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スマホやタブレット端末を利用して安価で効率のよい職員教育を実践 ~原動力は新人たちが作る自作のeラーニング教材~

医療現場でのIT活用が広まっているなか、北九州の小倉第一病院は2004年より職員教育にeラーニングを導入。わずか2年後の2006年には経産省などが後援する第2回日本e-Learning大賞審査委員特別賞を受賞した。同病院は糖尿病・透析の専門病院。現在開講しているeラーニング講座は67コースで、医療(ME)機器の操作方法、看護基本技術など新人看護師向けのものと、院内感染対策、個人情報保護法など全職員向けのものに大別される。医療安全に関わるものも多い。受講者は院内、院外を問わず、モバイル機器やパソコンで任意の時間に受講することができる。受講率は従来の院内勉強会やセミナーなどの集合型研修とは受講条件が違うので一律には比較できないが、平均20~30%だったものが80%を超えることも珍しくなくなった。4~5年前からはiPadなどのタブレット端末を追加導入して新人全員に支給。各自のスマホと接続することも可能で、ちょっとした隙間時間にも受講できるようになった。新人看護師のなかには先輩の透析手技を動画撮影し、それを業務の直前に見て作業確認に使うというふうに動画マニュアルとして応用する例も出てきた。このように制作と学習が直結しているようなコンテンツ(教材の中身)も増えつつあり、経験の浅い新人には服務によるストレス軽減に役立つツールとなっており、副次的効果として離職率が低下したという。同院が実践しているeラーニングによる職員教育法を取材した。

小倉第一病院eラーニング講座一覧
看護基本技術 27講座
医療機器操作方法 11講座
接遇 2講座
診療情報管理 4講座
医療安全管理 3講座
IT関連 4講座
その他・・・  
以下平成24年度新人看護師用教材コンテンツ

eラーニング導入までの経緯

小倉第一病院のeラーニングによる職員教育は、新人看護師に必要な看護スキルを効率よく教えるにはどうすればよいか、という自問から始まった。2001年のことだ。当時、スタッフ教育を担当していた中村秀敏現院長が振り返る。
「たとえば血液透析治療を開始するための手順ですが、以前はその都度、マンツーマンで教えていました。もちろん1回教えれば済むというものではなく、新人全員がマスターするまでには時間も労力も相当かかっていました。1対1の教育法は指導者が学習者の理解度や習熟度を把握しつつ柔軟な教え方ができるという良さはあるのですが、毎年同じことの繰り返しです。その他の看護スキルの教え方にしても集合型の院内研修やセミナーは勤務体制の違いやスタッフが同時に現場を離れられない等の理由で集まりが悪い。何か効率の良い方法はないか、ずっと模索していたのです。そんなときeラーニングという教育手法があることを知ったのです」

eラーニングには表のような特徴があり、日本でも企業や教育現場を中心に導入が盛んになっていた頃だ。ところが医療施設での導入事例はほとんどなく、参考にできる事例は見当たらなかった。製品を提供しているベンダーが一堂に会している展示会を見学するとハードウェアやソフトウェアなどの基本システムの構築に相当な初期コストが必要なことがわかり見合わせた。
「いったんは断念したもののあきらめきれず、ファーストステップとして始めたのがパワーポイント(プレゼン作成ソフト)を使ってスライド形式の教材を自作して、院内の数台のパソコンに保存。これを受講者が呼び出して見るという初歩的な方式です。eラーニングというにはおこがましいものですが、とりあえずパソコン上での学習を可能にしました」

看護スキルなどの自作の教材を作るにあたって気をつけたのは、箇条書きのマニュアルの域を脱していなかったテキストの刷新だ。文字だけの説明を排し、写真によって作業の流れや処置に必要な物品の一覧を示したことだ。手のつけやすい看護基本技術から取りかかった。
「それだけでも新人看護師たちはわかりやすくなったと喜んでくれました」(中村院長)

この取り組みを学会で発表すると当時の院長が評価してくれ、あきらめたはずの市販のシステムを導入する予算を組んでくれた。導入が決まったのは2003年だ。

eラーニングの長所と短所

学習者(受講者) 教育担当・管理者(経営者)
長所 時間や場所の制約が少ない
自身のペースで学習できる
動画やアニメなどでわかりやすさを補強
反復の学習ができる
テスト機能などを利用し、弱点を補強できる
全受講者の履修データを把握できる
採点を含め成績管理が自動的にできる
評価システムの一環として利用可能
学習の質が講師の質に影響されない
セミナーなど集合教育の補完として利用可
外部から招聘する講師の費用が要らない
短所 PCに向かって行う学習に孤独を感ずる場合も
人によっては学習意欲の持続が難しい
その場での質疑ができない
導入や運用コストがかかる
コンテンツ購入や委託制作に費用がかかる
システム導入や運営の中心となるべき
ITに詳しいスタッフ(医療従事者)が少ない

予算オーバーのために採った窮余の策が教材の自作

専門業者(ベンダー)が提供するeラーニングシステムにはLMS(Learning Management System)という学習管理システムが必ずついている。というよりもこれがシステムの中核でパソコンでいえばOS(オペレーションシステム)に当たる。受講者が講座のメニュー覧から任意のコースを選ぶと、LMSが応答し、学習コンテンツを配信する。

またLMSには受講期日などを記録したり、理解度を調べるテスト機能もあり、成績も保存するので、受講者は理解度をチェックしつつ学習を進めることができる。この詳細な受講データはeラーニングの管理者(病院経営者)にとっては受講者全員の履修度をチェックできる管理ツールとなる。また人事面の評価参考ツールとすることも可能だ。これらの機能の使い勝手をいかに良くするか、各ベンダーがしのぎを削っている部分でもあり、機種選びのポイントとなる。

小倉第一病院もLMSの選定に苦労した。どうにか終えたもののシステムの発注の前に立ちはだかったのが、またもやコストの問題だ。当初、1年ぐらいをかけて構築したいと考えていた必要な学習教材をそろえるには1000万円ほどかかるとの最終の試算が出た。予算をはるかに上回っていた。思い描いていた要求を満たすべくあれもこれもと欲張り過ぎたようだ。
「どうすればよいか悩みました。テスト機能や受講データの管理などLMSの中核機能は外したくない。そこで教材のコンテンツ(中身)は市販のものや外注して作ってもらうものは極力少なくして、大半は自分達で制作することにしました。無謀との声もありましたが他に経費を削減するよいアイデアがなく、やるしかなかった」と中村院長は笑みを浮かべつつ回想する。

とはいっても誰が学習コンテンツを作るか? 思案の末、入職5年までの若手を選抜して起用することにした。看護師3名、臨床工学士3名からなる専任の教材クリエーターだ。
「若手だからわからないことや教えて欲しいことがたくさんある。またわからない人のことも理解でき、その人でもわかるようなコンテンツを開発できるのではないかと期待しました。それに今の若い人は幼少の頃からIT機器に囲まれて育っており、何らかの形で学校でIT教育も受けています。その分、機器の扱いにも抵抗が少ないと思いました」(中村院長)

小倉第一病院はこれに先駆けて1998年から毎年、全新人職員に対し、院独自のIT教育を週1回7時間×15回=計105時間行うようになっていた。といってもプログラミングなどの高度なものではない。パソコンの基本操作からWordやエクセル、パワーポイント、メール、回覧板機能のあるグループウェアの使い方、最近ではiPadなどのモバイル機器の操作、アプリの選び方と使い方といった基本中の基本カリキュラムだ。学習コンテンツ制作のスタッフとして若手に白羽の矢を立てたのは、これを全員が終えているということもあった。
「院のIT教育を受けた新人職員は、受講後、習得したITスキルを生かして患者指導書、業務マニュアルなどを制作しており、eラーニングの教材のコンテンツ制作のトレーニングになっていたはずです」

中村院長の右腕として90年代から院のIT化を推進してきた隈本寿一・元Medical Information Technology部長(現純真学園大学保健医療学部医療工学科特任講師)は、教材制作の前段となる隠れた実習についても付言した。
「とはいっても最初からすらすらと学習コンテンツを作れたわけではありません。失敗を重ね、みんなで評価し合って改良するといったことの繰り返し。そうやって全員の制作スキルが徐々に上がっていったのです」

eラーニングによる学習の流れ
eラーニングによる学習の流れ
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講座一覧画面
講座一覧画面
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講座・個人情報保護法画面
講座・個人情報保護法画面
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教材の作り方の実際

新人の教材クリエーター達は、看護基本技術などルーティン業務の教材制作をひととおり終えると、次は自分たちが欲しい教材や、全員が覚えなければならない知識・法規に関する教材などを作り始めた。教材のテーマはどうやって決めるのかいくつか実例を紹介する。
「あの穿刺の上手な先輩の手技を見てみたい、カテーテルの洗浄はどのようにやるのがよいのだろう? というように現場の具体的な声、リクエストに応じて作ったものがいくつもあります」(隈本氏)
「ベテラン看護師たちが『そんなのできるはず』としっかり教えてくれない暗黙知のようになっている業務の手順や新卒看護師の頃、わかりづらくて困ったから今年の新卒のために手技のポイントを押さえておこうといった教材もあります」(中村院長)
「よく使うME機器の基本操作、または操作の複雑な機器のシミュレーション教材、あるいは透析装置などストップすれば命に関わる機器の停電時の操作法・回復法。その手順を示した写真入り教材もあります」(隈本氏)

職員全員が覚える必要のあるものとしては、接遇や院内感染症対策、医療安全、個人情報保護法の法律に関するものなどがある。

このような学習教材を、いくらIT教育を受けたとはいえ本当に新人たちが作ることができるのだろうか?
「できるんです。コツとしてはいくつか遵守しなければいけない制作ルールを作るんです。基本はプレゼンテーション作成ソフトのパワーポイントを使うのですが、構成、文字、文字の色、背景の色、画像の大きさ、レイアウトの基本形について、定石のフォームを決めておくことです」(隈本氏)

看護基本技術の教材を例にとると、

  1. 看護基本技術の一手順につき学習画面もひとつにする
  2. 必要物品や手順、実際の現場など撮影可能なものはデジカメで撮ってきて写真展開する
  3. 重要なところにはイラストや背景色を変えた文字を配し注意を喚起する。遊び心も忘れずに
  4. 覚えて欲しいことを明確にするため1テーマの学習画像を10~15枚程度に収める
  5. 全体の流れが確認できるフロー図や概念図などの画面を途中に挿む
  6. 最後に要点をまとめた画面で終わる

「これらのルールを決めておくことで教材の統一感が出て見やすくなり、学習者の集中力を削ぐことのない教材を安定して作ることができるようになります」(隈本氏)

カテーテル内のブラッシングのやり方
カテーテル内のブラッシングのやり方
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ゲーム性の高いコンテンツ
ゲーム性の高いコンテンツ
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実戦的な学習につながるシミュレーター(透析装置停電時、回復時シミュレーション)。装置の操作の流れが写真入りで示されている。

透析装置停電時、回復時シミュレーション1
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透析装置停電時、回復時シミュレーション2
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透析装置停電時、回復時シミュレーション3
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透析装置停電時、回復時シミュレーション4
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透析装置停電時、回復時シミュレーション5
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透析装置停電時、回復時シミュレーション6
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透析装置停電時、回復時シミュレーション7
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透析装置停電時・復帰時のマニュアル。以前はこんなマニュアルを印刷して携帯していた。写真が一枚で操作手順がわかりづらい

以前の透析装置停電時・復帰時のマニュアル

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iPadでさらに教材制作と学習が容易になった

CTやMRI、超音波エコーなど画期的な検査機器の登場により診断法の手順ががらりと変わったようにeラーニングの自主制作および学習の仕方を一変させた技術革新が数年前にあった。iPadの登場である。同院では2009年に掌にすっぽり収まるiPod touchの導入を始め、全新人に無料配布した。2012年からは幾分大きいiPad2に切り替えた。
「医療が高度化・複雑化している現在、医療現場に従事する者が覚えなければいけない情報の量は飛躍的に増えています。これらの情報へ迅速かつ簡単にアクセスできるIT機器・デバイスがあれば使わない手はない。こんなニーズは潜在的にずっとあったのですが、2007年にiPodが発売されたときパッと視界が開けたような気がしました」

中村院長をそう思わせた忘れ難い事件がある。せっかくeラーニングの学習環境を整備したのに、ある看護師がコンテンツのすべての画面を縮小してプリントアウトしたものをメモ帳に貼って手術室に持ってきた。時折それを見つつ何事か確認している。
「それを見て残念に思いつつ半分は感心したのです。せっかくならeラーニングを使って欲しい、だけどパソコンを手術室に持ち込んで見るわけにはいかない。医療の学習教材は現場で使えてこそ意味があると痛感したのです。

iPodなどの掌サイズのモバイル機器に学習教材を取り込めば手術室に限らずどの現場でもコンテンツを見ることができる。動画をみることも可能だ。iPad2はディスプレーが大きくて画像もぐんと見やすくなった。さらに動画撮影機能が追加されたことで、使えると思った素材をその場で撮影、そのまま教材として使えるようになった。教材制作の労力が大幅に削減可能になり、それはそのまま制作コストの削減にもつながるようになった。そのような簡単な学習素材はコンテンツにするまでもないという判断をしたら、回覧機能のあるグループウェアの回覧板に添付して、必要な人、任意のグループ、もしくは全員に即時に送ることもできる。反応も即時に返ってくるので、レスポンスが必要な情報、たとえば院内で発生した転倒事故の周知、およびその対策について意見を交わしたりするのにはこちらが便利だ。このようにeラーニングとグループウェアを使い分けているケースが多い。

新人看護師のなかには先輩の透析手技を動画撮影。覚えるまでは学習教材として使い、履修後はそれを業務の直前に見て作業確認に使うというふうに動画マニュアルとして応用する例も出てきた。
「写真もそうですが動画は業務の手順を確認するのにすごくいいんですね。新人看護師が業務につく前にそれを見つつ手順の確認をしたり、目を閉じてイメージトレーニングをしたりしている姿をよく見るようになりました」(中村院長)

業務の前にiPadに取り込んだコンテンツで作業のコツや流れを確認する看護師たち

業務の前にiPadに取り込んだコンテンツで作業のコツや流れを確認する看護師たち

iPadで作った「手洗いの仕方」。その場で撮影し、グループウェアの回覧板機能やLINEを利用して必要な人に送ることができる。この間、数分間の作業だ。

手洗いの仕方

iPadで見ることのできる各種教材

インスリン注射
インスリン注射
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静脈注射
静脈注射
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古武術介護ビデオタイトル画面
古武術介護ビデオタイトル画面
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相手と密着するための工夫
相手と密着するための工夫
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抱える際に共通する手の差し入れ方
抱える際に共通する手の差し入れ方
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eラーニングによる学習効果と波及効果

eラーニングの効果を学習者・受講者はどのように思っているのだろうか。小倉第一病院は新人看護師を対象にアンケート調査を行っている。

教材は理解しやすかったか5段階評価で訊くと、最上の「大変理解しやすかった」が48%、「理解しやすかった」が47%と、両者で95%を占めた。その理由を訊ねると「イラストや写真による現場の画像がわかりやすかった」という意見が多かった。いつ学習しているかの問いに対しては「勤務時間前」が55%ともっとも多かった。「休憩時間」は36%、仕事中が9%だった。勤務前や休憩時間での学習が多かったのはeラーニング学習を現場でのOJT(On the Job Training)の予習および復習として利用している人が多いからではないかと推察された。

学習理解についての効果とはまったく違う側面での意外な効果があった。コンテンツを制作したクリエーターたちによりeラーニング教育の始まった2004年に3つの学会において発表があった。以降、学会発表は珍しいことではなくなった。

教育担当者・教育者側への効果としては、集合型研修や1対1の学習(プリセプター制度なども含む)より、学習履歴や成績管理が楽に行えるようになった、また年によって教育内容にばらつきがでるなど以前はあったが、教育の標準化ができるようになった、との声があった。
「eラーニングが院内で認知されるようになってからは、看護部だけでなくその他の部署からも教材を作ってほしいというような依頼が来るようになりました」(中村院長)

病院経営者側にも予測しなかった波及効果があった。
「直接的には多くの講座が80%以上の受講率になりました。集合型研修の平均的な出席率は20~30%ですから3倍程になった訳ですが、これは任意の時間・場所で、しかも1講座10分ほどで受講できてしまうという簡便さがあるからこそで、忙しい職員たちの時間の有効活用に大きく貢献していると思っています」(中村院長)

中村院長は思わぬ波及効果として、看護師の離職率が下がったことをあげる。一般に新人看護師の1割が1年以内に退職すると言われているが、その理由として、スキル不足のまま現場に出なければならないというプレッシャーが大きく影響している、という調査報告がある。
「わが病院も以前はそれくらいの離職率があったのですが、2004年以降、新人看護師が指導についていけないという理由で1年以内に辞めるようなことはほとんどなくなりました。これはeラーニングによってカリキュラムから遅れるという焦りが解消できているからなのではと思っています」(中村院長)

今後の展望として中村院長は次のような抱負を述べた。
「私達はeラーニングを単なる学習管理のシステムではなく、人材育成のシステムとして大きな魅力を感じています。コンテンツ制作グループが学会発表を行ったのもそうですが、産休で離職した看護師の再学習教材としてこれを奨めて復職をサポートしています。今後はこの方面での有効活用をもっと探っていき、医療界に発信していきたい。そう思っています」

企画・取材:黒木要

カテゴリ: タグ:, 2013年9月11日
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