最新動向:最新記事

救急患者の「たらい回し」解消に期待 岐阜大学などが構築した「GEMITS」

IT(情報技術)を活用し、現場の救急車と医療施設とを結んで、患者を迅速に搬送、処置できるようにした「救急医療支援情報流通システム(GEMITS:Global Emergency Medical support Intelligence Transport System)」の実用化に向けた取り組みが進んでいる。岐阜大学を中心として沖電気工業、デンソー、インターネットITS協議会(IIC)が連携して開発するプロジェクトだ。現場と医療施設とが情報を共有すれば、社会問題化している患者の「たらい回し」解消や治療時間の短縮につながる。システム開発のプロジェクトリーダーとして当初から関わっている岐阜大学大学院救急・災害医学分野の小倉真治教授に同システムの狙いや今後の計画などを聞いた。

小倉真治教授(高次救命治療センター長)
小倉真治教授(高次救命治療センター長)

時間との戦いを阻むシステムの不備

「時間との戦い」——。救急医療に対する小倉教授の基本姿勢は単純明快だ。臓器本位の各種疾病を対象とし、確信が得られるまで、検査を繰り返す余裕のある一般診療に比べ、著しい肉体的侵襲に対する治療を一定時間内に始めねばならない救急医療は、待ったなしの一本勝負を余儀なくされる。

岐阜大学の高次救命治療センター長でもある小倉教授は「たとえ、それが不十分だとしても、限界となる時間内に知り得た知見で決断し、治療を始めなければ"戦い"に敗れる。至って当たり前のことだ」と言い切る。

救急医療は往々にして、事前に得られる患者情報が非常に少ない。適切な処置には豊富な情報が必要だが、症例ごとの情報は完全に孤立(隔離)しているのが実情である。情報は患者と同時にもたらされるので、受け入れる医療施設も詳細には把握しておらず、準備や対応が困難になりがちだ。

半面、どんなに希薄な情報であっても、適切な医療施設に搬送されれば、患者が一命を取り留める確率は高い。

問題は、かつて奈良県で起きた妊婦搬送の長時間にわたる、いわゆる「たらい回し」として報道された事例のように、患者が医療施設に受け入れられない場合であろう。

医療施設側からみると、たとえ、十二分に医療資源があり、助けを差しのべたいと思っていても、問い合わせが来ないと、助けを申し出ることができないということになる。

小倉教授は「これまでの医療は1つの病院で完結することを目標としてきたため、病院の選定を支援したり、患者情報を共有したりするシステムが整っていない。だから、地域の医療資源が適時に有効活用されていない」と、複数の医療施設の連携に役立つべき情報システムが必ずしもうまく機能していない背景を明かす。

GEMITSの概念図
GEMITSの概念図

※クリックで拡大pdf(別ウィンドウ。PDFファイルが開きます)

最適施設への最短時間搬送が救命率を上げる

救急医療の分野では、医療施設に着く前からの患者情報が不可欠である上、それ自体が高い重要性をもつ。医療施設間、医師間の連携も重要だ。「救命率を上げるための最大の要素は、最適な治療が行える施設へ最短時間で患者を送ること」と小倉教授は強調する。

限りある医療資源を有効に活用するためには情報を共有し、最適な施設に搬送できるような連携が欠かせないというのだ。

救急医療では、患者の発生から通報・搬送・受け入れに至る過程をシステムで支援することが、さまざまな問題の解決を促す。

例えば、救急隊員が患者情報をシステムに伝えさえすれば、最適な病院を指示されるシステムが整備されれば、より質の高い救急医療ができるはずだ。

こうして、小倉教授らが提唱したのが「救急医療情報共有支援システム(GEMSIS:Gifu Emergency Medical supporting Information System)」という考え方である。このシステムは、上位(救急病院間=救急連携)、中位(システム結合=情報連携)、下位(救急災害現場=情報発信)の3層から成る。

上位システムは、救急病院の間で医師の情報、設備の状況、患者情報をリアルタイムに共有している。下位システムは、救急隊員による現場での情報だ。患者が携帯するICカード(後述)も含む。中位システムは、下位情報と上位情報をマッチングして、最適な医療機関と、アクセス手段を指示する。

このプロトタイプの理念を踏まえて09年度から始まったのが車載ITを活用したGEMITS(ジェミッツ)である。その目的は「救急医療体制全体の最適化」(小倉教授)にある。

現場と医療施設とをつなぐ統合センターのモニター
現場と医療施設とをつなぐ統合センターのモニター

※クリックで拡大

明確なニーズを形に変える

「構想20年、試行7年、実行2年」(同教授)で実用化に向けた実証実験を行っているGEMITSには「県内のどこに住んでいても、本邦で最高の医療が受けられる」(同)という、患者本位の思いを託した。

その開発にあたっては「ITと既存の枯れた技術を組み合わせることで、明確な"ニーズ"を形に変える」(同)ことを基本姿勢とした。IT活用を謳(うた)いながら、現場の実情とはかけ離れた数多くの先行事例を「他山の石」として"シーズ"優先型で開発したのである。

すでに述べたように、GEMITSの要点は、上位、下位それぞれの階層の情報収集と中位における適切なマッチングにある。上位システムでは、患者情報を含む病院施設・設備、医療スタッフの状況を収集。収集された情報を統合センターで統合している。

下位システムでは、救急車両に搭載したIT機器(コンピュータ)とICカード(後述)を活用し、現場情報と患者の履歴情報をセンターに送る。

上下位両システムの情報を一元管理し、医療施設と現場にフィードバックするのが統合センター(中位システム)の役割である。

物言わぬ患者の代弁者

下位情報を発信する現場における情報収集手段の一環として活用が期待されているのがさまざまな情報を書き込んだICカードの一種「Medica™」である。

重篤な状態であることが多い救急現場の患者から、病歴や通院歴、服用している薬などの基本情報を聞き出すのは極めて困難だ。聞き出せたとしても、不正確な内容であることが少なくない。

そうした作業を補うために開発されたのがMedicaカードだ。救急車に装備された端末(PDA)に数cmの距離まで近づければ内容が瞬時に表示されるしくみ。まさに「物言わぬ患者の代弁者」の役目を担っているわけだ。

カードの登録内容は氏名、生年月日、性別、血液型、既往歴、投薬歴、アレルギーや感染症の有無などに厳選。「限られた時間の中で、プロが見れば判断がつく、最低限の情報に絞り込んだ。緊急時の過剰情報は、情報不足よりも有害」(同)だからだ。

個人情報が詰まっているだけに、カードには端末と連動させた厳重なセキュリティ対策が施されている。

患者情報が書き込まれたMedicaカード

患者情報が書き込まれたMedicaカード

※クリックで拡大

Medicaカードの情報を読み取る端末

Medicaカードの情報を読み取る端末

※クリックで拡大

搬送平均時間を約10分縮める

通常、通報から医療施設に搬送されるまでの時間は全国平均で約36分とされる。GEMITSを活用すれば、それを10分程度短縮できると同プロジェクト関係者はみている。もちろん重要なのは時間の短縮ではなく、救急医療の質の向上である。

GEMITSの有用性を左右するのは、システムを構成する階層ごとの情報の円滑なやり取りである。

一連の流れを簡単に追うと(1)現場から情報センターに患者情報を送信 (2)情報センターから各医療施設に患者情報を送信 (3)各医療施設から情報センターに応需情報を送信 (4)情報センターが受け入れ病院を選定 (5)情報センターから現場に搬送先の候補を提示 (6)決定した病院に搬送——となる。

GEMITSの運用面での鍵を握るのは、Medicaカードの普及であろう。(1)必要な患者情報が先行取得できる (2)受け入れ医療施設は施設内の準備や調整に余裕をもって臨める (3)輸血などの医療資源の準備にも時間的なゆとりが生まれる——など、利点は多い。

実用化実験の対象地域にある木沢記念病院(岐阜県美濃加茂市)と松波病院(同笠松町)は11年3月までに合わせて約5500枚のMedicaカードを無料配布した。新規入院患者の他、救急患者となる可能性のある脳卒中リスクの高い外来患者にも発行している。

全体の活用率は3%以上で、救急搬送された患者のうち、脳外科疾患の11%、循環器疾患の6%が持参していたという。

ただし、GEMITSがその成果を十分に発揮するには、まだまだ普及率が低い。メリットを訴えるための認知度向上、システムの運用や維持にかかる経費確保など、検討課題はあるものの「数年内をメドに、県内の70%の人に持ってもらいたい」と小倉教授は期待する。

現場との対応にあたる小倉教授
現場との対応にあたる小倉教授

※クリックで拡大

医師の動きを色分けでつかむ

中位システムを介して下位システムの情報を受け取り、実際の治療にあたる上位システムの対応はどうか。プロジェクトに参加している医療施設では、医師の一人ひとりがICタグ付きのカードを常に身に付ける。

医師の動きは施設内に設置されたセンサーで岐阜大の情報センターに集められ、施設選定の判断に役立てられる。センサーは医師の居所に応じて忙しさを3色で表示する。

例えば、緑色(医局や待機室、食堂など)は受け入れ可能、黄色(救急処置室)は手が離せると判断される。赤色(手術室や血管造影室)は受け入れ不可能だ。

情報センターでは、これらの情報から応需の可否を素早く見極め、対応の可能性のある施設を選択。候補施設と搬送時間の連絡を受けた現場は、受け入れ先に照会し、患者を搬送する。「搬送先には必ず対応できる医師がいるシステムなので、いわゆる"たらい回し"をされることはない」。小倉教授はGEMITSの最大の利点をそう語る。

機動力の要(かなめ)であるドクターヘリと、救急医療に携わるスタッフ
機動力の要(かなめ)であるドクターヘリと、救急医療に携わるスタッフ

※クリックで拡大

オールジャパン体制を視野に

小倉教授はGEMITSのこれまでの取り組みの達成度を「運用面で30%、技術面で70%」とみる。運用面の評価が辛いのは、県内の参画施設が理想の半数にとどまっていることによる。「この種のシステムは、網羅的に取り組まないと効率がよくない」(同)からだ。

GEMITSが目指すのは「地域を問わない質の高い医療サービスが提供できる街づくり」(同)である。その実現には、GEMITSのネットワーク化やMedicaカードのID連携を軸とした「GEMITSプラットフォーム」の構築が不可欠だ。そのため、大学で運行している岐阜県ドクターヘリにもGEMITSの端末を搭載した。

こうした考えに基づき、GEMITSでは「シームレスな地域連携医療」に照準を合わせた、オールジャパンの体制を目指している。11年度上半期をメドに企業コンソーシアム「GEMITSアライアンスパートナーズ」(仮称)を組織化する計画だ。

この動きとは別に、同システムのこれまでの研究成果に着目した奈良県が、同システムをモジュールとして実証実験を行った。「まいた種が着実に芽を出してきた」と、小倉教授は先行きの展開に自信を深める。

病院前の課題から、広域の課題解決へ。GEMITSの実用化は「たらい回し」解消から質の高い救急医療に向けた実のある第一歩といえるだろう。

企画・取材:伊藤 公一
カテゴリ: 2011年3月31日
ページの先頭へ