは測ることができます。

第四のファクターは病気や治療に内在する医学的リスクです。例えば、病態が急変することがあります。同じMRSAでも感染しやすい人としにくい人がいます。個人の体質や遺伝的な問題が関与してくるかもしれません。個人の健康上の問題や、どんなに頑張っても見つけにくい癌の病巣や、今までの近代医学ではどうしても解明できない免疫的な問題など、医学としてまだ乗り越えられない未知の部分があります。これら不可避的なリスクに対するコストをどう見積もるかも分析の要因になります。

このように、予防のコストにはさまざまな要因が考えられます。今述べた以外にも、まだいくつかあるかもしれません。まず、要因が何かということをきちんと決めないと、それをコスト化できません。医療事故全般という捉え方をしていたら、あまりにもvarianceが大きくなってしまいます。まず、どれだけリーズナブルなシナリオを作れるか、そこからスタートしなければなりません。

リスクマネジメントという観点では予防も事後も考慮しなければならないと思いますが。

経済学者の立場から言うと、まず、何を生み出すために投入されるコストなのかを考えます。例えば、医療事故が起きてしまって、その人を救済するためにどれだけコストがかかるかという話であれば、そのコストを最小にするにはどうしたらよいかを考えます。それが本当に知りたいことなのでしょうか。それを考えるということは、医療事故に対するコストを、起きてしまった人にかける方が得か、起きる前にかけた方が得か、天秤にかけている話なのです。医療機関を1企業と考えれば、企業にとって医療安全のコストを最小にするのはどちらかという話です。医療機関は本当にそういうことをやりたいのでしょうか。そのためにコストを計算する、つまり費用対効果の話であれば、もちろん予防と事後の両方を計算しなければなりません。

例えば、医療安全に年間1億円投資したときのリターンとは何でしょうか。通常、それによって抑止できたであろう医療事故を指します。もし1億円かけずに医療事故や院内感染が起きたら、その結果として事後の治療に1億5千万円かかる。だったら1億円かけたほうがいい。そこで初めて1億円かける合意性が出てきます。
事後にそれだけお金をかけるのであれば、その分、人件費や、システム導入にかけてもいいということになります。おそらく、医療安全のコストを分析しようとしている人の頭にはそういうイメージがあって、事後に発生したadditionalなプラスαのコストを明らかにし、それを取り除くためにどれだけかけたらよいか、という議論をしているのでしょう。

(社会的インパクトに対するコスト)

ただ、私はそれだけでは足りないような気がしています。事故によっては、その医療機関だけでなく、医療そのものに対する不信が募る可能性があります。事故に遭った方は、その後何ヶ月、何年もの間いろいろな意味で苦労したり、治療したりしなければなりません。場合によっては仕事を変える必要も出てきます。医療不信に陥り、次に病気になっても医療機関に足を運ばなくなるかもしれません。すると手遅れで亡くなってしまうかもしれません。本人だけでなく、家族もいろいろな被害を受けるかもしれません。ロングタームで物事を考えていくと、大きな事故が起きた場合、社会全体が見ているわけですから、当事者だけの問題ではなくなります。他の人にとっても「あの病院は危ないのではないか」となります。そういうネガティブなインパクトを医療機関は無視してよいのでしょうか。
無視できないとすれば、この当事者以外を含めた長期的な社会的インパクトに対するコストを計算するのは決して簡単ではありません。どこまでをエンドポイントとして計算するか決めなければならないからです。

Ⅱ どこまでやれば安全か

安全のためにどこまでやればいいのかということが社会的にも、医療機関内でも、まだ合意を得ていません。患者側は、過剰投資をしてまで徹底的にありとあらゆる可能性をしらみつぶしに潰すことを期待しているのか、起きてしまうものは仕方ないから、起きたときに隠さないで迅速に対応してくれればそれでいいと思っているのか、国民の医療に対する期待が本当はどうなのかというのがなかなか見えてきません。
あくまでも私の感覚ですが、日本人は医療費をあまり払っていないので、医療を維持していくために何が必要かについて疎いような気がします。私が行った調査では、小児救急医療の体制整備に対するコミットは比較的大きい一方で、保険料増額については半数近くが「支払い意志なし」と答えています(図表1参照)。  また、病院経営者の「医療安全」と「経営安定」のトレードオフに対する選好を測定したところ、「経営安定」により強い選好をもつという調査結果(出典:勁草書房「医療安全の経済分析」第4章第3節 安全と経営安定の費用配分に関する計量分析)もあります。

医療安全のコストを計算することは大事ですが、その前に、少なくとも平行して、人々が医療の安全に対して何を期待して、どこまでやればいいと思っているのかを見極める必要があります。

日本における今の医療が当然達していなければならない医療安全の水準、ここまでは必ず医療機関が担保しなければならない水準があって、それに必要な設備投資や、人的配置をするということが前提になったとき、初めて医療安全のコストを計算する意味が出てきます。しかし、その水準がわかりません。すごく意識の高いところに置いて計算する場合と、低い場合では答えが全く異なってきます。事後にかかるコストはどのように計算しても、そんなに異なることはないでしょう。しかし予防にかける費用は下手したら桁が違ってしまう可能性があります。医療関係者の本音を聞くのはなかなか大変ですが、聞かなければならないと思っています。「どこまでやれば医療安全が出来たと思いますか」と。そうした根拠、前提、シナリオがはっきり提示されていないと、計算できません。

Ⅲ アメリカにおける危機管理

話を危機管理全般に広げますと、アメリカは危機管理についてかなりセンシティブになっています。具体的に言うと、バイオテロに対してたくさんシミュレーションを行っています。例えば、ワシントンのフットボール場に空中から炭疽菌がばら撒かれたらどうなるか、市中に天然痘に感染した人が入ってきていろいろな人に接触していったらどうなるか、などのシナリオを作って精緻に計算しています。アメリカ政府は"911同時多発テロ事件"や"炭疽菌ばら撒き事件"があったため、ものすごく真剣に考えていて、バイオテロ対策に100億ドル近い予算をつけています。日本ではせいぜい、製薬会社にワクチンを備蓄する、公衆衛生に配慮する、人的手当をつける、といった程度でしょう。予算は桁違いです。

テロも医療事故もどちらも起きてはならないadverse eventsです。確率的には1/10回とか1/100回というレベルではなく、1/1000回、1/10000あるいはそれ以下のものです。とすると、そういうことに対する備えとは何でしょうか。大雑把な言い方をすると、備えるよりも、起きた後いかに迅速に対応できるかの方が大事ではないかという考え方も出てきます。アメリカでは当然そちらの方もシミュレーションをして細かく計算しています。天然痘の菌がどの位の範囲に何日間にわたってばら撒かれたと想定するか、その範囲の値を少しずつ変えていく。医療従事者のうち何割がワクチンを接種していて、どれくらい二次感染すると想定するか、その設定割合を変化させる。いろいろなシナリオを考えて、コンピュータで計算して答えを導き出しています。
マルコフチェーン(繰り返し代入することで最終的な収束値を計算することが出来る方法)やポアソン分布(ある事象が起こる確率が、低いような事象に対して成り立つような分布)などの手法、仮定を駆使しながら、事象がどんな分布で起こるか、どんな確率で繰り返されるのかといったことを想定し、一種の感度分析を行って、こういう条件で考えたらこうなる、ここを変えたらこうなる、ということが言えないと、普遍性のある計算にはなりません。
医療事故についても、本当はこれぐらい厳密に確率モデルを作って計算する必要があると思いますが、まだ出来ていません。

Ⅳ さいごに

結局、医療安全については計算する技術がないのではなく、何をどう計算すべきか、コンセプト、モデルがないのです。how to calculate ではなく、why, whatが先です。何を計算したいのか、何故それが大事だと思うのかがないまま、いきなりhow toにいこうとしていますが、何のために何をというのがなければ、出された数字には何の意味もありません。たまたまその時はこうでしたという話で終わりです。

私は医療機関の内情や医療の実態をかなり単純化して言っていますから、臨床の方からは「そんなに簡単なものではない」と批判が出ると思います。それは百も承知です。しかし、いきなりいろいろな要素を全部含めた分析ができるわけではありません。一般的な議論として、「医療安全」という言い方をするのはいいのですが、研究ベースでコストを計算しようと思ったら、一体何のコストを計算したいのか、今さしあたって私たちは何を知りたいのかを明らかにしなければなりません。予防のコストなのか、事後のコストなのか、まずそこからスタートすることが必要です。

図表1 小児救急整備と保健財源確保に対するWTP調査

(注)WTP=Willingness To Pay(自発的支払い意思額)非市場財の価値を測定するために広範に用いられている手法

(設問)
あなたの地域ですべての子どもが、すみやかに救急医療を受けられるよう、施設と人員を整備するためにあなたは必要な費用の一部を税金として、いくらまでなら支払ってもよいと思いますか。
  • 1)500円 2)1000円 3)2000円 4)3000円 5)3001円以上 6)支払う意志なし
現在の保険財源の状況を改善し、あなた自身やあなたの次の世代が困らないようにするために、あなたは健康保険の保険料を月額でどれくらいなら増額して支払ってもよいと思いますか。
  • 1)500円 2)1000円 3)2000円 4)3000円 5)3001円以上 6)支払う意志なし
小児救急整備に対する税金支払い意志(n=954) 保険財源確保のための保険料増額意志(n=944)
500円 155 16.2% 194 20.6%
1000円 274 28.7% 197 20.9%
2000円 118 12.4% 61 6.5%
3000円 82 8.6% 24 2.5%
3001円以上 99 10.4% 19 2.0%
支払う意志なし 226
23.7% 449 47.6%

(出典:勁草書房「医療安全の経済分析」第6章第3節 医療安全に向けた医療制度の改善に対する患者・市民の意識と支払い意志調査)

図表2 医療安全のコストを考えるときのポイント

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安川氏の話を元に事務局にて作成

医療安全の経済分析

医療安全の経済分析

著者 :
安川文朗
出版社:
勁草書房
ISBN :
4326700513
概観 :
A5 174ページ
発刊年月:
2004/05

どこまでやれば安全かと問われたら、皆さんはどう答えるだろうか。安全に際限が無ければ、コストにも際限が無いということになる。安川氏は前提となるシナリオが明確でないと意味ある分析ができないと言う。コスト分析の前に、いかにして納得感のあるシナリオを作るかが先決だ。これからコスト分析をしようとしている方は参考にして頂きたい。

カテゴリ: 2005年5月 9日
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