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医療事故の解決に必要な第三者機関の設立を

不可抗力による医療事故に本当に必要なことは医師への責任追及だろうか。裁判ではなく適切なる第三者機関の設立が、患者さん、医療者共に重要だ。そのために上昌広先生(東京大学医科学研究所 探索医療ヒューマンネットワークシステム部門 「現場からの医療改革推進協議会」 客員助教授)は厚生労働省に『対話自律型ADR』の設立を提言している。(http://expres.umin.jp/genba/comment.html) 今回、上先生にお話を伺った。

誠意と手を尽くした医師が逮捕された大野事件

福島県立大野病院(大熊町)で女性(当時29歳)の帝王切開を執刀した医師(38)が、子宮に癒着した胎盤を無理にはがして大量出血させ、死亡させたとして、業務上過失致死と医師法21条(異状死体の届け出義務)違反の疑いで平成18年2月18日に逮捕された。

この大野事件のあと、医師一人では安全な体制がとれないため、病院からの医師の引き上げや診療科の閉鎖が相次いでいる。現に大野病院は、逮捕された医師ひとりが年間200もの分娩を担当していたが、18年3月以降、大野病院の産婦人科はずっと休診状態のままだ。

多くの人がこの医師の逮捕を不当逮捕とも受け止め、逮捕を遺憾とする陳述署名が「周産期医療の崩壊をくい止める会」(http://plaza.umin.ac.jp/~perinate/cgi-bin/wiki/wiki.cgi)によって11,225人分(2006年6月現在)集められた。

医療事故は医師の責任追及、逮捕、または告訴・民事訴訟で解決するのだろうか。患者さんやご家族はそれで満足するのだろうか。患者さんサイドは医師を追及することが目的なのだろうか。

患者さん・家族が望むのは、まず真実を知ること

私たちが考える患者さん・ご家族の要望は、(1)臨床経過中に何が起きたのか知りたい、(2)再発を防いでほしい、(3)真摯で誠実な対話をしてほしい、(4)金銭賠償も必要だが単なる金銭問題ではない、といった複合的なもので、(5) 医療者に償いをさせてほしいというのは、一つの要素に過ぎないと考える。 もちろん医療者の故意が原因と判明した場合に医療者の責任を問うことを否定するものではない。

医療を受けた方が診療に関連して亡くなった場合、その臨床経過や死因の究明を行う。そんな制度を厚生労働省が作ろうとしている。作るからには患者さんのニーズを満たし、再発防止につながる制度を望む。「医療者が救おうと努力したが、置かれた環境や疾患、病態の重さによって救うことができなかった」事故については法廷に持ち込むのではなく、適切に判断できる医療者を交えた専門の機関により真実を明らかにした上、今後の医療に役立てるようにするべきであろう。

対立構造を生み出す訴訟

訴訟に勝っても負けても、納得のいかない虚しさや恨みを持ち続けている患者・家族も少なくない。医療事故市民オンブズマンメディオの調査では、医療裁判を経験した患者・家族のうち、66%が弁護士に不満を持ち、71%が訴訟後も納得していない。

訴訟は決して真相を明らかにしてくれる手段ではない。訴訟で明らかとなるのは、「法的効果を確定するために必要な事実」であって、臨床経過の全体像が明らかになるわけではない。また訴訟は対立構造を前提としているため、両当事者が対決的に攻撃と防御を尽くすことになってしまう。さらに、訴訟は再発抑制に役立つ背景要因の分析や防止策の検討などはされにくいのが実情だ。

訴訟の増加は既に、医療のシステム全体に大きな影響を及ぼしている。医師がリスクの高い治療や処置を回避し、本来の診療より訴訟回避のための同意書の取得などに過剰なエネルギーを費やすこと、患者と医療者の関係が、疑心暗鬼に満ちた関係になり、コミュニケーションが貧困化することでかえって事故のリスクが高まること、などが挙げられる。

もちろん、悪質なケースや医療機関の対応によっては、訴訟が必要なケースが存在することを否定するものではない。しかし、訴訟が医療紛争を処理する仕組みとして中心的役割を担うような状況は、個々の患者・家族にとっても、国民全体にとっても、必ずしも好ましくないのだ。医療事故の多くは、医療者が故意に起こしたものではない。このような事故は、法によって厳格に取り締まっても決して減ることはない。私たちは「法の限界」を認識すべきであろう。

医療紛争を解決するための「対話自律型 ADR」

そこで、民事訴訟とは別の形の医療紛争処理として国民が必要としているのがADRだ。ADRとはAlternative Dispute Resolutionの略で「裁判外紛争解決手続き」と訳される。責任の存否などの法的解決のみに当初から絞ってしまうのではなく、双方のニーズに応える解決を合意によって得ることを目的とする。第三者の専門的知見を取り入れながら、実情に沿った柔軟で迅速な対応を取ることが可能だ。様々な形態の紛争解決手続きがあり、多様な理念や発想に基づくADRが多数存在している。その中で、医療に関する問題においては、患者・家族の心理的側面に十分なケアが必要なため、裁判準拠型よりも対話自律型のADRが求められる。

対話自律型ADRは裁判や法的解決では達成し得ない目的や満たし得ない当事者のニーズに、自由で柔軟なスタイルで積極的に応えていこう、という理念のもとに作られたものだ。 患者側・医療側の納得を得たうえで、合意形成を目指す。

医療事故が起こった際、患者側と医療側のニーズは、実は一致していることがほとんどだ。患者・家族のニーズは前述の通りだが、医療側のニーズも、「相手と向き合って対話をしたい」「臨床経過を明らかにしたい」「再発を抑制したい」「適正な金銭賠償をしたい」と複合的であるが、まず「対話」を必要とする。

ADRの2つの概念
ADRの2つの概念

対話自律型ADRでは、まず、当事者である患者側・医療側が求める対話から出発し、当事者自身が最善と思われる解決を自律的に模索していくという「私的自治」を追求していく。第三者が仲介し対話の場を提供することによって「相手方と向き合って話したい」というニーズを満たすことができる。第三者の専門家パネルによる事実の解明あるいは事案解明機関の報告を活用することによって「臨床経過中に何が起きたのか知りたい」というニーズに応えられる。このような対話を通して、納得のうえで合意形成し、さらに再発抑制策について患者側と医療機関が協議するなど、法的解決を超えた柔軟で将来志向的な解決への道も開かれるのだ。この場合、医療機関側に情報開示義務を設定することも必須である。また、対話促進のために仲介する第三者の役割は、情報を整序する緻密な専門技法(メディエーション技法)を持って、当事者による自主的解決の創造を援助することであり、解決内容は当事者の自律と創造にできる限り委ねることになる。

対話自律型ADRの重要な要素

対話自律型ADRの重要な要素をまとめると以下の3つに集約される。

  1. 患者・家族と医療機関が中立的第三者のもとで、真摯に向き合って対話できる場を提供すること(対話ケアと合意促進機能)
  2. 事実解明をめぐって第三者的評価を提供できる仕組みを組み入れること(中立的事実評価機能)
  3. 金銭的救済について社会的コンセンサスに基づいた再構成を行うこと(医療者側に過失がなくても患者さんに金銭的支払いをする無過失救済機能。加えて保険制度設計)

このような「対話ケア・合意促進機能」と「事実評価機能」を組み込んだ中立的な第三者機関が、少なくとも全国8カ所程度に設置されることが望ましい。そのために中立的第三者の人材育成が急務だ。

人材の育成が急務。医療メディエーターの研修

日本医療機能評価機構では、平成16年から医師・看護師等を対象に医療メディエーター研修を始め、既に延べ250人の医療メディエーターを養成してきた。これらの人材が既に全国の医療現場で活躍しており、今後もその活用が期待される。

現在、我々が直面している問題に対して、何が必要で何が機能的であるのかを、患者・家族、医療従事者という当事者の視点から捉えていくことが極めて重要である。厚生労働省には、そうした視点から制度を設計していただきたいと「現場からの医療改革推進協議会」は提言を続けている。

医療者の現場の声が厚生行政に届き、患者さん・家族も納得が得られ、医療者も安心して働けるようになることを願ってやまない。

取材・企画:阿部純子

カテゴリ: 2007年6月 6日
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