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No.170 「慢性肺血栓塞栓症の診断・治療により病状が軽快し、転医した患者が、転医先の病院で急性増悪期と診断されて血栓溶解療法を受けたところ、患者が脳内出血で死亡。転医先の病院の診断及び療法に過失を認め、遺族の損害賠償請求を認容した高裁判決」

福岡高裁平成20年6月10日判決 判例時報2023号62頁

(争点)

  1. 患者は慢性肺血栓塞栓症の急性増悪期にあったか
  2. 血栓溶解療法の適応はあったか
  3. 損害(患者に逸失利益はあるか)
  4. (事案)

    患者A(昭和2年生まれの女性)は、平成7年11月、労作時に呼吸困難を自覚し、B病院において閉塞性肺疾患を原因とした低酸素血症と診断され、同年12月まで入院した。

    以後、Aは通院治療を続けていたが、平成11年ないし12年ころ、再び徐々に労作時に息切れがするようになった。Aは自己判断で通院加療(服薬)を中止していたが、平成16年2月ころに症状が悪化したことから、同月12日、C病院に入院した。

    C病院循環器科のD医師は、Aを診察し、同病院呼吸器内科の医師の意見も参照して、慢性肺血栓塞栓症にほぼ間違いないと考えたが、確定診断に必要な造影検査が実施できなかったため、肺塞栓症の疑いと診断するにとどめた。

    Aは、入院初日から、抗凝固剤であるヘパリンを投与されていたが、上記の診断に基づき、抗凝固療法を受けることとなり、同月19日より、同じく抗凝固剤であるワーファリンの経口投与も受けるようになった。

    D医師は、Aの病状が入院時よりも軽快したので、急性期医療を主とするC病院の治療は終了し、Aにリハビリを行わせ、在宅酸素療法を同人に身に付けさせる段階にあると判断し、同人をY医療法人の経営するY病院に転医した。

    Y医療法人の代表者でもあるE医師は、入院初日である同月27日、C病院での診断とは異なり、Aは、単なる慢性肺血栓塞栓症ではなく、その急性増悪期にあるものと判断したが、血栓溶解療法の適応があると考え、同日以降、抗凝固療法に加えて、血栓溶解療法を開始した。

    Aは、同月29日以後、血尿が続くようになり、同人及びX(Aの実妹)は、同年3月1日以降、上記各治療の中止を何度も求めたが、E医師は、治療継続が必要と判断し、中止はしなかった。

    Aは、同月6日午後零時ころ、意識レベルが低下し、同日午後零時15分には、刺激しても覚醒しない程度までの意識障害に陥った。同日午後7時15分ころに行われた頭部CT検査により、脳内出血が確認された。Aは、Xの希望により、C病院に再転医したが、同月8日午後6時7分、脳内出血により死亡した。

    Xは、Aの全遺産を単独で相続したため、Y医療法人に対し、Aが受けた損害及び自己固有の損害の賠償を求めて訴えを提起した。

    (損害賠償請求額)

    遺族の請求額 計4692万7815円
    (内訳:逸失利益1162万7815円+死亡慰謝料2400万円+遺族固有の慰謝料200万円+葬儀費用150万円+弁護士費用780万円)

    (判決による請求認容額)

    裁判所の認容額:
    【第一審の認容額】計2502万2887円
    (内訳:逸失利益102万2887円+死亡慰謝料2000万円+遺族固有の慰謝料0円+葬儀費用150万円+弁護士費用250万円)
    【控訴審の認容額】計2365万円
    (内訳:逸失利益0円+死亡慰謝料2000万円+遺族固有の慰謝料0円+葬儀費用150万円+弁護士費用215万円)

    (裁判所の判断)

    患者は慢性肺血栓塞栓症の急性増悪期にあったか

    この点について、第1審裁判所は、慢性肺血栓塞栓症の急性増悪をもたらすのは、深部静脈の新血栓であるところ、Aについては、C病院において実施されたCT検査、超音波検査では、深部静脈に新血栓を認めるべき明らかな所見は存在しなかったものであり、Y病院においては、新血栓の有無を直接判定する検査は行われていない。したがって、新血栓が存在したと直接に認めるに足りる証拠はなく、上記各検査結果はむしろ新血栓は存在しなかったことをうかがわせるものといえる、と判示しました。さらに、C病院に入院中の時期においては、入院当初はともかく、少なくとも、Y病院に転医する直前の時点においては、Aが慢性肺血栓塞栓症の急性増悪の状態にあったことをうかがわせる症状はなかった、とも判示しました。そして、Aは、Y病院に転医した当初、少なくとも30分間程度、自然呼吸の状態に置かれており、それによって、動脈血ガス検査の結果がC病院入院当時より悪化したものの、呼吸苦を覚えたり、冷感やチアノーゼが出現したりといったことはなかったものであるから、Aは、急性増悪に陥っていなかったものと認められる、と判断しました。

    そして、控訴審裁判所は、この第1審裁判所の判断に加えて、Y医療法人が、Aに新血栓が存在したことの根拠として主張する事実(C病院の心エコーで右室負荷の所見があったこと、同病院の肺血流シンチグラフィーで両肺の多発性欠損像の所見があったこと、同病院及びY病院の動脈血ガス検査でいずれも拘束性換気障害を示す著しい高炭酸ガス血症と著しい低酸素血症が認められたこと)は、慢性血栓塞栓症の症状が重篤であったことの根拠にはなるとしても、慢性肺血栓塞栓症の急性増悪期にあったことの根拠となるものではない、とし、Aは慢性肺血栓塞栓症の急性増悪期になかったとの第1審裁判所の判断を維持しました。

    血栓溶解療法の適応はあったか

    この点について、第1審裁判所は、まず、Aは慢性肺血栓塞栓症の急性増悪期になかったと認められる以上、血栓溶解療法の適応はなかった、と判断しました。

    その上で、血栓溶解療法の最大の合併症は出血であり、頭蓋内出血の多くが致死的であること、70歳以上の高齢者にあってはその確率が高まること、抗凝固剤と血栓溶解剤を併用投与すれば相加的に出血傾向を高めることが指摘されており、いずれについても慎重投与すべきとされている。しかるに、C病院における抗凝固療法により、Aの呼吸状態が改善されていたこと、血栓溶解療法は予後改善効果を期待できないことからすれば、上記のような危険を冒してまで、抗凝固療法に加え、血栓溶解療法を施す必要性も見出しがたい、と判示しました。

    その上で、仮に、Aが慢性肺血栓塞栓症の急性増悪期にあったとしても、日本循環器学会合同研究班が発表した、循環器病の診断と治療に関するガイドラインに報告された選択基準(1:正常血圧で右心機能障害も有さない場合は、抗凝固療法を第一選択とする。2:正常血圧であるが右心機能障害を有する場合には、効果と出血のリスクを慎重に評価して、血栓溶解療法も選択肢に入れる。3:ショックや低血圧が遷延する場合には、禁忌例を除いて血栓溶解療法を第一選択とする。)に適合しない、と付言し、血栓溶解療法の適応を否定しました。

    そして、控訴審裁判所は、この第1審裁判所の判断に加えて、ガイドライン違反の点について、Aに右心機能障害が存在することから、ガイドラインの選択基準2に該当するとしても、同選択基準3と異なり、血栓溶解療法が第1選択となるものではなく、効果と出血のリスクを慎重に評価して血栓溶解療法も選択肢に入れるとされるにとどまるところ、Y病院がAに対する血栓溶解療法の実施に当たり効果と出血のリスクを慎重に評価した事実が認められないから、Y病院の治療がガイドラインに反していることに変わりがない、と判示し、血栓溶解療法の適応がないとした第1審裁判所の判断を維持しました。

    損害(患者に逸失利益はあるか)

    この点について、第1審裁判所は、Aが無事にY病院を退院していたとしても、酸素投与を受け続けざるを得なかった可能性が大であり、家事労働に従事できたとしても、従事できる仕事の範囲は相当に制限されたであろう、として、逸失利益(死亡した患者が生きていれば一生の間に得られたであろう利益)を、平均賃金額の半額、就労可能期間を1年として算定し、遺族の請求を一部認容しました。

    これに対し、控訴審裁判所は、仮にY病院を退院後はXと同居して家事に従事することが予定されていたとしても、Aの年齢及び健康状態に鑑みて、Aが従事しえたであろう家事の内容・程度は、自らの生活生存に必要な行為の域を超えないものであったと推認されるから、家事労働に従事できないことを理由に逸失利益を認めるのも相当ではないと述べて逸失利益の存在を否定しました。

    以上より、控訴審裁判所は、上記控訴審の認容額の限度で遺族の請求を認め、Y医療法人に損害賠償を命じました。

カテゴリ: 2010年7月 1日
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