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第48回:「医療機関における労務管理」

国際産業労働調査研究センター代表 木村大樹氏

医療従事者がその能力を十分に発揮し、質の高い医療サービスを提供していくためには、適切な労務管理が必要である。そこで今回は、労働省(現厚生労働省)、労働基準局監督課等での勤務経験をお持ちの木村大樹氏に、医療機関における労務管理について聞いた。(取材日:平成18年2月2日)

木村大樹氏

【1】 医療機関に特有の問題点

病院や診療所は昔から労務管理体制が弱いと言われています。原因としては、1)管理者の労務管理や労働法についての知識不足、2)労働時間の管理の難しさ、3)さまざまな専門職の混在、4)従事者が経営サイドに立つ意識の乏しさ、などが考えられます。

まず第1に管理者の知識不足の問題について。医療機関の長になるのは医師であり、法律の専門家ではありません。他の産業も法律の専門家がトップとは限りませんが、それなりの管理体制が整えられています。

大きな病院では、事務局に労務担当者が配置されているかもしれませんが、必ずしもプロが配置されてはいません。また、大病院では複数の診療科が存在します。それぞれの診療科のヘッド、例えば内科部長、外科部長も労働法の世界で言う管理監督者になります。医師としての診断ができるだけなく、そこに属する看護師や様々な職種の方たちが快適に一緒に働いてもらうための基礎的な労働法の知識も必要です。

かつて、病院や社会福祉施設では、労働基準法違反がかなりのところで指摘され、いろいろな系統で問題提起されてきました。今でも、病院の中における労使紛争は時々目にします。基本的なことに対応できていないケースが現実に起こっています。

「労働法なんて守らなくていい」と言うと大げさですが、それに近いような意識を持っている院長がいるという話を聞いたことがあります。医療法や健康保険法は守っていても、労働法のイロハが守られていないことがあるのです。例えば賃金の不払い。「お金がないのだから払わなくてもいい」と平気で言う院長がいて、労働組合が急遽結成されて、大紛争が起こったこともありました。

また、不当労働行為と言って、労働者の労働三権の行使について、使用者が不利益な取り扱いをしたり支配介入したりすることを禁止する(労組法第7条)というものがあります。これに関するような事案は、表にこそ出てきませんが、医療機関の中で、決して少なくないようです。

医師は、医療技術の進歩を常に追いかけていく必要があるため、それ以外のことについて勉強する機会が乏しいのではないでしょうか。しかし、事業主となっている場合には、労務管理の基本的なことを理解しておく必要があります。労働法には、労働基準法をはじめ、職業安定法、男女雇用機会均等法、育児・介護休業法など、さまざまなものがありますが、労務管理は、これらの法の規制下にあり、無視することはできません。労働基準法は昭和22年に制定されたものです。日本国憲法と同じ60年近い歴史を持つ法律を、「知りませんでした」では世の中通用しません。

第2は、相手が患者さんで、いつ何が起こるかわからないため、労働時間の管理が非常に難しいということです。しかし、そうはいっても一定のルールの中で労働時間を管理しなければなりません。厚生労働省は、使用者が講ずべき措置として「労働時間の適正な把握のための基準」を定めています。労働時間を管理するために、労働者の労働日ごとの始業・終業時刻を把握し、記録することは、使用者の責務となっています。

第3に、さまざまな専門職の方がいるということです。職種によって処遇や労働条件がかなり異なります。複数の職種、処遇の人たちを統一的に管理するのは困難です。職員が納得して安心して働くことができるように、労働条件を明示し、労使間のトラブルを未然に防止することが大切です。

第4は、一般企業では、いろいろな職種の人が、将来、管理職や社長になる可能性がありますが、病院では医師しか院長になれないということがあります。そのため、医師以外の医療従事者は経営サイドに立つ意識が乏しいのでしょう。経営サイドを考えずに要求することがあり、それによるトラブルが発生するのではないでしょうか。

こうしたことから、医療機関は、他の産業以上に労務管理を行える人や体制を整えていく必要があると思われます。

また、最近はサービス残業が増加し、大きな社会的問題となっています。そこで、上記の中から、第2に挙げた「労働時間の管理」を中心にお話します。

【2】 労働時間の管理

(サービス残業)

労働基準法による法定労働時間は、原則として1日8時間、1週40時間までとされています。それを超えた場合は時間外労働となり、割増賃金の支払いが必要となります。その適正な割増賃金が支払われていないケースをサービス残業といい、最近かなり摘発されています。場合によっては刑事事件になり、罰金が科され、悪質なものになると逮捕されることもあります。

ある社会福祉施設では、労働時間についてのデータをごまかしていて、約1億円の不払いのあることが発覚しました。それもかなり故意に騙していたため、この社会福祉法人の理事長は逮捕されました。

(過重労働・メンタルヘルス対策)

医療従事者には、過労死、脳・心臓疾患による労災の認定を行う側の立場、メンタルヘルス対策のサービスを提供する側として非常に大きな役割が期待されています。しかし、その一方で、不規則な勤務や過度の緊張感を強いられることが多く、過重労働やメンタルヘルスのハイリスクグループに位置づけられている当事者でもあります。

過重労働の積み重ねは疲労蓄積となり、いろいろな問題を引き起こします。その一番極端なケースが過労死、過労自殺です。これらの予防の基本は残業させないことです。あるいは、必要最小限の残業に抑える。どうしても残業せざるを得ない場面が出てきたら、きちんと対価を払う。それを徹底することです。人をひとり雇うと、24時間雇っていると勘違いされることがありますが、決してそうではありません。拘束されるのは、労働契約上時間の範囲だけで、それ以外の時間は本人の自由です。使用者としては、法律上、何時間まで働かせることが許されるのか、どれぐらいがオーバータイムになるのか把握しておかなければなりません。

残業させるということは割増賃金を払うということです。時間外労働の割増賃金をきちんと払っていくと、当然コストが増加します。経営に対しても影響がでてきます。経営者としては、もしかしたら別の人を雇った方が安上がりではないか、という視点から考えることも出来ます。経済的な抑制効果の意味からも、サービス残業は規制していかなければなりません。

(研修医)

研修医についての扱いは今までかなり不明確でしたが、今は、労働基準法が適用される労働者であるということが明確になっています。研修医が労働者であるということを認識し、労働法を守るという意識が必要だと思います。労働者である以上、労働時間、休日、休憩、賃金の規制もあります。それがきちんと守られることが必要です。

研修医にもきちんとした報酬、割増賃金を払うとなると、かなりのコスト負担になります。するとそれをどうやって抑制しようかということにつながり、それがトータルとして過労死の予防になります。

【3】 労務管理を取りまく動向

(労働基準監督署の監督・是正勧告・司法処理)

労働基準監督署の監督官はいつでも事業場に立ち入る権限があります。年間約12万の事業場に監督に入りますが、そのうちの3分の2位に何らかの違反があります。

監督した際に、法令違反にならないけれども改善したほうが良い場合、あるいは法令違反になる可能性がある場合は、それを未然に防止する意味で「指導票」が出されます。

法令違反があった場合は、「是正勧告」がなされます。この勧告にも関わらず違反が繰り返されると、司法処分が行われます。年間1,000件以上が司法処分の対象となっています(図表1参照)。

(最近の動き)

労働者災害補償保険法の一部改正により、平成18年4月から通勤災害の保護対象が拡大されます。今までは住居と就業の場所の往復のみであった部分が、複数就業者の場合、第一の事業場から第二の事業場への移動も保護の対象になります。単身赴任者の場合、赴任先住居・帰省先住居間の移動も新たに保護対象となります(図表2参照)。

複数就業者数(本業・副業とも雇用者である者の数)は、昭和62年の55万人から、平成14年の81万5千人まで増加しています。医師も、曜日によって、あるいは午前と午後で違う場所で働いていることが少なくないでしょう。

社会の中では働き方自体が随分変わってきています。社会システムの変化に伴い、いろいろな働き方を前提として、考え方も新しくしていかなければなりません。

(さいごに)

医師は、医師であると同時に医療機関の長でもあります。事業主、経営者としての責任があります。医師だから許されるということはありません。医療機関全体として、皆が気持ちよく仕事ができる環境を作ることが大事です。

日本の産業別雇用者数の中で医療、福祉の人口は、ある程度の割合(8~9%)を占めます。是非、法律に基づく適切な労務管理をしていただきたいと思います。

(参考資料)

「病院・診療所のための労務管理―これだけは知っておきたい労働法の知識」

「病院・診療所のための労務管理
―これだけは知っておきたい労働法の知識」

ISBN:4903286029
労災保険情報センター2005/12出版
¥1,500(税込)(本体価格¥1,429)

図表1 定期監督等の実施件数等の年次推移
図表1 定期監督等の実施件数等の年次推移

(厚生労働省ホームページの資料より事務局にて作成)
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図表2 労働者災害補償保険法の一部改正 図表2 労働者災害補償保険法の一部改正

(出典:厚生労働省ホームページ)
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(取材を終えて)

職場での無用なトラブルを防止し、活力ある環境作りのためには、まず労働法の基本を押さえておかなければならない。憲法を守るように、また医療法や健康保険法を守るように労働法も守る。一方で、働き方の変化に柔軟に対応する必要もある。労務管理には、法令遵守と社会変化への柔軟な対応、この両方が求められている。

カテゴリ: 2006年3月 1日
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