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No.263「神経性食思不振症で通院していた患者が死亡。医師に血清カリウム値の検査義務違反があったとして、病院側に、患者が『生存していた相当程度の可能性』を侵害されたことにより被った損害の賠償を命じた高裁判決」

東京高等裁判所 平成15年8月26日判決 判例時報1842号43頁

(争点)

  1. 患者Aの死因
  2. T医師の注意義務違反の有無
  3. T医師の注意義務違反と患者Aの死亡との因果関係
  4. 相当程度の生存の可能性の侵害の有無

 

(事案)

患者A(昭和54年生)は、平成7年4月28日から、Y病院組合の設置するY病院で、同病院に勤務するT医師の診察を受け、神経性食思不振症の治療のため通院していた。T医師は、患者Aの診察を始めてから、平成7年5月11日以降、診察のたびにAの体重を測定していた。Aの体重は平成7年5月11日には40kgであったのが、徐々に減少し、同年8月10日、22日には35kgになったため、T医師としては入院治療も考慮したが、その後徐々に体重が増え、同年10月12日、40kgまで回復し、同日行った血液検査の結果でも、血清カリウム値が3.5と正常の範囲であったため、身体的状況に問題はないと考え、毎週木曜日にK精神保健福祉士による精神療法を開始し、自らは毎週第二、第四木曜に両親に対する親面接を開始した。

患者Aは、その後も家族に隠れて、自室で自分で買ってきた物を食べ、嘔吐を繰り返していた。Aは、平成8年1月頃から異常行動が目立ち、学校も登校しなくなったが、平成9年1月30日以降、原則毎週木曜日の精神療法において、毎回のように卓球を行い、平成9年3月24日、通信制のW高校に合格し、同年4月から同校に転校し、毎週日曜日、同校のスクーリングに休まず通うなど落ち着いてきたため、T医師は精神療法の終了を検討したが、A本人が継続を希望し、精神療法を継続することになった。

T医師は、低カリウム血症については、血清カリウム値が平成7年10月12日までの4回の検査で正常値であり、同日までに体重が40kgに回復し、その後特に体重が減り入院の必要が生じたこともなかったので、低カリウム血症の発症の危険性については考えておらず、下剤についても、患者Aの母親から、Aが市販の緩下剤を服用し続けているので、病院の薬に変えて欲しいという希望により処方した。

T医師は、入院すれば月1回定期的に検査をするが、外来では1年に1度程度検査を行えば足りると考えていたが、平成7年10月12日以降は、平成8年6月27日、肝機能、甲状腺機能について血液検査をした以外、全く血液検査を行っておらず、同日の検査でも、むくみとの関係で肝機能、甲状腺機能について検査をしただけで、血清カリウム値は測定せず、平成9年4月24日以降、患者Aについて、Aの父親やK精神保健福祉士から何度か、Aが最近やせて細さが目立つとの話があったが、転校によるストレスと考えて、特に対応策はとらなかった。

T医師は、患者Aの身体的異常については、精神科医としては関与するものではなく、基本的には本人が異常を訴えてくるか、内科医を受診すべきものと考えていた。

患者Aは、身体検査については、実際に行われた検査では、体重測定を含めて特に拒否的態度を見せていないが、平成8年6月27日の検査では、採血検査を拒否しないが泣いてしまい、当日のKとのセッションを拒否したことがあった。

その後、患者Aは、平成9年6月12日に死亡した。死亡診断書には直接死因を致死性不整脈、その原因は不明、直接死因等の傷病経過に影響を及ぼした傷病名等として神経性食思不振症と記載された。

患者Aの両親は、T医師には、Aの血清カリウム値、心機能、洞性不整脈の原因について検査し、必要な措置を講じる義務があったにもかかわらず、これを怠り、Aを、低カリウム血症、心機能低下及び洞不全症候群のいずれか又は複数の原因により死亡させたとして、Y病院組合に対し、損害賠償を求めて提訴した。一審判決(東京地裁平成13年10月31日)は、T医師には、患者Aが重度の低カリウム血症に陥ることがないよう治療すべき注意義務があったが、Aが重度の低カリウム血症、身体及び心機能が栄養補給等を必要とする程の緊急性のある状態、並びに洞不全症候群に罹患していたものと認めることができないから、T医師の過失により死亡したと認めることはできないとして、両親の請求をいずれも棄却した。

そこで両親が控訴した。

 

(損害賠償請求)

患者遺族(両親)の請求額:合計8000万円
(内訳:逸失利益・慰謝料・葬儀費用・弁護士費用合計9746万4524円の内金。内訳の詳細は不明)

 

(判決による請求認容額)

一審(地裁)判決の認容額:0円

控訴審(高裁)判決の認容額:合計330万円
(内訳:患者の慰謝料300万円+弁護士費用30万円)

 

(裁判所の判断)

1.患者Aの死因

この点につき、裁判所は、複数の医師の見解を検討した上で、患者Aの死因は、低カリウム血症により生じた致死性心室性不整脈によって生じた可能性が最も高いが、Aが低カリウム血症に罹患し、致死性心室性不整脈を生じさせる状況にあったことを高度の蓋然性で認めることは困難であると判断しました。

2.T医師の注意義務違反の有無

<事案>にあるようなT医師の患者Aに対する診療方針、診療方法の選択については、神経性食思不振症患者との信頼関係の観点から、緩下剤の投与を行いながら体重を患者の症状把握の指標とし、積極的に検査を行わずに、良好な患者―治療者関係維持に努めながら行ってきた治療方針の選択は、精神科医の中ではこれを支持する知見も見受けられ、GメディカルクリニックのG院長も、精神科専門医として適切な対応であったと考えられるとの意見を述べています。

その上で、裁判所は、患者Aの死因については、高度の蓋然性をもって認めることはできないとしても、低カリウム血症による致死性心室性不整脈の可能性が最も高いと考えられる上、神経性食思不振症について書かれた文献中には、同症の身体的合併症として、低カリウム血症への罹患の危険性、及びこれによって致死的不整脈を生じ突然死する可能性が必ず記載されており、T医師も当然このことを承知していたものと考えられると判示しました。

そして、低カリウム血症による臨床症状は特異的ではなく、これによっては診断できず、診断方法としては、血液検査、心電図しかない上、患者Aについては、過食―嘔吐を繰り返し、また大量に乱用すると電解質喪失の危険のある下剤を処方していて、低カリウム血症罹患の危険性があったのであるから、神経性食思不振症の治療にあたる精神科医としては、血液検査を定期的に行い、場合によっては、内科医の診察を受けさせる必要があったと判断しました。

以上から、裁判所は、T医師には平成7年10月12日の血液検査以降平成9年6月12日の患者Aの死亡に至るまでの間に定期的に血清カリウム値を検査する義務があったものであり、少なくともこの間一度も血清カリウム値を検査しなかったT医師には、過失があったと認定しました。

3.T医師の注意義務違反と患者Aの死亡との因果関係

裁判所は、この点につき、患者Aの死因については、低カリウム血症により致死性心室性不整脈を起こした可能性が最も高いが、Aが低カリウム血症に罹患し、そのため致死性心室性不整脈を起こした高度の蓋然性まで認めることは困難であるから、T医師の注意義務違反(争点2)と、Aの死亡との間に相当因果関係を認めることはできないと判示しました。

4.相当程度の生存の可能性の侵害の有無

裁判所は、T医師が平成7年10月12日から患者Aの死亡に至るまでの間に血清カリウム値を検査していれば、Aが低カリウム血症であることを診断し、これに対し適切な措置をとることにより、Aは、その死亡の時点においてなお生存していた相当程度の可能性があったと認定しました。

そして、裁判所は、Y病院組合は、診療契約の債務不履行に基づき、T医師の過失により患者Aが上記可能性を侵害されたことによって被った損害を賠償すべき義務があると判示し、その慰謝料としては300万円が相当であると判断しました。

その後、判決は確定しました。

カテゴリ: 2014年5月10日
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