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医療安全と感染対策は医療の一丁目一番地 DP号乗客乗員受け入れで確立した藤田モデル

学校法人藤田学園
藤田医科大学
副理事長 湯澤由紀夫氏

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)検疫のため2020年2月3日から横浜港で長い停泊を余儀なくされたクルーズ船、ダイヤモンド・プリンセス(DP)号。乗客乗員のうち、無症状病原体保有者とその同行者(濃厚接触者)の受け入れ先として厚生労働省は学校法人藤田学園が運営する藤田医科大学岡崎医療センターに白羽の矢を立てた。同センターは同月19日から26日の間に計128人を受け入れ、二次感染者を1人も出すことなく、3月9日に全員を退所させた。この受け入れまでの様子は映画『フロントライン』にも詳しく描かれている。後に「藤田モデル」と呼ばれる感染拡大防止のための取り組みはどのようにして整えられたのか。期間中にはどのような問題が生じ、それらにどう応じたのか。得られた経験や知見はその後、どのように生かされているのか――。当時、統括病院長として陣頭指揮を執り、藤田モデルを推し進めた藤田学園の湯澤由紀夫副理事長に聞いた。

湯澤由紀夫氏(1)
湯澤由紀夫氏(1)

病院なのに、治療ができないジレンマ

――DP号の乗客乗員受け入れはどのような経緯で進められたのですか。

湯澤 2月16日、日曜の午前、星長清隆理事長に厚労省から直接電話が入りました。「船内感染者が450人を超える事態になっているので、岡崎医療センターで受け入れてほしい」という要請です。無論、星長理事長の一存では返答できません。

そこで、翌17日朝に統括病院長、学長、三学部(医学部、医療科学部、保健衛生学部)の学部長、看護部長、事務部長、事務統括などで構成する幹部会で受け入れを決めました。

厚労省の要請は18日夜からということで一刻の猶予もないので、異論や慎重論は出なかったと記憶しています。こうして、18日午前中までに準備を進め、19日未明の第1陣32人から26日夜の第5陣12人に至る計128人を受け入れました。

ただし、岡崎医療センターはこの年の4月1日に開院予定であったため、受け入れを始めた時点では法律的に医療施設でなく、収容施設とみなされていました。実際、ベッドやマットレスは納品されているものの、シーツもカーテンもないありさまです。

医療施設として、愛知県の審査前だったため、治療はもちろん、簡単な検査もできません。病院の体裁を整えてはいるものの機能的には力を発揮できないのです。ですから、発症者は直ちに一般病院に移さざるを得ませんでした。

――岡崎医療センターはもともと、救急医療と高度医療に特化した施設を目指していましたね。

湯澤 はい。愛知県豊明市の藤田医科大学病院の分院で、24時間365日対応の救急医療やがん治療などに狙いを定めた400床規模の二次救急医療機関です。開院に向けて1年半前から準備して、スタッフのトレーニングも進めてきました。それだけに、こうした形での幕開けは想定外でした。

そういう戸惑いは、岡崎周辺の地域住民の方も同じであったと思います。緊急的な措置とはいえ、近隣の方々に無用のご心配をかけることはできません。そこで、受け入れを決めた17日に対策本部を立ち上げ、18日に地域住民向け説明会を急遽開きました。病院関係者ばかりでなく、厚労省や岡崎市役所厚生課、東海北陸厚生局の関係者も同席した上で受け入れの趣旨や安全対策などをお話ししました。

第一陣到着時の様子
第一陣到着時の様子
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徹底した施設内のゾーニングと感染管理

――受け入れに際して、医療従事者や一般職員にはどのような声掛けをしたのですか。

湯澤 星長理事長と私はかつて、病院長と副院長という関係で現場を預かっていました。そのころから「医療安全と感染対策は一丁目一番地」という共通認識をもち、院内でも事あるごとに唱えていました。

そういう意識は病院全体に浸透していたので、今回のような事態に対するスタッフの理解度や使命感は高いと感じました。「施設として初めて取り組む感染症対応なので大変だとは思うけれども、大学病院の責務として受けるべき」という話をしましたが、あからさまに拒むスタッフはいなかったし、予想以上にまとまった動きができたと思います。

――パンデミック期における感染拡大防止の好事例として高く評価された取り組みはなぜ実現できたとお考えですか。

湯澤 施設内のゾーニングと感染管理を徹底したことに尽きます。感染症の世界的権威で、米国・ピッツバーグ大学でも研究生活をしている本学感染症研究センターの土井洋平教授がたまたま帰国していた時に受け入れを始めたために、米国流の実践的な手法をリアルタイムで聞けたのは幸いでした。

彼は、昔のSF映画に出てくる宇宙服のような大げさな防護服は職員を疲れさせるだけで意味がない。それよりもマスクや適正な防護服をきちんと身に着けるほうが有用などと現実的な助言をしてくれました。

施設内では飛沫感染や接触感染を絶対に発生させないためのさまざまな対策を講じました。一部を紹介すると、

(1)滞在者の区画に入る者は適切な手順で防護をする

(2)ゾーニングを確実に行い、その場所をクロスしない

(3)衛生管理及び手順の教育を行った者のみが管理区域に入る

(4)不潔ゾーンに入る職員は少数限定し、対応する

――といったことに注意を払いました。

それぞれを補足すると、(1)は「絶対に付着面は触らない」「マスク着用の際は、息が漏れないことを確認する」「マスク本体には触れずに外す」「手順の都度、手指衛生を徹底する」

(2)は「4階以上を居住エリアとする」「使用するエレベーターを限定する」「入口からの導線などは的確にサインを貼り、不潔ゾーンを明確にする」

(3)は「管理区域入室者の入室管理を徹底する」

(4)は「医療を提供するのではなく、一時的にお預かりすることが目的のため、少数で対応する」

――などに努め、水平・垂直の導線分離で二次感染と医療者疲弊を抑え込みました。

岡崎医療センターの院内の様子
岡崎医療センターの院内の様子
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産学連携を推し進めた「藤田モデル」

――後に「藤田モデル」と称されることになった対応の要点はなんですか。

湯澤 藤田モデルはわれわれが自ら名乗ったのではなく、一連の振る舞いが自然発生的にそう呼ばれるようになっていったと思います。一まとめにすれば「感染対策・危機管理・医療安全の徹底を核に、産学連携と臨床研究を同時推進する包括モデル」といえるでしょうね。

この取り組みからは、検体保存や検査運用最適化の知見創出、県や地域へのオペレーション提供、ロボット自動PCR検査システム実証などの成果が得られています。

受け入れが始まったのはいわゆる第一波の時ですから何もかもが手探りで、来る日も来る日も経験を地道に積み重ねていくしかありませんでした。第二波、第三波になり、陽性者が急増すると、愛知県も滞在施設の確保に乗り出します。その際には、余力のあるビジネスホテルが宿泊療養施設という名目で借り上げられました。

しかし、大切なのはその使い方です。そこで、私たちは岡崎医療センターで試行錯誤したノウハウや運用方法をまとめた書面を県に提出しました。滞在施設のゾーニングはどうすればよいか、スタッフと陽性者に対してどのように関わればよいかなど、岡崎医療センターで構築したゾーニングや導線の考え方、患者対応の要領などは、数多くの宿泊療養施設で役立てられていたはずです。愛知県内ばかりでなく、他地域でも活用されたと聞いています。

――「藤田モデル」を踏まえた産学連携の一環として、受け入れ1年後の2021年2月には学内施設に期間限定で「川崎重工業株式会社 藤田医科大学内PCR検査センター」を設置されましたね。

湯澤 現在は撤去していますが、当時は国内初の取り組みでした。手術支援ロボット「hinotori」(ヒノトリ)の開発で提携していた川崎重工業製のロボットをコンテナに収めた自動処理システムで、1日最大2500件のPCR検査をこなしました。

厚労省や医師会の推奨手法に沿った手順で大量検査できるので、医療従事者に対する負担を軽減し、感染リスクから守るうえでも有用なシステムでした。

本院前に設置されたPCR検査センター
本院前に設置されたPCR検査センター
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PCR検査センター内部
PCR検査センター内部
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岡崎市内のコンビニには立ち寄らないで

――現場で働く人たちの安全・安心を確保するためにどのような手を打ちましたか。

湯澤 一人一人の理解度と使命感は高くても、これまで誰も経験していない事態だけに、試行錯誤の連続でした。参考にするべき前例がないのです。誠に申し訳ないことですが、豊明の本院から応援に行ってもらう看護師は本人の了解を得たうえで、できるだけ独身者を優先していました。

職場(岡崎医療センター)に向かう場合は公共交通機関を使わず、車での移動を条件としました。岡崎市内では名古屋ナンバーが目立つので、市内のコンビニには立ち寄らないでとも厳命しました。どうしても用事があるなら名古屋市内に入ってからという通達を看護部でも出したほどです。

――当時はCOVID-19とはまったく無縁であるにもかかわらず、母親が看護師というだけで、通園を断られるという風評被害が連日のように起きていましたね。

湯澤 看護師ではない医療スタッフの子どもが保育園から通うのを断られた例は実際にあります。出産間近の妊婦が当院の職員というだけで建物に入るのを拒まれたこともあります。彼女は陽性でないにもかかわらず、なんと駐車場で問診されたというのです。涙ながらの訴えを聞いて、その病院の院長に抗議しました。同じような目に遭った職員は少なくないと思います。

半面、地域の皆さんからのバックアップは大きな励みになりました。例えば、目の前にある岡崎小学校の生徒が連日奮闘するスタッフのために寄せ書きを書いてくれました。私たちは今もそれらを大切に保管しています。

岡崎医療センターの様子が報道されるようになると、個人、団体を問わず匿名の差し入れが届けられるようにもなりました。中には現金もありました。企業から届けられた使いきれぬほどの物品は全員が退所した後、皆さんの気持ちを生かせるよう、しかるべき道筋を経て、有効に活用させていただいています。

一方、受け入れを機に岡崎市教育委員会の依頼で小学生向け教材『コロナウイルスってなんだろう』を作成しました。感染症科の櫻井亜樹助教の力作で、微生物学講座・感染症科のFacebookでも公開したところ、多くの反響が寄せられました。

湯澤由紀夫氏(2)
湯澤由紀夫氏(2)

陽性後5日間は陰性化しにくい知見も

――対応期間中に得られた経験や知見はその後、院内外でどのように生かされていますか。

湯澤 「災い転じて福となす」という言葉がありますが、DP号の乗客乗員の受け入れは、当院の目指す医療安全や感染対策を含む危機管理、産学連携をぐっと前進させたという手応えを感じています。

例えば、事実上のチームリーダーであった土井教授はPCR検査を通じて採取した痰(たん)をすべて冷凍保存しています。128人分の痰を3週間にわたって毎日採取したサンプルは世界中のどこにもありません。それらは今後、土井教授の研究テーマである耐性菌の分野で有効活用されるはずです。

土井教授は「感染症を封じ込める」信念で毎日128人分のPCR検査を続けました。その結果「陽性になって5日経った人はいくら検査をしても陰性にはならない」という推論を導きます。やがて、7日を過ぎるあたりから陰性になる人がぽつぽつと現れる。つまり、最初の陽性になってから5日間は検査をしても意味がないといえるのです。

PCRの検査時にくしゃみをされると医療者は曝露します。曝露は二次感染を引き起こす恐れがある。だから、医療者を守るためにも、この期間の無駄な検査は絶対にやめた方がよいと彼は強く訴えました。

陽性後5日間は陰性化しにくいことを踏まえた「再検査の抑制は医療者の曝露低減に有効」という彼の見解はNEJM(The New England Journal of Medicine)2020年6月号にレターの形で掲載されています。COVID-19関係の日本語論文の第一号となりました。

これは後に、先駆的な抗ウイルス薬ファビピラビル(アビガン)の臨床研究のよりどころにもなりました。

藤田医科大学岡崎医療センター
藤田医科大学岡崎医療センター
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能登半島地震の被災地で半年間の支援も

――一連の取り組みは、社会的にどのような貢献をしたとお考えですか。

湯澤 受け入れを契機とするアビガンの臨床研究、県内最多の感染患者対応、大学としては最大規模のPCR検査実施、連日1000人超のワクチン接種などはすべて該当すると思います。

DP号乗客乗員の受け入れは尋常ならざる事態という点で、災害と同じです。その意味で、感染症を災害と位置づけ、今回の教訓を南海トラフ地震の災害医療に転用できると考えています。災害拠点病院として当然の責務だと思っています。

大学病院機能以外の組織的な対応として、尾三(びさん)会、私学連携、隣接県の大学病院との相互支援協定などに参加しています。尾三会は愛知県の認定を受けた地域医療連携推進法人で、県下17市町村の連携による医療・介護サービスの切れ目ない提供を目指しています。活動のうち、医療事故が起きた時のシミュレーション研修は当院の教授や准教授を中心に進めています。

能登半島地震の際に入った穴水町の避難所支援では、医療行為だけでなく、避難所運営を半年間にわたって行い、炊き出しの統制といったシステムの安定化に寄与しました。

穴水町の避難所支援とは別に、金沢医科大学病院の後方支援として、藤田医科大学から医療スタッフを派遣しました。これがモデルとなり、私立医科大学協会の中に、大学病院の後方支援を目的とした被災地支援委員会が組織されました。

隣接県との支援協定では、互いに沿岸近くに立地する三重大学、浜松医科大学と手を組んで、津波や原発リスクを踏まえた患者搬送、ドクターヘリ活用の実動訓練などを2年前から持ち回りで行っています。

――感染症も災害も有事であるという観点からはどのような備えをしていますか。

湯澤 これまでも行ってきた大学の災害訓練をイベントから実行型に転換しました。内閣府危機管理経験者を招聘して、警察・消防・保健センターを巻き込む広域実動訓練を行い半年単位のPDCAを定着しました。

インフラ強靭化の一環として、長期間の停電を想定した太陽光パネルの導入や非常用発電装置増強などを進めています。本格稼働時には自前の電力で維持できる期間がこれまでの3日間から10日間に増えます。

藤田医科大学本院
藤田医科大学本院
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防災士第一号は学長時代の副理事長

――医療安全を最優先とする貴院の"一丁目一番地"文化は教育現場でどのように実践されていますか。

湯澤 COVID-19の蔓延期に他大学がWEBの講義だけで済ませていたのに対し、藤田医科大学はPCR検査など、万全の備えをしてベッドサイド実習を続けました。ご家族にも了解を取り付けたうえでのことです。

COVID-19は単なる感染症ではなく災害の中に紐づけるという考えから、学生には卒業までに防災士の資格取得を強く推奨しています。受験料は全額大学負担で、これまでに職員を含め約4800人が取得していて、年内には5000人を超える見込みです。能登半島地震の被災地で避難所運営を円滑に進められたのもそういう背景があるからです。

今後は災害への意識を忘れず、研究能力も臨床能力もある医療人を育てることに重点を置く考えです。医科大学として社会から期待される当然の使命だからです。

ちなみに私はAll Fujitaの防災士第一号です。学長のころに取得しました。高校時代以来の猛勉強をしましたけれども。

――DP号を巡る対応は私立系大学だからできたという見方もありますが。

湯澤 一般論として、私学は国公立系よりも創立者の理念が連綿と引き継がれていると思います。本学の病院には「我ら、弱き人々への無限の同情心もて、片時も自己に驕ることなく医を行わん。」という理念があります。それは「病に悩んでいる人たちに寄り添い、真摯に医療を行いなさい」ということです。だから、COVID-19のパンデミックではみんなが一致団結したし、その流れで地域医療に本気で立ち向かう。

この理念はAll Fujitaの憲法のようなものなのです。そして、学生も職員もそれを愚直に守り続ける。今回の経験は図らずも、その重みを示す結果になったと思います。

湯澤由紀夫氏(3)
湯澤由紀夫氏(3)

プロフィール

湯澤由紀夫(ゆざわ・ゆきお)氏

1981年名古屋大学医学部卒業。名古屋第一赤十字病院(現・日本赤十字社愛知医療センター名古屋第一病院)、名古屋大学医学部附属病院、米国ニューヨーク州立大学バッファロー校などを経て、2002年名古屋大学大学院医学系研究科病態内科学講座免疫応答内科学講師。2009年同講座腎臓内科学准教授。2010年藤田保健衛生大学(現・藤田医科大学)医学部腎内科学教授、2011年藤田保健衛生大学病院副院長、2014年同病院長就任。2021年藤田医科大学学長、学校法人藤田学園専務理事。2025年副理事長に就任。1955年長野県生まれ。

企画・取材:伊藤公一

カテゴリ: 2026年5月22日
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