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人生100年時代における医療の引き際と「暮らし」を支える在宅医療の役割

医療法人悠翔会 理事長
内閣府 規制改革推進会議 健康・医療・介護WG 専門委員
佐々木淳氏

高齢者のケアでは、単に病気を治療するだけでなく、本人の価値観や生活の質(QOL)を尊重し、医療リスクとQOLのバランスを取りながら、本人・家族・医療者が共に最善の選択を考える「共同意思決定」が重要だ。従って、医療は特定のリスクをゼロにすることを目指すのではなく、患者と対話し、何が本人にとっての幸福かを考え、共有し、QOLを重視したリスク管理を行うべきではないか――。医療法人悠翔会理事長で内科医の佐々木淳氏は自らの経験を踏まえ、人生100年時代の在宅医療の在り方をそのように唱えた。2026年4月18、19の両日、大阪府立国際会議場で開かれた『第12回日本医療安全学会学術総会』における佐々木氏の講演「地域医療における『リスク』と向き合う」の要旨を紹介する。

私たちが直面する「長寿」という最大のリスク

私が従事する在宅医療の世界では、病院とは異なる別のリスクがあるということを常々感じながら仕事をしています。

現代の日本において、長寿は喜ばしいことであると同時に、予期せぬ形で自分のコントロールできない方向に人生が進んでいくという、ある種の「ライフリスク」をはらんでいます。

日本の男性の平均寿命は約82歳。女性はさらに長生きであり、2000年以降に生まれた子どもたちに至っては、2人に1人が100歳まで生きる時代が来るとも言われています。

しかし、ここで注目すべきは「健康寿命」と「平均寿命」の間に横たわる、男性で約8年、女性で約10年というギャップです。

国を挙げた健康増進プロジェクトにより、健康寿命そのものは延伸しているものの、それを上回るペースで平均寿命が延びているため、この格差は縮まっていません。

私たちは生き物である以上、30歳ごろをピークとして身体機能は徐々に低下し、85歳を過ぎれば2人に1人が要介護状態に、95歳を過ぎれば大半の人がなんらかの認知機能低下を抱えるようになります。

つまり、超高齢期における要介護や認知症は「予防し、克服すべき対象」ではなく、生物として「受け入れるべき対象」なのです。人生の最終段階において、私たちはこの現実とどう向き合い、どのような医療を選択すべきなのでしょうか。

人間はだれもが歳をとる
人間はだれもが歳をとる
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医療から「暮らし」へのグラデーション

急性期医療の役割が「病気の原因を突き止め、治療して元通りに治すこと」であるならば、在宅医療の役割は「医療ではどうにもならない老化や老衰を受け入れ、最期まで穏やかに過ごせるように支えること」にあります。

人間は、単に生物として生かされているだけでは幸福を感じられません。退職や喪失によって失われた「社会とのつながり」を再構築し、たとえ車いす生活であっても、認知症が進んだとしても、本人が「自分らしい人生を生きている」と思える環境を整えることが重要です。

身体機能の回復が難しいのであれば、周囲の環境を調整することで、残された機能の中で本人の望む暮らしを実現する――これこそが在宅医療の本質的な仕事です。

臨床の現場ではしばしば「どこまで治療するか」という点ばかりが議論されがちですが、本当に優先されるべきは患者自身の価値観です。

「最期までどのように生きたいか」「人生において大切にしたいことは何か」「絶対に避けたい状況は何か」など、生活に根ざした意向を丁寧にくみ取った上で、初めてそれに並走する形で医療の在り方を検討していく必要があります。

「治療」はどこまで?
「治療」はどこまで?
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高齢化社会で歪む医療ニーズと救急・入院医療の逼迫

現在、都市部を中心に救急搬送件数は右肩上がりに増加していますが、その要因を紐解くと、増加しているのは後期高齢者の搬送のみであり「次世代」の搬送は増えていません。

さらに重大なのは、搬送された高齢者の55%が「軽症」であり、緊急受診の必要性が低かったという事実です。この背景には、介護施設などで「転倒して頭を打ったから、念のためにCTを撮る」といった、ガイドラインに沿った過度なリスクヘッジの意識があります。

高齢者の搬送は軽症が多い
高齢者の搬送は軽症が多い
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同様の構造は入院医療にも見られます。日本の国民医療費の約半分は70歳以上の高齢者が占めており、その医療費の7割近くが入院医療費です。

急性期病院の入院患者の大部分を後期高齢者が占める中、彼らが入院する主原因は70~80代がピークとなる動脈硬化性疾患やがんではなく、85歳以降に激増する肺炎や骨折といった「脆弱性疾患」です。

超高齢者が肺炎や骨折で入院した場合、仮に退院できたとしてもADL(日常生活動作)は大きく低下します。

入院生活による身体機能や認知機能の低下(HAP:病院獲得性機能障害)という新たなリスクを考慮すると「何かあったら病院に入院させれば安心」という従来の常識は、超高齢者には必ずしも成り立たないのです。

超高齢者は何で入院している?
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「治せる病気は治すべき」という倫理の盲点

医療者が陥りがちな罠に「治せる病気があるのだから、治療しなければならない」という義務感があります。しかし、治療を行うことで、かえって患者を不幸にするケースは少なくありません。

例えば、誤嚥性肺炎を繰り返す94歳の女性が急性期病院に入院したとします。病院側は「安全に、確実に肺炎を治すため」に2週間の禁食措置を取り、ベッド上に安静とします。

しかし、その結果として認知症が進行し、さらに別の肺炎を併発して禁食期間が長引けば、肺炎が治ったころには寝たきりになり、自力で食べる機能を完全に失ってしまう(廃用症候群)という悲劇が起こります。

病院側が「2週間を安全に乗り切る」という短期的な医療リスクヘッジを優先した結果、患者のその後に続く「数年の人生」における最大の満足を奪ってしまった例です。

階段状に衰弱が進み...
階段状に衰弱が進み...
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生存中央値が2年ほどである超高齢の患者に対して、若年層と同じような厳格な血糖管理や血圧管理、生活制限を課す意味がどこまであるのでしょうか。

医療を加えることや生活を制限すること自体が、結果として患者の口腔機能や身体機能を破壊し、生活の質(QOL)を著しく損なう最大の「リスク」になり得ることを医療者は認識しなければなりません。

共同意思決定(SDM)のプロセスと家族の葛藤の緩和

患者本人が意思表示できない状況や認知症の進行により、複雑な治療のメリット・デメリットを理解できない場合、医療者はその判断を家族に委ねがちです。

しかし、過酷な二者択一を迫られた家族は、後に深刻な罪悪感や精神的負担を抱えることがさまざまな研究で明らかになっています。

この課題を解決するのが、医療者と家族(および本人)が共に最適な選択肢を形づくっていく「共同意思決定(SDM)」のプロセスです。SDMは「医療の適応」「本人の意向」「患者を取り巻く環境」「地域や家族のサポート体制」という4つの要素を整理し、何が最善かを対話を通じて探っていきます。

家族に対して、ただ「入院させますか、家で見ますか」と選択を迫るのではなく「おばあちゃんがもし、自分の気持ちをストレートに表現できるとしたら、なんと言うでしょうか」と問いかけ、家族が本人の代弁者となれるよう寄り添う伴走が必要です。

日ごろから関わりをもつ在宅医療チームが、家族と共に判断の責任を分かち合うことで、モヤモヤとした葛藤を少しずつ言葉にし、納得のいく看取りの選択へと導くことが可能になります。

意思決定した後が重要
意思決定した後が重要
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限界効果を見極め、死生観を共有できる社会へ

リスク管理の努力を2倍にすれば、リスクが半分になるわけではありません。医療や安全対策には必ず「天井効果(限界効果)」が存在し、どれほど厳格な制限を設けても、高齢者が「生きていくこと自体のリスク」をゼロにすることは不可能です。

ちょっとしたリスクを極限まで排除しようとするあまり、ベッドへの縛り付けや過度な禁食を強いることは本人の尊厳と幸福を損なう本末転倒な行為といえます。

人生の後半を進むにつれ、積極的な医療による「生命の延長効果」は短くなり、相対的に医療的管理の必然性は低下していきます。その代わりに必要とされるのは、本人が毎日を楽しく過ごせる環境を整える「ケア」の充実です。

リスクの限界効果
リスクの限界効果
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おいしいものを食べれば窒息のリスクがあり、外に出れば転倒のリスクがあります。どこまでのリスクを許容し、本人の「やりたいこと」を優先するか、その限界点を社会全体で共有していく必要があります。

3カ月から1年のうちに必ず死を迎える超高齢者の患者に対して「何かあったらどうしよう」と右往左往する問いの立て方自体が間違っているのかもしれません。

避けられないその時が来るまで、どうすれば本人が最もハッピーに生きられるか。この問いかけを医療者、家族、そして社会全体が共有し、医療の「引き際」を前向きに捉えていくことこそが人生100年時代を豊かに締めくくるための鍵となりそうです。

企画・取材:伊藤公一

カテゴリ: 2026年7月28日
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