最新動向:最新記事

その煙、本当に見えていますか? サージカルスモークと病院の安全管理

日本バプテスト病院 外科副部長
大越香江氏

電気メスやレーザー、超音波メスで組織を切開・凝固する際に発生する「サージカルスモーク」は有害な化学物質や微粒子、時にウイルスを含むため、手術室スタッフの呼吸器刺激、頭痛、吐き気、長期曝露による発がんリスク、感染伝播が問題視されている。日本では関連学会がガイドラインを策定し、局所排煙装置の使用や換気改善を推奨しているが、米国の21州が適用しているような法的義務化には至っておらず、導入は施設ごとの取り組みにとどまっているのが現状だ。この問題の第一人者である日本バプテスト病院外科副部長の大越香江氏は、2026年7月2、3日に開催された第76回日本病院学会の講演で警鐘を鳴らした。講演内容を紹介する。

サージカルスモークとは何か? その成分と身体へのリスク

手術室に勤務されていない方や、これまで意識したことがない方には「サージカルスモーク」と言われてもピンとこないかもしれません。これは手術中に電気メスや超音波凝固切開装置、レーザーといった「熱」を発する器具で組織を切開・焼灼・止血する際に、もくもくと立ち上る煙の総称です。細胞を焼くわけですから、当然さまざまな物質が空気中に放出されます。

含まれる物質で最も多いのは水分です。文献によっては「成分の95%が水分である」と記載されているものもありますが、その根拠となる原典を突き止めることは難しく、正確な割合は不明な点もあります。実際には破壊された細胞の破片や、そこに潜んでいたウイルス・細菌も煙に巻き込まれ、微細化すればPM2.5と呼ばれる有害な微粒子となり、ベンゼンなどの揮発性有機化合物(VOC)も微量ながら含まれることが分かっています。

手術室の医療従事者は、これらの物質を毎日毎日、呼吸によって体内に吸い込んだり、皮膚に付着させたりしているのが現状です。PM2.5は喘息発作の誘因になるだけでなく、心筋梗塞や狭心症など心血管系への影響、呼吸器疾患のリスク、さらには認知症リスクを高めるのではという研究も進められています。ベンゼンも大量曝露で明確な発がん性を示す物質です。

電気メスを使うたびに立ち上る白い煙には、細菌、ウイルス、微粒子、細胞片、VOCといった身体に有害となりうる物質が含まれ、術者だけでなく麻酔科医、看護師、臨床工学技士もその場にいる全員が毎日これを吸い続けているという事実を、まず正しく認識する必要があります。

電気メスで1グラム焼いた煙はタバコ6本相当?

私が消化器外科医でありながらこの研究を熱心に続けている理由は非常にシンプルで「サージカルスモークが嫌いだから」です。研究の動機には「好きだから掘り下げる」と「嫌いだから、あるいは問題だから、どうにかしたい」の二種類があると思いますが、私は完全に後者です。外科医仲間に聞くと「仕事をしている実感があってあの匂いが好きだ」という人も稀にいますが、大半は「好きでも嫌いでもない」と答えます。一方、手術室看護師にアンケートを取ると「嫌いだ」の割合が圧倒的に高くなります。

私は幼少期に小児喘息を患い、成長とともに治っていましたが、30代になって風邪をひいた後に咳だけが1、2カ月も止まらなくなりました。あまりに激しく咳き込むため先輩医師から「結核だったら大変だから」と勧められ、京都大学医学部附属病院の呼吸器内科を受診した結果、診断は「咳喘息」でした。それ以来、手術中に電気メスの白い煙を吸った瞬間、明らかに咳が悪化するという自覚症状を持つようになりました。自分の身体がこれほど敏感に反応するなら、同じ環境で働く他の医療従事者にも苦しんでいる人がいるのではないか----これが私のリサーチクエスチョンの始まりでした。

文献を調べると「電気メスで生体組織を1グラム焼灼した際の煙は、タバコ6本分に相当する」(※1)という、この分野で非常によく引用される有名なデータがありました。手術中に肝臓や脂肪組織、乳腺組織などを扱う量は1グラムどころではありません。また、レーザー使用時の1日の曝露量を計算した研究(※2)では「フィルターなしタバコを1日27~30本吸った量に匹敵する」との報告もあります。これらの数字の厳密な比較はさておき、私たちはそれほどの環境に毎日、何年、何十年と身を置き続けているのです。

※1=Tomita Y, et al. Mutat Res 1981; 89: 145-149

※2=Hill D, et al. Surgical Smoke - a health hazard in the operating theatre. A study to quantify exposure and a survey of the use of smoke extractor systems in UK plastic surgery units. Journ Plas Reconstr Aesthet Surg . 2012; 65: 911-6

潮目を変えた新型コロナウイルスのパンデミック

サージカルスモークの有害性は化学物質や微粒子だけでなく、ウイルスや細菌といった感染性病原体が煙を介して周囲に伝播する感染リスクにも及びます。

別の子宮頸癌手術の研究では、患者の子宮頸部のHPV陽性率94.8%に対し、手術中に発生したサージカルスモークの29.9%からウイルスDNAが検出され、さらに立ち会った従事者の鼻粘膜からも1.5%の割合でHPVのDNAが検出されました。他人の子宮頸部を焼灼した煙に含まれるウイルスを自分の鼻に付着させたい医療従事者は一人もいないはずです。幸いこの研究では3~6カ月の追跡調査で全員が陰性化しており、検出されたのは感染力のないDNA断片だった可能性もありますが、同様の手術を毎日繰り返せばリスクは蓄積していくでしょう。

私は2015年、サージカルスモークの問題点をまとめたレビュー論文を外科学会の英文誌「Surgery Today」に発表しましたが、当時の日本ではこの言葉すらほとんど知られておらず、外科医からは反応がありませんでした。潮目が大きく変わったのは2020年のコロナ禍です。同年3月30日、米国内視鏡外科学会(SAGES)や欧州の学会が「新型コロナウイルスがサージカルスモークに含まれる可能性があるため対策を強化せよ」と突如共同提言を出し、日本の外科学会もわずか数日後の4月1日にこれを訳したような提言を発表しました。しかし排煙装置もない現場は「対策をしろ」と言われて大混乱に陥り、この時期、私の過去の論文へのアクセス数と引用数は爆発的に増加しました。

手術室内のPM2.5測定と医療従事者の切実な声

未知のウイルスへの恐怖からサージカルスモークへの関心が高まる中、私は「実際に手術室でどれほどの有害物質が飛散しているのか」を可視化するため、レストランでタバコの煙に含まれるPM2.5を測定した論文を見つけ、著者の先生にご相談して同じ手法で手術中のPM2.5を測定することにしました。

術者に粉塵計を背負ってもらい、前胸部にサンプリングチューブを固定して手術中のPM2.5濃度をリアルタイムで測定したところ、たとえば乳房切除術中に組織を電気メスで連続して切り進める時間帯には数値が急激に跳ね上がりました。術者の前胸部ではPM2.5濃度が1000マイクログラム/立方メートル以上に達しました(手術中の短時間測定値と単純に比較することはできませんが、参考までに、環境省が定めるPM2.5の環境基準は、1年平均値15マイクログラム/立方メートル以下、かつ1日平均値35マイクログラム/立方メートル以下です)。電気メスを使わず待機している時間は数値がほぼゼロに下がる一方、組織を焼灼し続けている間は高濃度曝露が続きました。

術中リアルタイム PM2.5 測定
※クリックで拡大

一方、腹腔鏡下胆嚢摘出術などの腹腔鏡手術では、術中のPM2.5のピークはほとんど観察されませんでした。気腹によりガスが腹腔内に閉じ込められ、トロッカーから適切に排煙処理されていれば室内に漏れ出さないためです。ただし腹腔鏡手術でも、最初の皮膚切開や最後の閉腹時に電気メスを使えば、やはりその瞬間にPM2.5濃度は急上昇します。

また、私たちは2018年7月、コロナ禍以前の手術室勤務者103名(外科医36%、麻酔科医15%、看護師49%)を対象に意識調査を行いました。「勤務中に咳が悪化する」と答えた人は約9%、「勤務するようになってから日常的に咳が増えた」は14%に上り、全体の1~2割弱が呼吸器症状を訴えているという事実は無視できません。

自由回答欄には「咳が出始めると手術中に止まらず辛い」「煙を吸うとくしゃみが頻発する」「頭痛がしたり鼻の奥が痛くなったりする」「数日間、焦げ臭さが鼻の粘膜に残っている気がする」「妊娠中は独特な臭気で気分が悪くなり耐え難かった」といった切実な声が並び、有害性を認識すると「排煙装置を導入してほしい」と希望するようになるのかなと感じました。

医療者と患者を守るための「対策の3本の柱」

サージカルスモークの害から手術室にいるすべての人を守るには、体系的なアプローチが必要です。私は対策の柱を「個人防護具(PPE)の適切な着用」「局所排煙装置の徹底」「換気・空調の最適化とレイアウトの意識」の3本と考えています。

まず、第1の柱である「個人防護具」についてです。「普通のサージカルマスクで煙は防げるのでは」とよく聞かれますが、答えは明確に「ノー」です。マスクと顔の間には必ずわずかな隙間があり、煙は容易に侵入します。マスク越しでも焦げ臭さを感じるのがその証拠で、顔の皮膚や頭皮、首元も常に煙に晒され続けます。

ある麻酔科医から「手術室で働くとアトピー性皮膚炎が急激に悪化し夜も眠れないほど痒くなるが、周囲には気のせいだと言われる」と相談を受けたことがあり、サージカルスモークが皮膚炎に直接関与していたというエビデンスはないのですが、その方は後に麻酔科から皮膚科へ転科されました。マスクやゴーグルは必須ですが、それだけでは不十分なのです。

そこで重要になるのが第2の柱である「局所排煙装置」です。サージカルスモークは発生源のすぐ近く(できれば2~5cm以内)で直接吸引するのが最も効率的で、電気メス先端に吸引口が一体化した「排煙機能付き電気メス」も開発されています。これを導入すると、組織を焼いた瞬間に出る白い煙が、術者の顔に届く前に吸引口へ吸い込まれていきます。高性能HEPAフィルターで0.1マイクロメートルの微粒子を99.999%除去する、局所排煙装置を使用することが非常に有効です。

手元で排煙する:排煙機能付きペンシル型電気メス
※クリックで拡大

最後に、第3の柱である「手術室の換気・空調」です。一般的な手術室は天井から清浄な空気が吹き下ろされ、足元の排気口から吸い込まれる一方向の流れ(ダウンフロー)で作られています。献体を用いて電気メス使用時の気流を可視化する実験を行ったところ、何も対策をしなければ煙が術者の顔面を直撃することが確認されました。

一方向の気流を作る「プッシュプル換気」を行うと煙は術者から遠ざかりますが、風下にいる麻酔科医らへ煙を押し流すリスクを伴うため、局所排煙装置と気流をうまく組み合わせることが不可欠です。さらに、風下の排気口やHEPAフィルターの前に麻酔器やカート、引き出しなどを無造作に置くと、それだけで室内の気流が乱れ、排気効率が著しく低下します。

誰もが安心して働ける手術室の環境づくりを

日本手術医学会が発行する最新の『手術医療の実践ガイドライン(第4版)』でも、環境整備の章(第9章)やME機器・サージカルスモークの章(第10章)でその毒性(血液、ウイルス、細菌、発がん物質の含有リスク)が明確に注意喚起されるようになり「吸込口の前に物品を置くと気流が乱れるため、カートや備品を置いてはならない」といった具体的な行動指針まで明記されています。

海外、特に米国ではさらに先進的な取り組みが進んでおり、全50州のうち21州(4割強)で局所排煙装置の使用が州法によって既に義務化されています。これは米国手術室看護師協会(AORN)をはじめとするスタッフ側の声と権利が、労働環境の改善を求めて勝ち取った成果でもあります。

ひるがえって日本の現状は、まだガイドラインに推奨として記載されている段階に過ぎず、実際の導入や運用は各病院や執刀医の裁量に委ねられています。排煙装置付きの電気メスは先端が太くなり重量も増すため、外科医からは「操作の角度が合わず面倒」「使いにくい」と敬遠されがちですが、医師だからといって常に正しい対策を自発的に行うとは限らないという現実を直視しなければなりません。

サージカルスモークを吸い込むリスクに晒されているのは、執刀している外科医だけではありません。頭側にいる麻酔科医、器具を出す手術室看護師、MEなど、すべてのスタッフが同じ部屋の空気を吸っています。だからこそ、この対策を「外科医だけの問題」にしてはならないのです。

さらに言えば、この対策は医療従事者の労働環境改善だけでなく、患者さんの安全と満足度にも直結しています。全身麻酔ではなく局所麻酔や腰椎麻酔など意識のある状態で電気メスやレーザーを使った治療を受ける患者さんにとってもやはり不快で恐怖を感じさせるものだろうと思います。手術室の空気がクリーンに保たれていることは患者さんの安心感にもつながる大切な要素なのです。

パンデミックが起きてから慌ててその場しのぎの対策をするのではなく、日頃の業務の中からサージカルスモークの害を正しく理解し、意識を変え、排煙装置と気流のダブル対策を徹底していくこと。それこそが、これからの時代の手術室に求められる真の安全管理であり、すべての医療従事者と患者さんの健康を守るための第一歩となります。

まとめ
※クリックで拡大
企画・取材:伊藤公一
カテゴリ: 2026年8月28日
ページの先頭へ