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損害保険会社から見た介護保険施設のリスクマネジメント

最近は、介護事業に進出する医療法人が増えている。介護保険制度の普及で介護サービスの利用が急増する一方、介護事故も見過ごせない状況となりつつある。損害賠償を請求されたり、中には訴訟が提起されるケースもある。そこで今回は、賠償責任とリスクマネジメントの関連性について、あいおい損害保険クオリティライフ事業部次長の山田滋さんに話しを聞いた。

Q.山田さんは特別養護老人ホーム(介護老人福祉施設)などの介護保険施設や、在宅介護サービス事業者に対するリスクマネジメントセミナーの講師としてご活躍されていますが、そのような取り組みを始めたきっかけは何ですか?

あいおい損害保険は、長年、特別養護老人ホームなどの施設の賠償責任保険を取り扱っていますが、2000年にスタートした介護保険制度を境に、利用者からの賠償請求が増加しました。ところが、施設側にはその対処方法や事故防止策のノウハウが定着していないことがわかりました。

そこで当社のスタッフがさまざまな施設に出向いて、職員の皆さんと一緒に事故防止活動に取り組みました。そして一定の事故防止ノウハウを修得したので、顧客サービスの一環として、セミナーを通じて関心のある方々にお知らせすることにしたわけです。

契約者の事故が減るのは、当社にとってもメリットになります。また、セミナーを通じてリスクマネジメントに関心の高い施設が増えれば、利用者のためにもなると思っています。

Q.事故防止策を講じる場合、事故を「防ぐべき事故」と「防がなくてもよい事故」に区別する必要性を指摘していますが、それはどういう意味ですか?

職員の皆さんがどんなに努力しても、全ての事故を防げるわけではありません。特に、特別養護老人ホームなどの介護保険施設は入所者の生活の場ですから、生活に伴う不可抗力のリスクがあります。そうしたリスクに対してまで、防止策を講じることは容易ではありません。もちろん防げるに越した事はありませんが、そこまで求めるのは現実的ではない。

ならば、事故をひと括りに捉えるのではなく、「防ぐべき事故」と「防がなくてもよい事故」に区別して、「防ぐべき事故」に対して防止策を考えればよいという事です。

具体的には、「防ぐべき事故」は、施設に賠償責任が生じる事故。「防がなくてもよい事故」は、施設に賠償責任が生じない事故です(図1参照)。ただ、こう説明すると、「保険金を支払いたくないから言っている」と誤解されがちですが、そうではない。賠償責任が発生する仕組みと、事故防止活動の間には密接な関係があるのです。

なぜなら賠償責任が発生する事故は、安全配慮をつくせば防げる事故だからです。やるべき対策をきちんとやれば防げる事故とも言えます。事業者はこうした事故に防止策を講じる法的義務(安全配慮義務)がありますし、これが防止できないと賠償責任が発生します。

一方、賠償責任が生じない事故とは、利用者の責任で起きた事故や不可抗力による事故です。これらは職員がいくら努力しても防げないものがほとんど。例えば、身体機能の自立している高齢者が、歩行中にいつ転倒するのかは予測できません。24時間見守ることは不可能ですし、転倒しないように抑制することもできませんから、防止するのは困難です。このような事故には、防止策を講じる法的義務(安全配慮義務)はありません。

ただし、賠償責任の有無に関わらず、事業者は全ての事故や緊急事態に対して万全の処置を行う義務はありますし、これを怠って損害が拡大した場合は損害賠償責任が発生しますので注意が必要です。

Q.では、賠償責任との関連で、施設は具体的にどのような安全配慮をつくせばよいのでしょうか。

施設に賠償責任が生じるか否かを判定する基準は、以下の2つです。

  1. 標準的な注意力があれば、その事故発生が予測可能であったか?(予見可能性)
  2. 標準的な技術力があれば、その予測された事故の回避が可能であったか?(結果回避可能性と結果回避義務)

予見可能性とは、介護のプロの目で、その事故が起きることをあらかじめ予測できたかどうかという意味です。例えば、「車いすのブレーキに不備があるので、点検をしなければ事故が起きるかもしれない」とか、「利用者の体調が悪そうなので、レクリエーションに参加させるのは危険ではないか」などです。その予見は一般人の基準ではなく、介護のプロとしての基準になります。

また、結果回避可能性とは、予測した危険に対して、事故を回避するための適切な措置が講じられたかどうかです。結果回避義務とは、予見した危険に適切な回避措置が可能ならば、それを講じる義務があるということです。それを怠って事故に至ると、過失と判断されます。上記の例では、「車いすの点検を行ってブレーキを修理する」「利用者の体調を考慮して、レクリエーションを遠慮してもらう」などが、結果回避措置となります。

つまり、損害の発生が予測可能であり、かつ、その結果を回避できる可能性があったにも関わらず、その回避義務を怠って事故に至った場合に賠償責任が発生するのです。

Q.ということは、施設は予測可能な危険をあらかじめ把握し、それを回避する措置を講じておく必要があるわけですね。そのような力を養うには、どうすればよいのでしょうか。

私達は施設の職員の皆さんと事故防止活動を始める際に、過去の事故事例を参考にしながら、どのような場合に損害賠償が発生するのかを理解してもらうようにしています。そうする事で、何がリスク(危険)で、それらにどんな対策を打つ必要があるかを理解できるようになるからです。

1つ事例を紹介しましょう。脳卒中で片麻痺となっている利用者の事例です。以前は4点杖を使って歩行していましたが、最近、身体機能が低下してバランスをとるのが難しくなってきたため、四輪歩行器を使うことになりました。理学療法士による歩行指導も始まりました。指導から3日後、利用者はその歩行器を使って、1人で食堂に向かって歩いていました。ところが、何かの拍子で急に足を止めたため、歩行器が先に進んでしまい、身体が付いていかないまま、前のめりに転倒してしまいました。

この事故の場合、賠償責任を判断する上で問題となるのは何であるかを考えます。まず、福祉用具や手すりなど、歩行や動作の環境に対して適切な安全配慮がなされていたかという点です。すなわち、四輪歩行器がこの利用者に適切であったかどうかです。これには理学療法士の指導が適切であったかどうかも含まれます。また、指導から3日目ということで、歩行時の見守りの必要性も考慮しなければなりません。

こうして検討した結果は、日常の事故防止活動としても活用することができます。

Q.山田さんは数多くの施設を訪問していらっしゃるようですが、事故防止活動で何か気づいた点がありましたら、教えてください。

施設の中には、事故さえ防げればよいと考えて、利用者を車いすに縛り付けているのを見かけることがあります。これは介護保険で禁止されている身体拘束にあたるのですが、職員に利用者の人権を侵害しているという意識がないのが気になります。

そもそも事故防止活動は、サービスの質を維持するために行うものです。転倒防止のために車いすに縛り付ければ、廃用症候群を招く場合もあるのです。利用者の人権を侵害し、廃用症候群というリスクを負わせてまで、安全を優先する姿勢には問題があります。

また、最近は少しでも誤嚥の可能性があると、胃ろう(経管栄養)にする医師も増えています。食べる楽しみを奪っているデメリットと、誤嚥防止という安全のメリットをきちんと比較して判断して欲しいものです。

自分が客(利用者)だったら、どう思うかを考えればわかりやすいでしょう。例えば、近所に2つのプールがあったとして、あなたはどちらのプールに子供を連れて行きたいかを考えてみてください。1つは、絶対安全で事故ゼロのプール。もう1つは、楽しさいっぱいで自然の迫力満点の大波プールです。

前者は、小学生以下は子供用プールを使用しています。その水深は50センチなので絶対に溺れませんが、上手くも泳げない。子供には面白くありません。つまり、安全だけを優先して、客の求める効用や付加価値を全て犠牲にしているプールです。職員にとっては事故防止活動が必要ないので楽ですが、活気もないのでやりがいがありません。

一方、後者は深さが1mで波もあるので、海のように迫力があり、おもしろい。その代わり、安全対策も厳しく、入場時に体温を測定したり、プロの指導員による準備体操や安全に泳ぐために指導が行われます。事故を防止するためにプロが最大限の配慮をしているプールです。職員には事故を防止するための知恵と工夫が求められ、やりがいもあります。

さて、あなたならどちらを選びますか。多分、後者を選ぶ人がほとんどでしょう。お客様が選ぶ製品やサービスは、性能や効用、付加価値が高く、それでいて安全に対して最大限の配慮をしているものです。いくら安全であっても、切れないナイフを誰も買いません。

Q.ただ、家族が事故を懸念して、身体拘束を求める場合もあるようです。それにはどう対応すればよいですか。

生活には避けられないリスクがあります。安全だけを優先して、リスクの全てを取り除こうとすれば、生活そのものを奪ってしまうことになります。その事を、家族に説明する必要があります。

家族が恐れているのは事故ではありません。事故による怪我がきっかけで寝たきりなどになり、今までの生活が維持できなくなるのを恐れているのです。怪我を防止するために生活行為を抑制して生活能力を奪う事が、事故による怪我と同じ結果を招く旨を話せば理解してもらえるはずです。これは利用者の生活を支援する介護のプロとして、果たすべき責任でもあります。

とはいえ、家族側にも問題がないわけではありません。介護のプロなのだから、どんな事故でも防げると考える人がいるからです。

施設側は生活する上でのリスクや、事業者としてそのリスクをどこまで防げるのかを説明する必要があります。家族にもどこまでそのリスクを許容できるのかを真剣に問いかけてみてください。そして、利用者の生活を支援するパートナーとして、家族と一緒に知恵を出し合ってみる。家族を巻き込みながら、利用者のために良いと思うことを考えていけばよいのです。実際に、それを実践している施設はたくさんあります。施設側が事故(リスク)を回避するために、利用者の生活を犠牲にしてしまう事がないようにして欲しいと願っています。

あいおい損害保険クオリティライフ事業部次長の山田滋さん。
あいおい損害保険クオリティライフ事業部次長の山田滋さん。
カテゴリ: 2004年7月14日
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