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睡眠不足と安全の関係について

医療機関における過重労働は医療安全にかかわる重大な問題として、様々な場所でよく取り上げられているのを目にする。なかでも睡眠不足状態における仕事への従事は、ミスを誘発しやすいことは主観的にわかるものの、どのくらい危険なのか、定量的なデータをあまり見ない。そこで、今回は、睡眠不足と安全性の関係について、欧米での研究結果を中心に考察している小松英海氏(前 財団法人労働科学研究所 研究部 技能行動研究グループ)をご紹介する。

Q睡眠と安全に関する研究とは大きくどのようなものがあるのでしょうか?

まず、睡眠と安全に関する実験には、大きく二つの手法があります。一つは、断眠実験。もう一つは、睡眠延長です。前者の断眠実験では、ご存知のように睡眠を全部または一部とらない状態での様々なパフォーマンスを測定します。後者の睡眠延長は、好きなだけ睡眠をとり、自然に目が覚め、脳が活動状態になるまで(覚醒時間が10分連続するまで)の時間を測定します。

断眠実験

断眠実験は、名前の通り、睡眠を全てまたは一部断った状態での様々なパフォーマンスを測る実験です。図表1 は断眠実験における各研究者の報告をまとめています。「断眠」という指標が「部分」となっているものは、部分断眠。「全」とあるものは、全て睡眠を断った場合での実験です。また、「断眠(日数)」指標の1×2(一週間おき)は、断眠実験1日を、一週間おきに2回行ったことを意味しています。多くの研究が、基準としての睡眠時間を7時間から8時間の間で設定しています。また、部分断眠実験の場合は、一日の睡眠時間を、4~5時間で実験しているものがほとんどです。

断眠後のパフォーマンス指標としては、ビジランス、計算、記憶、言語などの認知課題が近年重要視されています。

ここでのビジランスというのは、図表2にあるようにほとんど同じ点の情報がコンピューターの画面に表示されている中で、時折違うマークのものが出現します。その違うマークが出現したときに研究協力者がボタンを押す課題です。他と違うマークが時折現れては消えるので、眠気などによりボーっとしている場合などは、そのマークに気づかないことなどもあります。他と違うマークが、実験参加者が反応するまで消えない場合、反応時間の遅延としてその影響は現れます。原子力発電所などでの監視作業のように、様々な計器がほぼ日常と同じ状態にある中での異変の検出と似ています。ビジランスの指標にある「○」は有意差があるという意味です。有意差は統計学における有意差で詳細な説明は割愛しますが、ここでは、通常の睡眠時間の場合と断眠の場合をビジランス課題でテストしてみた場合、統計学的な差が確認できたと解釈して頂いて結構です。その「○」印の横にある時間はビジランス課題の遂行時間ですので、ここではあまり重要ではありません。図表1を見ていただくとわかると思いますが、多くの研究においてビジランス課題は○つまり有意差ありとなっています。これは、断眠によって課題の成績が悪くなるといったことを示しています。計算の課題においては、×が5つで○が1つとなっている。つまり、有意差がないと出ている研究の方が多く存在しています。つまり、これらの研究からわかることは、計算においては、睡眠不足の影響はあまりないといった結果になっています。

医療従事者における睡眠不足に関しては、「論理的推論」や「計算」といった指標は、あまり意味がないかもしれません。また、「ビジランス」、「反応時間」、「記憶」も医療行為には関係してくる要因だとは思いますが、手技の失敗などにおいて、反応時間が遅くなったところで、ミスなく遂行すれば大過ありません。ですから、医療従事者の睡眠不足におけるパフォーマンスの低下を測る指標は、今後もっと別のものを考える必要があるのではないかと思っています。

図表1
図表1
図表2
図表2

睡眠延長

睡眠実験のもう一つの手法は、睡眠延長です。くだけた言い方をすれば、自然に目が覚めるまで好きなだけ寝てよい場合、何分眠るかといった調査です。ベースラインでの平均睡眠時間が454分(7時間34分)であったのに対して、無制限睡眠の日の平均睡眠時間は580分(9時間40分)です。この実験では、研究協力者が日常とっている睡眠時間よりも長い睡眠時間をとっています。この結果から、習慣的にとっている睡眠スケジュールが長期的な睡眠負債を負っているとここでは考えます。

しかし、論理的に考えるならば、通常、7,8時間の睡眠で睡眠負債は日々蓄積しているはずですが、実際はそうではありません。睡眠には睡眠の深さなども多大に影響してくるため、単純に睡眠負債が蓄積しているからパフォーマンスが低下するとは言えません。このため、睡眠の研究は前述の断眠実験が睡眠延長実験に比べて主軸にあるといった状況です。

Q時刻における特性の違いなどあるのでしょうか?

図表3は、眠気が関係した交通事故の時刻別相対リスクを示したものです。死亡事故統計から抽出した眠気が関係した事故を交通量で割ります。次に、14時の値が1になるように、それぞれの時刻の値(事故数÷交通量)に係数を掛ける形で、相対リスクをまとめています。(相対リスク:Garbarino et al 2001)。これをみると、午前3時、4時ころは日中にくらべて、約7倍程度、眠気に関する交通事故が多いということがわかります。

あえて眠気と他の要因を区別せず、交通事故全般で考えた分析もあります。図表3のオッズ比がそれです(Akerstedt et al 2001:注1)。1時間あたりの事故総数を乗用車の数で割った値を絶対リスクとします。次に10:00-11:00を1とした相対リスクをオッズ比で算出しています。オッズ比とは、その事象が起こりそうもないと思われる回数に対する起こりそうだと思われる回数の比です。たとえば、オッズ比7の場合、起こりそうな回数が7回で起こりそうでない回数が1回と解釈できます。この場合も、深夜、早朝にかけてリスクが高くなっています。後者のオッズ比では、交通事故全般のリスクは、深夜、早朝にかけて多いというものであって、その原因が眠気であるのか、スピードの出しすぎによるものなのか等の原因については言及できません。しかし、前者における眠気の相対リスクのグラフとほぼ似通った結果となっている所が興味深い所です。

図表3

図表3

最後に

いずれの研究も睡眠不足から様々なパフォーマンスの低下を招く状態を、明確な形で定量化することに苦労しているといった感があります。特に、医療従事者の睡眠不足や長時間労働を考える場合には、ビジランス、反応時間、記憶といった指標に加えて、別の指標が必要であると思います。

それから、重要なのは、睡眠不足が原因だったと特定することではなく、その潜在的な要因を探っていくことであると思います。睡眠不足は人間だれでも発生するものです。単調な作業の連続、長時間労働、睡眠不足、生体リズムに合わない時間帯などの条件が揃えば、誰でもミスを誘発します。

安全研究の分野では、エラーは結果であり、原因ではないとされています。事故は単なる結果です。軽い事故で済むか、重い事故になってしまうかは単なる偶然です。大切なことは、事故にいたる可能性がある不安全条件、不安全要因をできるだけ排除していくことだと思います。特に、エラーマネジメントでは、人間を変えるよりも状況を変える方が簡単だと主張しています。今後、睡眠不足をエラーの単なる要因として捉えるのではなく、より根源的な要因への対策を医療界が打っていくことを期待したいと思います。

<取材を終えて>

睡眠不足や長時間労働の問題は、医療安全を考える上で重要は要素の一つであろう。根本的な問題解決のためには、医療提供体制自体を見直す必要があろう。そのためには、やはり睡眠不足や長時間労働がもたらす安全性の低下を明確な値として数値化していくことが重要であるはずだ。睡眠不足の研究は欧米の研究が多いが、日本においてもこのような研究が今後充実されていくことを期待したい。

<注1>
本来、Akerstedtの「A」の文字には、頭に「○」がつきます。

カテゴリ: 2006年6月30日
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