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No.253「大学病院で肺動脈スリングの根治手術を受けた小児患者が、低酸素脳症を発症し、その後訴訟継続中に死亡。安全限界値を下回る血液希釈を行った医師の過失を認め大学病院側に損害賠償を命じた地裁判決」

津地方裁判所平成22年1月28日判決 判例タイムズ1329号194頁

(争点)

  1. 本件手術における酸素供給に関する医師の過失の有無
  2. 過失と低酸素脳症発症及び死亡との因果関係

 

(事案)

A(平成8年生、男児)は、平成9年1月17日、喘息様気管支炎でB病院を受診した。そこで右肺野の異常を指摘され、同年3月18日、国立Y大学病院(以下「Y病院」いう。)を受診し、血管輪の一種である肺動脈スリング(左大動脈起始異常による気管狭窄症)であると診断された。

Aは、その後、Y病院に定期的に通院し検査を受けていたところ、Y病院医師は、平成11年5月18日の外来診療においてAに陥没呼吸を認め、さらに同月28日の診療の結果、喘鳴を認めたことから、症状悪化(気管狭窄による気道症状の増悪)により、手術適応と判断した。

Aは、同年9月6日、Y病院に入院し、同月13日、手術(以下「本件手術」という。)を受けた。その内容は、左肺動脈を離断し、再吻合を行うとともに、狭窄が認められる右肺動脈の拡大を行うというものであった。

手術担当医師らは、本件手術を、希釈体外循環(人工心肺装置中に、血液以外の補液を充填して循環させる方法)下で行うこととした。また、手術直前に、Aの血液を一定量採取し、手術終了後に戻す術中採血(自己血輸血)を行うこととした。Y病院医師らは、希釈体外循環の回路充填計算を行い、予測ヘモグロビン値7.3g/dl、予想ヘマトクリット値22.0%を算出した上で、術中採血によりヘマトクリット値は15%を少し下回る、ヘモグロビン値は5g/dl以下(最低4g/dl)と想定して、安全限界値をヘマトクリット値10ないし11%と設定した。本件手術中のヘマトクリット値は、午後1時40分に13.1%、午後2時15分に12.4%、午後2時40分に11.9%であった。

Aは、同日午前9時に手術室に入室し、気管内挿管、術中採血等を行った後、午前11時45分から手術が開始され、午後1時10分から午後3時5分まで体外循環装置を使用し、自己血の返血の後、午後5時27分に手術が終了した。

本件手術後、Aは、血行動態、呼吸状態は順調に回復したが、意識障害が認められ、同年10月12日、低酸素脳症と診断された。このころのAの状態は自発呼吸があり、四肢の麻痺はなく、開眼し、表情(泣いたり、笑ったり)があるが、呼びかけなどに反応せず、意識がなく、水分、食物等の経口摂取もできず完全介護の状況にあった。Y病院医師は、Aについて、生活上の動作、活動は全くできないとして、身体障害者福祉法別表に掲げる障害1級に該当するとの診断書を作成した。

Aは、平成12年4月9日、Y病院を退院し、以後、父母らの介護を受けていたが、痙性四肢麻痺、てんかん、呼吸障害(気道狭窄)が残り、平成16年5月17日、低酸素脳症後遺症による中枢性呼吸不全を原因とする肺炎により死亡した。

Aの生前に、Aと父母が国に対して損害賠償請求訴訟を提起したが、訴訟継続中にAが死亡したので、Aの地位を父母が相続した。またY国立大学法人が、平成16年4月1日、Y病院の運営を国から承継するとともに、国立大学法人法附則9条1項に基づき、その業務に関する権利義務を国から承継した。

 (判決中の用語説明)

手術時に、麻酔導入後又は手術開始直前に採血して補液を行い、血液を希釈しておく方法を希釈法(術中採血、術中貯血、自己血輸血)という。

体外循環とは、人工心肺装置を用いて血液を循環させることである。体外循環を使用する手術においては、人工肺、貯血槽、熱交換機を含めた回路内に血液あるいはそれに準じた液を充填しておく必要があるが、その際に血液によらず補液を充填するのが、希釈体外循環である。

 

(損害賠償請求)

患者遺族(両親)の請求額:計1億2608万1246円
(内訳:逸失利益4914万7262円+介護料1366万4000円+患者の慰謝料2800万円+葬儀関係費用180万9984円+患者の弁護士費用926万円+遺族固有の慰謝料2名合計2200万円+遺族の弁護士費用220万円)

 

(判決による請求認容額)

裁判所の認容額:計5917万3630円
(内訳:逸失利益2457万3631円+介護料600万円+患者の慰謝料1800万円+葬儀関係費用120万円+患者の弁護士費用500万円+遺族固有の慰謝料2名合計400万円+遺族の弁護士費用40万円(患者につき相続が開始したため端数不一致)

 

(裁判所の判断)

1.本件手術における酸素供給に関する医師の過失の有無

裁判所は、常温下での血液希釈時のヘマトクリット値の安全限界値につき、昭和40年代以降、本件手術までの研究・報告等を検討した上で、ヘマトクリット値については、昭和40年代に、常温下での安全な血液希釈の限界として、ヘマトクリット値20%という値が示され、これが平成3年ころまでには、一般的に体外循環に関する文献で紹介されるなどして、以後、一般的、普遍的な安全限界値とされていたことが認められると判示しました。そして、その後本件手術までの約30年間に、上記の数値よりも低値の設定で血液希釈を行う施設が存在し、最低ヘマトクリット値12~15%、最低ヘモグロビン値4.0%~5.0%/dlとして問題がなかったとの報告が複数なされていることが認められるものの、これらは、低体温法などを併用して、結果として安全であったと述べるにすぎず、本件手術後ではあるが、安全限界の検討を主眼としたものではないと指摘されていると判示しました。そうすると、本件手術当時は、未だ安全限界値を探る意味で先駆的な希釈法が多数施行されている段階にはあったものの、上記の多くの報告が挙げる数値が常温下の血液希釈の安全限界値として一般的、普遍的に認識されていたものとは言い難く、特に鑑定人が教科書における記載として紹介する「ヘマトクリット値15%」を下回る数値が、常温下の血液希釈の安全限界値として、一般的、普遍的に認識されていたものということはできないと判断しました。

そして、本件手術に際して、Y病院医師が安全限界値をヘマトクリット値10ないし11%として、実際に、体外循環時にヘマトクリット値を13.1%、12.4%、11.9%としたことは、一般的、普遍的に安全限界値とされる値を下回った状態において、治療行為を行ったものということができると判示しました。

裁判所は、さらに、本件において、このような安全限界値を超えた値まで血液希釈を行うことの医学的・臨床的根拠、Aへの適応性のほか、これを行うことがAにとって有益であって、その必要性があったといえるかについて検討しました。

裁判所は、安全限界値を超えて血液希釈を行うことの必要性は、すなわち、希釈体外循環に加えて術中採血を行うことの医学的・臨床的根拠、Aへの適応性、有益性及び必要性と解されると判示しました。

Yは、術中採血の利点として、(1)感染症を予防する、(2)血液を保存しておくことで体外循環中の赤血球の破壊を減少させることができる、(3)血小板、凝固因子の補充などが可能となると主張しました。しかし、裁判所は、(1)は、感染症等の原因となり得る他家血輸血を回避するという趣旨であるが、これは、希釈法の利点であるから、希釈体外循環に併用して術中採血を行うことの利点とはなり得ないと指摘しました。次に、(2)及び(3)については、体外循環時に術中採血を行うことが有益であることはYの述べるとおりであり、したがって、体外循環により本件手術を行うAについても一応適応性はあったものと認められるとしましたが、しかし、酸素運搬能力の不足は全身の臓器に及ぼす障害が大きく、ひいては患者の生命の危険もあることからすると、一般的、普遍的な酸素運搬能力に関する安全限界値を超えてまで術中採血を行うには、治療上、これを行う強い必要性があってしかるべきであるが、Yの述べる赤血球の破壊の減少を放置したり、血小板、凝固因子の補充を行わないことが、酸素運搬能力についての安全限界値を超える処置を行うことと比較しても同程度、あるいは、それ以上の危険性があるとも解されず、かつ、他の治療法によってはYの指摘する利点を補うことができないものとも解されないと判断しました。

以上のことから、裁判所は、本件手術において、希釈体外循環に加えて術中採血を行い、一般的普遍的な安全限界値を下回る血液希釈を行う必要性は認められず、したがって、これを行ったY病院医師には注意義務違反があるといわざるを得ないとして、Y病院医師の過失を認めました。

2.上記過失と低酸素脳症発症及び死亡との因果関係

この点につき、裁判所は、Y病院医師は、一般的、普遍的に安全限界値であると解されるヘマトクリット値15%を下回るであろうことを予測しながら常温下で希釈体外循環及び術中採血を行い、かつ実際に午後1時40分にはヘマトクリット値が13.1%まで下がったにもかかわらず、この状態を自己血輸血が行われた午後3時前後まで継続させたものであり、また、そのような危険な状態を招来しながら、目標値以上に体温が上がったにもかかわらず、酸素必要量を増加させる体温上昇を抑える努力もしなかったのであって、これらにより、Aについては、本件手術中、長時間にわたって身体の酸素必要量に比して血液の酸素運搬能力が低い状態が継続したものと認められると判示しました。そして、Aについて発生した低酸素脳症は、脳細胞への酸素の供給不足が相当程度の期間続いたことにより発症するものであることからすると、Aの低酸素脳症は、Y病院医師らの上記注意義務違反により発生したものと推認するのが自然であると判断しました。そして、Y病院医師が上記注意義務を尽くして十分な酸素供給を確保していれば、低酸素脳症の発生を避けることができたと解され、Y病院医師の義務違反(過失)とAの低酸素脳症発症との間には因果関係があると判断しました。

さらに、Aは、低酸素脳症後遺症による中枢性呼吸不全を併発し、これを原因として平成16年5月17日に死亡したものであるから、Y病院医師の義務違反によって発症した低酸素脳症と死亡との間には因果関係があると認定しました。

以上から、裁判所は上記「裁判所の認容額」の範囲で、Aの両親の請求を認めました。その後、判決は確定しました。

カテゴリ: 2013年12月10日
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